さて誰が本当のこといってるんだろう?2011/06/09 22:59

東日本大震災の影響もあって一層先行きが不透明になった現在の日本の経済状況脱却の方法として、経済学者を含む「識者」はいくつかの全く異なる処方箋を提示している。

一方は国債の増発を財源とする政府のインフラを中心とした財政支出を求めるものだ。これは野村総合研究所のリチャード・クーの以前からの主張だが、同趣旨の論陣を張っている人として論旨が明快なので最近脚光を浴びている三橋貴明と言う人もいる。慶応義塾大学名誉教授で現千葉商科大学学長の島田晴雄も財政支出を提案している。ただし、クーは国債を民間が引受けることを想定しており、島田は日銀引受を想定している。民間が引受けるということは政府が民間の余剰資金を吸い上げるということで、日銀引受とはストレートにいえば日銀にお金を発行させる、つまりは通貨インフレを起こさせるということだ。

もう一方は早稲田大学の野口悠紀夫が提示する、経済は電力不足で縮小均衡するので増税によって消費を殺いで、そこで得た財源を破壊されたインフラ投資に回せというものだ。3月11日以来原発問題についておおむね明快な論理に基づく対処方針を示している大前研一も経済学者ではないが増税派だ。彼の場合は時限的な臨時課税をすべきだという主張だ。

比較的最近読んだ文章では元経済企画庁経済研究所長という官庁エコノミストのトップに上り詰めた現法政大学教授の小峰隆夫の増税+国債発行論というのがある。

対照的なのが小泉内閣の経済政策を担当していた竹中平蔵の減税論だ。

それなりの「大御所」と言われる人たちが、増税だ、減税だ、国債の増発で財政支出だ、とまったく異なることを主張しているのだから、実際の政策を決めることになる政治家が何をしようか戸惑うのもむべなるかな。

民主党の政治家に申しあげておきたいことは、いずれの説も、主張している当人の「仮説」であって、それが本当にその通りにうまく行くのかどうかは誰も保証してくれていないということだ。従い政治家たるもの一定のビジョンと論理を持って、それを確信してビジョンの実現に向け孤独に政策を展開してゆくしかない。その結果が悪ければ潔く国民の審判を受けるだけのことだ。

そうは言っても経済学を多少知らないと誰の説をとるのがよいのかイメージもつかめないだろう。このブログを読んでいる政治家がいるとの前提で私なりの講評をやってみよう。

最初に竹中説を取り上げよう。減税をすると経済が活発化して、その結果税収も増えるという議論はレーガン大統領の経済政策顧問会議Economic Policy Advisory Boardで委員をしていたアーサー・ラッファーが主張したので有名になったが、アメリカの財政はその結果膨大な赤字をため込むことになった。クリントン政権の時に何とか財政赤字の整理の端緒についたがブッシュ政権で再度減税論が復活し赤字が積みあがって今日にいたっている。日本の財界は日本の企業所得税が高いと騒ぐが、そもそも今の日本のように企業がひたすら投資をセーブして現金を積み立てるような性向を持っている国で減税をやっても経済刺激効果はでず、むしろ経済が更に萎縮してそれに活を入れるため財政赤字がさらに積みあがる事態になると考えた方が妥当だ。

しからば財政が出動する場合の財源は増税か国債発行か?マクロ経済学の国民所得の定義式は以下だ(これに基づいた日米独中印の経済比較は「中国とインド (2/2)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/09/4623639
ご参照)

国民所得(Y) = 消費(C)+ 投資(I) + 政府部門投資(G) + 輸出 - 輸入

クーの考え方は次のようにまとめられよう。日本は今 C と I が委縮している。これまでは輸出が何とか持っていたので、経済はかろうじて縮小均衡するようなことにはならずにすんでいたが、リーマンショック以降の世界では円高も進み、輸出がままならなくなってきたので G をどんどん繰り出すべきだ。幸い C と I が委縮してくれたおかげで、金融機関には融資先のない現金が積みあがっており、これをどんどん国債の買い付けに回せば財源が確保できる。島田が主張する日銀引受については「経済が低迷しているところにお札をばらまくようなことをすれば、後にインフレだけが残るだけだ」として日銀のウケが悪い。私もこの日銀の立場には同感だ。

