今年の花見最大の収穫はこれ2017/04/14 12:36

これは実感がこもっていました
今年の花見最大の収穫でした



量的金融緩和論の終り(その2)2016/12/30 14:43


そこで「もっとも私はこのブログで浜田のことを狸爺扱いにしているくらいなので、浜田の文章を読むため文春を買おうとまでは思っていない」と書いたのだが、知人に「いくら爺さんが嫌いでもそれはないだろう」といわれ、近所の図書館で浜田の寄稿文「「『アベノミクス』私は考え直した」が掲載されている文春の2017新春特別号を読んでみた。単純に言って記事の内容は「金融政策が効かないので今度は財政政策だ」ということが平易な言葉で書かれているだけで、「そんなことを言われるためだったら、やはり立ち読みか図書館だな」と言うのが読後感だ。

ここでは浜田が転向するきっかけとなったプリンストン大学経済学科教授のChristopher A.
Sims クリストファー・シムズ が今年の8月25~27日に開催されたJackson Hole Economic
Policy Symposiumに提出したペーパーFiscal Policy, Monetary Policy and Central Bank
Independence「財政政策、金融政策及び中央銀行の独立性」
の解説をすることで、なんで浜田が転向することになったのかを考えてみたい。

尚、このJackson Hole Economic Policy Symposium ジャクソンホール経済政策シンポジウムは毎夏この時期にアメリカのFederal Reserve Bank of Kansas Cityカンサス市連銀が主催する世界中の金融政策関係者が集まる権威のあるシンポジウムで、日本からは今年黒田東彦日銀総裁とその部下である坂本哲也米州統括役が出席している。

シムズ論文は以下4点の問題意識に対する解答を出そうというものだ:

1.  現在の経済環境における中央銀行の独立性の意味と独立性の維持の方法
2.  中央銀行が規模の大きな貸借対照表B/Sを維持することの問題の有無
3.  米、欧、日において金融政策がインフレを目標値まで持ち上げられなかった理由
4.  このような環境下での赤字財政が金融政策の無力に対する効果を持ちうるのか

設問1に対しては、金融政策と財政政策は相互に関係するものなので独立性の維持のためには政策当局者にその事実の認識が必要だ、とのごくアタリマエのことが書いてある。

設問2に対しては、アッサリThey are not 「問題がある」と書いている。B/Sの拡大は中央銀行保有の有利子の金融資産の増加をもたらし、それが資産と負債それぞれのリスクのミスマッチを産むからだと言うのがその理由だ。これまたアタリマエのことだと思うのだが、もしこんなことで浜田がビックリしていたとすると、ずいぶんとぼけた爺さんだという気になる。むしろ、この部分については就任以来QQE(量的質的金融緩和)とかいってB/Sを積極的に拡大してきた黒田東彦がどんな顔をしてきいていたのか、或いはムキになって「そんなことはない、我が日銀では…」と食いついたのか知りたいところだ。

設問3に対しては、金利が"0"近辺にあるので通常の金融政策が効かないのは当たり前だと書いている。この部分は浜田にとってよほどショックだったのだろう。浜田は日経新聞のインタービューで「金利がゼロに近くては量的緩和は効かなくなるし、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシートを損ねる」といっている。金利を下げても、企業は投資ではなく借金返済に回してしまうので、金融機関のB/Sには貸せないお金が貯まるばかりだとリチャード・クーが10年近く前から指摘してきたことに今頃気がついているわけだ。

設問4に対して、シムズは財政政策はインフレが起きるようなものでなければならない、言い換えれば将来のインフレを利用して返済できる範囲のものでなければならない、と書いており、浜田も「そうだそうだ」という立場だが、「シムズさん(浜田さん)、そんなにうまく行きませんよ」というのが率直な私の印象だ。山梨県の山奥の寒村に大掛かりなトンネルを掘ることの経済効果などほとんど見込まれないのは自明だが、経済効果を産むか産まないかはやってみなければわからない財政支出も多々ある。「ただ歳出を増やすのではなく何に使うかは考えないといけない」というこれまたアタリマエな内容のことしか言えないのなら、「浜田先生そろそろ内閣官房参与なんていって日本政府のお金をもらうのはやめにしましょうよ」というのが率直な気持ちだ。

