日本のワインについて2009/09/05 16:31

私はそんなに酒が強くないが「味はわかる」と自称している。特にワインとは小学校五年のときにクラスメートの家に遊びに行って、クラスメートの親に隠れてクラスメート三人でワインを一本空けて帰宅途中家のそばのラーメン屋の前の路上にご馳走になったものを戻して以来のつきあいだ(翌朝店がまだ開く前の時間にコッソリ現場を偵察に行くと、きれいになくなっていた)。

会社に入ると同期の友人が初給料でイギリス人の書いたワインの本を買ってきて、給料が入ると彼とそこにでている高いフランスワインを買って飲んでみたりしたこともあった。

親友に数えるあるアメリカ人とは、1980年代、彼が東京駐在のときスペインの有名ワインVega Siciliaの話をきっかけに大いに話がもりあがって以来の付き合いだ。Vega Siciliaなんて当時日本ではほとんど知られていなかったワインのことを知っていたのは、当時のガールフレンドのところを訪ねてきたスペイン人の夫婦と話していて得た耳学問だ。アメリカ人の友人はサンタフェの自宅に数千万円分のワインを溜め込むワイン通であったが、失職した際そのコレクションを売却した。彼からもらったVega Sicilia Unicoは友人夫妻と東京のスペイン料理店のハシリEl Castillanoで空けた。

婚約者と一緒に1970年代のカリフォルニアでワイナリーめぐりをした影響もあって、彼女と結婚してから家族で結構甲府盆地のワイナリーを回った時期がある。1980年代の話だ。甲府盆地のワイナリーは当時からテイスティングをやっていたが、主力は一升壜売り、白なら使うブドウは甲州かデラウェア、赤ならマスカットベリーAと相場が決まっており、特にベリーAのワインはボディー不足のため輸入の赤ワインを混ぜて出荷されるのが常であった。どこのワイナリーのワインを飲んでも多少の甘さ辛さの差はあってもにたりよったりの味であった。

その当時、地元では大手のワイナリーのフェスティバルを訪れた際、そのワイナリーの社長が「ワイナリーはその地の特性を反映した地場品種のブドウを醸造すべきで、売れると言って欧州品種を育ててワイン作りをするのには賛成できない」といってアメリカやオーストラリアのワイナリーを批判していたことを覚えている。もっともそのワイナリーも今や欧州品種のブドウをどんどん育ててワインにしているのだから、20年の間で社長の考えが変わったのだろう。

どれを飲んでもあまりかわりばえしないこともあって、日本のワインからは大分遠ざかっていたが、20年以上たった現在再び甲府盆地を訪れるようになった。その間ワイナリーのオーナーは大分代替わりし、代替わりしたオーナーの中には欧米やオーストラリアの大学で醸造を学んだ人が見られるようになった。代替わりはしていないが、前述のワイナリーの社長のお嬢さんもフランスに留学している。欧州種のブドウを育ててるようになったのはここ10年くらいのことだが、欧州品種も相当栽培され、それを使用したワインの数も増えてきたし、甲州ブドウ(甲州固有の藤色の、ヨーロッパのワイン専用品種と同じvitis vinifera種のブドウ)の限界を云々しているワイナリーオーナーも存在するようになった。つまり甲州のワインの種類もふえたし作り方も欧米並になってきたし、地元のブドウである甲州種に対するワイナリーオーナーの思い入れも多様になってきたわけだ。余談になるが、その甲州種の限界を云々するオーナーが作った甲州種のワインが抜群においしかったので、彼が欧州種のブドウで作るワインが今後どうなるかには大いに期待している。

あちこちで飲んでみて中には本当においしいワインもあることがわかった。昔の薄いベリーAの記憶を完全に覆すようなベリーAを使ったワインがあったりする。あるワイナリーの収穫を手伝いに行ってその理由がわかったような気がした。収穫するブドウの房から、未熟だったりつぶれたりした果実を一個一個除外して(この作業を「摘果」という)「良果」だけにしてからつぶしているのだ。日本的に手がかかっている。しかしこれではコストがかかる。日本にコストパーフォーマンスがよいワインがあまりない理由がわかる。

元々ブドウは中東のように乾燥した大地に育つ植物だ。乾燥した大地にさんさんと太陽の照るカリフォルニアやチリやオーストラリアで良質のブドウがどんどんできるのはこのためだ。イスラム革命前のイランで良質のワインが生産されていたり、最近ではインドで良質のワインが生産されるようになってきているのはそのせいだ。多湿の日本では相当の手をかけないと良い品質のブドウができない。雨よけのためにブドウの房ひとつひとつに紙で笠がけするのなどはその良い例だ。

このように本質的にコスト高にならざるを得ない日本のワインが生き延びるには、不断の品質向上に挑むワインの生産者と、そのような生産者を励ますワインの飲み手との間の協力関係が必要だ。幸いなことにこのような飲み手が増えてきていることは事実だ。しかし、不断の品質向上には本当に頭の下がる日々の努力が必要だ。損得抜きでワイン作りが、ブドウ作りが、好きでないとやっては行けない。日本のワイン生産者を励ます飲み手の層がもっと厚くなることを願ってやまない。私も肝臓と財布の許す限り陰ながらサポートしてゆこうと思う。

水のなるほどクイズ2010