東郷和彦著「歴史認識を問い直す」を読む2013/11/30 00:46

著者の東郷和彦は元外務省高官で、小泉政権時代政争に巻き込まれ数年の亡命生活を余儀なくされた経験を持つ。「今の日本で亡命とは?」という向きには、東郷の腹心であった佐藤優の出世作「国家の罠」の東郷に関する記述を読むことをお勧めしたい。

東郷は亡命生活中はオランダのライデン大学や米国のプリンストン大学で戦後日本外交史の研究・教育に携わり(ライデン大学から博士号を取得している)、その後は台湾の淡江大学や韓国のソウル大学でも教鞭をとるという経験をした結果、「国際経験豊富な実務家がその経験を熟成させ理論化し、国際的に活躍できる学者になった」という日本では稀有な存在だ。この著書はそのような東郷の10年以上の経験が凝集された一般向けの著作だが、国家主義者を自負する東郷が「左からの平和ボケ」と同時に「右からの平和ボケ」の存在を指摘し、そのいずれにも組みしない自分なりの地歩を固めたのがこの著作の真骨頂だ。

以下この著書に対する私のコメントを記す。

日中関係と日韓関係には日本が隠忍自重し不断の対話を通じてのみ解決を見出してゆく事が重要であるという東郷の指摘は私も非常に賛成だ。ただその際、我々日本人が予め覚悟しておく必要があるのは:

* 信頼醸成には相手の国内事情もあり、途方もなく長い時間が必要である、

* その途方もなく長い時間の間、日本という国として村山談話と河野談話が示した見解を維持
  し、それに基づき相手国に認められようと認められまいと行動するというmoral high ground
  (「倫理的な高み」とでも訳しておこう)に立つ姿勢を絶えず保つことが必要である、

ということだ。元伊藤忠会長で駐中国日本国大使でもあった丹羽宇一郎の言動などに比べると、東郷の著書ではこの部分に対する彼の覚悟がやや読み取りにくい。或いはここが国家主義者を自認する東郷の一つの限界なのかもしれない。

ただ、その長い時間の隠忍自重が続けられるのかどうか。

第二次世界大戦敗戦後一貫してナチ政権下での自分の姿を自己批判してきたドイツにおける近年のネオ・ナチ台頭や、中国や韓国のように政権維持のための材料にことさら戦前の日本の所業を批判する傾向のある国を隣国としてかかえていることを思うと、このような我慢をどこまで続けさせられるのか考えてしまう。

さて、日本の隠忍自重の方法だが、東郷は鈴木大拙の「日本的霊性」に着目し、これを日本の姿として示してゆくことを示唆している。やや唐突にこの日本的霊性がでてくるが、あれこれ東郷なりに苦悶した結果、東郷なりに得た解がこれであったということなのだろう。しかし鈴木の依拠する禅宗の考え方が、分析的な思考によらず個人的な直感に基づく悟りを説くものであるだけに、すべてが個人の体験にとどまってしまい、これでは世界の人の理解できる普遍性は持ち得ないのではないかと思う。私はむしろ、

* 前述のように村山談話や河野談話をたえず内外で再確認し、国内でそれに反対する言動は
  「言論の自由の抑制だ」と言われても厳正に処罰する(これはドイツがやっていることだ)、

  村山談話に対する国際的な評価については当ブログのエントリー「第二次世界大戦開戦70周年--なかなか許してくれない国」をご参照

* 民主主義、普遍的な人権といった欧米の先進工業国が共有する価値観を積極的に支持する
  (この部分日本の政治はいつも率先してこれを主張することがなく、いつも英米仏と言った
  国々の後追いなのは、やはり1947年に日本国憲法が施行されてから70年弱では民主主義
  や普遍的な人権になじんでいないからだろうか)、

* 英国が伝統的にカール・マルクスのような亡命者を受け入れて一定の監視をしながらも彼らを
  放し飼いにしてきているように、日本もまた亡命者や難民を積極的に受容すること。

  1973年に日本に亡命してきていた金大中をむざむざとKCIAに誘拐されるようなことは絶対あ
  ってはならない(ちなみに和彦の父親の文彦の著書「日米外交三十年」を読むと、当時外務
  審議官として韓国政府との事後処理交渉にあたっていた文彦が事件当初の韓国政府の対応
  にかなりの不満を持っていたことがわかる)。

とか言った一見バラバラな様々な行動をいろいろ取りながら、日本が真に第二次世界大戦における己の所業を反省し、民主国家として機能している姿を着実にかつ継続的に世界に対し示すことこそ世界の人々からの理解を勝ち得、それによって中国や韓国の態度もやがては動かすことにつながると考える。

ただ総論賛成各論反対。いろいろ前向きなことの積み重ねが必要であることの必要性には誰もが賛成だと思うが、具体的にどういう方向に向け何をするのかとなると、素朴ナショナリズムをくすぐる声高な右の平和ボケをした人々の言動の影響もあって、コンセンサスづくりにこれまた途方もない時間が必要となる。

そもそも橘玲の近著「(日本人)」が引用していた世界中の国の人の意識調査の結果を読むと、我々日本人はこのコンセンサスづくりすら出来ないのではないかと悲観的になる。

こうあきらめると、実務的な方策を積み上げながら社会の変化を待つしかないのではないかと思う。実務的な方策については既にこのブログのエントリー「故森嶋通夫の著作を読む--『小国日本の歩むべき道』再論 (2/2)」で詳述したのでそちらをご参照いただきたい。

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