野口の論の組み方はクーより大分複雑だ。東日本大震災の影響で電力不足が起きており、経済はつまりは Y は否が応でも縮小する方向に動いている。しかし復興需要のせいで I が増加するから、C や G や純輸出(輸出-輸入のこと)が縮小しないと均衡できない。I が増加すると資金需要が高まる。復興需要にお金が回り始めると資金不足になって金利が上がり円高が進み輸出が減り輸入が増えて均衡が起きるのが本来の姿だ。しかし日本は円高アレルギーが強いので円高阻止の動きが出て輸入が順調に伸びない。復興のためには I と G を増やすことが必要なので C を殺いでバランスさせなければならない。C を殺ぐには課税が必要だ。資金源に国債増発?そんなことをすると国債が本来復興需要に回るべきお金を吸い取ることになるので資金源は課税が妥当な方法だ。

本当にそうだろうか?まず電力不足で Y が縮小する話。日本の企業はこういう目先の事態に対しては結構対応が早い。社員を発電余力のある朝に早朝出社させたり夜働かせたり、ウィークデーは休みにして土日に操業したりは朝飯前。細かくピークカットの算段をしたりとあれこれ工夫する。本当に電力不足で Y が縮小するのだろうか?

次に「輸入が増えにくい」という点。震災からまだ3カ月しか経過しておらず、輸出入通関統計はまだ3、4月の2カ月分しか出ていないので断定は禁物だが、過去5年のトレンドから見る限り輸入が急成長していることがわかる。資金需要が活発化して金利がピンと上がり始めているのかと思いきや日銀統計を見ると金利は2008年第4四半期から一貫して下がり続けている。確かに本年4月に上昇に転じてはいるが、上昇の幅が年率0.01%程度という極めて低位なので、これをこのまま金利上昇に向けた屈折点と断定することはできまい。日銀が発表する「貸出・資金吸収動向等(速報)総貸出平残(銀行・信金計)」を見ても、確かに4月は対前月比1.9兆円増だが、そもそもこのレベルは対前年比12.6兆円減であり、とてもではないが資金が足りなくなってきている予兆はよみとれない。まあフェアに言えば統計があるのが4月までなので、野口の仮説が的を得ているのか否かの判断をするのには、正直なところ時期尚早というところだろう。ただ「時期尚早」と言って次の統計が出て来るのを待っていることはできない。

クーの考えについてはどうか?「今こそ社会政策の拡大を (1/3)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/11/4238642
(私これを2年前に書いてるんですねぇ…)で書いたように私は何でもよいから政府の財政投入を行えという議論には反対だ。やはりばらまく以上は必要性と投資効率を見ながらばらまかねばならない。さらに書けば、国債の消化について「普通の借金と違うので簡単に借り換えができるか?などいらぬ心配をするな」と言われてもやはり心配してしまう。国民は一貫して老化しているので、いずれ国債を売って生活費にまわすことになる。企業にしたところで停滞する日本経済を相手にしている限りそんなに利益が伸びない。となると銀行がため込んでいる余裕資金の方もボンボン国債を引き受けさせればだんだん減ってくるのではなかろうか?もっとも「震災の影響で C や I が課税などせずとも勝手に委縮した」とすると、課税せずとも国民所得の方程式は縮小均衡しており、国民所得を増加させたいなら目をつぶって G を投入するしかないということになるのかもしれない。

そんなことを考えていると、存外小峰の増税+国債増発(ただし、私のお勧めの順番はあくまでも国債増発をやって様子を見ながら増税)が妥当な着陸点なのかもしれない。

繰り返すが、そんなにデータが出そろっているわけではない。また上で見たように何をすべきかについても百家争鳴で誰の意見を聞いていいのやらの状況だ。自分で仮説を立てて、目をつぶって経済政策を作る必要がある。

ただ今の日本の場合、経済政策をいくら駆使しても増税路線に走れば国民が委縮して何をやっても経済の停滞は継続し、国債を増発して財政政策を駆使しても砂漠に水をまくようなもので大した効果は出ずに国債の発行残高だけが積みあがるのでは…ということになる気がしてならない。経済的な処方箋はもはや効力が相当落ちていると思う。何度もこのブログで書いたが、経済以外の対策を取らないとどうにもならない状況にあるとの認識が必要だ。

