私はトレッキーTrekkieではないが…(映画「スター・トレック」評)2009/06/03 20:59

5月29日より日本でロードショーが始まった映画「スター・トレック」をみた。

スタートレックについてご存じない方のために多少の解説をすると、スタートレックは1966年に放映開始となった米国のSFテレビドラマのシリーズ名だ。日本では1969年から「宇宙大作戦」と言う名前で放映されていた。宇宙大作戦の宇宙戦艦エンタープライズのカーク船長(英語ではCaptain。以後のスタートレック・シリーズでは「艦長」と訳されている)と耳のとがったヴァルカン星人ミスター・スポックを記憶している人もいるだろう。オリジナルのスタートレックは当初ヒットとはならず、3シーズン(アメリカでは2~30話程度を一単位として番組を制作する。この単位がシーズンと呼ばれる)80話で製作中止となったが、その後再放送されるうちに人気が高まり、続編が次々と公開され、映画も製作され、ということになった。続編は、Next Generation(邦題「新スタートレック」7シーズン、178話)、Deep Space 9 (7シーズン、176話)、Voyager(7シーズン、172話)、Enterprise(4シーズン、97話)まであり、映画のほうも今回の「スター・トレック」とアニメを含めれば12本製作されている。スタートレックの熱狂的なファンのことをTrekkie(s)トレッキーというが、アメリカにはトレッキーのコンベンションがあったりして、そのコンベンションを題材にしたSF映画まで出ている。

私はトレッキーとまでは行かないがスタートレックにはそれなりの興味を持っていて、Deep Space 9以降のシリーズのほとんどのエピソードは見ているし、宇宙大作戦も新スタートレックもかなりのエピソードは見ている。

さて映画「スター・トレック」。「宇宙大作戦のメンバーの若かりし頃のエピソード」と言う設定だが、スタートレック・シリーズを知るものの目で見ると、ウィノナ・ライダー演じるスポックの母親がテレビシリーズ(確か映画でも)に出てくるスポックの母親のイメージと違う(もっと丸っこい「アメリカのお母さん」的な人物だった)、そもそもテレビシリーズではスポックの母親は死んでいないので「スポックの若かりし頃」という設定のこの映画で彼女が死ぬのは理屈が合わない、そもそもヴァルカン星もロミュラン星もテレビシリーズでも映画シリーズでも滅亡していない、大体スポックとウフラが恋仲?、惑星連合関係者の着ている衣服がテレビシリーズのロミュラン星人の衣服に似ている、ロミュラン星人は顔にイレズミのある坊主なんかじゃない、とかいった点が気になってしょうがない。こういった疑問を一挙に乗り越えるべく「この映画のエピソードは時間軸が狂った並行世界で起きた事象」という設定になっているが、時間軸が修正された後でもヴァルカン星もロミュラン星も滅亡したままだし、スポックの母親も死んだままなので、どうも腑に落ちない。

この映画を見る人はあまり他のスタートレックのことは考えず、これを単発のSFアクション映画としてみたほうが良いと思う。その目で見るとそれなりに話がまとまった、それなりに面白い映画だと思う。ただ、最近のアメリカのこの種SF超大作は必ずDreamworks SKGが製作側に登場するので、画像や効果音がどうも「スター・ウォーズ」など他のSF超大作と似たイメージになるのがちょっと気になる。

オリジナルのシリーズとこの映画をつなぐ役回りでレナード・ニモイ(現在78歳)が「時間軸をくぐり抜けた老スポック」として登場するが、思わずオリジナルのスタートレックから40余年を経た彼の年のとり方と、ついこの間「グラン・トリノ」でみたマカロニウェスタンで初見参だったクリント・イーストウッド(現在79歳)の年のとり方とを対比させてしまった。大体ヴァルカン星人は地球人に比べはるかに年のとり方が緩やかなはずなのだが…

