二都物語 -- トロントとモントリオール ― 2010/06/24 20:40
仕事でカナダの主要都市であるトロントとモントリオールを訪問した。人口340万[註]のモントリオールは元々カナダの経済の中心であったが、1970年代から人口の過半を占めるフランス系住民の意向を反映してフランス語優先政策を徹底し始めてから産業が撤退をはじめ、現在は人口477万のトロントに大きく差をつけられている。1970年代中頃にアメリカのビジネススクールに留学していた際、寮の同じブロックに父親がモントリオールにある保険会社の重役をしているユダヤ系のカナダ人がいて、その頃から「オヤジが『仲間がモントリオールからどんどん事業を引き上げてトロントに移している』といっている」という話をしていたが、この間を事情を雄弁に物語っている。
[註] 以下人口値はすべてStatistics Canadaカナダ統計局のCensus 2006(国勢調査)の5歳以上の人口統計に準拠。
1997年の香港の返還前に、資金のある香港人は同じ英連邦のカナダに多数移住した。日本では多くの香港人の行く先が人口199万の西海岸のバンクーバーだと思われているが、その実、バンクーバーから東へ3400キロのトロントに住み着いた人のほうが多い。カナダ統計局の集計した移民のうちEastern Asia東アジア全体とSoutheast Asia東南アジアの半数を「中国系」と仮定すると、トロントの中国系住民の数は46.4万人で、35万人のバンクーバーより多い。5、6年前にトロントに行った際、中国系の友人に中国人用のショッピングモールに案内してもらったことがある。大きなビル全体がショッピングモールになっていて、中の店舗はほとんどが中国系、客もすべて東洋人で、「異民族」はガードマンの黒人だけ、週末ということもあって中はごった返しており独特の喧騒に満ちていた。「こんなショッピングモールがトロント市域で5箇所ほどある」といわれて驚いた記憶がある。
今回トロントに行って驚いたことは、たまたま到着した時間のせいもあるが、空港にインドの別々な航空会社の航空機(インドの空が国営のAir Indiaエア・インディアとIndian Airlinesインディアン航空の二社に独占されていたのはその昔の話だ)が二機駐機していたことだ。迎えに来てくれていた件の中国系の友人にそのことを言ったら「確かにインド人の数も増えている」といわれた。カナダ統計局の数字をみるとトロントのSouthern Asia南アジア系住民の数は41.3万人なので確かに中国系と拮抗する勢力だ。町をドライブしていても移民人口が232万人だけあって中国系を始めとする非白人が目立ち、「なるほどトロントは自分のモットーDiversity Our Strength『多様性こそわが力』を地で行っているな」と言う印象だった。
そのトロントから飛行機で東へ約1時間のモントリオール。ターミナルが3つあるトロント空港に比べターミナルは1つだし、新しい建物があっても私が最初に行った1976年にあった部分も残っていて供用されている。モントリオールのインフラは今では高級マンションとなったHabitatハビタットで有名な1967年の万博と、ルーマニアの女子体操選手ナディア・コマネッチが大活躍した1976年のオリンピックで整備されたが、その後町がさほど発展していない。空港から街中に行く高速道路の痛みが目立つし、地元の人間が「昔のニューヨークのシーンの撮影のために使われることが多い」ということからわかるとおり街中には余り新しいビルが見られない。高速道路について言うと、冬季に融雪のため食塩をまくにもかかわらず、ほとんどが鉄筋コンクリート造であるため中の鉄筋が錆び、それに沿ってコンクリートの表面にヒビが浮き出ているので結構剥落もあろうと思われる状態だ。日本に比べればずいぶんといろいろな民族が暮らしてはいるがトロントには及びもつかない。街中には「唐人街」と表記された部分はあるが中国系の数は7.3万人に過ぎない。そもそもモントリオールの人口における移民の数が74万人で、トロントには遠く及ばない。
しかし、モントリオールはジャズフェスティバルで有名だしサーカスに新境地を開いたCirque du
Soleilシルク・ドゥ・ソレイユを生んだ町でもある(シルク・ドゥ・ソレイユは日本にも進出しZEDという常設の劇場を運営している)。
http://www.zed.co.jp
カナダ国内ではモントリオールはトロントに経済の中心としての立場を譲ってからは、文化の中心としてその存在を知られているようだ。
モントリオールをたつ日曜の朝、空港に行くバスを待っていたらフランス語訛りで「$25(約2200円。本来の料金は$38)でどうだ」とタクシーの運転手に声をかけられて彼の車に乗った。
この二都の姿を見ていると「多種多様な人たちが集まるような環境を整えること即ち経済発展の条件である」という仮説が成り立つと思う。これに対してモントリオールの人たちは、「自分たちは経済発展ではなく文化を選んだ」と反論するのかもしれない。しかし多種多様な人たちも一定の経済発展をとげた後は「文化」を指向するのではなかろうか?そしてそのようなエネルギーが集中し始めたとき、果たしてモントリオールの「文化の優位性」はどうなるのだろう?フランス系カナダ人の文化としての特異性は残るとしても、それだけで多様性の中から生まれた文化に抗し得るのだろうか?
