Icesave2010/01/14 21:34

北大西洋の北極圏近くにアイスランドと言う人口33万(参考:北海道旭川市の人口が35万、沖縄県那覇市の人口が31万)、面積10万平方キロ(参考:本州の半分弱)の小国がある。国土は9世紀からバイキングの末裔が住む火山島だ。このアイスランドで発生した金融危機が2008年以来ヨーロッパでちょっと話題になっているが、先週のイギリスのマスコミを結構にぎわす事態が発生した(オランダでもマスコミがにぎわったはずだが、オランダ語ができないのでこっちはフォローできていない)。

アイスランドは小国であるだけに、今後の展開が今般の世界金融危機の実験場としての意味があるとされ、同国の状況については規模が小さいとはいえ目が離せない。

ことの発端はそれまでいわゆる北欧型の高福祉高負担の社会民主主義政策を取っていたアイスランドが、2001年に大きく政策転換を行い国営企業の民営化や税率の切り下げを行ったことだ。民営化されたアイスランドの銀行(小さな国のことゆえKaupthing, Landsbanki, Glitnirの三行しかない)は積極的にヨーロッパに進出していった。高金利で預金者を集めアイスランドの人口をはるかに凌駕する40万強の預金者を集めることに成功した。アイスランドの本店が直接預金を集めたケースと、現地法人が設立されそこが預金を集めたケースと両方ある。この記事の表題であるIcesaveはLandsbankiの本店が海外の預金者を集める際に使った高金利預金商品の商品名だ。Kaupthingの高金利預金の商品名はKaupthing Edgeといった。

アイスランドの銀行はこうやって集めた資金などを元手に、積極果敢にヨーロッパの金融界で買収を繰り広げた。もっとも積極的だったのはKaupthingで、イギリスの名門中小銀行のSinger & Friedlanderやベネルックスの有名投信会社Robecoを買収したりして名をはせた。他の二行も負けてはいない。Landsbankiはイギリスの銀行やフランスの証券会社を買収しアイスランドからの移民の多いカナダに駐在員事務所を二ヶ所構えるまでになったし、個人資産のふくらんだ会長のGuomundssonはイギリスのフットボールクラブWest Ham Unitedを買収したりした。どちらかと言えば北欧中心に展開する姿勢を示していたGlitnirもカナダ東岸ののハリファックスと上海に駐在員事務所を構えるまでになっていた(Wikipedia英文版”Icesave”)。

このような膨張を支えたのは高金利でかき集めた外貨預金のみならずユーロ市場などでかき集めた資金であった。北欧の中小銀行の一部には高金利で国外から預金をかき集める「伝統」があり、アイスランドの銀行もその例にならったのが出発点だったのかもしれない。預金をかき集め、当初はそれを健全な国内の事業や国外の資本市場に貸し出し、利益を蓄積し、財務格付を上げ、国外の資本市場から資金を調達し、それを原資に買収を繰り広げ、と言うようなサイクルが機能したのだ。最終的には3行の海外向けの融資総額がアイスランドのGDPの5倍強にまでふくらんでいたとされる。お金が潤沢に回るようになると国内の不動産価格も上昇を始めた。

人口も少なく、観光、魚介類、豊富な地熱発電由来の電力を使ったアルミやフェロシリコン精錬以外取り立てて産業のないアイスランド市場に留まっていても大きく拡大できないのは事実だ。日本の地銀のように自分の地元にちんまり留まらず、来るべきアイスランドのEU加盟をにらんで果敢にヨーロッパに打って出たのはバイキングの末裔の血が騒いだからなのだろうか。しかしこのような大膨張は小さな国の小さな政府の監督能力を超えていたこともまた事実だ。

資金が高利回りで運用できればよいが、サブプライム問題が発生し、世界の金融に滞りが生じると、三行は相次いで資金調達に支障をきたし、借り入れていた資金の返済が滞り破綻した。

破綻してからの預金の扱いの原則について確認しておこう。

各行の現地法人が集めていた預金についてはその法人のおかれている国の預金保護制度に基づき預金が確保される。預金者が各行の支店や各行に直接(つまりアイスランドに送金して)預金していた場合は、アイスランドの法律の取決めに従う。アイスランドの各行が募集した高金利預金はおおむね後者だ。

預金者にとって幸いだったことはアイスランドがAgreement on the European Economic Area (ヨーロッパ経済地域条約)加盟国なので、国内の預金保護の条件をそのまま他のヨーロッパの預金者に対しても適用するのが原則だったことと、それに伴い加盟国の預金者に対しては預金を預かる銀行の存在する国の預金保護制度の適用を認めるpassport systemといわれるものがあったことだ。

アイスランド国内の現地通貨のアイスランド・クローナ建ての預金はアイスランド政府が全額保護した。従い国外でかき集めた外貨建ての預金のほうも条約の原則で言えばアイスランド政府が全額保護する必要がある。しかしアイスランド国の預金保護基金は政府が直接関与せず保険金も低額だったので、GDPの5倍にも達する預金を保護する能力がないことが判明した。