Our product is good enough for our market(我々の製品はこの市場には十分なものだ)2009/06/09 23:08

インドがまだ「開放経済」になっておらず、インドの企業が製品輸入をしようとするとlicense Raj(許認可統治)と揶揄されるインドの官僚機構の十重二十重の厳重な輸入審査を経ないと輸入許可が下りなかったころ、機械設備を輸入しようとしているインドの経済人と話をすると、よくこのOur product is good enough for our marketという発言に遭遇したものだ。

当時のインドの街中で走る自動車といえば1950年代のイギリスのモリス・オクスフォード IIIをそのまま移植したアンバサダー
http://www.hmambassador.com/default.asp
と、これまた1950年代のイタリアのフィアット・1100Dをそのまま移植したパドミニ
http://en.wikipedia.org/wiki/Premier_Padmini
の二種類しかなかった。トラック・バスは1960年代のベンツのエンジンをそのまま移植したタタの製品と同じく1960年代の英国のレイランドのエンジンをそのまま移植したアショク・レイランド製品しかなかった。確かにインドのような発展途上の国で「少ない資源をあれこれ分散させるよりは、コレという企業に集中させ、残った資金や経営資源は別な分野に投入する」と言うのは一見合理的な産業政策だ。

しかし政府の保護の中で育った産業は国際的な競争力を失う(日本の化学工業はその典型だ)。インドの産業人が「インド市場には十分だ」とする製品の多くは、輸入品から遮断されたインド国内では通用はしても、世界の市場では通用しないお粗末な製品であった。

もの造りをするものが忘れてはならないことは「消費者の感度は鋭い」ということだ。ちょっとした商品の違いや品質や価格の差にはすぐ気がつくものだ。多少の脱線をお許し願いたい。私は2003年に発売された第二世代のプリウスのオーナーだ(勝手にプリウス・バージョン2とよんでいる)。今年5月にプリウスのバージョン3が発売されたので、会社のそばのディーラーで実物に座ってみた。運転席に座った瞬間バージョン2に比べ天井が低い感じがしたのでディーラー氏にそのことを質したら実際そのとおりだった(カタログで見るとバージョン2の950mmに対してバージョン3は930mm)。以前取引していた食器メーカーの人が「同じデザインの商品を原価低減のためちょっと製品品質を落として出してみると、微妙な色の違いなどからすぐ消費者は異なる製品だとわかる。使い勝手が変わったわけではないのに」と言っていたことを思い出した。

別に私の感度が格別に良いわけではない。消費者の感度と言うものはそんなものだと思う。インドの消費者だって同じことだ。

「インド市場には十分だ」と言う言葉はそのような鋭い消費者の感覚を侮るものだ。消費者はよりよい品質の製品がないので、仕方なく「インド市場には十分」な製品を買っていたのだ。

事実インド経済が1991年から徐々に開放され始めると、アンバサダーやパドミニを買う人はいなくなり、パドミニは生産中止となり、アンバサダーはわずかに官需(伝統的に政府関係者がアンバサダーに乗る傾向がある)に頼って存続と言う状況だ。License Raj時代の冷蔵庫のベストセラーはインドの不安定な電力事情に対応したGodrejゴッドレジの製品だったが、今はキチンとインド市場対応商品を出している韓国のLG電子の冷蔵庫だ。

そのインドと日本の産業の大きな違いと言えば、日本の場合多くの産業が積極的に輸出を指向したことと、インドの場合東南アジアや東アフリカ、更には英米に散らばる印僑のおかげで産業政策に「漏れ」が発生したという点ではないかと思っている。

説明しよう。インドの産業人の「インド市場には十分だ」という言葉の背景には「無理に海外に打って出ずとも輸入商品から保護されているインド市場で販売していれば十分な利益を確保できるのであえて輸出までしなくてもよい」と言う事情がある。そのようにして産業保護で発生した利益の一部は国内で再投資されることはなく、世界各地に張り巡らされた印僑ネットワーク等を通じて海外に蓄積されたのだ。