若いってすばらしい2011/06/13 00:53

世界中のロータリークラブの上納金を集めたロータリー財団The Rotary Foundationという組織がアメリカのシカゴの北郊エヴァンストンにある。ロータリー財団は世界中のポリオ(小児麻痺)の撲滅を始め種々の活動をしているが、世界平和の実現というのが大きな目標のひとつで、その一環で世界の5大学(2012年度からは一大学増えて6大学になる)に資金を提供して平和学専攻の修士課程を設置している。日本の国際基督教大学(ICU)はその5大学の一つで、ICU にはロータリー平和センターという受入組織がある。プログラムに参加する学生は世界中で募集されている。ロータリークラブの会員(ロータリアン)が学生のホストファミリーになったりしているが、2002年のプログラム設立当初 ICU にやってくる留学生を収容する寮が不足していたときは貸アパートを保有するロータリアンがアパートを提供したりと、関東地区のロータリークラブはプログラムの設立当初から手分けしてこの ICU の平和学プログラムのサポーターとして活動している。

ICUの平和研究プログラムは2学年にわたるもので、例年6月に卒業予定の学生が世話になったロータリアンに対し研究成果の発表会を行う。私はロータリアンではないが縁あって6月11日にこの発表会に参加するチャンスがあった。8名の学生が発表を行ったが、そのなかで私がベストと感じたのはブラジル国籍のユダヤ人の学生ユリ・ハースYuri HaaszによるMoving Away from
Zionism: Reflections on Identity Change among Israeli and Diaspora Jews, and the Irsaeli-
Palestinian Conflict(シオニズムからの脱却:イスラエル在住ユダヤ人及びディアスポラ在住ユダヤ人のアイデンティティー変容及びイスラエルーパレスチナ紛争の考察)という発表だった。私がイスラエルという国の存在に対してどのように考えているのかは「Helen Thomas -- アメリカにおける言論の自由の限界」 を見ていただければ一目瞭然だ。そのような私のバイアスではないかと思って、列席していたICUの教授を始めとする他の参加者の印象も確認したが皆同じ印象だった。「誰が見ても良いものは良い」ということだと思う。

ハースはイスラエルで生まれ育ちいわばシオニズム漬けの愛国少年として育った自分が、シオニズムを否定し、イスラエルによるアラブ人に対する圧政を否定する様になった過程を振り返る。そして、真実を直視することによってのみイスラエル建国の理念であるシオニズムからの脱却が可能なのであり、シオニズム脱却によってのみアラブ諸国との和解が可能なのだという結論(むしろ仮説というべきだろう)を導き出していた。イスラエルの中には現在のイスラエルのあり方に批判的な人々が存在していることは認識していたが、その当事者と会ったのは初めてのことだ。

発表会の後の懇親会でハースともう少し話をした。彼によればエルサレムに行くとブッツェレムB'TselemなどのNGOが真実発見ツアーtruth finding tourというものを実施していて(この資金源は誰なのだろう?)、半日程度のそのツアーに参加するとイスラエルがアラブ系の住民に対していかに理不尽なことをやっているのかがわかるという。ツアーの参加者はイスラエル内外のユダヤ人と外国人が半々くらいで、参加するユダヤ人の多くはシオニズムの意義を疑うような深いショックを受けるという。もっともこういうツアーが堂々と存在すること自体、イスラエルには一定以上の言論や思想の自由が存在していることの証左であり、言論の自由、否場合によっては思想の自由すら存在しないアラブ諸国とはエライ違いだ。

しかし、もしシオニズムに疑問を抱くユダヤ人が増えたとしても、イスラエル最大のサポーターであるアメリカがイスラエルの方向転換を許すのだろうか?つい先月もイスラエルのネタニヤフ首相はアメリカの上下両院総会で、一説によれば29回ものスタンディング・オベーションを受けながらイスラエルのレゾン・デートルをブチ上げている。29回もスタンディング・オベーションという熱狂的な歓迎を受けられるかどうかは知らないが、連邦議会で歓待を受けられるのは後イギリスの首相くらいなものだ。

