不都合な真実--現代の中東情勢解題2015/01/16 07:56

昨年末のサウジアラビアによる石油増産宣言は国際石油相場の低下につながり、最近では世界の株式相場の混乱も招いている。この背景については、サウジアラビアが新興産油地域の芽を摘み自国のシェア維持のために値下げをしたという説明が一般的だ。しかしこれは表層的な解釈だ。サウジアラビアの行動を経済の尺度のみではかってはいけない。これは「祭政一致の国家が、宗教的な目的を持って政治的な動きをしている」と見るべきだ。従い

  最近イラク・シリアにおけるイスラム教スンニー派の教義を奉じるイスラム国勢力の台頭を
  受て、アメリカが急遽彼らと対抗するイスラム教シーア派を国教とするイランとの関係修
  復に動いている。これを快く思わない、元来イスラム国勢力と思想的にも心情的にも近い
  原理主義的なイスラム教スンニー派を国教とするサウジアラビアがアメリカやイランに対し
  て「原油の値下げ」 という牽制球を投げている。

と説明することのほうが真実に近い。

原油値下げは高い原油価格に支えられた直近のアメリカ経済好調の一因であるシェールガス開発の足元をすくう効果がある。しかしそれは同時に、人口が多く、民生安定のため石油収入への依存度が高いシーア派イスラム国家のイランの経済にも打撃を与える。人口が少なく、国富の備蓄も多いサウジアラビアは、そしてアラビア半島の湾岸諸国は、原油値下げというカードを切って中東における自分たちの宗教的な主導権の確保を図っているのだ。

1979年のイラン・イスラム革命以降の中東情勢のかなりの部分はこのようにイスラム教のスンニー派対シーア派間の抗争という図式で説明するべきだ。

イラン・イスラム革命以前であれば、イランのパハラヴィー皇帝とか、シリアのハーフェーズ・アサード大統領とか、エジプトのサダト大統領とかパレスチナ解放運動のアラファト議長と言った政治から宗教色を排除しようとする個人の独裁統治、アラブ・イスラエル関係、この地域に介入するアメリカとソ連の合従連衡とか確執いう図式を組み合わせて説明することが妥当性を持っていた。

イラン・イスラム革命以降これが「スンニー派対シーア派」という形で説明できる方向に動き始めたが、トルコの政権をイスラム教スンニー派を基盤とする政党が握ってからこの傾向が一層強まった。ある意味、分析をする際の構成要素が単純になったわけだ。

イラン・イスラム革命まで遡って説明しよう。

イラン・イスラム革命の結果イランは反イスラエルに転じ、イスラエルと国交断絶し、強硬な反イスラエル国家となった。イラン国内のユダヤ人には一応信教の自由が認められたが、彼らの行動は政権によって厳しく監視されることとなった。アメリカ大使館員監禁事件(1979~81)なども起こり、イラン・アメリカ関係は冷却した。これはアメリカの中東における友好国が基本的にはスンニー派イスラムを奉じる国だけとなったことを意味する。

イラン・イスラム革命の結果、イランはアラブ諸国に居住するシーア派系住民の扱いに強い関心を持ち始める。シーア派系住民はイランの隣国イラクと、イランとはペルシャ湾を挟んだ対岸の島国バハレーンでは人口の過半数。サウジアラビアの石油地帯である東部地域では人口の大きな割合(3割ともいう)を占めている。サウジアラビアはスンニー派イスラム教の中の特に原理主義的なワッハブ派の開祖と王家が血縁で結ばれることで出来上がった国だ。いきおいイラン・イスラム革命はサウジアラビアを始めとするアラビア半島湾岸諸国と、最近ではトルコのように共和制国家ではあるがスンニー派政党が政権を握る国々との間で緊張が走る結果となった。

1980年~88年のイラン・イラク戦争のお陰でイランの革命後の混乱は沈静化し、イスラム教シーア派聖職者による統治という現在のイランの政治体制が確立した。

国内が沈静化するとイランは中東の情勢に介入を始める。現在のレバノンの内政はシーア派住民の組織であるヘズボラも方程式に加えない動くことができなくなった。二次の湾岸戦争を経て現在のイラクはシーア派が政権中枢を握る国家となった。イラクとレバノンの間に横たわるシリアの政権はもともとシーア派に近いとされるイスラム教アラウィー派出身者が握っている。ここにイランは中東の真ん中にシーア派の楔を打つことにいったんは成功した。

