第二次世界大戦開戦70周年--なかなか許してくれない国2009/09/09 22:28

第二次世界大戦のことを「太平洋戦争」とか「大東亜戦争」とか言い直している日本ではあまり認識されていないが、今年は第二次世界大戦の開戦70周年だ。

第二次世界大戦はダンチッヒ[註 1]に駐屯するポーランド軍の陣地を1939年9月1日にドイツの軍艦Schleswig-Holstein(シュレスヴィヒ・ホルスタイン)が砲撃したことを契機として始まった。ポーランドに対して開戦の火蓋を切ったのはドイツだが、ソ連は開戦直前の8月24日に調印した独ソ不可侵条約に基づき9月17日にポーランドに進攻しポーランド東部を占拠、ポーランドは独・ソの間で分割された。

[註 1: 市民のほとんどがドイツ系であったことから当時は国際連盟管理下の名目上ポーランド領の自治都市。ドイツの敗戦に伴いドイツ系の人々が放逐され現在はグダンスクと名前を変え名実共にポーランド領]

9月1日にそのグダンスクでポーランド政府主催の第二次世界大戦開戦記念行事が行われた。

ドイツは政権党が誰であっても戦後一貫して「第二次世界大戦を起こしたのはドイツの責任で、そのことを深く反省しており、このようなことが再度起こらないことを誓う」という立場を崩していない。記念行事に参加したドイツのメルケル首相は改めてこのドイツの立場を確認した。

政府関係者が時折「ポーランドはナチスに加担していた」といった発言を繰り返す(自民党の政治家みたいですね)ロシア。記念行事に参加したロシアのプーチン首相は率直に過去のソ連の行動の誤りを認め、KGBの前身NKVDによってポーランド人2万人が殺害されたカチン虐殺に関する当時のソ連の記録をポーランド側に引き渡すことを約束した。

対するポーランド。中国や韓国が折に触れて「第二次世界大戦やそれ以前の時期の両国に対する扱いに対する改悛の情が足りない」といって日本政府の対応を批判するが、レヒ・カチンスキー大統領の演説を聞くとポーランドのドイツやロシアに対する対応も似たようなものだという印象を持った。

何しろいまだに「ポーランド人600万人がドイツに殺されたのでポーランドの人口が立ち直っていない。EUにおける予算配分にはこういう要素も考慮すべきだ」といったことを大統領が発言したりするお国柄だ。

私はドイツが第二次世界大戦後、占領していたフランスとの関係を修復しヨーロッパ共同体の中核たりえたのも、1000万人を超えるソ連市民の命を奪いながらも独露関係を修復できたのも、600万人のユダヤ人殺害にもかかわらずイスラエルとの間で正常な関係を取り結べたのも、ひとえにドイツ政府のこの一貫した態度にその一義的な原因を求めることができる、と考えてきた。

「一義的」と書いたのは、たとえば独露関係で言えば、進攻された側のロシアでは旧ソ連時代にスターリン批判を行い、まがりなりにも「自分たちの為政者も自国民に対してナチス・ドイツ並みのひどいことをしてきたのだ」との認識を持った、という素地がソ連の側にも準備されていたからだ。

私は中国や韓国に対して、日本は公式にはキチンと謝罪しそれなりの対応をしていると考えている。にもかかわらず中国や韓国はことあるごとに日本の過去の責任をあげつらう。政権党であった自民党の政治家が無神経な発言をして、政権与党である自民党のホンネが透けて見えただけに、中韓につけ入られやすい素地があったことは事実だ。

しかし中国では、日本の中国侵略の結果死んだ軍民の数約1000万の数倍にあたる数千万の中国人が中国共産党の統治下で死んでいる事実は封印されている。「独露関係のような日中関係が出来上がるには、日本側が不用意な発言や行動をとらないと同時に、中国が自国の歴史を覚めた目で直視できる状態になるまでは無理」というのが私の評価だ。

しかしポーランドの姿を見ていると、「なかなか過去を率直に認めない国」の他に、「なにをやってもなかなか許してくれない国」というものもあるのではないかという気がする。しかしそのポーランドでもドイツとロシアに対しては評価が異なるという。

日中関係や日韓関係の修復には根気と、日本側の関係者の継続的な自制が必要だ。我々は日本のアジアとの関係修復には非自民党の首相であった細川護熙氏の発言や、社会党出身の村山富市首相(当時)が1995年8月15日に行ったいわゆる村山談話が大きく役立っていることを認識しなくてはならない[註 2]。今回の政権交代により、この自制がより確固たるものとなることに期待したい。

[註 2: 例えば東南アジアのご意見番リー・クアンユー元シンガポール首相は、その自叙伝The Singapore Story 1965-2000(邦題:「リー・クアンユー回顧録<下>」)で、いかに歴代の自民党の首相が「謝罪」を回避してきたかについて説明した末、
<One outcome of this break in the LDP hold of government was that Morihito Hosokawa
became the first prime minister to admit in unambiguous language Japan’s aggression in
World War II and apologise for the sufferings caused. He did not have the LDP mindset, to
hang tough over their war crimes. This unqualified apology came only after a
non-mainstream party leader became prime minister.

The following year, Prime Minister Tomiichi Murayama of the Social Democratic Party of
Japan also apologized, and did so to each Asean leader in turn during his visits to
Asean countries. (中略) On the 50th anniversary of the end of the war (1995), he
expressed once again his feelings of deep remorse and his heartfelt apology.

自民党が権力を手放したことによるひとつの結果が、細川護熙が第二次世界大戦における日本の侵略を認め、その結果の被害に対して明解な謝罪をした最初の首相となったことだ。彼は日本の戦争犯罪に対して硬直的な態度をとる自民党の考えを持っていなかった。このような無条件の謝罪は、非主流の政党の党首が首相になってようやく実現したことだ。

翌年社会党出身の村山富一首相もまた謝罪を行ったが、彼はアセアン諸国を訪問した際にはアセアン各国の指導者に対し個別に謝罪している。(中略)大戦終了50周年の際(1995年)、彼は再度深い自責の念と心からの謝罪を表明した。[ブログ子訳]>

と言う評価をしている。]

コメント

_ 玉川 雅章 ― 2009/09/10 10:34

久しぶりにコメントします。インド・中東ものが本職かなと思ったら、まあ色々な分野のコメントにビックリです。 特に、この忘れない民族は面白かった。 中国・韓国は良く出ますが、ポーランドの件は
初耳です。 ブックマークして、いつも読んでますよ。 また楽しませてください。  玉川

_ Mumbaikar ― 2009/09/10 23:28

その「なかなか許してくれない国」も包みこんでゆく、EUとか共通通貨ユーロというものは「考えれば考えるほどよくぞできたもんだ」と思っています。政治や経済の面では日本にいるとイマイチ迫力に欠けるEUですが、恩讐の彼方に統一ヨーロッパが生まれてくるという壮大な実験を見ていると、「あちらはみんな大人だな」と思ったり、「曲がりなりにも民主政治」という共通項を持つことの強みをつくづく感じます。

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