「33年後のなんとなく、クリスタル」を読む ― 2015/03/01 19:28
[今日は取り上げた本のスタイルを使って脚注付きの文とします]
数度の引越でだんだん面積が少なくなってきた書棚[1]に、あえて整理の対象とせずに残してきた白いカバーのついた薄い本がある。ハードカバーなのに安い紙で印刷されていたと見え、紙は酸やけで茶色くなっている。奥付に「1981年1月20日初版発行、1981年5月13日66版発行」とあり、表紙の次のページは「1980.12.16 渋谷・代官山 photo by Yoshitomi Tachibana」とのキャプション付の著者の写真で、やや不遜な顔付きをした青年が写っている[2]。1981年のミリオンセラーには届かなかったがトップ3入りした当時の大ベストセラー「なんとなく、クリスタル」(以下「なんクリ」と略す)だ。
やや不遜な顔付きをした当時の田中康夫が、体重も増え、鼻にイボもでき、2011年3月2日施術の人工股関節全置換手術を始め多数の手術を経[3]、白髪を隠す為に美容院で染毛をするようになった今[4]「33年後のなんとなく、クリスタル」(以下「+33」と略す)という本を上梓した。
「なんクリ」は発売当時、登場人物のある種の大学生の心象風景をクダクダと文章で説明するのではなく、442の脚注にちりばめられたお店やブランドの説明でうきあがらせるという斬新な文学手法と、そこに登場する青山学院や成城に在籍すると思われる大学生の「クリスタルな」生き方の描写で爆発的なヒットとなり、大ベストセラーになった。版元の河出書房新社は数度の倒産と再建を繰り返す財務的な基盤が弱体な出版社であったので[5]、「なんクリ」のヒットは同社にとっては干天の慈雨のような存在だったはずだ。
さて「+33」だが、こちらは小説と銘打っているがその実「なんクリ」に登場する女性たちを中心に、「なんクリ」には登場しない著者の分身ヤスオを舞台回しにした評論と「なんクリ」発刊後の田中の行動の解説が合わさったような内容を私小説仕立てでまとめた本だ。ノンフィクションを「文体がしなやかで、難しいことを書いているのに小説的で読みやすく、作者の『感情』がちりばめられている[中略]小説を読むように読める読み物」[6]、つまり「感情という作者のフィクションの混じった読み物」と定義するなら、「+33」をノンフィクションに分類しても良いだろう。「なんクリ」の発刊当時、その登場人物を軽佻浮薄と断罪しながら読んだ人たち[7]には、長じた「+33」の登場人物達がそれなりにしっかりした考えを持ち、身の回りや社会のことを考えながら毎日を送っていることに意外感があるかもしれない。
「+33」の読後感はハッキリ言って「なんクリ」のようなスッキリ感がない。行間スペースや余白も大く、脚注や資料をいれてもスリムな191頁だった「なんクリ」に比べ、行間スペースもマージンもギッシリめになり、334頁にまでふくれあがった「+33」の厚さがそうさせるのかもしれないが、どうもそれだけではないと思う。
「スッキリ感がないのは時代背景のせい」という見方がかもしれない。「なんクリ」が出版されたのは丁度バブルの予兆がする明るい時代だが、「+33」は日本の先行きがはっきりしない今発行されているという時代背景を考えればそのような考えができるだろう。
しかしよく「なんクリ」を読めば、そこに描かれているのは明るいばかりの世界ではない。発刊当時あまり注目されなかった最後の2頁には厚生省(当時)の人口問題審議会「出生力動向に関する特別委員会報告」のデータが抜粋され、日本の老齢化やそれに伴う厚生年金保険料の増額の予想が示されている。当時の田中は「なんクリ」の明るい世界が長続きしないことをその2頁で暗示していたわけだ。その明るくない、「出口なし」[8]の世界に至って、自分の経験もちりばめながらアレコレ書いたのが「+33」なのでスッキリ感がない、という考え方だ。
この考え方に基づくと「+33」のスッキリしない読後感は、「なんクリ」と「+33」の中核にある登場人物由利に語らせるヤスオの言葉「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」を田中が実践した顛末記で、その過程で様々な壁にぶち当たった彼のフラストレーションが本の端々から読み取れるからだ、ということになるだろう。
ただどうもそれだけではない。おそらく一番スッキリ感がない理由は、田中が登場人物を使ってアレコレ批評を試みても、所詮「なんクリ」や「+33」の登場人物たちが、日々の生活の糧を得るためにアクセクする必要がない、日本のかなり裕福な層に属していることから来るのだと思う。
