Paying it Forward(邦題 ペイ・フォワード 可能の王国) 追補2015/09/16 09:54

9月9日にこの題でヨーローッパに流れ込む難民について書いた。難民問題は決してヨーロッパだけの問題ではなく、日本も直面しうる問題であり、例えば朝鮮半島有事の際、

まがりなりにも難民を積極的に受け入れ、ペイ・フォワードして功徳を積むか、国内の治安に対する考慮を優先させて、難民船を押し返したり、韓国に「経済援助をちょっとするから、そちらで全員受け入れてほしい」という対応をするか?

世界の大勢が「先進国は多少の混乱があっても難民を受け入れる」方向に進んでいる状況下で、後者の対応をしたらまさに国の品格が問われることになることを十分認識して、今から心構えだけでもしておくことが必要だ。

と結んだ。

今朝のダイヤモンド・オンラインに元外務審議官(政策担当)の田中均が「欧州の難民・移民問題は日本にも他人事ではない」との題で、最近のヨーロッパの政治情勢と絡めて話を進め、私と同趣旨の

政治指導者が国民に対し、排外主義が国益には沿わないものであることを説得し、見識のある政策を実現していくことは、先進民主主義国共通の課題となっていると言えるのではないだろうか。

という結論で結んだ文を発表している。

安倍晋三首相の田中均に対する評価からいって、安倍政権がこの考えに耳を貸すことはほぼないと思われるが、そのような展開になると日本はまたpay forwardして功徳を積む機会を逃すことになるだろう。田中の論に興味のある方は以下のリンクで参照されたい。

http://diamond.jp/articles/-/78582

Paying it Forward(邦題 ペイ・フォワード 可能の王国)2015/09/09 15:02

「ペイ・フォワード 可能の王国」という2001年に日本で公開された映画を覚えておられるだろうか?主人公の少年が「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら何をする?」という学校の宿題に対して「自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡す」という回答を出し、それを実践するプロセスを描いたものだ。[ここの記述は私の記憶を補足するためウィキペディアのエントリーに頼った。尚、ウィキペディアのリンクがうまく貼りつかないので、関心のある方はウィキペディアで「ペイ・フォワード」を検索してほしい]

主人公は校内暴力で殺されてしまうが、彼の実践した善行の輪は彼の知らないうちにどんどん広がって行く、という希望をもたせる形で映画は終る。

この夏クローズアップされた地中海を渡海する難民の流れが、前線のイタリアやギリシャから、英仏海峡をまたぐ鉄路がひかれているChannel Tunnel(海峡トンネル)のフランス側やギリシャと地続きのマケドニア、そのマケドニアから鉄路や道路を伝ってセルビア、ハンガリー、オーストリー、ドイツ、そしてさらに北のデンマークやスウェーデンに流れ込んでいる。まだ自国の経済が成長期にある東欧諸国は難民の受け入れに消極的で、イギリスを除く西欧諸国はおおむね難民受け入れに対して前向きな姿勢を示している。

この夏ギリシャやイタリアに到着(というか漂着に近い)した難民をインタービューするテレビやインターネットの映像を見ていて、気がついたことはそれなりに身なりの良い英語の上手な難民が多かったことだ。国外脱出を手伝う密航組織にそれなりにお金を積むだけの財力のある人たちがヨーロッパ本土にたどり着いているということだろう。シリアやリビアの、教育を受けたそれなりに裕福な層が、全てを捨てて命からがら渡海してきているのだ。ここまでシリアやリビアの国内状況が悪化しているのだ。

そしてここ数日の映像。決して裕福とは思えないドイツ人やオーストリー人のボランティアが自分の車でハンガリーまで出かけて行き(映っているクルマにBMWやベンツがなかった!)、オーストリーとの国境でひっかかっている難民を乗せてドイツまで運んだり、ミュンヘン中央駅に到着する難民を乗せた列車を市民のボランティアが待ち受けていて、水や食料や衣料を配り、政府は政府で難民の受け入れ体制を急遽整備している。このドイツ政府や国民の対応に対しては世界から賞賛の声が寄せられている。まさにペイ・フォワードの状態だ。ドイツに対する評価はここ数日で急上昇している。