アメリカの連邦議会議員がこのような行動を取るのは、ひとつには彼らの多くがThe American
Israel Public Affairs Committee (AIPAC、アメリカ最大のイスラエル支援のための政治ロビー)を始めとする親イスラエル・ロビーから政治資金を含め強力な支援をうけているからだ。強力な支援すなわち利権と考えても良い。アメリカもイスラエルもひとつの理念に基づいて組成された人工的な国だが、そのような共通点をもつものどうしの連帯感といったものもあるだろう。アメリカの場合更に厄介なのは、国内に聖書に書いてあることをそのまま信じ、進化論を排斥するようなキリスト教徒が政治に影響を与えるくらいの数で存在し、議員は彼らのアラブ嫌いにも配慮する必要が有ることだ。29回のスタンディング・オベーションの背景にはこのような要素があることを理解する必要がある。

また建国の理念の変更など、日本の第二次世界大戦の敗戦のような大敗戦を契機としないと不可能なはずだ。

ハースにこれらの点も指摘すると彼も同意見だった。そして同意した上で「しかし自分はこれまで世界史上類例のない平和裡の建国の理念変更に挑戦したいのだ」と言って口元を引き締めた。その発言に私は青年の理想と心意気をみた。若いことは素晴らしいことだ。中東地域における平和実現のために願わくば彼の努力が報われんことを祈ってやまない。


[シニカルな大人の感想] ハースの発表を額面通りに受け取れば上記のような感想になるが、その実ハースのようにシオニズムを否定している人の中には「シオニズムの敵」を予め確定し必用に応じてサボタージュするする目的で潜入している優秀なイスラエルの情報機関員がいるはずだ。ハースがそのような存在ではないとの保証はどこにもない。もうひとつヒネクレタ感想を書くと、ブッツェレムのようなNGOの活動資金は存外そろそろイスラエルから足を洗いたいアメリカのどこかから出ているのかもしれないとの「深読み」もできる。これなどは田中宇あたりに受ける分析だろう。

[ハースの発表を聞いて知的情熱を触発された大人の感想]  「第二次世界大戦開戦
70周年--なかなか許してくれない国」
で、私は日中関係の修復には第二次大戦後の独露関係修復の過程を並列して検討する必要を書いたが、私自身関心をもつ一市民as a concerned
citizenとしてロータリーの平和プログラムに入ってこの点をもっと深く研究してみたいという気持ちに駆られた。

[世界の富豪ランキングで1、2を争うマイクロソフトの創始者ビル・ゲーツがいかに超ド級の金持かというはなし] 前述のようにロータリー財団の進める重要なプログラムに全世界のポリオ撲滅がある。 ロータリーのポリオ撲滅活動についてはビル・ゲーツが私財を投入して設立したBill & Melinda Gates Foundation(Melinda Gatesはゲーツ夫人)が3.55億米ドルの寄付を申し出ている。ただし上記のウェブサイトを見るとこれには以下のような条件が付いている:

 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団から2度にわたり授与された総額3億5,500万ドルの補助金に
 応え、ロータリーがそれに上乗せするための2億ドルを集めるというものです。ロータリーは、こ
 の2億ドルの目標を2012年6月30日までに達成しなければなりません。

ロータリアンはそれぞれの地域のそれなりに裕福な市民の集まりだ。ロータリーのウェブサイトによれば全世界には120万人のロータリアンがいる由だが、その彼らが懸命に努力して集める2億ドルを凌駕する3.55億ドルをゲーツ1人の私財で設立されたゲーツ財団はいとも簡単にポンと出すわけだ。アメリカ式の所得の分配の仕方の問題を考える際や、Windows PCを起動してOfficeやOutlookを立ち上げる際やXboxでゲームソフトを動かす際、この巨大な格差のことに思いをはせるべきだろう。

原発から代替エネルギーへ2011/06/19 13:12

20年近く前の冬、当時はまだアメリカのド田舎だったアイダホ州に出張することがあった。今のアイダホ州は「ド」がとれて結構景気の良い田舎だ。たまたま搭乗した飛行機に中年の日本人の女性が乗っており、どういうわけか席が隣り合わせになった。聞けば州都ボイジーが目的地ではなくそこで飛行機を乗り換え、更に400キロ離れたアイダホ・フォールズに向かうという(アメリカの西部は人口希薄で距離が長いのだ)。「アイダホ・フォールズに何があるのですか?」と聞くと「原子力研究所があります」とのこと。このブログを書くためにグーグルで調べると、研究所の名前は
Idaho National Laboratoryアイダホ国立研究所と言い、連邦政府エネルギー省傘下の全米有数の原子力研究所だ。アイダホ・フォールズ市の唯一の姉妹都市は茨城県東海村だ。女性は東海村の日本原子力研究所(当時、現日本原子力開発機構)に勤める技師だという。

