中国とインド (1/2)2009/10/09 07:42

ここ二週間はインドから旧友夫婦が観光で来日し、そのアテンドで振り回され記事の更新が遅れた。

彼らの離日を機に「21世紀のアジアを背負って立つ」といわれる両国について考えてみた。

「インド人は中国人のことをどう思っているのだろう」と言うのは私が常日頃関心を持っているところだ。「インド人も中国人もお互いのことを必ずしも好ましく思っているわけではない」と言うのが私の認識なので、旧友夫妻に「中国のことをどう思う」と聞いてみたところ、ご主人(ホテルの設立に関するコンサルタント)が「中国は安い資材の供給源だ」と言ってインドでホテルを建設する際どのような資材を中国から調達するかアレコレ説明しだした。Your client bought imitation Roman statues from China for his hotel didn’t he(そういえばあなたのクライエントが自分のホテル用にローマ時代の石像の中国製の模造品を買ったわよね)と奥さんがつけ加える。

インドと中国は国境問題で砲火を交えたことがあるし、いまだに国境紛争を抱えている。その際たるものがインド東部のアルナチャル・プラデシュ州をめぐるものだ。中国は「この地はチベット南部で本来中国領である」との意思をことあるごとに表明している。直近ではアジア開発銀行理事国としてアルナチャル・プラデシュ州向け融資に待ったをかけたりしている。インドにはまた中国にとって獅子身中の虫のようなチベット独立運動の本拠地があってその最高指導者であるダライ・ラマが住んでいる。

私は以前いくつかの機会にインド人から或いは中国人から相手に対するある種の緊張感や蔑視の表明を聞いたことがあるので、もう少し「いやぁあまりシックリこない隣人なんだ」的な回答がでてこなかったことにちょっと拍子抜けになった。「インドの新聞や雑誌を見ていると結構中国のインドに対する発言や行動に対してsensitive(ピリピリしている)な印象を受けるが…」といったらややあって奥さんがTrue, we are not entirely comfortable with them(確かに、彼らに心を許しているわけではない)と言った。まあこれは私に同意したと言うよりは、私に合わせてくれたと言うことかもしれない。

これにはちょっと考えさせられた。別に一組の夫婦の見解ですべてを語る気はないが、私なりに友人夫婦の反応を解釈すると以下のようなことになる。

インド人は個人レベルでは自分の利益をまず考えて自分の行動を割り切る国民だ。インドのホテルマンにしてみれば「何でこんなものインドでできないんだろう」と疑問に思いつつも、インドの貿易がかなり自由化された今、インド製よりも安くて品質の良い中国製品があればどんどん買い付けるというところだろう。

「中国に対するにインドカードの行使」を考える場合、こちらがインドに対して中国以上のメリットを呈示できなければそのようなカードは絵物語だ。

さて、民間レベルではそれなりの交流のある中印両国だが、中国は鄧小平の改革開放政策が登場する1978年まで、インドはそれに遅れること10年以上の1991年ナラシムハ・ラオ政権のマンモハン・シン蔵相(現首相)の経済開放政策まで、それぞれ民間部門の自由な経済活動を制限し政府の経済計画に基づく統制経済をしいていた。経済統制のくびきを解かれてからの両国経済のめざましい成長ぶりの結果、両国は21世紀を背負って立つ国として認識されている。

極論すれば両国の共通点はそこまでだ。ここから先は両国の差は極めて大きい。次回はこの差の部分について書いてみよう。

中国とインド (2/2)2009/10/09 23:20

中国とインド

以下両国の差をいくつかの点に絞って書いてみる。両国ともその開発モデルにはそれなりの問題を抱えており「国家百年の大計」からいってどちらが正解な国家モデルであったのかは後世の史家の評価に待ちたい。

 

国民所得の構成要素の分布

 

マクロ経済学的視点から言って中国とインドの一番の違いは国民所得の構成比の違いだ。国連統計を加工して得た中印両国の国民所得の各構成要素が国民所得に占める割合を示した以下の表を見ていただきたい。1992年はインドが経済開放政策をとり始めた翌年なので起点をここにおき、国連統計で一番直近のデータである2007年までの間5年ごとの値を示す。尚、GDPの定義は消費+投資+輸出-輸入。

 

