スラムドッグ$ミリオネア2009/04/21 22:48

ようやく本邦初公開となった「スラムドッグ$ミリオネア」をみた。「インド」という懐を借りて「トレーン・スポッティング」のダニー・ボイル監督が作り上げた、手に汗を握る純愛ラブロマンス。史実+「実」の部分と「虚」の部分を巧みにまぜあわせ、圧倒的な力で最後まで引っ張って行った、さすが本年のオスカー賞8部門優勝の必見映画だ。

この映画の力はどこから来たのだろう?主人公が少年少女であった頃の部分を演じるのは現実のムンバイのスラムの住人の子供たちだし、エキストラの多くはスラムの住人だ。ボイル監督によれば「彼らの迫真の演技力なくしてはストーリーが映画にならなかった」という。映画の中で見られる人口1400万人の超過密都市ムンバイの人口圧力。エンディングタイトルと重なるボリウッド映画式に主人公を囲む集団舞踏場面の迫力。これらの背景に「虚・実」が巧みに織り込まれたストーリー展開からこの映画の迫力が生まれたのだと思う。

間違ってはいけないが「スラムドッグ$ミリオネア」はボリウッド映画ではない。それではボリウッド映画とはどういう映画なのだろう。

ボリウッド映画とはインドの経済の中心ボンベイ(Bombay現ムンバイ)で製作されるヒンディー語の映画の総称だ。ほとんどが派手なアクションを伴った勧善懲悪型のラブロマンスで、ストーリーの展開と共に華麗な歌と踊りが披露される。すべての映画が「虚・実」の巧みな混合物であるとすれば、ボリウッド映画の製作手法は観衆の現実逃避欲求に100%応えるよう製作された「虚」の部分が圧倒的に勝ったものだ。

「スラムドッグ$ミリオネア」はインドでは1月に公開されたが、当初は不評で興行成績が伸びなかった。理由は現実逃避を求めるインドの観客とこの映画の描く「実」の多い世界との落差のためであったと思われる。もっとも2月のオスカー賞受賞を契機として興行収入は伸びており直近の週では1.5億ルピー(約3億円)とインド国内第二位の興行成績をおさめている。

ボリウッドBollywoodという言葉はボンベイのBoとハリウッド(Hollywood)llywoodのを掛け合わせた造語だ。このスタイルの映画の成功に伴いインドのほかの地方や、隣国のパキスタン、スリランカ、バングラデッシュといった国々でも、同じスタイルの映画が製作されるようになった。しかし一番お金が集まるのは今でも本家本元ムンバイのボリウッド映画。いまやボリウッド映画は東南アジアや中近東にも輸出され、それらの地域の地元放送局が放映する映画のレパートリーに確実に加わっている。ストーリーが単純明快なこと、華麗な歌や踊りがあること、キッス場面すらご法度という保守的な作風あたりがボリウッド映画の輸出の成功の背景にある。

話を「スラムドッグ$ミリオネア」に戻す。

この映画で「虚・実」はどの部分なのだろう?多少インドを知るものとしてその解説を試みることで、インドの一面に少し触れてみよう。

主人公のジャマル、サリム、ラティカの親を奪ったヒンズー教徒によるイスラム教徒虐殺と、このときムンバイ警察がイスラム教徒が助けを求めてもまったく応じなかった部分は1993年に起きたムンバイのイスラム教徒虐殺で実際に起きたエピソードが題材になっている。インドではヒンズー教徒とイスラム教徒との間の混乱は数年ごとに起こる。たまたま1984年だったかの混乱のとき私はボンベイ(当時はまだボンベイと呼ばれていた)に出張していた。普段は忙しく多数の人が動きまわっているウィークデーのボンベイ南部のビジネス街がヒッソリしていた数日後、地元の警察の暴徒鎮圧担当ではないソレナリのポジションにある警察官僚とその家族とホテルで会食する機会があった。例えてみれば関東大震災後の朝鮮人虐殺が起きた数日後に警視庁の高官とその家族と帝国ホテルで会食したような状況だ。「今回の暴動は明らかにヒンズー教徒側が起こしたもの」と断言する高官氏(彼はヒンズー教徒)の”However the fact is that the attacked are always ready(しかし攻め込まれる側はいつも攻め込まれた場合に備えているのも事実だ)”と言う言葉が妙に耳に残っている。

暴動鎮圧には結局軍が動員され、暴徒に対し実弾射撃を行い暴動を鎮圧した。「こういう時アッサリ実弾射撃をやるからなぁ」とは催涙弾や放水でデモ隊を鎮圧する国から派遣された当時のボンベイ駐在員のコメントである。余談になるが、インドと中国の違いはこのようなニュースがきちんと報道されることであろう。