「福島第一・第二原発は廃炉、周辺は立ち入り禁止区域とすべきだ」 を読むと感じられると思うが私は原子力発電には反対だ。当時もそうだった。「申し訳ありませんが私はどうしても原子力発電には賛成しかねるんです」と言うと彼女に「でも原子力は今や日本の電力供給の中でなくてはならない存在になっているんですよ」とていねいに諭された。

1、2年前だったと思う。ヨーロッパにおける排出権取引に関するセミナーに参加した。今をときめくアレバArevaの国フランスからよりは確かイギリスやドイツの講師が多かったと思う。壇上に立つ講師の多くが低炭素社会実現の切り札として原子力が重要であることを力説していた。セミナーの後の懇親会で講師をしていたイギリス人の弁護士に「私は原子力発電にはどうしても反対でねぇ」と話したら他の講師に私のことを「この人原子力に反対なんですってぇ」といって紹介しながら、「まだそんなことを言っているのか?」といった感じで自信を持ってThat position is not widely accepted in Europe now(今のヨーロッパではその考え方は余り支持されない)と言われた。その時点では確実に原子力発電は低炭素社会実現の切り札で、原発反対派は少数派だったのだ。

しかし5月29日ドイツのメルケル首相は「ハイテク工業国日本で起こったことは他人事ではない」とドイツの原子力発電所を2022年までに閉鎖することを決定した。昨年11月にメルケル首相は原子力発電所の運転を2035年まで継続することを発表しているので大転換だ。

大分前座が長くなったが私が原発に反対の理由を書こう。理由は非常に単純に三点にまとめられる。

まず第一に原発の発電コストが高いからだ。

原発の発電コストが一見安いのは、プラントの廃棄コストや廃棄物の処理コストをきちんと算入していないからだ。算入されない理由は廃棄や処理の手順がまだ確定していないからだ。「いやいやきちんと廃棄手順が存在しています」という反論があるかもしれない。しかし、現在主流の放射性廃棄物の廃棄方法はそれをドラム缶に入れて地中に埋めたりか海洋投棄したりすることだ。完全に中和するといったことができないからだ。「特殊なドラム缶だから」といってはいけない。放射能の多くの半減期は「未来永劫の先」なのだ。そんな未来まで多湿の地中でドラム缶がどうなるのか?海水の中で鉄のドラム缶がどうなるのか?放射性廃棄物の廃棄手順ひとつを取ってもこのとおり。現在の廃棄手順にはプラントや廃棄物の本当の廃棄コストが算出不能なために発電コストの減価にキチンと算入されていないとの認識が必要だ。

次に今回の福島第一原発の一件でわかったように、原発はスイッチを切ったからと言ってスッキリ止まってくれないからだ。

否、止めるという操作を開始しても、制御棒が正しく挿入されたとか、その後冷却が継続できるとか色々な条件が揃わないと原子炉は動き続ける。つまり暴走する。日本の電力会社が深夜電力の利用を積極的に推進していたころ「原発の出力調整が容易でないので、ずっと一定の電力を発電し続ける。そのため夜間に電力が余るので夜間電力の需要促進をする必要がある。」という説明が「何で深夜電力がそんなに日中の電力より安いのか」という消費者の疑問に対する説明として用いられてきたが、これはまさに「スイッチを切ったからといってスッキリ止まってくれない」ことを電力会社自身が認めている証左だ。「色々な条件」に燃料棒を抜いてからもその燃料棒をプールに移し、プールに冷たい水を注ぎ続け冷まし続けないと燃料棒が勝手に発熱をし始める、なんていうこともあるなどということは今回私を含めて初めて知った人が多いのではなかろうか。

最後に原発からの放射能漏れはどうやっても防ぎようがないという点だ。

この問題は最初に指摘したコストの問題ともからんでくる。従い、どこかで「許容できる範囲の漏れ」の線を引かないとならなくなる。しかし漏れるものが放射線で前述のとおり「その半減期が一部を除けば、人間の寿命から言えばほとんど未来永劫だ」ということに着目しなければならない。微量の漏出であってもチリも積もれば山になる。現在設定されている「許容できる」のレベル設定に多分に恣意性を感じるのは私だけだろうか?