メルケル首相によればドイツには今年80万人の難民が到着することになるだろうという。ドイツの人口は約8000万人なので、なんと人口の1%だ。年内に100万人に到達するという予測もある。欧州委員会はEUとしての今年の難民受け入れ枠を16万人にすることを検討しているが、到底そのような数ではまかないきれないくらいの難民がヨーロッパに押し寄せているのだ。

しかし、例えば受入枠が4,600人のルーマニアや1,600人のブルガリアに割り当てられた難民がそのままルーマニアやブルガリアに留まるだろうか?難民は別に生活保護を受けるためにヨーロッパにわたってきているのではない。自分の国でそれなりに生活ができていた人たちが身の危険を感じて脱出してきているのだ。一時の生活保護は必要としても、なるべく早く以前の生活のレベルに戻るため彼らはあらゆる努力をするだろう。それには経済的に成功する機会が多そうなところに行くのがてっとり早い。だから彼らはドイツやイギリスに向かおうとするのだ。

そのドイツの国民の考えだが、今年2月の調査では国民の71%がEU外からの移民受け入れに対して否定的だった。ただ、移民と難民は違う。4/25にドイツの公共放送ARDが行った調査によれば国民の50%がもっと難民を受け入れることに賛成で
44%が反対だった。難民受け入れについてのドイツの国論は割れている。

自発的に難民ピックアップのためハンガリーまで自分の車を飛ばして行ったり、ミュンヘン駅で難民の乗った列車を出迎えた善意の人たちがいる反面、難民の収容施設に対する放火などをする輩が出始めている。ドイツでは2012年から通算12の難民収容施設が放火にあっており、そのペースは増えている。せっかくペイ・フォワードしても、これでは積んだ功徳が消されてしまう。

冷静に考えてみよう。恐らくヨーロッパでは今後一時の熱がさめる現象が起き、難民を受け入れようという動きがだんだん沈静化してきて、政府も到着した人々の難民認定をヨリ厳重にする方向で動くだろう。しかしシリアやイラクの周辺国には数百万人の難民が生活している。彼らは密航業者に多額の金を払えない人々だと考えてよいが、彼らの一部もまた機会を見てヨーロッパへの脱出を考えるだろうと見るべきだ。
このようにしてみると、現在ヨーロッパに押し寄せている難民の波は一時的なものと考えるべきではない。中東情勢の混乱が継続する限り難民の流れが留まることはないと考えたほうが良い。そのような状況下でヨーロッパは紆余曲折を経ながらも、徐々に中東系を中心とする新難民をその社会に受け入れた新たな社会の均衡を模索せざるを得ないだろう。

さて、これを日本に置き換えて考えてみよう。北朝鮮の金正恩政権に対して例えば強力な反政府運動がおきたらどうなるだろう?無論その結果北朝鮮国内は大混乱になり、多数の難民が中国と韓国に向かうことになるだろう。しかし一部の難民が日本海に船を出し日本に向かうことは十分予想される。日本の領海に難民船団が迫ってきたら海上保安庁の巡視船はどう動くのか?或いは中国が大半の難民の受け入れを拒否したり、韓国が一部の難民受け入れの肩代わりを日本に依頼してきたら?この時まがりなりにも難民を積極的に受け入れ、ペイ・フォワードして功徳を積むか、国内の治安に対する考慮を優先させて、難民船を押し返したり、韓国に「経済援助をちょっとするから、そちらで全員受け入れてほしい」という対応をするか? 

世界の大勢が「先進国は多少の混乱があっても難民を受け入れる」方向に進んでいる状況下で、後者の対応をしたらまさに国の品格が問われることになることを十分認識して、今から心構えだけでもしておくことが必要だ。

終戦記念日を迎えるにあたり: テレビ番組「刑事フォイル」(原題Foyle's War)2015/08/14 16:41

ケーブルテレビにミステリーチャンネル別名AXNミステリーという自称日本唯一のミステリー専門チャンネルがある。「刑事コロンボ」のデジタルリマスター版をはじめ内外のミステリー番組を放映しているチャンネルだ。今話題のBBC(英国放送協会)製作のシャーロック・ホームズの現代版Sherlock(邦題「シャーロック」)も日本ではこのチャンネルで初めて放映された。私が最近はまっているのがこのチャンネルで放映されている英国の民間放送会社ITVが制作した標題の番組だ。

