緊急医療について--今日はちょっと親バカになって息子自慢2011/04/19 22:47

気仙沼にある避難所にボランティアで行っていた息子が帰ってきて、現地での活動内容を興奮気味に電話で話してくれた。息子は3 月28日に鍼師・灸師・按摩マッサージ指圧師(業界では按摩、鍼、灸の頭文字をとって「あ・は・き師」というようだ)の国家試験に合格したばかりで就職活動中だったが、東日本大震災による現地の惨状が報道されるにつれ、いてもたってもいられなくなったらしい。ある団体のウェブサイトにボランティア登録をした。

災害発生当初はボランティア派遣を行う団体の方も混乱していて、現地にどのようなニーズがあるのか?それに最も効率的に対処するのに誰が派遣できるのか?どういう物資を送ればよいのか?その活動資金はどうやって調達するのか?というようなことをテンヤワンヤの中でどんどん決めてゆかねばならない。次から次に判明する事態に対していろいろなことを同時並行で進めてゆかねばならないから、「誰が」の部分でゆっくり派遣者の面接をして選考をしている余裕などない。いきおい「誰が」のほうは手っ取り早く「これまで実績のある人」に声がかかることになる。ということは「登録をしてもサッと団体の方からお呼びが来るわけではない」ということになる。

「なかなかボランティアの派遣が決まらない」との息子の話をきき、私が代表幹事をつとめるある同窓会にMSF(国境なき医師団)日本理事の林健太郎医師が在籍していることを思い出して、メールをしてみた。林医師は通常海外の緊急医療を必要とする現場を飛び回っている。「今リビアかも?」とか思っていたら、現在一般社団法人日本プライマリ・ケア連合学会の被災地支援プロジェクト(PCAT)本部コーディネータとして被災地支援の指揮をとっている、との返信があり、派遣をすぐ考慮できるとのことだったので、早速息子に林医師のメールを転送した。

日本赤十字社による最初の義援金分配が4月15日に行われたことからもわかるように、日赤などの大組織を介在させると義援金の支出に伴う手続きに時間がとられ、義援金が最も必要なタイミングで支出されないケースがあります。

日本プライマリ・ケア連合学会の活動に賛同される方は以下の同学会のウェブサイト経由寄付をお願いします。

http://www.primary-care.or.jp/pcat/pcat_kihukin.htm


息子は林医師と連絡を取り合い、結局彼が今春卒業した日本鍼灸理療専門学校の同級生総勢5名で、現地で大規模な余震がおきた4月12日にPCATが維持している気仙沼拠点に向かった。途中資機材ピックアップのため福島県天栄村の拠点に立ち寄ったら余震で道路が通行止めになり、結局東京から12時間かかって宿舎でもある岩手県藤沢町の藤沢町民病院に設営されたPCATの拠点に到着したそうだ。

現地では朝6時ごろに起床し、派遣者相互の連絡会に出席した後、宿舎から県境を越えて30kmほど行った気仙沼中学、小学、市民会館合同避難所に向かう。現場に到着してからは戦場だ。体育館が救援物資の受け入れや配給にも使われているので、避難してきた人たちの多くは教室で寝泊まりしている。一部ではまだ床に段ボールを敷き、そのうえで寝起きしている避難者もいたようだ。5人は各室に出向いて治療ニーズの有無を聞き、その場で主として手技(業界用語で按摩・マッサージ・指圧のこと)で治療を行った。5人で毎日約100人の人たちに治療を行ったという。冷たくなっていた体が温かくなり、こわばっていた体が少しでも動くようになり、相手の目がホッと和み礼を言われる経験をして「この仕事を選んで本当に良かった」と思えたという。

林医師からも「評判もすこぶる良いようだ」との報告があったので、息子たちの活動は決して無駄ではなかったようだ。

私は普通のサラリーマンだ。自分がかかわっていたプロジェクトがまとまった時の達成感は何度も経験しているが、通常自分とプロジェクトの最終的な受け手との間の連絡はない。私の学生時代にはやったマルクス主義の用語を使えば「疎外されている」のだ。経済協力案件をやっていて、ネパールで井戸を掘るプロジェクトをまとめあげ、引き渡し式のため現地に行ってネパールの寒村の人の喜びに接した同僚がいたが、彼などはサラリーマンとしては稀有な経験をした部類だろう。自分のしたことに対する受け手からの直接的な、それも感謝という形の反応に接することができた息子は、私がこれまで経験したことのない貴重な充実感を伴う経験をしたわけだ。