サウジアラビアやアラビア半島の湾岸諸国は1962年に王制を排除したイエメンを除けば前述のようにスンニー派イスラム教徒の絶対王制の国家だ。特にサウジアラビアはスンニー派イスラム教の中の特に原理主義的なワッハブ派を国教として奉じる言論の自由も信教の自由もない絶対王制国家だ。未だに女性が自動車の運転はおろか一人で外出したりできない。そのような国に石油や天然ガスの販売収入がザラザラ流れ込んでいる。ザラザラ流れ込んだお金の使い道が原理主義的なイスラム教を奉じる政権に握られていれば、経済的な論理よりも宗教的な論理に先導され、自分たちの信仰のおもむくところにお金をばらまくことになる。政府が表立って資金供給をしなくても国内の金持ちが喜捨の一環としてイスラム教スンニー派の勢力拡大のために資金供給を行う。ニューヨークの世界貿易センターに攻撃を加えて一躍その名を馳せたオサマ・ビン・ラーデンを生んだビン・ラーデン一族はそのようなサウジアラビアの金持ちの典型的な例だ。社会主義政権が握っていたアフガニスタンの政権転覆にお金が流れ、イスラム教徒が人口の過半を占めるジャム・カシミール州を「不法占拠している」インドに対抗するパキスタンに流れる。

現在のシリア情勢の混乱もスンニー派イスラム教を奉じるトルコとサウジアラビアをはじめとするアラビア半島湾岸諸国による、親イラン政権であるシリアのアサード政権に対抗する勢力への援助がなくしては存在できない(そのようなシリア情勢について、このブログではこれまで2回取り上げてきた)。アサード政権転覆を図るためにシリア国内のスンニー派イスラム教徒を扇動し、その動きの一部が先鋭化し原理主義的なイスラム教を奉じる「イスラム国」という鬼っ子が生まれてきて、アサード政権転覆を先導していた側があわてているというのが現在の構図だ。

このように現在の中東情勢の大きな部分は「宗教的情熱に支えられた国家間の対立」という形で説明できる。イスラム教にはキリスト教世界における宗教改革のような、世俗と信教の分離をはかる動きが出てきていない。民意である宗教的情熱が、民主化をすればそれがそのまま国の政策として表に出る。このような状況で現在の中東の混乱に対する解があるのか絶望的にならざるを得ない。

「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」再々訪2013/04/12 11:26

映画The Best Exotic Marigold Hotel(邦題「マリーゴールドホテルへようこそ」)の底本となったデボラ・モガッチDeborah Moggach 著These Foolish Thingsを読んだ。

両者の差や類似している部分を語ることで、映画製作者の目と小説家の目との違いを浮き彫りにしてみたい。

映画はインドの首都デリーから約300キロのジャイプールで撮影されているが、小説はデリーから1700キロ南にある近年インドのITの中心地として名高いバンガロールが舞台だ。撮影場所をジャイプールにしたのは、名所旧跡に乏しく発展著しいバンガロールより、名所旧跡が多いジャイプールの方がエギゾチックな撮影効果が上がると撮影者側が判断したためかもしれない。

映画と小説の一番違う部分は、登場人物のインド人の多様さだ。小説にはイギリスに移住してイギリス人の女性と結婚したインド人医師ラヴィ、彼の従弟で「インドでのアレンジをすべてやるから」とラヴィをイギリス人用老人ホテルビジネスに引き込むソニーがメーンで、そしてソニーの勧めで自分のホテルを提供することを許諾するホテルオーナーのミノーが補助線として登場する。ラヴィとミノーを通じて「イギリス人側が皆それぞれ家庭や個人の問題を抱えているにしても、そして『インド人側にはそのような問題がない』と思っていても、インド人側も決してすべてが円満に行っているわけではない」ということが描かれる。

夫婦の倦怠期を迎えているラヴィ、あれこれ切り盛りしすぎて失敗するソニー、出身階層も民族も異なり価値観の異なる妻との不毛な結婚生活からの脱却を求めるミノーと、いずれもそれぞれの問題を抱えるインド側の中年が、これまたそれぞれがそれなりの問題を抱えるイギリスの老人たちを引受けるというのが小説の設定だ。

このあたりインド側が、若く夢ばかり多いホテルの支配人ソニーの家族との葛藤やラブロマンスと、イギリスの老判事が探し当てた昔日の恋人とのつかの間の逢瀬だけの映画とでは話のヒダに差がある。