第二次世界大戦中のイギリス南岸の小都市Hastingsヘースティングスの田舎刑事フォイル[1]が戦時下に遭遇するさまざまな刑事事件に、可能な限り自己の良心に従って対処してゆくというのが大雑把な設定だ。戦時下で人員を減らされている警察組織の中でフォイルは、ノルウェーで片足を失う戦傷を負って復員し警察に復職した部下のMilnerミルナー刑事と二人で直接事件を追う[2]。原題のFoyle's War「フォイルの戦い」の意図するところは、フォイルが犯罪捜査の過程で遭遇する「戦時下」という制限に対する彼の良心に基づく戦いがこの番組の中心テーマだからだ。この番組のひとつのポイントは実際に起きた事件を題材にストーリーが構成されているという点で、これが単なるフィクションに基づくストーリーよりもはるかに深みというか重みをこの番組に与えていると思う。

2002年に放映開始したこの番組、本国では好評のため戦中編に続き戦後編が放映されており、フォイルが戦後の混乱期を経て冷戦期にMI5に転籍し国内の防諜活動に従事し、戦時中のように一見黒白がもっとはっきりしていた時代とは異なる新たな時代におけるフォイルの戦いが放映されている。英国では本年1月に最新エピソードが放映され、日本ではミステリーチャンネルで戦後編の放映が開始された。

私がこの番組を見ていて思うのは「同じ第二次世界大戦下の日本とどう違うのだろうか?」という点と「舞台が日本だったらどういうストーリーが構成できたのだろうか?」という点だ。

フォイルが追求した、物資の横流しや、消防団の火事場泥棒、兵士と駐屯地の娘の交流の結果、在留外国人によるスパイ行為、その反面としての在留外国人に対する不当な差別、といった問題やそれに類する事案は当然日本にもあったはずだ。物資の横流しについては戦時下のイギリスでは重労働刑が課せられ、火事場泥棒を行った消防団員は自動的に死刑が確定していた。日本の警察が検挙した闇屋はどういう処置を受けたのだろう?

番組では戦時下の英国には反ユダヤ主義で親ナチの人々がおり、彼等が非公式にではあるが集うことが可能であったとか、思想としての反戦主義が認められており、主義に基づく徴兵忌避が違法ではなかったとか、「日本はこうではなかったんだろうなぁ」と思わせるエピソードも紹介されている。

戦時下の日本の警察といえば、闇物資関連の捜査、思想犯やスパイなどの検挙などのような戦時体制の維持、つまりは「市民生活の統制」の部分はすぐ思い浮かぶが、例えば産業戦士ともてはやされる軍需工場の工員が女子挺身隊員を暴行したとか(尾崎士郎の「人生劇場」にチラッとこの話が出てくる)、羅災した建物や住宅からの火事場泥棒もあったはずだ。このような刑事事件にはどのように対処していたのだろう?

このエントリーを書こうとあれこれ戦時中の日本における刑事事件をインターネット上で探していたら、通称「ひかりごけ事件」に行き当たった。

厳冬の知床半島で難破した陸軍が徴用した漁船の船員が海岸に漂着して番屋にたどり着いたが、先に死亡した船員の肉を食べて命をつないだ当時29歳の船長が死体損壊罪で釧路地検に告発され釧路地裁で懲役1年の判決が言い渡された事件だ[3]。船長の生存が確認された当初、船長は「不死身の神兵」ともてはやされるが、やがて番屋の近辺にりんご箱に詰められた人骨が発見されるに及び、当局は不都合な事実を覆い隠すため報道管制や、裁判の非公開を決める。この事件は武田泰淳の小説「ひかりごけ」の題材となった [4]。

この一件を見る限り戦時中も日本の司法制度はそれなりに機能していたという印象を受ける。例えば場所や状況を多少加工したうえで「事件を非公開にして葬ろうとする軍部や検察のトップに対し、現場の刑事の日常を知る市民を通じ統制の網目を抜けて話が漏れ始め、当局者が地団駄を踏む」という形に話を組み立てれば立派に日本版の「刑事フォイル」になるのではなかろうか。8月15日の日本にとっての第二次世界大戦敗戦の日を迎えるにあたり、日本のテレビ局にはいたずらにバラエティー番組の製作に精を出すのではなく、自分の歴史をこのように角度を変えた形で見つめなおすような番組の制作を期待したい。