もっとも北米にはカナダの9倍の人口と11倍の経済規模を持つアメリカがあり、そこにはニューヨークのブロードウェイを始め、いくつも多様性の文化の華が存在している。多様性の文化は多様性の文化同士で競合することになり、カナダの多様性の文化はアメリカのそれの中に埋没してしまい、そのようなときに頑なにフランス系カナダ人としての独自性を主張するケベックの文化は存外その存在を主張しうる存在なのかもしれない。
そんなことを考える私を乗せたタクシーは小雨の降る中メーターは空車の状態のまま路面が不安定な高速道路の上をガタガタ走りながらモントリオール空港に向かった。
[註] 以下人口値はすべてStatistics Canadaカナダ統計局のCensus 2006(国勢調査)の5歳以上の人口統計に準拠。
1997年の香港の返還前に、資金のある香港人は同じ英連邦のカナダに多数移住した。日本では多くの香港人の行く先が人口199万の西海岸のバンクーバーだと思われているが、その実、バンクーバーから東へ3400キロのトロントに住み着いた人のほうが多い。カナダ統計局の集計した移民のうちEastern Asia東アジア全体とSoutheast Asia東南アジアの半数を「中国系」と仮定すると、トロントの中国系住民の数は46.4万人で、35万人のバンクーバーより多い。5、6年前にトロントに行った際、中国系の友人に中国人用のショッピングモールに案内してもらったことがある。大きなビル全体がショッピングモールになっていて、中の店舗はほとんどが中国系、客もすべて東洋人で、「異民族」はガードマンの黒人だけ、週末ということもあって中はごった返しており独特の喧騒に満ちていた。「こんなショッピングモールがトロント市域で5箇所ほどある」といわれて驚いた記憶がある。
今回トロントに行って驚いたことは、たまたま到着した時間のせいもあるが、空港にインドの別々な航空会社の航空機(インドの空が国営のAir Indiaエア・インディアとIndian Airlinesインディアン航空の二社に独占されていたのはその昔の話だ)が二機駐機していたことだ。迎えに来てくれていた件の中国系の友人にそのことを言ったら「確かにインド人の数も増えている」といわれた。カナダ統計局の数字をみるとトロントのSouthern Asia南アジア系住民の数は41.3万人なので確かに中国系と拮抗する勢力だ。町をドライブしていても移民人口が232万人だけあって中国系を始めとする非白人が目立ち、「なるほどトロントは自分のモットーDiversity Our Strength『多様性こそわが力』を地で行っているな」と言う印象だった。
そのトロントから飛行機で東へ約1時間のモントリオール。ターミナルが3つあるトロント空港に比べターミナルは1つだし、新しい建物があっても私が最初に行った1976年にあった部分も残っていて供用されている。モントリオールのインフラは今では高級マンションとなったHabitatハビタットで有名な1967年の万博と、ルーマニアの女子体操選手ナディア・コマネッチが大活躍した1976年のオリンピックで整備されたが、その後町がさほど発展していない。空港から街中に行く高速道路の痛みが目立つし、地元の人間が「昔のニューヨークのシーンの撮影のために使われることが多い」ということからわかるとおり街中には余り新しいビルが見られない。高速道路について言うと、冬季に融雪のため食塩をまくにもかかわらず、ほとんどが鉄筋コンクリート造であるため中の鉄筋が錆び、それに沿ってコンクリートの表面にヒビが浮き出ているので結構剥落もあろうと思われる状態だ。日本に比べればずいぶんといろいろな民族が暮らしてはいるがトロントには及びもつかない。街中には「唐人街」と表記された部分はあるが中国系の数は7.3万人に過ぎない。そもそもモントリオールの人口における移民の数が74万人で、トロントには遠く及ばない。
しかし、モントリオールはジャズフェスティバルで有名だしサーカスに新境地を開いたCirque du
Soleilシルク・ドゥ・ソレイユを生んだ町でもある(シルク・ドゥ・ソレイユは日本にも進出しZEDという常設の劇場を運営している)。
http://www.zed.co.jp
カナダ国内ではモントリオールはトロントに経済の中心としての立場を譲ってからは、文化の中心としてその存在を知られているようだ。
モントリオールをたつ日曜の朝、空港に行くバスを待っていたらフランス語訛りで「$25(約2200円。本来の料金は$38)でどうだ」とタクシーの運転手に声をかけられて彼の車に乗った。
この二都の姿を見ていると「多種多様な人たちが集まるような環境を整えること即ち経済発展の条件である」という仮説が成り立つと思う。これに対してモントリオールの人たちは、「自分たちは経済発展ではなく文化を選んだ」と反論するのかもしれない。しかし多種多様な人たちも一定の経済発展をとげた後は「文化」を指向するのではなかろうか?そしてそのようなエネルギーが集中し始めたとき、果たしてモントリオールの「文化の優位性」はどうなるのだろう?フランス系カナダ人の文化としての特異性は残るとしても、それだけで多様性の中から生まれた文化に抗し得るのだろうか?
もっとも北米にはカナダの9倍の人口と11倍の経済規模を持つアメリカがあり、そこにはニューヨークのブロードウェイを始め、いくつも多様性の文化の華が存在している。多様性の文化は多様性の文化同士で競合することになり、カナダの多様性の文化はアメリカのそれの中に埋没してしまい、そのようなときに頑なにフランス系カナダ人としての独自性を主張するケベックの文化は存外その存在を主張しうる存在なのかもしれない。
そんなことを考える私を乗せたタクシーは小雨の降る中メーターは空車の状態のまま路面が不安定な高速道路の上をガタガタ走りながらモントリオール空港に向かった。
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