映画でも小説でも登場する老プレーボーイのノーマンは、小説ではラヴィの義父だという設定になっている。小説のノーマンの方が映画のノーマンよりはるかに厄介な手のやける、ラヴィの神経にさわる存在だ。小説のノーマンはマリーゴールド・ホテルのイギリスの老夫人たちには一切興味を示さず、ピチピチしたギャルを求めてバンガロールの街をさまよう。結局彼はピチピチギャルに遭遇できず、最終的にはソニーの斡旋した男娼との遭遇の結果心臓発作で他界するというのが小説の設定だ(やはり老プレーボーイは頑張りすぎて死ぬんだ)。小説ではこのおかげでラヴィ夫婦の倦怠期が治るというオチがついている。

映画で他界する老判事は若いころジャイプールに住んでいて、その頃の思い出の糸を手繰って町をさまようが、小説に登場するのは子供のころバンガロールに住んでいたBBC放送の元女性解説者だ。小説ではマリーゴールド・ホテルの建物が彼女がその昔通っていた学校で、彼女はバンガロール中を自分が生まれ育った家を探しまわり、今は外国企業の支社になっているその建物を見つけ、当時の門番とも邂逅し、思い出を果たして他界する。

映画では一組の夫婦が別れ、妻の方は帰国し夫の方はホテルのイギリス人仲間の寡婦と結ばれるが、小説と映画で設定が符合しているのはこの部分くらいだ。映画は恋人と結ばれたソニーと恋人相乗りするオートバイが、スクーターに相乗りする老夫婦とすれ違うシーンで終わるが、小説では老夫婦の結婚式の写真を写真技師が若づくりに(インドのことなので結構ド派手に)タッチアップしているところで終わる。

小説の原題These Foolish Thingsは1936年に発表されたスタンダードジャズ曲で、ナット・キング・コール、ビング・クロスビー、サラ・ボーンといった大歌手に歌い継がれた有名ナンバーだ。小説の終りの方でクリスマスパーティーの席上ホテルの住人たちが一年を振り返りながら、この曲を歌いだすという形で登場する(この小説キンドルKindleで読んだので、こういった場面の検索がキーワードを入れるだけで可能なのが大変便利だ)。映画ではこの曲は流れていなかったと思う。

総じて言うと明るくかつ軽いタッチでインドのおんぼろホテルに住むことになったイギリスの高齢者の行動を描いた映画と違い、同じ設定の小説の方がはるかに陰影に富んだ内容だったという印象だ。確かに映画の方が万人受けする演出になっていると思うが、私はこの明るい映画も、もっと複雑なトーンで描かれた小説も、両方とも好きだ。

「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」再訪2013/02/03 12:27

http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2012/10/23/6610361
でこの映画について書いたが、2月1日にようやく本邦初公開となったこの映画を公開翌日に見てきた。公開翌日の2日の日比谷シャンテの17:35開映の部は大入りで、珍しく中高年の観客が目立った。日本では現在10館でしか公開されていないが、本当に面白くかつ考えさせる映画なので、世代を問わず皆さんにぜひ見ていただきたい映画だ。

映画を見て「アレッ」と思ったのが、映画の終わりの方で老プレーボーイが同年代の新しいガールフレンドとホテルの部屋で世帯染みた同棲を始めているシーンだ。たしか私が飛行機で見たバージョンでは彼は精魂使い果たして死んじゃったんじゃなかったっけ…(昨年10/23のブログで「老いらくのアバンチュールを求めてやってきた男性も精魂使いはたして他界する」って書いたじゃないか)

私の記憶力も大分頼りなくなってきたのか?それとも映画にその実バージョンが二つあったのか(DVDを買うとついてくる制作エピソードを見ると監督がいくつかエピソードを試しているのがわかるが、これもその類か)?と思ってちょっと調べてみたがどうやら前者のほうらしい。

ということで、映画を見に行ったひとつの結果が私の記憶力の減退の認識だった、というオチまでついた映画鑑賞だった。

The Best Exotic Marigold Hotel(マリーゴールド・ホテルで会いましょう)2012/10/23 13:53

今年の夏海外出張したら飛行機の中でこの英国映画を上映していた。この映画は東京国際映画祭招待作品となっており、邦題「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」として来春何と英国公開に遅れること約1年(!)で公開予定だ。ネタバレを承知で映画の内容を紹介するとこんな感じになる。