閑話休題。息子の見た範囲では「重傷を負った人の応急処置」といった、いわゆる緊急医療的なニーズはかなり減少してきており、むしろこれからは「PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対する心のケア」とか「不自由な避難所生活に起因する体調不調に対するケア」への腰を据えた対応が必要だろうということであった。息子は現地のニーズに接する中から「このような体調不調に対するケアには鍼灸指圧治療が極めて有効だ」との確信を持って帰ってきたが、その彼が極めて残念に思ったのは医師や介護師が組織的に派遣されてきているのに、あ・は・き師が組織的に派遣されていなかったことだ。現地の連絡会でも「自分たちは鍼灸指圧治療師です」と自己紹介を行うと、他の参加者からは「ヘェー珍しいものが来たなぁ」という感覚で見られたそうだ。

どうしてなのだろう?

一つの答えは業界がまとまっていないからだと思う。もう一つは、業界が分裂していることの副作用だと思われるが、各業界団体が極めて内向きな性格を持つ組織体だからだと思う。

試みにインターネットで「鍼灸学会」を検索すると「社団法人全日本鍼灸学会」「公益社団法人日本鍼灸師会」「日本伝統鍼灸学会」と結果が上がってくるが、ある団体の「東日本大震災義援金受付」とのリンクをたどると

 当会と致しましては、災害にあわれた会員に対してできるだけのご支援をしていく所存です。
 下記口座にて5月31日(火)まで義援金の募集をすることにしました。多くの皆様にご賛同いた
 だきますようお願い申し上げます。義援金は、理事会にて被災されました会員に被災状況を
 勘案しまして、規定に従いお見舞金として支給する予定です。

との説明が出てくることからもわかるように、いずれの組織でも「被災した鍼灸師に対するケア」の話は出ているが、組織として被災地の医療支援に乗り出す話は出ていない。

ちなみに日本医師会のウェブサイトの「東日本大震災関連情報」へのリンクをみると、日本医師会災害医療チーム(JMAT)に関する記述がでている。3月28日付の日経メディカル・オンラインによれば

 日医は「JMAT派遣体制の再構築について」という文書を、各都道府県医師会に27日に発出
 した。それによると、被災地にJMAT以外に医療チームが相当数入っており、現地医師会によ
 る状況把握が困難になりつつあることから、JMATへの参加受付を一時休止し、改めて状況
 を把握して派遣依頼する、としている。「多数の応募は来ているが、支援の医師たちをどう配
 分すればいいか、現地で混乱が生じている」(日医広報部)という状態だ。

 宮城県医師会の広報担当者は、「行政や日赤、独自のボランティアの医師などが多数来てく
 れたおかげで、医療者の数はかなり充実してきている。一方で県医師会が医療面の支援全
 体の統制を取るのが難しくなっており、避難所などで医療班がバッティングするといった事態
 も生じつつある。そのため、派遣の一時休止を日医にお願いした」と語った。

ということで、現地が困るほど積極的に被災地支援に乗り出している西洋医の世界と、被災した身内の援護に目が向く鍼灸師の世界とでは、事態に対する対応がきわめて異なることがわかる。

東日本大震災からの立ち直りは災害の規模が甚大であるがゆえに長い時間を要することがはっきりしている。日本の伝統医療界がこの状況を「会員の生活基盤への打撃」という次元のみでとらえず、伝統医療へのニーズを再確認させる機会としてとらえることを期待してやまない。

終わりに: 息子たちは気仙沼に行く前に日本鍼灸理療専門学校に自分たちの活動予定を説明し、鍼やアルコール綿の提供を受けたとのことだ。若いあ・は・き師のやる気に賛同した同校の措置に拍手を送りたい。


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