註解

[1] 田舎刑事というとちょっと語弊がある。フォイルの職制はDetective Chief Superintendent(日本の警察の職制で言うと警視正、つまり署長あたり)で上司はロンドンにいるAssistant Commissioner(日本の警察の職制で言うと警視長、つまり本部長)だ。

[2] ミルナー刑事は戦時中のエピソードではSergentと呼ばれていたので、日本の職制で言うと巡査部長あたりだ。

[3] http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/kushiro/oshirase/18411200610100/16_syoukai_konnjaku05.html

[4] 極限時に人肉を食するという事態は大岡昇平「野火」を待つまでもなく、劣勢、総崩れに陥った日本軍では横行していた。また九州帝国大学では1945年に捕虜の生体解剖をこなっており、解剖後の体の人肉試食を行った可能性があり、これが遠藤周作の「海と毒薬」の題材となっている。

映画「レイルウェイ--運命の旅路」を見た2014/04/26 18:43

1957年に日本で公開された「戦場にかける橋」(原題 The Bridge on the River Kwai)は主題曲
「クワイ河マーチ」と共に当時の日本では結構なヒットになった映画だ。確かに当時も「あの映画を見ていて気分の良いものではない」という日本人がいたことは事実だが、第二次世界大戦後12年を経過した日本ではまだ戦前戦中の記憶を鮮明にもつ人々が多数存在し、彼らに自省を伴う一定の共感を持たせるものがあったからこそ、あの映画がそれなりのヒットになったのだと考える。

しかし戦前戦中の記憶が希薄化している現在、同じくクワイ河収容所を扱った「クワイ河収容所の奇跡」(原題 To End All Wars、公開2001年、日本公開2002年)はさほどのヒットとはならず、この映画もさほどのヒットとはならないだろう。むしろ現在の日本では「日本軍はそんなことはしていない」とか「連合軍だってひどいことをしたからお互い様だ」という声のほうが声高に語られ、この映画の本当の価値が見失われるのではなかろうか。

それは残念なことだ。我々は日本軍がジュネーヴ協定に違反するような捕虜の虐待を行った事実は事実として認識する必要がある。悪いことは悪いことなのだ。しかしそれ以上に重要なことは「戦いとそれに巻き込まれる捕虜」がテーマであった「戦場にかける橋」とは異なり、「クワイ河
収容所の奇跡」にしても「レイルウェイ--運命の旅路」にしても「極限状況を経験していても人間は和解が可能である」という「恩讐を超えた和解の可能性」がテーマになっており、人間という存在に対する希望を持たせてくれることだ。それ故にこそこの両作品は「戦場にかける橋」を超える作品であると私は思う。

2002年の「クワイ河収容所の奇跡」から11年。捕虜を虐待をした側とされた側の和解を扱った「レイルウェイ--運命の旅路」は、虐待の事実を我々日本人の記憶から風化させないためにも、そして和解がありうるという希望を我々日本人に与えるためにも、多くの人に見て欲しい映画だ。

「レイルウェイ--運命の旅路」について4月25日付の朝日新聞では

第2次大戦下、日本軍の捕虜となり過酷な泰緬鉄道建設に従事させられた英国人将校が、深く心に負った傷を克服するまでを描く。「英国王のスピーチ」でアカデミー賞を獲得したコリン・ファースが、実話を基にした物語の主人公を熱演。妻役はニコール・キッドマン。戦後再会する日本人通訳を真田広之が演じる。(公開中)

と簡単な紹介が出ていたが、私が見る映画を決める際の頼りにしている金曜の日経新聞夕刊文化面では4月25日には「レイルウェイ--運命の旅路」の映画評が掲載されず、代わりにアメリカのMarvel社の漫画キャラを使った娯楽映画「キャプテン・アメリカ」と「アメイジング・スパイダーマン」の映画評が掲載されていた。来週金曜(5月2日)にも「レイルウェイ--運命の旅路」の映画評が掲載されなければ日経新聞には「ネットウヨシンパの新聞」という称号を賜ろう。