7人の英国人男女の高齢者が引退後の生活を送るためインドにやってくる。3人(未亡人と夫婦一組)は英国で老後の生活を維持するだけの所得がないために、1人(女性)は英国の国民健康保険では迅速な腰の手術が期待できないために、2人(男女)は老いらくのアバンチュールを求めて、そして1人(引退した判事で男性)は自分が幼少のみぎりに住んでいたインドで自分の初恋の相手(男性)の残影を求めて。

飛行機がデリー空港に延着し乗り継ぎ便を逃したため、一行はバスで滞在先Best Exotic
Marigold Hotel(素晴らしくエギゾチックなマリーゴールド・ホテルほどの意味)のあるジャイプールに向かう。英国で見たパンフレットとは裏腹に、ホテルはそこかしこに修繕が必要なオンボロだが、有り金をはたいてやってきた仲間もいる一行は移るわけにもゆかずホテルに滞在することになる。

所得不足の3人のうち未亡人の女性と、夫婦のうち夫の方はインドに対する興味津々で、最初は老判事の手引きで、そのうち自分たちだけであちこちへ出歩くようになる。そのうち未亡人の女性はコールセンターで英国人相手の電話の受答えの講師という定職を得る。

イギリスの病院で白人の医師の診療を受けたいといって大騒ぎしていた、腰の手術にやってきた老婦人は、インドの病院のレベルに半信半疑だったが術後の経過が良好であったので少しずつではあるが着実にインドになじんで行く。

初恋の男性との再会を果たした老判事は、相手が結婚しそれなりに幸せな日々を送っていることを知り安心し、ある日眠るように他界し、初恋の男性の手で荼毘に付される。

老いらくのアバンチュールを求めてやってきた男性も精魂使いはたして他界する。やがて所得不足の夫婦の妻は夫とコールセンターに勤めだした未亡人の関係を疑い、インドにもなじめずイギリスに帰国する。残った4人はそれぞれインドに自分たちの居場所を見つける。

外国人医師によって維持され、それでもコスト節減が追い付かず外国の病院に手術を外注する英国の国民健康保険の現状とか、インドに着けばついたで一行が乗るバスがエアコン付きでないバスだとか、地元の社交クラブに会員登録するとき自分たちの経歴を英国の王族だと言って詐称するとか、ホテルの支配人の若い男性が客の期待に応えようと心はこもっているがいささかトンチンカンなサービスに精を出す様とか、その支配人の兄がホテルを引き倒してビルを建設しようと母親を焚きつけているとか、細かい道具立てにインドを良く知る英国人の作った映画ならではの配慮が光る。

その道具立てを使って浮き彫りにされるのは、英国の国民健康保険制度の問題のみならず、英国も老人たちが自分の落ち着く先を求めていろいろ試行錯誤している姿だろう。そして現地社会に自分の足がかりを見つけうまく溶け込んだ人に未来があるように見えるところで映画が終わっているところが考えさせられる。

時間を数年後に設定してこの映画の後篇を作ったらどうなるのだろう?主人公たちは更に年をとり、体力も衰えているだろう。インド人は大家族制度のもとで皆が助け合って生きることで社会福祉の不足を補っている。裕福な大家族の係累であればよいが、裕福ではない大家族の場合結構シンドイことになる。そういうとき、インドにとりたてて係累のいない、イギリスから送金されてくる年金が頼りの4人のイギリス人はどうなるのだろう?新しい人間関係を結んでうまくやって行くのだろうか?結局インドになじめずイギリスに帰った女性の方がイギリスの福祉制度の恩恵にあずかって一見幸せな老後を送るのだろうか?年をとっても新しい人間関係を絶えず築いて行くのは結構シンドイなぁ。イギリス映画を見ているといつも同じベテラン俳優が危なげなく演技をしていて、次の世代が育っているのか心配になるなぁ。