消費

設備

投資

政府

投資

輸出

輸入

貿易

中国

1992

46.8%

30.7%

15.1%

21.6%

19.9%

1.7%

1997

45.2%

31.8%

13.7%

21.0%

16.7%

4.3%

2002

43.7%

36.3%

15.9%

25.1%

22.6%

2.6%

2007

35.1%

40.2%

13.4%

40.4%

30.6%

9.7%

インド

1992

63.7%

23.5%

11.2%

8.7%

9.5%

-0.8%

1997

64.3%

23.8%

11.5%

11.0%

12.3%

-1.3%

2002

63.7%

24.1%

12.0%

14.7%

15.7%

-1.0%

2007

55.2%

32.2%

11.4%

22.4%

25.9%

-3.5%

 

インド経済は明白に消費が主体であるのに対して、中国は投資や貿易が主体となっていることがわかる。インドは貿易収支が恒常的に赤字で、中国はどんどん貿易黒字をふやしている。インド経済の膨張のほうが中国経済の膨張に比べ、他の国を圧迫することが少ない構造になっていることが良くわかる。

 

同じ表を日、独、米について作成してみると「日独がまあ中国と同じ投資・輸出依存型の経済構造、インドが(米国ほど極端ではないにせよ)まあ米国と同じ消費依存型の経済構造」という感覚がつかめると思う。

 

消費

設備

投資

政府

投資

輸出

輸入

貿易

日本

1992

53.0%

30.8%

13.9%

9.9%

7.7%

2.2%

1997

55.2%

27.7%

15.3%

10.9%

9.8%

1.1%

2002

57.7%

23.3%

18.0%

11.4%

10.1%

1.3%

2007

57.0%

23.3%

17.5%

17.6%

15.9%

1.7%

ドイツ

1992

57.5%

23.6%

19.6%

24.1%

24.5%

-0.5%

1997

58.2%

21.1%

19.4%

27.5%

26.2%

1.2%

2002

59.0%

18.4%

19.2%

35.7%

31.2%

4.6%

2007

56.7%

18.6%

18.0%

46.7%

39.7%

7.0%

米国

1992

67.4%

16.2%

16.7%

10.1%

10.6%

-0.5%

1997

67.2%

18.6%

14.5%

11.6%

12.8%

-1.2%

2002

70.6%

17.9%

15.4%

9.7%

13.7%

-4.1%

2007

70.9%

18.1%

16.3%

12.0%

17.1%

-5.2%

 

こういうことはちょっと気をつけてものを見ている旅行者の目には見えるものだ。インドと中国にいったことのある人なら、空港に着陸した時点からインドのインフラが中国に比べ圧倒的に劣っていることに気がつく(最近首都デリーの空港は相当程度アップグレードされ、他のアジアの国々の空港に比べ余り遜色がなくなったが)。中国に比べ設備投資が遅れていることがこんなことからも見えてくる。

 

インドの地方行政

 

「インドの民主主義」

http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/01/4219988

でも書いたが、インドの国の基本原理は多様性だ。もっともこれはインドがマウリア王朝(紀元前321~紀元前185年)が崩壊してから1948年の独立まで統一されたことがなかったとか(独立の時点では英国が直接統治している部分と、間接統治していた600に及ぶprincely states藩王国が存在していた!)、インドには主要な言語だけでも10いくつもあるという事情に配慮した独立運動の指導者たちの取った選択肢であるという側面があることを念頭におかなければならない。

 

抽象的な話は別として、首都デリーの一角に、インド各州政府の営む特産品販売所が集まるややうらぶれた感じの一角がある。各州の店舗を見て回ると、ヒンズー教の神々の像と言った共通項があるにせよ(ただし同じ神様でも表現されるスタイルがことなる)、それぞれの州がほとんど国といってよいほどの文化的な独自性を持っていることが実感できる。

 

その国のような独自の文化を持つ州の集合体であるインドは行政的には28の州と7の連邦直轄地に分かれている。州にはlegislative assembly(州議会)があり、公選で選ばれるMLA(州議会議員)の互選でchief minister(州首相)が州の行政府の長として選出され、州の行政をつかさどる。州首相の上に中央政府の任命したgovernor(州知事)がいるが、州知事の権限は州議会が混乱しているようなとき以外は極めて限定的だ。

 