量的金融緩和論の終り2016/12/15 13:09

 

イエール大学における浜田宏一については「浜田先生は日本から来た若い学者に対して非常に面倒見が良い」とか「浜田夫人がプライベートには浜田の言動について『あの人何を言ってるんでしょうね』といっている」とか言った噂話を彼の学者仲間からきいていた。ここに来て浜田が御用新聞日経のインタビュー記事で「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」(1115日)といったことが掲載されるに至って、アベノミクスのAつまりは金融緩和政策の部分を支えてきた人たちの間で、12/13の朝日新聞によればリフレ論者たちを失望させ、政府幹部や経済学者たちをあきれさせているそうだ。浜田は12/9発売の文藝春秋2017新年特別号で「『アベノミクス』私は考え直した」という文章を発表している。浜田が自分の言説に責任を持つ態度を示したことには敬意を表しておく。

 

もっとも私はこのブログで浜田のことを狸爺扱いにしているくらいなので、浜田の文章を読むため文春を買おうとまでは思っていない。しかし、丁度浜田の立場を批判的に解説した池田信夫の文章がウェブに出ているので、ここではそちらのリンクを掲載しておく。ちなみに日経は御用新聞の面目躍如で、今日現在浜田の転向についてのフォローアップ記事を掲載していない。

 

私はアベノミクスは確かに12年くらいは円安による輸出企業の収益改善により経済に上向きの効果をもたらしたと思う。しかしこれは低賃金のパート従業員の雇用の増大をもたらしたり、東京都心部など一部の地域での不動産価格の上昇をまねいたとしても、経済全体の持続的な好転につながるところまでは行っていない。浜田もこんなところが気になったのだろう。

 

ここでリフレ派第2波が出張ってくる。彼らの言い分は財政出動だ。

 

私はよく山梨県に行くことがある。ご承知の通り山梨県は山深いところだ。中央道を通って山梨県に行けば、八王子を出て上下線とも渋滞の原因のボトルネックとなる小仏トンネルを越えると相模川の渓谷沿いの河岸段丘上の都市上野原、大月と続き、やがて笹子トンネルを抜けてようやく甲府盆地に入る。甲府盆地に入ったあたりの勝沼から終わるあたりの双葉までは直線距離で20キロ程度しかない。その双葉からの上り勾配を越えれば長野県に入る。その甲府盆地から太平洋岸の静岡県側に向かう道がいくつかあるが、富士川沿いに静岡側に向かう国道52号を除けばどの道も何度もS字型にカーブしながら峠を昇り降りしている。いずれも東京の人間の目からすれば大した交通量ではない。そのなかでもかなりマイナーな峠越えの道が、村おこしでは結構歴史のある旧芦川村(現笛吹市芦川町)という人口が1,000人にも満たない寒村を通る県道36号だ。峠越えの道がなかった標高1,000mを超えるこの山里に、
2010年に山の向こうの河口湖町に抜ける長さ2,615mの若彦トンネルが供用開始された。何でこんなトンネルが必要なんでしょう?建前は「災害時の避難ルートや物資の運送ルートなど代替路線の増設として」というが

 

そもそもその芦川町に行く曲がりくねった県道自体が災害時には寸断される

 

ということを想定しているのだろうか?山梨県にはこれ以外にも「こんなところが??」といったところにピカピカの新しい道路ができているが、これは別に山梨県だけのことではあるまい。ボンボン財政出動しても、またこれが建設国債の資金を使っていて「年度別の償還予定額を示し、償還方法・償還期限を明らかにする償還計画表を国会に提出する」のだから「担保となる資産のない赤字国債特例国債とは違う」といっても、交通量も少なく収益を生みそうにもない道路では償還予定の計算等そもそも絵空事で、そのような建設プロジェクトのために発行された建設国債など赤字国債とその本質は変わらない。

 

私は

 

日本のようにインフラも整った先進国ではインフラ関係のお金は新たなインフラよりは既存インフラの保全の方に使い、政府のお金は国民の財布の向いた方向に使うべきだ

 