そんなことを思いながら明かりを落として暗い機内で映画が終わってからの余韻を楽しんでいた。

原発から代替エネルギーへ2011/06/19 13:12

20年近く前の冬、当時はまだアメリカのド田舎だったアイダホ州に出張することがあった。今のアイダホ州は「ド」がとれて結構景気の良い田舎だ。たまたま搭乗した飛行機に中年の日本人の女性が乗っており、どういうわけか席が隣り合わせになった。聞けば州都ボイジーが目的地ではなくそこで飛行機を乗り換え、更に400キロ離れたアイダホ・フォールズに向かうという(アメリカの西部は人口希薄で距離が長いのだ)。「アイダホ・フォールズに何があるのですか?」と聞くと「原子力研究所があります」とのこと。このブログを書くためにグーグルで調べると、研究所の名前は
Idaho National Laboratoryアイダホ国立研究所と言い、連邦政府エネルギー省傘下の全米有数の原子力研究所だ。アイダホ・フォールズ市の唯一の姉妹都市は茨城県東海村だ。女性は東海村の日本原子力研究所(当時、現日本原子力開発機構)に勤める技師だという。

「福島第一・第二原発は廃炉、周辺は立ち入り禁止区域とすべきだ」 を読むと感じられると思うが私は原子力発電には反対だ。当時もそうだった。「申し訳ありませんが私はどうしても原子力発電には賛成しかねるんです」と言うと彼女に「でも原子力は今や日本の電力供給の中でなくてはならない存在になっているんですよ」とていねいに諭された。

1、2年前だったと思う。ヨーロッパにおける排出権取引に関するセミナーに参加した。今をときめくアレバArevaの国フランスからよりは確かイギリスやドイツの講師が多かったと思う。壇上に立つ講師の多くが低炭素社会実現の切り札として原子力が重要であることを力説していた。セミナーの後の懇親会で講師をしていたイギリス人の弁護士に「私は原子力発電にはどうしても反対でねぇ」と話したら他の講師に私のことを「この人原子力に反対なんですってぇ」といって紹介しながら、「まだそんなことを言っているのか?」といった感じで自信を持ってThat position is not widely accepted in Europe now(今のヨーロッパではその考え方は余り支持されない)と言われた。その時点では確実に原子力発電は低炭素社会実現の切り札で、原発反対派は少数派だったのだ。

しかし5月29日ドイツのメルケル首相は「ハイテク工業国日本で起こったことは他人事ではない」とドイツの原子力発電所を2022年までに閉鎖することを決定した。昨年11月にメルケル首相は原子力発電所の運転を2035年まで継続することを発表しているので大転換だ。

大分前座が長くなったが私が原発に反対の理由を書こう。理由は非常に単純に三点にまとめられる。

まず第一に原発の発電コストが高いからだ。

原発の発電コストが一見安いのは、プラントの廃棄コストや廃棄物の処理コストをきちんと算入していないからだ。算入されない理由は廃棄や処理の手順がまだ確定していないからだ。「いやいやきちんと廃棄手順が存在しています」という反論があるかもしれない。しかし、現在主流の放射性廃棄物の廃棄方法はそれをドラム缶に入れて地中に埋めたりか海洋投棄したりすることだ。完全に中和するといったことができないからだ。「特殊なドラム缶だから」といってはいけない。放射能の多くの半減期は「未来永劫の先」なのだ。そんな未来まで多湿の地中でドラム缶がどうなるのか?海水の中で鉄のドラム缶がどうなるのか?放射性廃棄物の廃棄手順ひとつを取ってもこのとおり。現在の廃棄手順にはプラントや廃棄物の本当の廃棄コストが算出不能なために発電コストの減価にキチンと算入されていないとの認識が必要だ。

次に今回の福島第一原発の一件でわかったように、原発はスイッチを切ったからと言ってスッキリ止まってくれないからだ。

否、止めるという操作を開始しても、制御棒が正しく挿入されたとか、その後冷却が継続できるとか色々な条件が揃わないと原子炉は動き続ける。つまり暴走する。日本の電力会社が深夜電力の利用を積極的に推進していたころ「原発の出力調整が容易でないので、ずっと一定の電力を発電し続ける。そのため夜間に電力が余るので夜間電力の需要促進をする必要がある。」という説明が「何で深夜電力がそんなに日中の電力より安いのか」という消費者の疑問に対する説明として用いられてきたが、これはまさに「スイッチを切ったからといってスッキリ止まってくれない」ことを電力会社自身が認めている証左だ。「色々な条件」に燃料棒を抜いてからもその燃料棒をプールに移し、プールに冷たい水を注ぎ続け冷まし続けないと燃料棒が勝手に発熱をし始める、なんていうこともあるなどということは今回私を含めて初めて知った人が多いのではなかろうか。

最後に原発からの放射能漏れはどうやっても防ぎようがないという点だ。

この問題は最初に指摘したコストの問題ともからんでくる。従い、どこかで「許容できる範囲の漏れ」の線を引かないとならなくなる。しかし漏れるものが放射線で前述のとおり「その半減期が一部を除けば、人間の寿命から言えばほとんど未来永劫だ」ということに着目しなければならない。微量の漏出であってもチリも積もれば山になる。現在設定されている「許容できる」のレベル設定に多分に恣意性を感じるのは私だけだろうか?