中央政府が地方行政に介在する部分は、地方に送り込まれる中央政府選抜の官僚(行政官僚のIASと警察官僚のIPSと言うカテゴリーがある)を通じてだ。州首相は絶大な行政権限を有しており各州の行政官は地元採用の地方公務員が主体だが、彼らの上に立つのは州の官僚機構全体の長であるIAS出身のChief Secretaryだ。州警察も地元採用者が主体だが、州警察の長はIPS出身のCommissionerだ。インドの地方自治はこのように地方公務員や、公選で選ばれた行政の長を、中央政府が選任した行政官が補佐しチェックする形になっている。日本の行政機構も似たような設計になっているが、大きな違いは日本の地方自治体に出向してくる中央省庁の役人は出身元の紐がついていて出向先の部署も例えば総務省出身者なら県の総務部長になるとかポストが概ね特定されている点だ。インドの場合はIASやIPSと言うプールの中から必ずしも特定の中央官庁と紐つかない形で官僚が異動してくるところだ。

 

対する中国

 

秦の始皇帝以来「連綿と」とはいえないにせよ、曲がりなりにも統一国家であった時期が継続している。その統一国家の特徴は、独断とのそしりを恐れずに言えば、儒教的な秩序を理想とする、同じ漢字を使う、いわば漢文化を基とした中央集権国家だ。唐のように異民族をその行政に取り込んだことはあっても、あくまでも漢文化を受け容れた異民族を取り込んでいるのであって、漢文化を受け容れない異民族は東夷、西戎、北狄、南蛮だ。

 

国家は版図の外の蛮族との緊張関係の上に成り立っており、国内の異分子は版図の外の蛮族と通じるうるもの、つまりは国家の秩序を乱しうるもの、として監視の対象となる。その異分子が自分達の文化や自治を主張すると強烈な拒否反応が働く。チベットや新彊省で起きた騒乱に対する中共政権の対応は別に「これが共産党政権だから」ではない。これらの騒乱に対して漢民族の間では一般的に中共政権の対応を支持する声が強い、否「手ぬるい」とする声もあるくらいだと言うことを忘れてならない。

 

北京オリンピックの開会式に登場した少数民族の衣装を着た少年少女がすべて漢民族であることにまったく無頓着だったり、今回中華人民共和国成立60周年の国慶節用に天安門広場に設置された高さ13mの「民族団結柱」に出ている民族名の表記がすべて漢語であって例えばチベット族を象徴する塔にチベット語の表記がないことが問題にならないお国柄だ[註](各民族ごとの柱の図柄は

http://bbs.qianlong.com/thread-555100-1-1.html

ご参照)。地方自治などほとんど存在しない。地方の行政府の長(のみならず重要な企業の長も)はすべて中共中央組織部の決めた人事異動に基づいて決まる。中国には多様性を受け容れる素地がそもそも希薄なのだ 。同じような価値基準で選任された政治家兼行政官が全国津々浦々に派遣されて行政をつかさどるシステムだから、国全体をひとつのベクトルに向けるのは中国のほうがインドよりはるかに容易だ。

 

[註]

民族団結柱については日経ビジネスオンラインのコラム「北村豊の『中国・キタムラレポート』」の10月2日の記事

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090929/205816/?P=4

ご参照。各民族の図案へのリンクについては北村豊氏に教示いただいた。

 

所得分布

 

さて、平均すれば中国人のほうがインド人より経済的には裕福だし、インドのほうが中国より貧困層の絶対数が多いのは間違いないところだ。日本よりForbesフォーブス誌の世界高額所得者ランキングに登場する金持ちの数が多いインドの街を歩くと、地面から沸いたような数の人による混雑や喧騒と、貧困を抱えたスラムを散見することになる。中国の都市を歩いてこのようなあからさまな貧困にはなかなか遭遇できない。で、短絡的にインドのことを貧富の差がひどい国だ、との結論を出しがちだ。しかし、街を歩いた印象だけでの判断は禁物だ。

 

所得分配の不公平を計るGini Indexジニ係数で見る限り、インドは2004年の調査で36.8で、47の中国に比べはるかに所得が均等に分布している計算だ (ちなみに日本のジニ係数は厚生労働省の2005年所得再配分調査によれば社会保障や所得税の効果を考慮した後で32.25、アメリカは中国並みの46.3)。どうして、街を歩いた印象とジニ係数の示す数字との差が乖離するのだろう?