と考えている。国民の財布の向いた方向に一番向いやすい方法は国民一人ひとりの手に直接お金を渡すことだ。具体的にはbasic income policy(基本所得政策)を策定し、それに基づきすべての国民のポケットに最低限の所得が安定的に行き渡るようにすれば、自ずと国民の財布の向いた方向の産業で需要が発生し、実需に基づいた産業が育成されることになる。

 

基本所得政策には「国民が働かなくなる」とか「財源をどうするのか?」といった疑問を伴うことは事実だ。しかし「国民が働かなくなる」という疑問に対しては

 

そもそも日本の生活保護システムが生活保護が必要な世帯の半分にも届いていない欠陥システムだ

 

ということを指摘しておこう。個々の事例では「生活保護を受けている人が子供の分の生活保護費を使ってパチンコに明け暮れている」と言ったことがあるかもしれないが、そもそも生活保護を受けていない、又は様々な事情があって受けられない世帯の方が多いという、日本国憲法25条違反の実態を変えることが先決だ。

 

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
02 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

国民が使えるお金を持つようになれば、自ずと国民の財布が本当はどこに向いているのか見えてくるというものだ。

 

「財源をどうするのか?」という疑問に対しては学者から「乱暴な話だ」と言われるかもしれないが、

 

「建設国債と同じことだ」という発想転換を行えば良い。

 

建設国債で公共事業を増やす話も、つまるところ「(あまり収益見込みのない)建設工事を通じてあちこちにお金をバラ撒けばいずれ経済成長が起こる」という考えに基づいている。建設業者という仲介者にマージンを払って建設業という特定の事業にお金をバラ撒くという構図だ。それよりは広く国民に直接お金をバラ撒くほうが、ストレートにお金が届くだけ、本当に必要なところでお金が使われ、本当に必要なところに産業もおこり利益も出てくるので、持続的な経済成長につながろうと言うものだ。

 

ちなみにリフレ派の量的金融緩和論に至っては「金融緩和をすれば経済の先行きの見込み(つまりはムード)が好転して経済が成長する」というまさに、「風が吹けば桶屋が儲かる」に近い、神頼みのような話がその根拠であり、公共工事でお金をバラ撒く話より更に経済成長の起爆剤としては始末の悪いマユツバなものだ。

 

なんでそんな話に日本のみならず世界の政治家がのせられてしまい、
Quantitative Easing (量的金融緩和)に狂奔することになったのか?

 

後世の経済史家や経済学説史家はこれにどのような評価をするのだろうか?

 

このような政策で積み上がった政府債務をどうするのか?

 

後世の経済学者には大きな課題が残されている。

 


日米株価を考える--日本経済新聞ってホントただの業界新聞2016/11/17 17:24

これまでこのブログで日経新聞の偏向報道についてあれこれ書いてきたが、11月17日付の日経新聞オンライン版に掲載された「日米の家計格差が拡大 原動力は『ボーグルの愚行』」という記事を読んで「ほんとこいつら救われない」という念を新たにした。

記事はインデックス投信の米国Vanguard社の訪問記第2弾で、いかに同社が苦心してインデックス投信に対する理解を米国に広げていったかというのが主内容だが、もう一つのポイントが下図に示す日米家計金融資産のグラフを見せて、

日米家計金融資産

  
    過去20年で米国の家計金融資産が3.1倍に伸びたのに対し日本は1.5倍。この取り返しが
  つかないほどの差は、株式や投信などの運用益の違いによって主にもたらされた。

と結論づけている部分だ。

日本の一般大衆は証券業界や、力づくで株価押上を画策する政府ヨイショの日経の提灯記事に踊らされるほど馬鹿ではない。以下は同じ期間の日経平均の推移を追ったグラフだ。

日経平均の推移

出典のBigCharts.comは世界の株価やその推移が見られる便利なアメリカのウェブサイトだ。

まるで鳴かず飛ばずですねぇ。

このグラフには出ていないが、忘れてならないことは日経平均が1989年12月29日に38,916円という未踏の高値をつけて以来その水準を一度たりとも回復したことがないことだ。