「日僑」のいなかった日本の場合、お金が余ってもお金は国内以外行き場がないので、政府の指導もあって国内の設備投資にまわった。行き場のないお金であったから、低利だった。日本の産業が製造する商品の品質が輸出市場をメルクマールにして品質向上に励んだから日本製品の品質が今日のレベルに到達したことは疑うらくもないところだが、そのような行動を可能にしたのは相対的に低利の資金が発展途上国にしてはずいぶん潤沢に使えたからだということを忘れてはならない。余談になるが日本の産業の利益率が伝統的に低い一因は安い金利のお金をジャブジャブ使うその頃からのクセが抜けないからだ。

話をインドに戻す。日本の産業がいまだに大した利益が見込めないことにお金を使う体質から抜けきっていないように、インドの工業はいまだに輸入規制された市場の中で世界的な競争にさらされない時代の体質から抜けきっていない感がある。

1980年代の始めごろインド国内を旅行すると、列車の予約にしても飛行機の予約にしても、手数はかかるがそれなりに出来上がったシステムが存在していた。例えば飛行機の予約をしに当時唯一国内線を運航していた国営のIndian Airlinesの事務所に行くと、窓口の女性は予約簿を管理している部署に電話をかけ席の有無を確認し、空きがあれば予約簿に私の名前を記入させ、私の航空券には予約確認のシールを貼りそのシールに印を押していた。飛行機が満杯だと予約簿のウェーティングの欄に私の名前が記載されていた。地方の空港では予約簿は飛行機が飛ぶ数時間前に市内の事務所から空港に持参され、搭乗券の発行や、ウェーティングの席の割り当てが行われていた。一日に数便しか飛行機が飛ばない時代なら、手間がかかるがこれで十分だったのだ。しかし便数も増え競争が激化した時代にはこれでは対応できない。事実インドの航空行政が規制緩和され、民間航空会社が参入してくるとIndian Airlinesは赤字に転落した。

安定した社会では現状維持ですむが、安定が継続することはない。競争による切磋琢磨と向上は状況が不安定になったときのための備えだ。

世界的に有名なインドのIT産業や、豊富な英語人口をつかったコールセンター産業(business process outsourcing industryとかBPO industryと総称される。和訳すれば業務受託産業?)はlicense Rajの緩和とともに発達し、当初より海外からの業務の受注を指向していた産業なので、国際級のレベルに到達できたのだ。

しかし、絶えず国際的に競争力のある製品やサービスを作り続け、消費者の需要を刺激し続けることが果たして長い目で見てよいことなのだろうか?このようなシステムからは必要な製品やサービスが生み出される反面、不要な製品やサービスも大量に生み出される。このように大量の不要な製品やサービスが製造されることは許容され続けるのだろうか?

インドの国父ガンジーは、地方に分散された地場の需要にマッチした小規模な産業を興すことこそ正しい発展の道だと考えていた。絶えず国際的に競争力のある製品やサービスを作り続け、消費者の需要を刺激し続けることはその教えに反する行為だ。インドの産業人と話していると、声高に自分のことを語ることがあっても、その陰になんとなくある種の「後ろめたさ」のようなものを伴っていることを感じることがある。その「後ろめたさ」の原因のひとつは「自分たちの行動とガンジーの志向したものの間の矛盾の自覚」があるのではなかろうか。

インドが更に発展してゆく過程でガンジーの志向したものをその中でどのように取り扱ってゆくのかは、永遠の課題だろう。

国論分裂—イランとパキスタンの場合2009/06/24 22:05

先週は出張でイギリスにいた。たまたま金曜(6/19)の午前中は業務がなかったのでホテルの部屋でBBCのニュースチャネルを見ていたら、テヘランからイラン最高指導者のハメネイ師の金曜礼拝における演説を同時通訳つきで延々と生中継していた。興味深かったのはハメネイ師が演説の前半は詩的な韻をふんだ美しいペルシャ語でイスラムの大義などいわば大所高所に立った内容のことを語っていたのが、後半、現在のイランの政局を語る際には抑揚のない普通会話体のペルシャ語へと突然語調を変化させたことだ。イランはフェルドウスィー、ハァフェーズ、サーアディー、オマール・ハイヤームといった世界の文学史を飾る詩人を生み出した国であり、詩の暗誦は国民必須の教養だ。韻をふんだペルシャ語で語られるイランの詩は、ペルシャ語を知らない人間の耳にも美しく響く。何がハメネイ師をしてその美しい言葉を捨て、街中で語られるペルシャ語で現在の政局を語らせしめたのか?