ところで「レイルウェイ--運命の旅路」で主人公が憲兵隊による拷問を受けるシーンで水攻め(英語ではwaterboarding)が使われている。この水攻めという手法、アルカイダの構成員あるいはシンパと目される容疑者に対してアメリカが盛んに採用しているものだ。最近の映画でいえばゼロ・ダーク・サーティ(原題もそのままZero Dark Thirty。2012年公開、日本公開は2013年)にもそのシーンが登場する。

アメリカがキューバに強要して1903年に締結した不平等条約に基づきキューバに建設されたグアンタナモ米軍基地には現在もアルカイダの構成員あるいはシンパと目される容疑者が収容されている。またアメリカはextraordinary renditionと称してアルカイダの構成員あるいはシンパと目される容疑者を世界各地の「親米国家」に送り込み、現地ではその国家で認められた手法に基づく尋問(つまりはアメリカでは実施できないレベルの拷問)が実施されている。このような経験をしたアルカイダの構成員あるいはシンパと目される容疑者が、果たして彼らを収容している相手と恩讐を超えた和解をするのだろうか?グアンタナモ基地内の収容施設が2002年に建設されてから10年以上経過し、大統領就任当初収容施設の閉鎖を言明していたオバマ大統領が未だにその実現ができないでいる現在、和解など無理だろうと推測せざるを得ない。

「レイルウェイ--運命の旅路」は角川シネマ有楽町でみたが、「和解はどのような状況下で実現するのだろうか」ということに思いをはせながら有楽町のビックカメラの喧騒を通って帰途についた。

英語は難しい--「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」再々々訪2013/04/20 02:13

このブログで「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」(原題Those Foolish Thingsが映画のヒットの結果だろう、映画にあわせてThe Best Exotic Marigold Hotel に改題されている)の著者
Deborah Moggachをカタカナで「デボラ・モガッチ」と書いた。
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2013/04/12/6775075

ところがハヤカワ文庫が発行している翻訳本(映画の日本封切りにあわせて発行されており、邦題は映画と同じ「マリゴールド・ホテルで会いましょう」)では著者名を「デボラ・モガー」と記載している。ちなみにMoggachの小説Tulip Feverも邦題「チューリップ熱」で翻訳が白水社から出版されており、ここでも著者名はデボラ・モガーとなっている。

マズイ。だけど本当にモガーなんだろうか?

ところがこれがインターネットであちこち調べてもどうもハッキリしない。英国のウェブサイト
http://www.theanswerbank.co.uk/Arts-and-Literature/Question302703.html
でも「Moggachはどう発音するのか」という質問に対してあれこれ回答があり、元々スコットランドの部族名なのでchの部分を作曲家のBach(バッハ)のchのような感じでモガッハと発音するのだというあたりで落ち着いているくらいだ。ちなみに別なサイトではモガーだと書かれていたり、アメリカの新聞には「モガッシュと発音されるそうだ」と書かれていたり。

ヨーロッパのほとんどの言語は、その言語固有のルールを知っていればローマ字表記通りに読めばそれですむ。例えば南仏の都市Niceはフランス語でceを「ス」と発音するというルールを知っていればニースを読め、ナイスには絶対ならない。マルクスの生まれたフランス国境に近いドイツのTrier市はドイツ語でerを「アー」と発音することを知っていればトリアーと読める。ところが英語はルール通りに事が運ばないのでHerefordとかLeicesterなどという難読地名が出てくる(前者は「ヒヤフォード」ではなく「ヘレフォード」、後者は「ライセスター」ではなく「レスター」)。ひどいのは本来フランス語の名詞であるBeauchamp(フランス語ではeauを「オー」と発音し、chを「シ」と発音する決まりなのでボーシャン)という地名を「ビーチャム」とよませるケースだ。1960年台のイギリスのHome首相は「ホーム」首相ではなく「ヒューム」首相だ。このあたり難読の読みがはびこる日本語と似ている。英米同一地名の場合、Birminghamがイギリスではバーミンガム、アメリカではバーミングハムとか、Walthamがイギリスではウォルサム、アメリカではウォルトハムとアメリカのほうが綴りに忠実に発音される傾向にあるのは興味深い。

脱線したが、作家のDeborah Moggachには http://www.deborahmoggach.com/ というウェブサイトがあり、そこに連絡先のメールアドレスが記載されていたので、問い合わせのメールを出してみたがサイトから弾き返されてしまった。困った。

水のなるほどクイズ2010