映画は警察の取調室で始まる。主人公ジャマルが1000万ルピー(約2000万円)まで懸賞金を稼ぎとったところで「オレのショーをあんな奴にメチャメチャにされてたまるか」と考える番組の司会者が警察に「ジャマルが不正を働いているらしい」と通報する。有力者の通報を受けた警察が即刻動きジャマルは家に帰るため放送局から出てきたところを逮捕され警察で一日尋問される。一日で警察が許してくれる部分は「虚」の部分だが、有力者と警察が「できて」いる部分は真実である。

その尋問の際ムンバイ警察がまるで人権無視の尋問手段をとる。容疑者を殴ったり棒でたたいたりすることで証言を取るのはインドの警察の常套手段だ。もっともつい先週の4/16にオバマ政権が開示した米国司法省のマル秘文書によれば、ひっぱたいたり顔を水没させたりするのはブッシュ時代の米国司法省公認の尋問手段だそうなので、インドの警察が人権無視だとばかり言ってはいられない。この種の話が報道されると、「またやった」とある種の諦めをもって事実を報道する側と、「こういうことはインドだけではない、先進国でも起きることだ」と開き直る側がせめぎあうのがインドの言論界の常だ。

物乞いをやりやすくするため子供を失明させる「孤児院」の主、その実乞食の胴元。こういう手合いがいるのもこれまた事実である。インドには物乞いの際の小道具として赤ん坊を貸し出す商売があったりするのだ。

映画を見終わった観客の中の若い女性が「怖かった」といっていた。これは「人間から人間性を奪うほどの貧困」を知らずに生きてこれた幸せな世間知らずの人間の率直な印象だと思う。ミュージカル「マイフェアレディー」に登場する主人公イライザの父親が”Have you no morals, man?(お前には道徳というものがないのか?)”と質されて、”No, I can't afford 'em, Governor(旦那、そんなもの持つ余裕はありませんや)”と応じているが、貧困こそ「人間から人間性を奪う」のだと言うことを覚えておこう。

話を元に戻す。主人公達がどうやら幼少時代を生き延びて片やコールセンターのお茶くみ、片やヤクザの親分の用心棒、もう片やヤクザの情婦になっていると言う設定もまた「ありうべし」と思わされる部分だ。

しかしコールセンターのお茶くみの青年が、コールセンターで働く人より立派な体つきであるのには違和感があった。スラムたたき上げの場合、子供のころの栄養が悪いため、あの主人公のようにスラッと背が高くはならない。

これだけの「実」の部分と対置される「虚」の部分。ストーリー全体の「ありえなさ」や主人公たちが10代になってからの英語の堪能度の「ありえなさ」は誰もが感じる部分だろう。

映画の後半から登場人物たちの話し言葉がヒンディー語から英語に代わるが、これは「英米圏(特にアメリカ)の観客に全編外国語の映画をぶつけるのは興行上問題」と言う配慮から来ている。ボイル監督は撮影中ヒンディー語が入る程度を最後まで配給者側に開示しなかったそうだ。

主人公が兄と共にボンベイを逃げ出し、汽車に乗ってインドのあちこちを旅行し、各地でカッパライやガイドをやって暮らしを立てる部分。インドには各地に貧しい人々がおり、皆カツカツの暮らしをしており、言葉も違う(∵少年たちの話すヒンディー語が通じない地方だってある)見ず知らずの少年たちがそう簡単に地方で暮らせるとは思えない。地方で暮らせないから皆ボンベイに出てくるのである。ミーラ・ナイール監督の秀作映画「サラーム・ボンベイ」(1988年。日本公開は1990年)の世界である。

最後に映画のストーリーの大きな装置となっているクイズ番組について書こう。映画に登場するクイズ番組はKaun Banega Crorepati (略称KBC。「求む1000万ルピー長者になりたい人」の意)と言うヒンディー語の高視聴率番組だ。正と続があり、正の懸賞金は1000万ルピー(約2000万円)、続の懸賞金は倍増して2000万ルピーで、続は2007年4月まで放映されていた。映画でホスト役を演じたアニル・カプールはゲストとしてこの番組に出演し賞金500万ルピーを獲得している。初の1000万ルピーの受賞者がでたのは2000年のことで、受賞者はハルシュダルヴァン・ナワッテという汚職追求担当の警察官の息子だ。受賞時に「ナワッテが受賞できたのは、汚職の手口を知り尽くしている父親がコッソリ手を回したのではないか」と言ううわさがたったが、映画の主人公のような厳しい尋問にはさらされなかったようだ。現在35歳のナワッテ氏は貧困撲滅を目的に1998年に設立されたNaandi Foundation(ナンディ財団)と言うNGOでスラムの子供たちに教育を普及させる活動に従事している。

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