日経の記事にあるグラフが1995年末から始まっているので参考までに書いておくと、1995年
12月の終値はYahoo!ファイナンスによれば19,868.15円だ。そして2016年11月17日(つまり本日)の日経平均終値はそれより2,005.52円安の17,862.63円だ。

くり返すが日本の一般大衆は馬鹿ではない。11年たって1割以上減価しているボロ株を買って持ち続けるのに比べて、何らかの金利がつく元本保証の定期預金にしている方がほど投資効率が高いことをちゃんと理解している。金利が 0 に等しいと言ってもだ。

日本人の金融資産に株が少ないのは日本の大衆が妥当なリスクで妥当なリターンを得られる最高の投資が定期預金だという極めて合理的な判断して、そこにお金をおいておいたために他ならない。政府にあれこれ言われて値段が上がらないばかりか下がり気味の「リスク資産」を積み増しして元本を毀損している年金機構よりよほど冷静な投資判断をしているのが日本の一般大衆だ。

尚、参考までに同じ期間のアメリカの日経平均に相応するS&P 500指数の動きを見てみよう。

S&P 500指数

S&P 500指数は1995年末が$615.93、時差があるので2016年11月16日終値はとみると
$2,176.94。なんと3.53倍になっています!そりゃあアメリカの大衆が株や株式を組み入れた投信をかうわけですよ。

「利にさとい日本の一般大衆もドッと買いに回ってもおかしくない」といいたいところだが、為替リスクという問題がある。1995年12月31日の円ドルレートは103.35円だが、今日は109.24円。そんなには違わないとは言っても下図を見ればわかるとおり、その間120円を越える円安になってみたり、80円を切る円高になってみたりと結構乱高下している。賢明な日本の一般大衆としては「何が起きるかわからないから、やはり定期預金」となっても不思議はない。

円ドルレート推移

要はこの日経の記事は根拠もなく「いずれ上がるから株を買え」といっているだけで、証券会社が「株屋」と言われていた頃の証券営業マンが言っていたようなことを未だに記事として書いているだけなのだ。

こんな記事のために月間購読料4,509円払うのかと思うと腹立たしい限りだ。

ドナルド・トランプ大統領になったら2016/05/11 12:03

昨年6月に立候補表明した時は泡沫扱いだったドナルド・トランプがアメリカ共和党の大統領候補となることが確実視される状況になった。ということはトランプ大統領が誕生する可能性が高まったわけだ。

あらゆる大統領候補が大統領になってから、議会や官僚機構とのやり取りの過程で選挙戦中の発言内容を多かれ少なかれ修正する形で政策を策定し実施することになる。トランプの場合、そもそも彼の共和党内での支持基盤が無いに等しい状況だから、いくら共和党が議会の多数派を握っているからといって、政策の策定の過程では様々な妥協をすることになるのは確実だ。ただそうではあっても彼は一国の元首だ。ビジネスマンとしての彼のこれまでのキャリアや共和党大統領選を勝ち抜いてきた過程からいって、世論を自分の側につけ強引に議会や官僚機構を自分の考えに従属させるということをするような場面も出てくるだろう。

国内向けの政策はこんなものだろうが、議会との調整をそれほど必要としない外交政策ではアメリカと向き合う国々はトランプとストレートな形で対峙することになることを覚悟しなくてはならない。

トランプが大統領として何を他の国に行ってくるのかは「これまでのアメリカのやり方よりははるかに自国の利益にかたよった要求を突きつけてくる」という一般論以外は予測不能だ。ただひとつ確実に見通せるのは彼の交渉スタイルだ。

ビジネスマンとしての彼の事業モデルは少々の手金と限界いっぱいの借金をあわせ、大規模な不動産事業を展開するというものだ。資金提供者に対しては「家賃が平方フィート$4.70(坪約17,000円)のマンションでも、Trumpブランドをつければその1.5倍以上で貸せる」といった話を、持ち前の交渉力で押し通してカネを出させる。