今回のイランの選挙で開票過程で操作が行われたことは政権自身も認めている。私は選挙結果について、操作が行われていなくてもアハマディネジャド氏がムサヴィ氏より多くの票を得票していたとみている。政権側はそもそも操作などする必要がなかったのだ。しかし政権側はあえて禁じ手を使った。政権側が「選挙結果次第では現在のイスラム革命体制が持たないので、そのリスクは完全に封止する」という危機意識に駆られてこの行動に出たのであろう。イスラム革命体制は30年を経過して、その体制によって利益を得る厚い層を築きあげている。その層の持つ保身の意識こそが、開票を操作させ、彼らの代表であるハメネイ師に美しい言葉を捨てさせ、普段の言葉で外国の内政干渉や、体制内の腐敗や、1,100万の票差は多少開票操作の影響を考慮しても大勢を変えないことを語らせしめたのだ。

私は3月13日に書いたブログ「イラン革命30周年」で以下のように指摘した。
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/13/4174576

<もう一点指摘しておかねばならないことはシャーの支持基盤であった比較的宗教心が薄く親欧米の「都市の中間層」と、より敬虔かつ保守的な「その他の国民」との間の落差である。その他の国民のほうが都市の中間層より数において勝り、また彼らが現在の政治体制の支持基盤であるため、現在の政治体制は一見磐石である。この結果都市の中間層の間には不満が鬱積し、海外へ移住したり、政府や聖職者によって管理されていない消費や不動産投資、つまりは非生産財投資に向かうという弊害をもたらしている。>

開票操作は人口800万の首都テヘランを始めとするイランの大都市の中産階級を中心とした人々の不満に火をつけ、彼らを中心とした大衆行動を発生させ、単なるアハマディネジャド氏に対する体制内の対抗馬であったムサヴィ氏を体制批判の象徴へと昇華させたのだ。

私の認識と異なっていた部分はこの不満を鬱積させていた層の厚さだ。開票干渉を契機としてこの巨大な不満層の存在が確認され、国論が大きく二つに分裂したイランでは、政府が強権発動をすれば分裂は深まりこそすれ修復は不可能になると見たほうが良い。イランで次回この種の大衆行動が発生し、政府側が敗北すれば、先鋭化した国論の亀裂はイランを再び革命とその後の前体制関係者のパージ、そして体制変換に伴う混乱に巻き込むことになるだろう。革命後のイランでは国民の一部しか新体制の支持層がいない以上、反体制とみなされる分子に対するパージは勢い苛烈になる。次なるイラン革命はまたもや国民の一部を置き去りにした「未完の革命」で終わるのではなかろうか?

参考までに書いておこう。中東や北アフリカのほとんどの国ではイラン並みの自由度の確保された選挙すら存在しない。幾たびの軍のクーデターにもかかわらず民主制の根付いているトルコ、最近総選挙を終えたレバノン、そして国の最高指導者が開票操作を認めるような正直さを持つイランは例外的な存在なのだ。各国ともイラン国内情勢の推移はそれなりに報道しているようだが、これらの国の政権当事者は国民の反政府行動が自国に飛び火しないことを願い、国民はイランの自由を羨んでいるのだろうことは十分想像できるところだ。

さて、そのイランの隣国パキスタンでは政府がようやくイスラム原理主義勢力と対峙することで方針を固め、首都周辺にまで勢力を伸張させてきたイスラム原理主義勢力の掃討に乗り出している。

直接の契機はイスラム原理主義勢力側が4月15日のブログ「パキスタンはfailed stateか?」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/15/4245601
で書いたスワット盆地における停戦合意を破り、勢力を更に首都近くまで展開してきたことだ。イスラム原理主義勢力が性急に勢力を展開したため、彼らの統治をじっくり浸透させる余裕がなく、統治が強圧的になり、この結果スワット渓谷からイスラム原理主義勢力の統治を嫌う多数の住民があふれ出すなどイスラム原理主義勢力への支持が弱まった。この結果、国論がイスラム原理主義勢力掃討を許容する方向に振れたことが今回の掃討を可能にしている。