 

これは仮説だが、私は中国の場合ジニ係数が高くなるのは沿岸部と内陸部の所得格差の大きさが反映されるからで、地方間の格差が中国ほど極端ではないインドの場合はジニ係数が圧縮される方向に働くからではないかと考えている。要は中央政府が国の資源を一定の計画のもとに強圧的に傾斜配分できる中国と、民主的な手続きをとる過程でさまざまな利害関係者とのバランスをとるので強圧的な開発政策をとれないインドとの差の現われと言っても良いと思う。

 

ただ、所得の分配が中国よりうまくいっていることと、貧困層の絶対数の問題は違う。このブログで何度も書いているがインドの政府当局には貧困層の絶対数を減らすという重要な課題が引き続き課せられている。

 

中印の連携

 

独立当時のインドの首相であったネールが中印両国の構成原理の差を認識していたかどうかはわからないが、彼はインド独立の翌年に成立した中華人民共和国との関係を築き、それを核として彼が主宰する非同盟諸国運動を世界政治におけるひとつの枢軸にしてゆく夢を持っていた。

 

しかし、1950年の人民解放軍によるチベット「解放」に伴うチベットの指導者ダライ・ラマを含む大量のチベット人難民のインドへの流入に伴い、民主主義や多様性を国是とするインドが行きがかり上亡命チベット人の庇護者となったこと、国境をめぐる1962年の中印紛争で中国と砲火を交えたこと、といったことからネールは中印枢軸の形成が困難であると認識するにいたった。冷静な政治的な計算とは別に、ネールは中国によるチベット併合の課程の評価を通じて、中国に「多様性」そのものを国家の構成原理とするインドとは相容れないものを感じたのだと思う。

 

前述のように国境紛争はいまだに継続しているし、中国がインドを牽制する意味もあって、インドの仮想敵国のパキスタンにアレコレ援助をしたり、最近はスリランカに手を回して同国南部のハンバントタ港を中国の軍港にする計画が表面化したり、中国の政府系ウェブサイトGlobal Times

http://www.globaltimes.cn/ に「インドは求心力がないので一触で分解できる」と言う内容の国内の別なウェブサイトのポストが紹介される状態では、まあ中印関係が真の信頼と友好に基づいたものとなるには日中関係修復同様、相当の時間を要すると考えたほうが良いだろう。

 

 

インドの神々、インドのお酒2009/10/21 23:58

インド人の旧友夫妻が来ていたことは「中国とインド(1/2)」で書いた。
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/09/4621240

来日約1ヶ月前にDo tell us what you would like from Delhi(デリーから持ってきてほしいものをいって来てください)とのメールが奥さんからきた。三宅一生がインドの女性企業家と提携して彼女の名前を冠したブランドでインドの布製品を扱っていたりすることからもわかるように、インドは日本人好みの渋い手工芸品の宝庫だ。そんなことなので、以前インド出張などの際買い集めた布やら、衣類やら、銀や青銅や銅の彫金製品や密教画などは家にゴロゴロしていて「これ以上はご勘弁を」という状態だ。

何にしようか?紅茶とインドで今話題になっている本を2冊頼んだ。こっちは簡単だろう。すると遠慮したと見たのだろう、ご主人のほうから

please do not hesitate to let us know all what you would require us to bring, We would be travelling light, and have lot of space, and can bring heavy stuff too.持ってきてほしいものは遠慮せずにすべて言ってきてください。我々の荷物は少ないのでトランクに余裕がたくさんあります、重いものも持ってこれます

とのメールが折り返しで入ってきた。こちらから出した次のメールは彼らの京都旅行のアレンジに関するもので、お土産のことに触れなかったら

Please do let us know all what you would like us to get for you both or for your house, Please do not hesitate, either in volume or weight, as we have our suitcases half empty.あなた方夫婦またはあなたの家のために持ってくるべきものをゼヒ言ってください。サイズ、重量について遠慮はいりません、我々のスーツケースは半分しかつまっていませんから。

とダメ押しが来た。ヨーシ。数日考えて本を1冊追加して(こちらは2008年新刊の本なので簡単に手に入るはずだ)、

This wish might be a bit difficult. If you can't find one no problem. Just forget about bringing bronzes along. これはちょっと見つけるのが難しいかもしれません、見つからなければ構いません。その場合青銅製品のことは忘れてください。

