今こそ社会政策の拡大を(3/3)2009/04/12 16:29

何で耐乏生活を送ることになったのか?この原因を解決しなければ社会保障をいくら積み増ししても問題の本質的な解決にはならない。

すべてとの原因とは言わないが、日本人の所得がなかなか増えない背景には飢餓輸出ともいえる、輸出主導の経済成長をしてきた日本の経済の行動にその原因があると考えられる。

飢餓輸出とは食うものも食わずにひたすら輸出することである。発展途上国などで国民が満足に食べていないのに外貨稼ぎのために食糧を輸出するケースなどがこの代表格だ。飢餓とまでは行かないが、輸出先の先進国の生活状況を見て「あいつらデッカイ家に住んで、ホリデーいっぱいとりやがって良いよなぁ」とか言いながらセッセと残業や休日返上で働いて輸出商品をつくるのは明治の開国以来「日本のお家芸」とでも言える行動パターンだ。そのためこれまで日本の輸出企業は輸出先のダンピング規制にひっかかって輸出禁止になったり相殺関税を課税されたり、そのダンピング規制を回避するため輸出の自主規制をしたりとさまざまな対応をしてきている。確かにダンピングの認定そのものには「輸出相手先の業界の政治力」といった要素がからむので、認定基準が必ずしも公平に見て妥当であるとは限らない。ただ、一般論として日本の企業がこれまで国内向けには輸出向けに比べ高い値段を設定したり、低めの仕様の商品を出荷していた、つまり「内外価格差」が存在していたのは歴然たる事実だ。この内外価格差があったために、バブル期以前には日本は世界で一番物価の高い国と形容されてきた。

当時メーカーが製品価格を算定するときに使う工場原価に対するマークアップ率は国内市場向けと輸出向けで差があった。日本の内需向け製品のメーカーの資材担当者から「何かの拍子で輸出向け価格を見る機会があると頭にくる」という話をよくきかされたものだ。

ちなみにアメリカの企業の場合、原則として国内より高い値段で売れる場合にのみ輸出に手を出すという行動パターンであることを知っておいたほうがよい。

ビジネスマンとして海外に出張した際の実感や、インターネット経由アメリカのオンラインショップの価格を見ていると、「失われた十年」を経て最近はこの内外価格差はほとんど埋まったといってよい。いやむしろ場合によっては逆転さえしているのではないかと思う。経済学的な分析の対象とはならないが、つい最近の円高までは中国人の観光客が日本にきてデパートやブランドショップの在庫をごっそり買って行ったとか、オーストラリア人がニセコの一角の不動産を買いまわっているとか、我々が海外に行くと物価が高いと感じる、といったanecdotal evidence(挿話的な事例)がこの間の事情を物語っている。

しかし当面内外価格差が埋まったらしいからといって、そのような体質が染み付いている日本のメーカーが、飢餓輸出から足を洗ったということはありえないと考えたほうがよい。昨今話題になる中国市場における原子力発電所用の機器商談などでこのような行動が復活しているとしても不思議ではない。

何でこのような行動が問題なのか説明しよう。このような行動は自分の所得の一部を削って輸出価格を下げること、つまりは本来得べかりし利益の一部を輸出先の海外に寄付することだ。日本の消費が低迷してきた大きな理由はこのような飢餓輸出まがいの行動を通じて国民の所得が生活の将来に不安をいだかせるところまで低下してきたからだ。更に問題なことは、このような行動をとることで付加価値の低い生産を温存し、結果的に日本がヨリ高付加価値型の産業構造に転換することを遅らせていることだ。

まあ、産業構造の転換はそう簡単ではないので、一朝一夕に飢餓輸出まがいの行動はやまないだろう。そして、「日本人にこれ以上何を買えというのか?」というある種の開き直りのもと、多くの日本の企業人は身を縮めながら海外の需要が復活することを待っているはずだ。

しかしその海外、より具体的に言えば今回の世界同時経済不況の引き金を引いたアメリカの需要がそう簡単に増えるのだろうか?私はそんなに早くはないと思う。別にアメリカのバブル崩壊と再生が日本とまったく同じタイムラインで進むだろうと単純に考えているわけではない。しかし以下の説明から「そう簡単に回復することもない」ということは理解いただけると思う。

