量的金融緩和論の終り2016/12/15 13:09

 

イエール大学における浜田宏一については「浜田先生は日本から来た若い学者に対して非常に面倒見が良い」とか「浜田夫人がプライベートには浜田の言動について『あの人何を言ってるんでしょうね』といっている」とか言った噂話を彼の学者仲間からきいていた。ここに来て浜田が御用新聞日経のインタビュー記事で「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」(1115日)といったことが掲載されるに至って、アベノミクスのAつまりは金融緩和政策の部分を支えてきた人たちの間で、12/13の朝日新聞によればリフレ論者たちを失望させ、政府幹部や経済学者たちをあきれさせているそうだ。浜田は12/9発売の文藝春秋2017新年特別号で「『アベノミクス』私は考え直した」という文章を発表している。浜田が自分の言説に責任を持つ態度を示したことには敬意を表しておく。

 

もっとも私はこのブログで浜田のことを狸爺扱いにしているくらいなので、浜田の文章を読むため文春を買おうとまでは思っていない。しかし、丁度浜田の立場を批判的に解説した池田信夫の文章がウェブに出ているので、ここではそちらのリンクを掲載しておく。ちなみに日経は御用新聞の面目躍如で、今日現在浜田の転向についてのフォローアップ記事を掲載していない。

 

私はアベノミクスは確かに12年くらいは円安による輸出企業の収益改善により経済に上向きの効果をもたらしたと思う。しかしこれは低賃金のパート従業員の雇用の増大をもたらしたり、東京都心部など一部の地域での不動産価格の上昇をまねいたとしても、経済全体の持続的な好転につながるところまでは行っていない。浜田もこんなところが気になったのだろう。

 

ここでリフレ派第2波が出張ってくる。彼らの言い分は財政出動だ。

 

私はよく山梨県に行くことがある。ご承知の通り山梨県は山深いところだ。中央道を通って山梨県に行けば、八王子を出て上下線とも渋滞の原因のボトルネックとなる小仏トンネルを越えると相模川の渓谷沿いの河岸段丘上の都市上野原、大月と続き、やがて笹子トンネルを抜けてようやく甲府盆地に入る。甲府盆地に入ったあたりの勝沼から終わるあたりの双葉までは直線距離で20キロ程度しかない。その双葉からの上り勾配を越えれば長野県に入る。その甲府盆地から太平洋岸の静岡県側に向かう道がいくつかあるが、富士川沿いに静岡側に向かう国道52号を除けばどの道も何度もS字型にカーブしながら峠を昇り降りしている。いずれも東京の人間の目からすれば大した交通量ではない。そのなかでもかなりマイナーな峠越えの道が、村おこしでは結構歴史のある旧芦川村(現笛吹市芦川町)という人口が1,000人にも満たない寒村を通る県道36号だ。峠越えの道がなかった標高1,000mを超えるこの山里に、
2010年に山の向こうの河口湖町に抜ける長さ2,615mの若彦トンネルが供用開始された。何でこんなトンネルが必要なんでしょう?建前は「災害時の避難ルートや物資の運送ルートなど代替路線の増設として」というが

 

そもそもその芦川町に行く曲がりくねった県道自体が災害時には寸断される

 

ということを想定しているのだろうか?山梨県にはこれ以外にも「こんなところが??」といったところにピカピカの新しい道路ができているが、これは別に山梨県だけのことではあるまい。ボンボン財政出動しても、またこれが建設国債の資金を使っていて「年度別の償還予定額を示し、償還方法・償還期限を明らかにする償還計画表を国会に提出する」のだから「担保となる資産のない赤字国債特例国債とは違う」といっても、交通量も少なく収益を生みそうにもない道路では償還予定の計算等そもそも絵空事で、そのような建設プロジェクトのために発行された建設国債など赤字国債とその本質は変わらない。

 

私は

 

日本のようにインフラも整った先進国ではインフラ関係のお金は新たなインフラよりは既存インフラの保全の方に使い、政府のお金は国民の財布の向いた方向に使うべきだ

 

と考えている。国民の財布の向いた方向に一番向いやすい方法は国民一人ひとりの手に直接お金を渡すことだ。具体的にはbasic income policy(基本所得政策)を策定し、それに基づきすべての国民のポケットに最低限の所得が安定的に行き渡るようにすれば、自ずと国民の財布の向いた方向の産業で需要が発生し、実需に基づいた産業が育成されることになる。

 

基本所得政策には「国民が働かなくなる」とか「財源をどうするのか?」といった疑問を伴うことは事実だ。しかし「国民が働かなくなる」という疑問に対しては

 

そもそも日本の生活保護システムが生活保護が必要な世帯の半分にも届いていない欠陥システムだ

 

ということを指摘しておこう。個々の事例では「生活保護を受けている人が子供の分の生活保護費を使ってパチンコに明け暮れている」と言ったことがあるかもしれないが、そもそも生活保護を受けていない、又は様々な事情があって受けられない世帯の方が多いという、日本国憲法25条違反の実態を変えることが先決だ。

 

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
02 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

国民が使えるお金を持つようになれば、自ずと国民の財布が本当はどこに向いているのか見えてくるというものだ。

 

「財源をどうするのか?」という疑問に対しては学者から「乱暴な話だ」と言われるかもしれないが、

 

「建設国債と同じことだ」という発想転換を行えば良い。

 

建設国債で公共事業を増やす話も、つまるところ「(あまり収益見込みのない)建設工事を通じてあちこちにお金をバラ撒けばいずれ経済成長が起こる」という考えに基づいている。建設業者という仲介者にマージンを払って建設業という特定の事業にお金をバラ撒くという構図だ。それよりは広く国民に直接お金をバラ撒くほうが、ストレートにお金が届くだけ、本当に必要なところでお金が使われ、本当に必要なところに産業もおこり利益も出てくるので、持続的な経済成長につながろうと言うものだ。

 

ちなみにリフレ派の量的金融緩和論に至っては「金融緩和をすれば経済の先行きの見込み(つまりはムード)が好転して経済が成長する」というまさに、「風が吹けば桶屋が儲かる」に近い、神頼みのような話がその根拠であり、公共工事でお金をバラ撒く話より更に経済成長の起爆剤としては始末の悪いマユツバなものだ。

 

なんでそんな話に日本のみならず世界の政治家がのせられてしまい、
Quantitative Easing (量的金融緩和)に狂奔することになったのか?

 

後世の経済史家や経済学説史家はこれにどのような評価をするのだろうか?

 

このような政策で積み上がった政府債務をどうするのか?

 

後世の経済学者には大きな課題が残されている。

 


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