という条件付で頼みものをした。

以前家を建てた際、別なインド人に「インドでは家に神様の名前を冠するものだ」といわれ、仏教で帝釈天(ヒンズー教のインドラ神)が

<成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法善神>(Wikipedia。尚梵天はヒンズー教のブラーマ神)

とソレナリの地位のある神様だということを思い出し、家を帝釈天荘と名づけた経緯がある。

日本で帝釈天というとまあ寅さんの柴又の帝釈天という地名がまず頭に浮かぶが、姿かたちについては余りイメージがわかない。あれこれインターネットを見ていたら白象の上にのっているお姿の絵があった。これが面白いと思って象の上にのったインドラ像を頼んだ。「見つからなければ構いません」と書いたのは、インターネットの商品販売ページで見ると、販売されているインドラ像は大体坐像で象に乗ったものが見当たらなかったからだ。

「ネットになくても現地の人ならいろいろツテがあるだろう」と思っていたが、その実「象に乗ったインドラ」を見つけるため彼らは相当苦労したらしい。日本に到着して持参した土産をアレコレ拡げてくれたとき「象に乗ったインドラ像」は一番最後に大事そうに拡げて、「そんなものどこを探してもない」とある店で言われてから最終的にデリーの中心部であるコンノート広場のはずれの小さな店の片隅でひっそり埃をかぶっていた、南インド製と思われる骨董品の象に乗ったインドラ像を見つけるまでの一部始終を披露してくれた。

どうしてそんなにインドラ像が見つけにくかったのだろう?実はヒンズー教ではいわば時代時代で神様のはやりすたりがあり、現在インドラはそれほどはやりの神様ではないので、あまり作られてないからだ。ヒンズー教の発展過程で、インドラは当初は主要な神であったが、原始インドの宗教(学術上はヒンズー教と区別してヴェーダ教という言い方をする)がヒンズー教へと発展する過程で、各地の信仰をその地で信仰される神々を取り込む形で発展して行き、その結果神々の位階が入れ替わっている。

現在のヒンズー教はTrimurtiと言われる、創造(その象徴はBrahmaブラーマ)、維持(その象徴はVishnuヴィシュヌ)、破壊(その象徴はShivaシヴァ)の三位一体がその根本教義となっているが、そのなかでも人気のある神様は、維持を象徴するヴィシュヌ(当初はインドラの盟友程度)やその化身とされるKrishnaクリシュナ、破壊の神シヴァやその子供とされる象の頭を持つGaneshaガネーシャ、シヴァの神妃Durgaドゥルガといったところだ。

この入れ替えを合理化するためだろう「インドラとクリシュナが力比べをして、クリシュナが勝った」という内容の神話ができている。南インドで人気のある神々も、例えば金運をもたらすとされることで有名なSri Venkateshwara(別名Balaji)のように「現世に適合すべく現れたヴィシュヌの化身」と言う形で説明されヒンズー教に取り込まれている。インドの人はこのようにアレコレ理屈をつけて説明するのが好きだ。インドラはこのようなやり取りの過程で主要な神の座を他の神に明け渡したのだと思う。

インドラ像を所望した数日後、また「見つからなければよいから」と言う条件付で、私がこれまで飲んでみたいと思っていたがかなわなかったインドのゴア州の特産品Cashew Fennyカジュー・フェニーの持参を頼んだ。

Cashew Fennyはカシューの実(カシューナッツはその実の中の核)から造る蒸留酒だ。Fennyには二種類あって、カシューの果肉を天然酵母で発酵させ、そのモロミを蒸留したCashew Fennyと、ヤシの花の根元を切ると出てくる樹液Toddyを天然酵母で発酵させ蒸留したCoconut Fenny(スリランカではこれをArrakという)の二種類がある。Toddyは丁度カルピスのような白濁した液体で、採取してから数時間で自然に発酵を始め、放って置くと酢になる。スリランカのArrakは旧宗主国であるイギリスの影響で多段蒸留したり、炭で濾過したり、高級品は樽で長期貯蔵したりするウィスキーの影響を受けた酒でコロンボ空港の免税店でも入手できるし、少量だが輸出もされている。ところがCashew Fennyの方はインドのゴア州内に販売が限定されているため、ゴアに行かないと入手できない。製造業者は概ね小企業で製品の品質もバラバラだといわれている。

