スティーブ・ジョブスとバラク・オバマ大統領を結ぶもの2011/10/15 11:07

アップルを率いていたスティーブ・ジョブスSteve Jobsの膵臓癌による死が伝えられてから、彼の時代を見通した先見性や、強烈な個性についての論説が多い。しかしそれがどのような背景から生まれてきたのかについてあまり語られることがない。

10月11日のニューヨーク・タイムズにモーリーン・ダウドMaureen Dowd記者がジョブスの生い立ちをまとめた論説記事を掲載している。書かれている事実関係は概ねWikipediaの日本版に出ている内容とも共通するが、ここではダウド記者の記事と、ダウド記者の論説記事をはじめジョブスの生い立ちを語る場合の基礎資料になっていると思われる英国のタブロイド紙The Sunが8月27日に掲載した"I fear time is running out to meet son I was forced to give away"(里子に出した息子と再会できる機会はもうないかもしれない)という ジョージナ・ディキンソンGeorgina Dickinson記者の記事 をもとにジョブスの生い立ちを紹介し、更にジョブスとオバマ大統領の生い立ちのある共通性について考えてみたい。

ジョブスにはアラブの血が半分流れている。ジョブスの実の父はアメリカに移住したシリア人アブドゥルファタ・ジャンダリAbdulfattah Jandali(「シリア情勢から目が離せない」 でシリアの人口構成について書いたが、ジャンダリはスンニ派の回教徒だ)で、実の母はアメリカの白人のジョアン・シーブルJoanne Schiebleだ。アブドゥルファタはウィスコンシン大学に留学していた時ジョアンと出会い二人の間にジョブスが生まれたが、ジョアンの父親が二人の関係を許可しなかったのでジョブスは里子に出された。ジョブス姓は育ての親であるポールPaulとクララ Claraのものだ。ポールは高校を中退し町工場で働く機械工でクララは会社の経理担当者だった。ジョブスは実の父とは会ったことがなく、いつも「自分の両親はポールとクララ・ジョブスだ」と言っていが、80歳でネバダ州のカジノ経営者として存命しているアブドゥルファタの写真を見ると「血は争えない」ということを実感する。

アブドゥルファタとの結婚に反対していたジョアンの父親が他界してから、アブドゥルファタとジョアンは結婚し、二人の間に女の子が生まれる。売れっ子作家のモナ・シンプソンMona Simpsonだ。彼女の長編小説Anywhere but Hereは「ここではないどこかへ」との邦題で早川書房から出版されている。アブドゥルファタ+ジョアンのコンビは極めて才能のある二人の子供をもうけたわけだ。アブドゥルファタとジョアンはその後離婚し、ジョアンはモナを伴って再婚している。モナのシンプソン姓はジョアンの再婚相手のものだ。

ジョブスの最初の子供は彼がサンフランシスコの画家クリスアン・ブレナンChris-Ann Brennanとの間にもうけた娘リサLisaだが、ジョブスは「自分は無精子症だ」と裁判で宣誓証言を行い長い間娘の存在を認知せず、リサはブレナンが生活保護を受けながら育てた。ジョブスはその後DNA鑑定で父親であることが確認されてからリサを認知し(アップルに凱旋してからの彼と以前のことなので、よく偽証罪とか法廷侮辱罪に問われなかったと思う)、リサはハーバード大学に進学し現在はジャーナリストとして活動している。

ジョブスはスタンフォード大学の卒業式での来賓演説で「自分の夢に賭けろ」といったことを言っているが、こういうことを読んでいるとそもそも彼は「優秀な家系」に生まれているということがよくわかる。世の中ヤルキだけではだめなのだ。

さて、ここまで来てジョブスの生い立ちとオバマ大統領のそれを重ねてみよう。

オバマ大統領はハワイのホノルルでハワイ大学へケニアから留学してきていたバラック・オバマ(大統領と同名)と地元の白人女性スタンリー・アン・ダンハムStanley Ann Dunhamの間に生まれた。オバマ大統領が生まれた時スタンリーはまだ18歳の大学1年生だった。オバマ父はケニアに妻子を残しての留学だったので、スタンリーとの結婚は重婚ということになる。オバマ父のケニアにおける出身部族のルオLuo族の間では一夫多妻が一般的だが、オバマ父が何でアメリカでは非合法とわかっていただろう重婚をしたのかは彼が自動車事故で他界した今となってはわからない。私はオバマ父の行為は確信犯で、ハワイ大学における極めて少数派であった彼の自己の民族性の主張の手段、つまりは劣等感の裏返しであったのではないかと思う。

閑話休題。二人はオバマ大統領が生まれる4カ月前に結婚しているが、3年後には離婚している。その後オバマ父子は1971年に一度再会しただけだ。オバマ父と離婚したスタンリーはやはりハワイ大学に留学していたインドネシア人のロロ・セトロLolo Soetoroと再婚し、1967年に連れ子のバラク・オバマ少年を連れて夫の待つインドネシアにゆき、ロロとの間にオバマ大統領の異父妹マヤMayaをもうけている。 オバマ少年は1971年にアメリカに帰国し、ハワイの名門私立校
Punahou Schoolに入学し母方の祖母の家から同校に通った。オバマ大統領が自分に影響を与えた人物のひとりに祖母をあげるのはそのためだ。

スタンリーは1992年にハワイ大学に1043ページの論文を提出し社会人類学で博士号を取得している。彼女は1994年までインドネシアに留まったが、体調を崩し1995年にアメリカに帰国し子宮癌で他界した。

どうです。両方ともすごい家族ドラマでしょう。


オバマの家系もケニアから奨学金を得てアメリカに留学してきた父親とか、50歳で1000ページを超える論文を書いた母親とか、知力や努力家の家系をほうふつさせるものがある。

この二人の家族ドラマを見ていると、相当の教育レベルをもちながら、「パッションを優先させて」色が黒かったり、まったくの異文化であったりの男性と結ばれて(時代背景を考えてほしい。50-60年代のアメリカの話ですよ)子供を作る女性の無鉄砲さや、そういう女性を「ソノキ」にさせた異国の男たちのたくましさもさることながら、そのような境遇で生まれた子供が境遇を跳ね返す知能と才覚と不屈の精神で社会をのし上がっていったことや、その子供の出自を問わず、能力次第で社会のトップに上ることを許容するアメリカ社会の懐の広さには感心させられる。


アメリカの強みは、このように人間を純粋にその実力で評価し、そのような実力を持った人間に賭けることができる柔軟性を社会が保持していることだといえるのではなかろうか。

参照リンク:

ダウド記者の論説
http://www.nytimes.com/2011/10/12/opinion/prosperos-tempestuous-family.html?scp=1&sq=maureen%20dowd%20jandali&st=cse

ディキンソン記者のジョブスの実父とのインタービュー記事
http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/features/3778186/First-chat-with-Apple-tycoons-dad.html

当ブログのシリアについてのエントリー
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2011/04/23/5821133

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