ヨーロッパ経済地域条約に関する施行令には別に、加盟国は2万ユーロまで預金保護を行うことを定めている。ただこれはあくまでも個人預金者に対してであり、法人に対しての預金保護は存在しない。ところがイギリスやオランダの地方自治体がアイスランドの銀行に相当の預金をしていることが判明した。Wikipedia英文版によればイギリスの地方自治体だけで総額9.2億ポンド(約1200億円)をアイスランドの銀行に預けていたと言うことだ。

ことが国内の政治問題化することを恐れたイギリス、オランダはアイスランド国に代わって自国の預金者の解約請求に応じ、立替た金をアイスランドが14年にわたって返済することで合意し、これをアイスランドの国会も承認し話がまとまりつつあった。しかしアイスランド国民の間で、この決着に対する不満が高じ、大統領に対して国民の約1/4が決着の見直しを要求する署名を提出するに及んで、アイスランドの大統領は1月5日に国会決議を立法化するのに必要な署名を拒否し事案を国民投票にかけることを宣言した。先週来イギリスの新聞がアイスランド関係の記事でにぎわっているのはこのためだ。アイスランドの国民の多くはこの合意に反対だとされており、今後の展開は予断を許さない。

ここまでの記述を見て読者は「人口が旭川くらいの小国がよくまあイギリスのようなヨーロッパの大国相手にがんばるね」と言う気がしないだろうか?

実はアイスランドにはヨーロッパの大国相手に一歩も退かずに自国の立場を通してきた伝統がある。アイスランドは1950年代と1970年代に北太平洋の漁業資源をめぐって、現実にアイスランドの沿岸警備艇とイギリス海軍の巡洋艦が、アイスランドが主張する領海内で数回衝突する事態が発生した「タラ戦争」と言われる争いをイギリス相手に展開しており、この結果アイスランドの領海や排他的経済水域を拡大している。現在世界で一般化している排他的経済水域200海里(約370キロ)は1970年代のタラ戦争の結果アイスランドが勝ち取ったものだ。

1970年代後半のタラ戦争のときアイスランドとの交渉に当っていたRoy Hattersley(後のハタースレー卿)が1月8日にイギリスの新聞The Timesに寄稿した記事によれば、

<Icelanders are, by nature, intrinsically unreasonable. It is part of their charm and the secret of their survival.アイスランド人は生来根本的に不合理である。これがかれらの魅力であり、彼らが生きながらえてこれた秘密だ>

だそうだ。更にハタースレーは

<[But] it was not their habit, when their national interests were threatened, to concern themselves with legal niceties彼らは国の利益がからむと、法律上の些細な事項などにこだわらなくなる癖があった)>

ともいっている。交渉上手のイギリスのネゴシエーターを辟易させるような強面のアイスランドとの交渉とはどんなものだったのだろうか?タラ戦争ではアイスランドはNATO脱退を持ち出し(当時はまだ東西両陣営の対立があり、アイスランドは北大西洋防衛上の重要拠点だった)、イギリスの巡洋艦に対抗するためソ連から軍艦を購入することまで検討し、まさに背水の陣で交渉に臨んだ。このような迫力をもって交渉して初めて小国アイスランドが大国イギリスを交渉で打ち負かし、排他的経済水域200海里をかちとったのだ。

好敵手アイスランドをハタースレーは

<I feel (perhaps perverse) admiration for their concentrated bloody-mindedness.私は彼らの濃縮された頑固さに(多分自虐的な)賛美の念を持っている>

と評価している。ハタースレーの分析はアイスランド人をヴァイキングの末裔と認識するところから出発しているが、ここにもうひとつの補助線をひいておこう。

それはアイスランドは国連が発表する人間開発指数(HDI)をみると極めて高位に位置づけられる国であると言うことだ。

HDIの詳細についてはWikipediaの「人間開発指数」が最も詳しいので説明はそちらに譲るが、パキスタンの経済学者Mahbub ul Haq マハブブゥル・ハクが考案した、平均寿命、教育、購買力平価で調整した一人当りGDPの三数値を一本の指標にまとめたもので、毎年UNDP(国連開発計画)が発表している指標だ。2007年の数値を用いて計算された2009年版ではアイスランドは世界第3位に位置している。それ以前の年でも絶えず上位にランクしている。ちなみに日本のHDIが一人あたりGDPの低下を反映してズルズル落ちてきているのとは対照的だ。アイスランドのGDPが減少した2008年を反映する2010年版でこれがどのようになるのか興味があるところだが、指標の平均寿命や教育の部分がそれほど変化するはずはないので「順位暴落」という事態にはならないだろう。

アイスランドの経済については金融が脚光をあびたが、HDIに組み入れられている教育レベルの高さを反映してソフトウェアやバイオ産業なども育ってきていることに注目する必要がある。今回の金融危機に伴い優秀なアイスランド人がヨーロッパ大陸に移住してしまうのではないかと懸念されているが、これはつまりはヨーロッパ大陸で通用するような優秀な人材が育っているという意味でもある。

この優秀な人材をかかえるバイキングの末裔の国が当面する局面をどう切り抜けてゆくのか?タラ戦争のときのように、切り札をちらつかせながら強面で交渉を継続させるのだろうか?その際の切り札は何になるのだろうか?繰り返しになるが国の規模が小さくすべてがスピーディーにおこるため、金融問題解決の実験場としてのアイスランドから目が離せない。

水のなるほどクイズ2010