「なんクリ」が上梓されてから3年後の1984年、「金魂巻」というベストセラー[9]が現れ、一世を風靡することになる○金(マルキン)と○ビ(マルビ)というカテゴリーを使って日本人を分類することで日本人の総中流幻想に冷水を浴びせた。「なんクリ」にしても「+33」にしても登場人物はまさに○金側に位置し、その高みにたつ、今の言葉で言えば上から目線の評論を読まされるから読者としてのフラストレーションが溜まってくるのだと思う。
そのようなこともあり、「+33」は好意的な書評を得ても「なんクリ」以降出版された田中の他の本同様「なんクリ」ほどには売れないだろうと思う。結構いいことも書いてあるんだけどね…
[註]
[1] キャリアの変更や引越を機に必要のなくなった本を処分したせいもあるが、Kindleのおかげで本をおくスペースが不要になってきたせいでもある。
[2] 代官山の外れの山手通沿いにあるヒルサイドテラス内のイタリア料理店アントニオのパティオで撮ったものと思われる。
[3] 一連の手術の話は「+33」261頁の脚注より。この脚注を読むと膀胱を全部とって回腸で代用膀胱を作ったと書いてある。私の近親者に代用膀胱手術経験者も、それ以前の術である体外のビニール袋に排泄物をためる人工肛門手術経験者もいるが、そんな体の田中に寄り添う彼の妻(「+33」にメグミとして登場)の献身には本当に頭がさがる。
[4] 染毛は「+33」本文最後のエピソード。
[5] 河出書房の歴史についてはウィキペディアに簡単な説明がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%9B%B8%E6%88%BF%E6%96%B0%E7%A4%BE
[6] 降旗学「百田尚樹『殉愛』で考えるノンフィクションとは何か(下)」2015年2月28日付Diamond Online(ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/articles/-/67652
[7] 私の父親世代の海軍兵学校を卒業した人は「なんクリ」を一読後「こいつら並べてビンタを食らわしてやりたい」と言った。
[8] サルトル(フランスの哲学者・文豪)の1944年の戯曲Huis Closの邦題から借用。
[9] 渡辺和博/タラコプロダクション著「金魂巻」(1984年)、「金魂巻の謎」(1985年)。この二冊も私の「恒久蔵書」だ。
数度の引越でだんだん面積が少なくなってきた書棚[1]に、あえて整理の対象とせずに残してきた白いカバーのついた薄い本がある。ハードカバーなのに安い紙で印刷されていたと見え、紙は酸やけで茶色くなっている。奥付に「1981年1月20日初版発行、1981年5月13日66版発行」とあり、表紙の次のページは「1980.12.16 渋谷・代官山 photo by Yoshitomi Tachibana」とのキャプション付の著者の写真で、やや不遜な顔付きをした青年が写っている[2]。1981年のミリオンセラーには届かなかったがトップ3入りした当時の大ベストセラー「なんとなく、クリスタル」(以下「なんクリ」と略す)だ。
やや不遜な顔付きをした当時の田中康夫が、体重も増え、鼻にイボもでき、2011年3月2日施術の人工股関節全置換手術を始め多数の手術を経[3]、白髪を隠す為に美容院で染毛をするようになった今[4]「33年後のなんとなく、クリスタル」(以下「+33」と略す)という本を上梓した。
「なんクリ」は発売当時、登場人物のある種の大学生の心象風景をクダクダと文章で説明するのではなく、442の脚注にちりばめられたお店やブランドの説明でうきあがらせるという斬新な文学手法と、そこに登場する青山学院や成城に在籍すると思われる大学生の「クリスタルな」生き方の描写で爆発的なヒットとなり、大ベストセラーになった。版元の河出書房新社は数度の倒産と再建を繰り返す財務的な基盤が弱体な出版社であったので[5]、「なんクリ」のヒットは同社にとっては干天の慈雨のような存在だったはずだ。
さて「+33」だが、こちらは小説と銘打っているがその実「なんクリ」に登場する女性たちを中心に、「なんクリ」には登場しない著者の分身ヤスオを舞台回しにした評論と「なんクリ」発刊後の田中の行動の解説が合わさったような内容を私小説仕立てでまとめた本だ。ノンフィクションを「文体がしなやかで、難しいことを書いているのに小説的で読みやすく、作者の『感情』がちりばめられている[中略]小説を読むように読める読み物」[6]、つまり「感情という作者のフィクションの混じった読み物」と定義するなら、「+33」をノンフィクションに分類しても良いだろう。「なんクリ」の発刊当時、その登場人物を軽佻浮薄と断罪しながら読んだ人たち[7]には、長じた「+33」の登場人物達がそれなりにしっかりした考えを持ち、身の回りや社会のことを考えながら毎日を送っていることに意外感があるかもしれない。