友人は不動産業にも関係していて、ゴアは今リゾート開発が盛んなのでそれなりのツテがあるだろうと思っての頼みだ。しかしCashew Fenny入手にもまた相当てこずったようだ。「元の上司でゴアにヨットを置いている人物に頼んだら『お易い御用だ』と安請け合いされたが、ご当人がエライ人なので督促できないでいるとそのまま忘れられてしまい、結局ドサクサになって友人の従兄弟宅に一本あるときいてせしめてきた」と言っていた。

カジュー・フェニーは甘い香りと、ほのかに甘みを感じるソーラ割やコーラ割がおいしそうな酒だった。焼酎のようにお湯割りにすると香りが飛ぶのでトム・コリンズのようにちょっとライムを搾ってロックで飲んでも良い感じだ。おそらくかつての焼酎のように製品品質の向上余地は相当あると思われるし、品質向上すれば市場も広がるのではないかと思われる。友人夫妻も飲んだことがないというカジュー・フェニーをくみかわし、お宝ゲット談義をしながら三年ぶりに会う友人夫妻と旧交を温めた。

[以下の部分は数字に誤りがあり「訂正」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/31/4666918
で修正した文章をアップしています。ご面倒でも以下を読まれる場合は上記リンクに飛んでください]

インドには国内で圧倒的なシェアを持つUBグループと言う酒類のメーカーがある(同社のKingfisherビールは日本のほとんどのインド料理店においてある)。同社はグループとしての連結財務諸表を公表していないが、ビール製造のUnited Breweriesとスピリッツ製造のUnited Spirits両社の本年3月末売上を単純合算すると55.7兆ルピー(105.8兆円)と、昨年末売上23兆円のキリンホールディングスをはるかに凌駕する企業グループだ。United Spiritsは2007年にスコッチの名門Whyte & Mackeyを買収している。何でこんな会社がCashew Fennyをインド全国で展開するようインド政府に働きかけないのかとか、品質にてこ入れして世界的なブランドにしようとようとしないのかとか疑問が残るが、これはおそらくこのような大資本の参入を好まないFenny製造業者たちがインド政府にアレコレ働きかけるので、そんなことにイチイチかかずらわってはいられないという計算が働いているのではないかと推測している。

Imagining India(インドを構想する)2009/10/30 19:52

「中国とインド(1/2)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/09/4621240
や「インドの神々・インドのお酒」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/21/4645651
に登場してもらっているインド人の旧友夫妻に持ってきてもらった本のうち一冊はインド最大のソフトウェア会社Infosys Technologiesの元共同会長で現在Unique Identification Authority of India (UIAI)委員長のNandan Nilekaniナンダン・ニレカニが著わしたImagining Indiaと言う後書きと索引を除いただけでも510ページの大著だ(2008年刊、題名を訳せば「インドを構想する」と言う感じ)。UIAIはインドで国民総背番号制度を推進するために設けられた政府機関で、その長官(Chairmanとなっているので本来の訳は「委員長」なのだろうが、日本の行政の呼称の慣例に従った)は閣僚だ。

さすがWorld Economic Foundation Forum Foundation(ダボス会議財団)役員で、インド内外の各種の賞を受賞した人物の著作だけあって、インド内外のさまざまなその道の専門家の意見を聞いた結果をうまく自分の本にまとめていると言う感じはするが、インドの直面するさまざまな問題に突き当たって、構想を提示してはその構想を実現する際の障害をアレコレ書いているというのが読後感だ。

「インドを構想する」際、ニレカニがあげる将来に向けてのインドの利点は、若い人口と、活力のある人材の豊富さだが、それらのポテンシャルが十分発揮されるためにはこれまでの遺制のカースト、宗教、出身地域、家族、官僚統制、といった要素が障害となっているとしている。インドのIT産業が成長できたのは、たまたま政府の関心対象外であったため、許認可や原料の割当の対象とならず、官庁との深い関係を築く必要もなかったからなのだそうだ。

このような遺制が存在するのは英国の植民地政策の弊害や、インドが国としてのまとまりを持つ前に観念が先行して建国に至ったため、実際の国として機能し始めたら、国内の諸々の矛盾や統合を妨げる要素が顕在化したためだという。ニレカニの見立てでは、これらの矛盾は徐々に臨界点に近づいているが、ここ10年の経済自由化とそれに伴う経済成長の結果ようやくカースト、宗教、出身地域、家族を超えた「インド人」としての自覚が芽生えつつあり、その自覚とインド人が本来持っている行動力を解き放てばインドの成長軌道が安定するとしている。