そうはいっても、今すぐ日本の原発を全部止めてしまうということはなかなかできない。ボイジーに行く飛行機の中で会った原研の技師のいうように原発は「日本の電力供給の中でなくてはならない存在になっている」からだ。

私は計画的に日本の原発はすべて閉鎖してゆくべきだと思っているが、閉鎖計画立案にあたってはキッチリ代替すべき発電プラントの建設計画や、その発電プラントで利用する技術の開発に関する計画の策定が必要だ。

代替案としては比較的早めに(と言っても決めてから数年かかるが)投入できるのが天然ガス発電だ。ただしこれは低炭素社会実現の方向には反する。従い当面の対策にしかならない。低炭素社会実現には原発のようなエセ代替エネルギーではなく、太陽光発電や風力発電のような真の代替エネルギー開発を志向する必要がある。

しかし日本のように冬があって、雨もよく降る国で太陽光発電は効率が悪い。風力発電も日本のように夏(つまり電気の需要期)に風が凪ぐ地方が多い国ではあまり有効ではない。風が凪ぐ夏の後には風力発電の運転を止めねばならない台風シーズンが到来するからいっそう始末にこまる。

私に考えられる有効な手段は地熱発電と潮力発電だ。波力発電もありうるが、こちらを推進すると、恐らく海岸線のかなり大きな部分を発電設備建設にとられることになるので、景観という視点から言ってあまり勧められない。

このような私の立場からすると、これから日本の為政者に求められるのは

原発開発や原発建設に回す予定にしていた予算は、効果的なプラントと放射性廃棄物の廃棄手段の確定にのみ集中させ、後は石炭、石油、天然ガス発電プラントの効率化、及び地熱、潮力発電技術の開発に集中させるべきだ

ということになる。

追記: 低炭素社会に関する私の考えを書いておく

今現在低炭素社会実現に関する世界的な取り決めは存在しない。それに最も近い存在である京都議定書には、世界第一と第二の温室効果ガス発生国であるアメリカと中国が参加していないという重大な欠陥がある。

アメリカは地球温暖化問題については国論が割れており、今の民主党政権は温室効果ガス発生を抑止することに「前向き」だが、共和党の支持層の多くはそもそも人為的な地球温暖化の存在を認めていないので、アメリカの温室効果ガス抑制に対する取組みはきわめて不安定であるとの認識が必要だ。

中国はこれからどんどん経済成長をしよう(つまりは温室効果ガスを発生させよう)という立場から、先進工業国に対してもっと積極的な温室効果ガス発生抑制を求めるべきとの考えなので、中国を納得させることは至難のわざと考えたほうがよい。

2009年にデンマークの首都コペンハーゲンで国連は京都議定書に代わる温室効果ガスの抑制・削減に関する議定書の締結を目指したが、前述の中国の立場に同調するインドをはじめとする他の発展途上国と、積極的に温室効果ガスの発生抑制を進めようとする日・欧・米間の合意が成立せず、結局法的拘束力のないコペンハーゲン合意Copenhagen Accordができたにとどまっている。つまり現在の世界では温室効果ガス発生抑制に関する包括的な合意が存在していない。

発展途上国の「もっと温室効果ガスが発生しても経済発展を遂げたい。そんなに温室効果ガスが問題ならこれまで温室効果ガスを出し続けて今日を築いた先進工業国が温室効果ガスの発生をもっと積極的に抑えるべきだ」という立場は発展途上国側の主張としては極めて妥当なものだ。

ただし、ひとつ認識しておくべきことは「発展途上国すべてが、否いまBRICSといってもてはやされている国々だけでも今の先進工業国のような生活水準を達成すれば、恐らく地球全土が焦土になるだろう」ということだ。つまり今の地球の環境を維持しようとすれば、

* 先進工業国に住むわれわれが、今の生活のレベルに比して極端なまでにエネルギー消費を抑える覚悟をするか、

* 今の地球上の不公平をある程度固定化するか、

というきわめて難しい選択をしなければならないということだ。





水のなるほどクイズ2010