タイの「赤シャツ」運動鎮圧に思う2010/05/24 22:44

知人にタイ情勢の推移について面白いブログがあるといわれた。タイ国内では有名な音楽家で、小説家でもあるSomtow Sucharitkulソムトウ のブログで、リンクは以下の通りだ:
http://www.somtow.org/

彼のウェブサイト
http://www.somtow.com/bio.html
に記載されている略歴を見ると、イギリスのエリート全寮制中等学校であるEton Collegeイートンを経てCambridge Universityケンブリッジ大学で学んだと書いてあるので、タイの現首相の
Abhisit Vejjajivaアピシット(アピシットはイートンをへてOxford Universityオックスフォード大学卒)と同じように、中、高、大とヨーロッパで教育を受けたタイのエリートだとわかる。そのソムトウの立場をまとめれば「赤シャツの人たちの求めていたものは正しい。しかしタイは民主化に向かって動いているので時間を貸してくれ」というところだと思う。

脱線するが5/11にイギリスの首相になったばかりのDavid Cameronキャメロンもアピシットと同じくEtonを経てオックスフォード大学卒だ。二人は年齢的にも近く(アピシットは1964年生まれ、キャメロンは1966年生まれ)、共に大学在学中の成績は極めて優秀であった証拠にfirst class
honours(1級。イギリスの大学は卒業時の成績に基づき、学位に1、2(1)、2(2)、合格という4段階のレベルがつく)というレベルで卒業している。

タイについて私は知見がない。従い以下に書くことはまったくのタイに関する素人の言説だという前提で読まれたい。

タイは東南アジアの優等生だという。取り立てて資源があるわけではないのに、勤勉な人々の努力と、たびたび軍政となりながらも政府が総じて開明的な政策をとり続けた結果、1997年のアジア危機で経済が苦境に陥るなどの挫折もあったが、徐々に国の経済が発展してきた。経済成長の過程でさまざまなアンバランスが生じたが(タイ東北部の開発が遅れているとか、’80年代の始め頃タイの国際電話回線が不足していたとか、公共交通機関が絶対的に不足している首都バンコックで交通渋滞がひどいとか言った逸話が思い出される)、それも克服して/あるいは克服しつつ今日にいたっている、というのが大方の評価ではなかろうか。

しかしそれだけでは何ゆえタイの政治がここ数年このように混乱していたのか?という疑問に答えられない。

ソムトウのブログを見ると一つの回答が得られる。Thaksin Shinawatraタクシンが首相であった時期(2001~2006年)、彼が利権を独り占めにしたことに既得権を持つ政治経済のエリート層が反発したというのだ。なるほど。その場合ソムトウが見落としていると思われる点は、タクシンが独り占めにした利権でかき集めた財を、ちょうど古の田中角栄元首相のように、自分にも残しはしたが貧しい人々の間にもばらまいたという点だ。そうでなければ貧しい人々の間であれほどのタクシン人気はおきない。

ソムトウも認めるように、「タイの政治はすべて腐敗している」のであれば、その腐敗の追及がタクシンや彼が追放されてからのタクシンのダミーに対して選択的に行われ、タクシン以前のエリート層に対してはほぼお咎めなしだったことは問題だ。このように国の法律が不公平にあてはめられなければ、タクシン政権下で恩恵を受けたいわゆる赤シャツ(タクシン派)の人々があそこまで反発し、事態がここまで混乱することはなかったはずだ。

「赤シャツの乱」は結局5/19に軍が目抜き通りのRajaprasongラジャプラソン街など赤シャツの人たちが占拠していた地域に侵攻し、首謀者がすべて政府側に投降する形で収束した。軍の侵攻直前には赤シャツ派の数は数千に過ぎず、赤シャツ派の運動も息切れしていたことは事実だ。しかし鎮圧が成功したからといって、すべてが日常に戻ると考えるべきではない。

戦前の日本のことを思い出してみよう。陸軍の若手将校によるクーデター未遂事件である1936年の二・二六事件が起きた基本的な原因は、20歳代の若手将校や兵士の姉や妹が食い扶持を減らすために村を離れ、場合によっては人買いの手によって苦界に身を落とさざるを得なかった、当時の日本の農村部の疲弊にある。二・二六事件は昭和天皇が一貫して「朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ」という態度を示したこともあって厳重に鎮圧されたが(この鎮圧ぶりは徹底しており、クーデターを首謀した将校に従っただけの一般兵士も所属の部隊に「消耗部隊」というレッテルを貼られ激戦地に送り込まれた)、農村部の疲弊に根ざすエネルギーがそのまま軍の中に宿り、そのエネルギーのはけ口を求めて日本は第二次世界大戦になだれこんで行ったことを忘れてはならない。

タイの北部や東北部の農村についても同じような条件が存在する。アピシットやソムトウのようなタイのエリートは首都バンコックの売春窟に娘を送り出さざるを得なかった貧しい農村部の人々の屈辱感をもっと自分のものとして認識すべきだと思う。またアビシットは身辺がきれいであるとされるが、彼の内閣は商務省副大臣に任用された「ソープランド」チェーンのオーナーである
Pornthiva Nakasaiポルンティワなどを始め、お世辞にも身辺がきれいな人々揃いとは言えない。彼らが新たに利権の分割のみを画策し、有効な社会融和策が矢継ぎ早に打ち出せなければ、民衆の不満が改善されず、「時間を貸す」ことは反乱の種が更に大きくなる結果をもたらすことになるだろう。

この結果「微笑みの国」タイでイラン型の、前政権関係者の大量処刑や弾圧を伴う革命が起きないことを切に願ってやまない。イラン革命が腐敗して行った展開を知っているものとしてその気持ちはなおさらだ。

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