「インドを構想する」はこのような視点からインド社会のあらゆる分野にわたる、希望のある未来を予見させる要素とその妨げとなる要素を対比している。本が膨大な理由はこの視点で初・中等教育、大学、都市政策、インフラ、環境、エネルギーと言った経済社会のあらゆる分野にわたる説明を試みているからだ。

この各分野にわたる妨げとなる要素は読めば読むほど膨大で、本当にインドはこれらを乗り越えられるのか心配になる。

特に本書で「問題だ」として何度も取り上げているのが、Bimaruと言われる地域の状況だ。インドのハートランドであるBiharビハール州(2000年に分離されたJharkandジャルカンド州を加えて人口約1億)、Madhiya Pradeshマディア・プラデシュ州(2000年に分離されたChhattisgarhチャティスガール州を加えて人口9000万弱)、Rajasthanラジャスタン州(人口6000万)、Uttar Pradeshウッタール・プラデーシュ州(人口2億弱)の4州の頭文字を取った言葉だ。カースト制が強固だ、政府機関の腐敗もひどい、それもあって教育やインフラを始めあらゆる分野で遅れている、と手厳しい。インド全人口の半分近くを占めるこの地域がインドの発展の足かせになっていると言うことになると、いくらインドを構想してもこの地域の状況次第で構想実現が危ぶまれると言うことになる。

問題はインドの発展が「他人事」ではないことだ。グローバリゼーションが進んだ今の世界で、インドは21世紀の世界経済を担うとされる国なのだ。この国の経済発展がつまづくようだと今世紀の我々の世界の未来像に大きな影響が出る。

もっとも翻って日本を見ても、つい最近までは政(自民党)・官・財の50年体制(外国の報道機関はこれをiron triangle 「鉄の三角形」と表現していた)が磐石で、これが制度疲労を起こしていると云々されていたが、日本の停滞が臨界点に達しつつある中で自民党政権が選挙で大敗する事態となったりするので、インドについてもあながち悲観することはないのかもしれない。

本の中ではそれほど強調されていないが、ニレカニはITがひとつの社会革新の起爆剤となる可能性を指摘している。一例をあげれば初・中等公教育普及のための給付が担当官庁の腐敗のため末端まで届かないと言う問題。ニレカニはITを使って給付対象者(児童・生徒の親)に給付が直接届く仕組みを作り、給付を受けた児童・生徒の親が学校を選択できるようにし、子供をキチンとした学校に送れるようにすることで、かなり問題の解決がはかれるはずだとしている。Infosysの大株主として10億ドルを超える個人資産を持つニレカニがUIAIの長官職についたのは、国民総背番号化を通じてインドの行政のIT化や効率化推進のきっかけを作りたいとの意思の現われと見てよいだろう。彼には本の中で語りつくしていない壮大なITを使ったインドの行政の効率化のビジョンがあるはずだ。

ただ、私は個々のインド人の能力や行動力は十分に認めるにせよ、すべての特徴はメリットにもデメリットにも働くことを指摘しなければならない。インドにはインド人がその行動力を発揮する過程での自己主張の強さとか、社会の各段階に浸透しているカースト制に由来する分業指向とか、それに伴う相互の連携の悪さが間違いなく存在している。それとも関連するが「インドを構想する」が指摘する非効率な官僚制もある。ニレカニがひとつの政府機関の長となっても、閣僚になっても、どれだけこれらの障壁を退けて彼のビジョンを実現してゆけるのか?インドを構想したニレカニの戦いはこれからだ。

[トリビア] 面白い事実がある。インドの国歌は、アジア最初のノーベル賞受賞者タゴールの作詞作曲になる母なる国土に対する賛歌だ。ところがその国歌に登場する州がパンジャブ(現在インドとパキスタンにまたがる)、シンド(現在パキスタンの一州)、グジャラート、マハラシュトラ、南インド4州(そこに住むドラヴィッダ人にちなんで、ドラヴィッダと一くくりされている)、オリッサ、ベンガル(現在インドとバングラデシュにまたがる)で、インドのハートランドであるBimaru4州が完全に欠落している。詩聖タゴールは1911年にこの詩を発表したときからBimaru4州を見捨てていたのだろうか?