トランプは自分の進めたプロジェクトが当初の目論見ほどの収益が上げられず、資金が回らなくなって債権者から様々な要求をつきつけられた経験を何度もしている。その都度トランプは事業の一部を売却したり、債権者から債務の軽減を勝ち取ったりすることで切り抜けている。債務軽減の際の手口は「俺がつぶれたらお前たちの財務諸表に相当の穴があくのはわかっているな」という債権者に対する脅迫と「俺がやっていればなんとか返済を継続できるから」という強弁だ。

景気の悪化局面では不動産デベロッパーと融資団との間では絶えずこのような緊張関係があるが、通常この種の話し合いは表立っては行われない。トランプの場合は「密室での協議よりも効果がある」と見れば、必要に応じて大声で「債権者の言うとおりにすれば、この美しい町並みがスラム化する」といったことを口にしたりして、テナントや近隣住民の自己保全意識を喚起して債権者に揺さぶりをかける事だろう。

彼の事業は絶えず過大な借金を抱えながら拡大してきたから、積み上がった借金を債権者に対する脅迫のネタにすることができる。往々にして債権者側がシンジケートを組んでいて足並みが揃わないとか、自分達の体面を保つことを重視するとか言った状況を「俺は失うものは何もない一匹狼だ」という立場を取る彼が逆手に取るわけだ。

これを例えば日本との外交交渉に当てはめてみよう。結論がある程度見えているだけ気が滅入る話しなのだが…

トランプがよく口にする「同盟国は米軍駐留経費を負担しろ」という議論。こちらが最終的に「そんなに言うならいつでも出て行ってもらっても良い」といいきる覚悟があれば彼とイーブンな交渉は成り立つ。しかし現実の日本側は様々な「弱み」を抱えていて到底トランプの脅しに対峙できる状態ではないと思われる。

先ず第一が、日本の国民が「自国の防衛をどうするのか」という点で「自分の国は自分の軍隊で守る」というところまで覚悟ができていない点だ。

「自分の軍隊だけで守るのはシンドイからアメリカ軍の力も借りる」というのが大方の日本人の考えだと思うが、そうであれば「自分の国は自分の軍隊だけで守る」コストとの比較で「どこまでアメリカ軍のコスト負担をしていれば計算があうのか」という分析を行ったうえでトランプと対峙しなければならない。しかしそのような計算が行われているのかどうか不明だ。「実は計算はあります」ということであっても、後述するようにどれだけしっかりした計算ができているのか甚だ疑問だし、政府がそのアヤフヤな計算結果すらそれをキチンと国民に対して提示してきたことはない。従い国民の方でも覚悟のしようがない。それに加えて、考えつくだけで:

※ 米軍駐留にかかる本当のコストは恐らく原子力発電の本当のコスト同様、政府自体が正確にこれを把握できないのではないか

※ 核持ち込みに関する密約問題が未だにウヤムヤにされている(これを掘り起こすと過去の自民党政権が行ってきた説明がすべて崩壊し、自民党にとって大ダメージになるからできない)

と言ったトランプにつけ入られる弱みがある。

私は隣に日本より遥かに経済規模の大きな中国のような国が存在している状況下で「自分の国は自分の軍隊で守る」という考えは危険だと思う。国の負担能力を越える軍備が経済を疲弊させ、国策を誤らせることは日本人が自分の近代史を通じて認識してきているはずだ。「世界最大の軍事大国アメリカが日本の後ろにいる」と中国が思っているおかげで、日本の軍事予算は無理な膨張をしないですんでいるのは事実だとの認識は必要だ。この部分は大方の日本人の皮膚感覚と同感だ。

一方アメリカ側も日本に基地をおくことでそれなりのメリットを享受していることもまた事実だ。

このアメリカ依存のコストとアメリカ側のメリットを正確に認識することがトランプ大統領と対峙するまでに済ませておく必要のある日本の政府と国民に課せられた宿題だが、果たしてそのようなことになるのだろうか?

頭が整理されていない混乱をトランプ大統領に読み取られ、その弱みにつけいられて過大なコスト負担を負わされることはぜひ避けたいところなのだが…

水のなるほどクイズ2010