「+33」の読後感はハッキリ言って「なんクリ」のようなスッキリ感がない。行間スペースや余白も大く、脚注や資料をいれてもスリムな191頁だった「なんクリ」に比べ、行間スペースもマージンもギッシリめになり、334頁にまでふくれあがった「+33」の厚さがそうさせるのかもしれないが、どうもそれだけではないと思う。
「スッキリ感がないのは時代背景のせい」という見方がかもしれない。「なんクリ」が出版されたのは丁度バブルの予兆がする明るい時代だが、「+33」は日本の先行きがはっきりしない今発行されているという時代背景を考えればそのような考えができるだろう。
しかしよく「なんクリ」を読めば、そこに描かれているのは明るいばかりの世界ではない。発刊当時あまり注目されなかった最後の2頁には厚生省(当時)の人口問題審議会「出生力動向に関する特別委員会報告」のデータが抜粋され、日本の老齢化やそれに伴う厚生年金保険料の増額の予想が示されている。当時の田中は「なんクリ」の明るい世界が長続きしないことをその2頁で暗示していたわけだ。その明るくない、「出口なし」[8]の世界に至って、自分の経験もちりばめながらアレコレ書いたのが「+33」なのでスッキリ感がない、という考え方だ。
この考え方に基づくと「+33」のスッキリしない読後感は、「なんクリ」と「+33」の中核にある登場人物由利に語らせるヤスオの言葉「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」を田中が実践した顛末記で、その過程で様々な壁にぶち当たった彼のフラストレーションが本の端々から読み取れるからだ、ということになるだろう。
ただどうもそれだけではない。おそらく一番スッキリ感がない理由は、田中が登場人物を使ってアレコレ批評を試みても、所詮「なんクリ」や「+33」の登場人物たちが、日々の生活の糧を得るためにアクセクする必要がない、日本のかなり裕福な層に属していることから来るのだと思う。
「なんクリ」が上梓されてから3年後の1984年、「金魂巻」というベストセラー[9]が現れ、一世を風靡することになる○金(マルキン)と○ビ(マルビ)というカテゴリーを使って日本人を分類することで日本人の総中流幻想に冷水を浴びせた。「なんクリ」にしても「+33」にしても登場人物はまさに○金側に位置し、その高みにたつ、今の言葉で言えば上から目線の評論を読まされるから読者としてのフラストレーションが溜まってくるのだと思う。
そのようなこともあり、「+33」は好意的な書評を得ても「なんクリ」以降出版された田中の他の本同様「なんクリ」ほどには売れないだろうと思う。結構いいことも書いてあるんだけどね…
[註]
[1] キャリアの変更や引越を機に必要のなくなった本を処分したせいもあるが、Kindleのおかげで本をおくスペースが不要になってきたせいでもある。
[2] 代官山の外れの山手通沿いにあるヒルサイドテラス内のイタリア料理店アントニオのパティオで撮ったものと思われる。
[3] 一連の手術の話は「+33」261頁の脚注より。この脚注を読むと膀胱を全部とって回腸で代用膀胱を作ったと書いてある。私の近親者に代用膀胱手術経験者も、それ以前の術である体外のビニール袋に排泄物をためる人工肛門手術経験者もいるが、そんな体の田中に寄り添う彼の妻(「+33」にメグミとして登場)の献身には本当に頭がさがる。
[4] 染毛は「+33」本文最後のエピソード。
[5] 河出書房の歴史についてはウィキペディアに簡単な説明がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%9B%B8%E6%88%BF%E6%96%B0%E7%A4%BE
[6] 降旗学「百田尚樹『殉愛』で考えるノンフィクションとは何か(下)」2015年2月28日付Diamond Online(ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/articles/-/67652
[7] 私の父親世代の海軍兵学校を卒業した人は「なんクリ」を一読後「こいつら並べてビンタを食らわしてやりたい」と言った。
[8] サルトル(フランスの哲学者・文豪)の1944年の戯曲Huis Closの邦題から借用。
[9] 渡辺和博/タラコプロダクション著「金魂巻」(1984年)、「金魂巻の謎」(1985年)。この二冊も私の「恒久蔵書」だ。
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