訂正2009/10/31 21:25

10/28にこのブログのある読者から「インドの神々、インドのお酒」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/21/4645651
に関して以下のようなコメントを頂戴した(実名のコメントで、実名のままアップしてよいのか確認が取れていないので、名前抜きで掲載する)。

<キリンホールディングスの売り上げ=〈23兆円〉とありますが、これは、〈2,3兆円〉ではないでしょうか>

すみません、ご指摘のとおりキリンホールディングスの売上は2.3兆円です。ご指摘どうもありがとうございました。

ついでに書くと、ビール製造のUnited Breweriesとスピリッツ製造のUnited Spirits両社の本年3月末売上を単純合算すると55.7兆ルピー(105.8兆円)ではなく、United Breweriesが198億ルピー、United Spiritsが557億ルピーの、両社単純合算で755億ルピーだ。これは本年3月末のインド・ルピー/日本円の交換レートで換算すると1420億円となりキリンには遠く及ばない。

ちなみに東南アジアのビールメーカーとして有名なフィリピンのSan Miguel Corporationの飲料部門の売上は昨年末現在で786億フィリピン・ペソ、円換算すると1503億円で、United Breweriesグループはサン・ミゲルにも及んでいないことがわかる(エスニック料理店のメニューによくのっているタイのSinghaシンハは非上場のため詳細不明)。ウッカリしてUnited Breweriesのアニュアル・レポートにある数字の小数点をカンマと読んだため、数字を三桁間違えたようだ。

誤ったデータを記載したことにつき読者の皆様にお詫びします。

従い「インドの神々、インドのお酒」の最後の段落は以下のように訂正させていただきます:

↓ ↓ ↓

インドには国内で圧倒的なシェアを持つUBグループと言う酒類のメーカーがある(同社のKingfisherビールは日本のほとんどのインド料理店においてある)。同社はグループとしての連結財務諸表を公表していないが、ビール製造のUnited Breweriesとスピリッツ製造のUnited Spirits両社の本年3月末売上を単純合算すると755億ルピー(1420億円)だ。昨年末売上2.3兆円のキリンホールディングスには遠く及ばないが、アジア各地でビール工場を展開するフィリピンのSan Miguel Corporation(昨年末の飲料部門売上786億フィリピン・ペソ、邦貨換算1504億円)並の企業グループだ。

United Spiritsは2007年にスコッチの名門Whyte & Mackeyを買収している。何でこんな会社がCashew Fennyをインド全国で展開するようインド政府に働きかけないのかとか、品質にてこ入れして世界的なブランドにしようとようとしないのかとか疑問が残るが、これはおそらく

(1) このような大資本の参入を好まないFenny製造業者たちがインド政府にアレコレ働きかけるので、そんなことにイチイチかかずらわってはいられないという計算と、

(2) UBが世界の飲料販売業者の中ではまだまだ中小で、インドでも一般的でないお酒をかついで世界の市場開拓をするよりは目先もっと儲かる仕事がある、という計算が働いているのではないかと推測している。

しかしその様な計算が働いている割には格安運賃の航空会社を買収して、2008年3月末の貸借対照表に97億ルピー(241億円)の累損を計上したりして、UBグループのVijay Mallya会長の経営判断力には若干疑問を持たざるを得ない。

United Spiritsのアニュアルレポートには

<With over 50% of India’s 1.2 billion population not having yet achieved legal drinking age, the industry is currently witnessing a demographic window of opportunity with large number of first time consumers entering the market.
インドの人口12億の内50%以上がアルコール飲料を飲める法定年齢に到達していない状況下、われわれの産業は非常に多数の初めての[アルコール飲料]消費者が市場に参入してくるという、人口に起因する発展の機会に臨んでいる。>

とのMallya会長の報告が掲載されている。人口の停滞する日本や、欧米のアルコール飲料メーカーには、このような機会はインドのような市場に打って出ない限り与えられていない。Mallya会長が自分で認識しているこの発展の機会を積極的に活用しない限り、UBグループの圧倒的なインド市場支配力は、市場が拡大してゆく過程で成長が見込めない市場にあきたらない外資系の参入によって蚕食される可能性なしとはいえない。

そのような時代になると存外ひっそりとゴア州で製造されていたFennyに日の目が当たる日が来るのかもしれない。

水のなるほどクイズ2010