従来からパキスタン軍は東部の仮想敵国インド国境沿いに軍団の過半を駐屯させていた。今回の掃討作戦にどの程度の軍団が投入されているのか正確にはわからないが東部からの部隊の移動が行われなければこれだけの掃討作戦が展開できないことは間違いない。紛争は軍の作戦計画に影響を及ぼしたのである。

この掃討作戦、イスラム原理主義勢力が矛を収めFederally Administered Tribal Areaなど従来政府の統治が及ばなかった地帯に撤退した時点で政府側が戦いをとめれば、イスラム原理勢力側の捲土重来の機会を許すことになる。パキスタン政府にはこれを機に政府の統治をこれらの地域にも拡げ、その政府の手で民生安定をしてゆく選択をしてもらいたいところだが、「そろそろ掃討作戦を切り上げよう」と言う動きが出てきていると言う報道が流れている。

「パキスタンはfailed stateか?」で指摘したようにパキスタン国内には強固なイスラム原理主義支持勢力がいる。イスラム原理主義勢力が政府と異なり比較的腐敗の少ない統治を行うことで民心を買ってきたのもまた事実だ。イランのようにイスラム勢力が居座って腐敗するまでには至っていなかったのが彼らに幸いしている。そして6月6日付のドイツの雑誌Der Spiegelのインタービューでパキスタンの前大統領ムシャラフ将軍がいみじくも確認したように[註]、軍はイスラム原理主義勢力と通じている側面も有している。

パキスタン政府が「掃討作戦を拡大する」と言う選択をすれば軍の一部を含む国論の分裂がおき、その対立が先鋭化するだろう。国がイスラム原理主義勢力に奪われるリスクと、国論が分裂し国が不安定になるリスクのどちらを選択するのか?国会で親イスラム原理主義的な最大野党と対峙する不安定な基盤に乗っているパキスタンの現政権がどこまでリスクを取れるのだろうか?

私はパキスタンの現政権には時間をかけてでも統治を従来政府の統治が及ばなかった地域にまで押し広げてゆく覚悟を期待したい。そしてその統治が相対的に腐敗の少ないものであるよう努力してもらいたい。こうすることによってのみパキスタンはイスラム原理主義との腐れ縁から脱却できるのだから。

☆  ☆  ☆

[註]
6月7日付Der Spiegel英文ウェブサイト掲載のムシャラフ元大統領との会見の該当部分を和訳したので再現してみよう。

SPIEGEL:  ISI(パキスタン軍の情報機関)について。少し前にアメリカでISIが組織的にタリバン勢力を援助してきたとの新聞報道があったが、これは事実か?

ムシャラフ: 情報機関は常に他のネットワークと連絡を保つものだ—アメリカ情報機関とKGBはそのような関係にあったし、ISIとて同じことだ。パキスタン軍はタリバンとアルカイダと戦うと言う点については方針が統一されている。私はいつもタリバンの存在には反対だった。我々の戦術についてとやかく言うのはよしてほしい。例を挙げよう。シラジ・ハッカニだ…

SPIEGEL: ISIと秘密裏に同盟関係にあると言われる有力なタリバン指揮官の…

ムシャラフ: 彼はバイトゥラ・メヘスドに対して影響力がある。メヘスドは危険なテロリストで、南ワジリスタンのもっとも先鋭な指揮官で、現在知られる限りではベナジール・ブット[元パキスタン首相。2007年12月に首都イスラマバード近隣のラワルピンディで遊説中に爆死]暗殺の下手人だ。メヘスドが我が国の駐アフガニスタン大使を誘拐した際、我が情報機関はハッカニの影響力を使って大使を解放した。この事実があるからと言って我々がハッカニを援助していることにはならない。情報機関は敵と戦うためには別な敵を使用するものだ。敵はすべてを相手にまわすのではなく個別に撃破してゆくほうが良い。

水のなるほどクイズ2010