そうはいっても、今すぐ日本の原発を全部止めてしまうということはなかなかできない。ボイジーに行く飛行機の中で会った原研の技師のいうように原発は「日本の電力供給の中でなくてはならない存在になっている」からだ。

私は計画的に日本の原発はすべて閉鎖してゆくべきだと思っているが、閉鎖計画立案にあたってはキッチリ代替すべき発電プラントの建設計画や、その発電プラントで利用する技術の開発に関する計画の策定が必要だ。

代替案としては比較的早めに(と言っても決めてから数年かかるが)投入できるのが天然ガス発電だ。ただしこれは低炭素社会実現の方向には反する。従い当面の対策にしかならない。低炭素社会実現には原発のようなエセ代替エネルギーではなく、太陽光発電や風力発電のような真の代替エネルギー開発を志向する必要がある。

しかし日本のように冬があって、雨もよく降る国で太陽光発電は効率が悪い。風力発電も日本のように夏(つまり電気の需要期)に風が凪ぐ地方が多い国ではあまり有効ではない。風が凪ぐ夏の後には風力発電の運転を止めねばならない台風シーズンが到来するからいっそう始末にこまる。

私に考えられる有効な手段は地熱発電と潮力発電だ。波力発電もありうるが、こちらを推進すると、恐らく海岸線のかなり大きな部分を発電設備建設にとられることになるので、景観という視点から言ってあまり勧められない。

このような私の立場からすると、これから日本の為政者に求められるのは

原発開発や原発建設に回す予定にしていた予算は、効果的なプラントと放射性廃棄物の廃棄手段の確定にのみ集中させ、後は石炭、石油、天然ガス発電プラントの効率化、及び地熱、潮力発電技術の開発に集中させるべきだ

ということになる。

追記: 低炭素社会に関する私の考えを書いておく

今現在低炭素社会実現に関する世界的な取り決めは存在しない。それに最も近い存在である京都議定書には、世界第一と第二の温室効果ガス発生国であるアメリカと中国が参加していないという重大な欠陥がある。

アメリカは地球温暖化問題については国論が割れており、今の民主党政権は温室効果ガス発生を抑止することに「前向き」だが、共和党の支持層の多くはそもそも人為的な地球温暖化の存在を認めていないので、アメリカの温室効果ガス抑制に対する取組みはきわめて不安定であるとの認識が必要だ。

中国はこれからどんどん経済成長をしよう(つまりは温室効果ガスを発生させよう)という立場から、先進工業国に対してもっと積極的な温室効果ガス発生抑制を求めるべきとの考えなので、中国を納得させることは至難のわざと考えたほうがよい。

2009年にデンマークの首都コペンハーゲンで国連は京都議定書に代わる温室効果ガスの抑制・削減に関する議定書の締結を目指したが、前述の中国の立場に同調するインドをはじめとする他の発展途上国と、積極的に温室効果ガスの発生抑制を進めようとする日・欧・米間の合意が成立せず、結局法的拘束力のないコペンハーゲン合意Copenhagen Accordができたにとどまっている。つまり現在の世界では温室効果ガス発生抑制に関する包括的な合意が存在していない。

発展途上国の「もっと温室効果ガスが発生しても経済発展を遂げたい。そんなに温室効果ガスが問題ならこれまで温室効果ガスを出し続けて今日を築いた先進工業国が温室効果ガスの発生をもっと積極的に抑えるべきだ」という立場は発展途上国側の主張としては極めて妥当なものだ。

ただし、ひとつ認識しておくべきことは「発展途上国すべてが、否いまBRICSといってもてはやされている国々だけでも今の先進工業国のような生活水準を達成すれば、恐らく地球全土が焦土になるだろう」ということだ。つまり今の地球の環境を維持しようとすれば、

* 先進工業国に住むわれわれが、今の生活のレベルに比して極端なまでにエネルギー消費を抑える覚悟をするか、

* 今の地球上の不公平をある程度固定化するか、

というきわめて難しい選択をしなければならないということだ。





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