問題は構造的なものだ。アメリカの消費拡大が不動産価値の拡大に依存していたことはよく知られている。しかし単純に持ち家を買って、それを売ってもうけたお金が消費に回ったわけではない [註 3]。金余りのせいでセカンド・モーゲージといわれる不動産の価値の上昇分を更にローンで貸し付けてくるシステムが出来上がっていたことだ。3000万円で買った住宅が評価額5000万円にまであがった。サブプライム以前の通常の住宅ローンでは3000万円の住宅を買おうとすれば20%の頭金を用意する必要があったから、住宅ローンの額は2400万円だ。セカンド・モーゲージを導入することで住宅評価額が5000万円になったところで、銀行は5000×80%の「後2200万円、総額4000万円まで貸せますよ」と消費者に持ちかけることができるようになったのだ。この追加の2200万円が消費に回ったのが大きい。

この金余りの原因は、輸出で稼いだお金でまずは日本が、続いて台湾や韓国や中国が、大量にアメリカ国債を買ったからだ。因果応報。もっと高いものをもっと少量アメリカに売っていたらこのようなことにはならなかったはずだ。

今どのようなことになっているかといえば、家の価値が3000万円とは言わないが4000万円に戻った状態だ。銀行は本来なら3200万円しか貸せない、しかしすでに800万円多い4000万円貸してしまっている。「800万円貸しすぎになっているから早く返して」といって回っている状態だ。消費者にしても銀行にしてもこのようにバランスシートを修復しなければならない、つまりバランスシート不況状態だから、消費者のバランスシートが修復されないと新規の消費など出てきっこない。

もっともアメリカの場合、先進国の中では国民の年齢構成が若く、人口も増えているのでいずれは住宅需要も底をうち不動産価格が上昇基調に入るだろう。そうなればバランスシートも修復される。しかし世界同時不況下ではそれはそんなに「速攻」の話ではない。

その日を待って国民を犠牲にするのはいかがなものか?

これでは内需は絶対に伸びない。日本にはまだまだ、商品にしてもサービスにしても、ほしくても買えない人がいることを忘れてはならない。

所得の不足に対する処方箋は簡単だ。所得に不安のある国民の生活を安堵させるべく福祉や教育に大判振舞いすればよいのである。

クー氏は直近のレポート(野村證券「マンデー・ミーティング・メモ」2009年4月6日版)で社会保障の充実について「社会保障制度が完備しているということは、マクロ経済学的には財政のオートマチック・スタビライザー(自動安定化)機能が(中略)機能しているということであり、ここは大きな景気の下支え効果をもつ。」と評価している。しかしその一方で「オートマチック・スタビライザー機能は景気の悪化にブレーキをかけることは出来ても景気を反転させる力は持っていない。」と、その機能が限定的であるとしている。

しかし、日本のようにそもそも将来の生活の不安を感じさせるくらい国民生活のレベルを切り詰めさせられ、ここ数年所得が落ち続け(ついでに言えば「失われた十年」の過程で虎の子の資産価値も減価し、この半年の金融不況でその資産価値が更に減価し)、GNPに占める医療費や教育支出のレベルもまた一貫して低下してきている国で、社会保障や教育に対する出費増の機能が限定的だと断定するのは早計であろう。

私は声を大にして言う。政府はハコモノではなく、社会保障や教育にいまこそ大盤ふるまいをすべきだ。

[補足] 最近元経済企画庁長官の宮崎勇氏の話を聞く機会があったが財政支出拡大の必要性や、その対象としての社会福祉出費の重要性、更には輸出主導の景気回復に対する疑問など、私の説とまったく同じお考えなので非常に勇気づけられた。その際、氏からは「労働分配率が低下していることにも注目すべきだ」とのご指摘を頂戴した。

[註 3] 持ち家を売れば新たな持ち家を買わなければならない。その新たな持ち家の値段が上がっていればもうけはそのまま消えてしまう。もっともアメリカのように労働市場が流動化し国土が広大な国の中では、不動産価格の高い地域から不動産価格の安い地域に移動してそこで新たな職につくということは日本に比べれば容易だ。そのようなケースもあったろう。

水のなるほどクイズ2010