Helen Thomas ヘレン・トーマス – アメリカにおける言論の自由の限界2010/06/10 00:03

ホワイトハウス担当になり大統領のブリーフィングを受けたり(といっても通常は毎週の主席報道官のブリーフィングを受ける形だが)大統領専用機に追随するプレス用の飛行機に乗り込んだりできるアメリカのジャーナリストはWhite House press corps といわれアメリカのジャーナリストの中の特権階級だ。テレビで大統領や主席報道官のブリーフィングを見ていると、記者が質問のため手を上げると、大統領や首席補佐官が彼らをAnnアンとかMikeマイクとかファーストネームで指名する場面に出くわす。

日本の記者クラブ制度は「報道をニュースソースから制限する制度だ」として海外の報道機関には評判が悪いが、日本の記者クラブ制度に一番近いのが、ホワイトハウス内に事務所を構えるこのWhite House press corps だろう。日本のジャーナリズムがWhite House press corps のことを「ホワイトハウス記者クラブ」という言い方をすることがあるのは、いつも記者クラブ批判をあびることと、White House press corps の特権的な地位に対するやっかみが加わった屈折した感情の表現だろう。

英文Wikipediaにも登場するWhite House press corps に属する報道機関の名前を見ていて面白いのは唯一の海外の報道機関メンバーがカタールのテレビ局Al Jazeera アル・ジャジーラのRob Reynolds であることだ。実はWhite House press corps には指定席がつい最近まで3つあり、
Rob Reynolds はCNN やCNBC のベテランジャーナリストとしてこの指定席のひとつを占めていた関係でアル・ジャジーラの名前が連なっているのだと思う。

さてその残りの二人だが、二人とも女性のベテランジャーナリストだ。一人はこの記事の題名になったHelen Thomas で彼女は6/7に90歳の誕生日まであと2ヶ月のところでイスラエルについてインタービューで語ったことを問題にされ、White House press corps から身を退いた。もう一人のTrude Feldman は1963~69年まで大統領であったリンドン・B・ジョンソンをインタービューしたということからその年齢の推定がつくが、現在White House press corps からは実質的に身を退いているようだ。

Helen Thomas ヘレン・トーマスは最近の舌禍事件を起こすまでは、記者会見が行なわれる部屋の最前列に彼女の名前入りの椅子がおいてあったくらいの有名人物だ。大統領や報道官に自分の信念に基づきしつこく食い下がるので有名だった彼女の舌禍事件とは5/27にホワイトハウスで開かれていたアメリカにおけるユダヤ人の歴史を記念するイベントに来ていたユダヤ教の僧であるDavid Nesenoff デービッド・ネセノフからイスラエルに関するコメントを求められ

<Tell them to get the hell out of Palestine... Remember, these people are occupied, and
it's their land.
"they should go home" to "Poland, Germany,... America and everywhere else”
いい加減で連中がパレスチナから出てゆくべきだと伝えてほしい…[パレスチナ人]は自分の土地なのにそれが占領されているのだ。[イスラエル人は]自分たちの出身地であるポーランドや、ドイツやアメリカや各地に戻るべきだ。>

と彼の構えるビデオに向かって語ったことがYou Tubeなどにのって報道されたことだ。「ユダヤ人がアラブ人の住む土地におしかけてイスラエルという国が建国された」というのは、初代のイスラエルの首相であるBen Gurion ベン・グリオンも認めていたように事実だ。彼が1956年に行なった発言を再現してみよう:

<Why should the Arabs make peace? If I was an Arab leader I would never make terms with
Israel. That is natural: we have taken their country
何でアラブが平和を探ることがあろう?私がアラブのリーダーであればイスラエルとの和平など考えないだろう。当たり前のことだ、我々は彼らの国を奪ったのだから>

その事実認識に基づいて、表現の仕方はともかく、パレスチナを去るべきだということを指摘すると言うことは至極当たり前のことだが、それをアメリカで言うには相当な覚悟が必要だ。

アメリカにはイスラエルに住んでいるのと同じくらいの数のユダヤ人が住んでおり、彼らの社会の各方面にわたる政治資金供給力を含む影響力のせいでアメリカはイスラエルの大支持国で、イスラエルの財政の大きな部分はアメリカからの軍事援助と、アメリカに住むユダヤ人からの送金でまかなわれていて、オマケにそのアメリカからの送金はアメリカの税法上経費処理ができる、という状態で、アメリカとイスラエルの関係は切っても切れない関係にある。

大学1年の英語の教材で使っていたイギリスの歴史家アーノルド・トインビー(1889~1975年)の文章に「本来第二次世界大戦の敗戦処理の一環としてドイツの一部をユダヤ人の国家として割譲させるべきであった」といった趣旨のものがあったが、この考え方は今回のトーマス発言と共通の底流からうまれている。ただこの種の見解は「アメリカは本来インディアンのものだったのだから、ヨーロッパを始めとする移民はすべて母国に帰るべきだ」というアメリカそのものを否定する立場にもつながる。

トーマスはこれら一番アメリカが敏感な部分に触ったのだ。

トーマスは自分の発言は不適切であったとの謝罪を発表したが、予想通り「発言が聞き捨てならないものと」してとらえられ大問題になり、各方面から批判され四面楚歌の状態になるに及んで彼女はWhite House press corps のメンバーを辞任した。オバマ大統領は彼女のこの辞任についてright decision 正しい選択であったとニュースショーで表明、同じ番組で彼女の発言を
offensive 侮辱的、 out of line 場違い(今様に言うとKYですかね)と形容した。

「89歳の老人のやったことだ」と情けをかけるのはよそう。彼女はWhite House press corps に名を連ねていたプロのジャーナリストだ。明らかに間違った場所で、間違った相手に、自分の信条であったとしてもアメリカでは公開の場で表明することが許されない意見を表明してしまったのだ。言論のプロとしての彼女にはアメリカの言論の自由には限界があることをわきまえた発言をすべきだったのだ。

もうひとつ指摘しておこう。もしアラブ諸国を筆頭とする世界の回教国が即座に彼女の発言を「実にもっともなことだ」といって彼女の支持に回った場合、そして彼女に対する圧力に抗議して1973年の第一次石油危機のときのように石油禁輸などの手段を講じた場合、恐らくアメリカ政府は事態の沈静化に向けて動き、彼女の謝罪は受け入れられ、彼女がWhite House press corps を辞める事態にはならなかっただろう。

高邁な理想を説いたとしても、アメリカの言論の自由はある部分では力のバランス次第でどちらにも転ぶものだということを理解しておこう。

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