映画「灼熱の魂」からシリア情勢を思う2012/02/24 15:29

今日のエントリーは昨年4月に書いた「シリア情勢から目が離せない」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2011/04/23/5821133
の続編として読んでいただきたい。

「灼熱の魂」(原題 Incendies、フランス語で「火」の意)という内戦期のレバノン(1975-1990)を題材にした映画を見た。この映画は昨年のカナダの映画大賞を総なめにした作品で(アメリカのアカデミー賞の外国語映画部門では惜しくも大賞を逃した)、いきもつかせず130分を過ごした。作品を見てからシリアのことを思った。

映画の公式サイトにでているストーリーは

初老の中東系カナダ人女性ナワル・マルワンは、ずっと世間に背を向けるようにして生き、実の子である双子の姉弟ジャンヌとシモンにも心を開くことがなかった。そんなどこか普通とは違う母親は、謎めいた遺言と二通の手紙を残してこの世を去った。その二通の手紙は、ジャンヌとシモンが存在すら知らされていなかった兄と父親に宛てられていた。遺言に導かれ、初めて母の祖国の地を踏んだ姉弟は、母の数奇な人生と家族の宿命を探り当てていくのだった…。

というものだ。

シリア情勢は引き続き混沌としている。昨年ブログに書いた頃は政府側が一方的に政権反対運動を弾圧していた状態だったが、ここ数ヶ月は正規軍の脱走兵を中心とするFree Syrian Army自由シリア軍が政府側に反撃を加えており、政権側にも相当の被害が出ているのが現状だ。

国連安保理はロシアと中国の拒否権発動にあって仲裁機能停止になっており、その結果「シリアはアラブ圏の中心におけるイランの橋頭堡」とみる湾岸アラブ諸国や、「イランの勢力増大は中東における不安定要素の拡大」と見る欧米諸国の思惑とは異なり、彼らが公式にはシリアに介入できない状況だ。

レバノンが現在の「安定」(と言うよりは「国内各派の間の均衡」といったほうが正しいだろう)に到達するのに15年もかかったように、シリア情勢もまた多数の人々の血を流しながらやがては収束してゆくと思う。

ただそのような安定は、少なくとも当初は、個人の様々な体験や感情を塗り込めた上に存在する不安定なものだ。その塗り込められた体験は時として表面に噴出してくる。映画「灼熱の魂」のように表面に噴出したものが子供たちのルーツ探しで終わるなら問題は個人の次元でとどまる。しかし、噴出したものが異なる教義や宗派への憎しみとなって噴出したら…

再び「灼熱の魂」のすじに話を戻そう。主人公のナワル・マルワンはキリスト教徒だが、乗っていたバスがキリスト教民兵が固めるチェックポイントで停車を命じられ、キリスト教徒である彼女以外の乗員・乗客(回教徒)が子供も含めすべて射殺される場面に遭遇する。彼女は回教徒の組織に加担してキリスト教民兵組織のリーダーの暗殺を決行し、キリスト教民兵組織が管理する牢獄につながれることになる。牢獄から開放された彼女を引取りカナダへの移住を手配するのは彼女が加担した回教徒の組織だ。

映画だけではない。このような宗教の壁だけでは説明できない複雑な関係が現実に存在する。

ペルシャ湾岸の小国カタールのQatar Foundationカタール財団傘下にThe Doha Debatesドーハ討論会という組織がある。月一回、アラブ世界に関するあるテーマを決めて、そのテーマにつきパネリストの討論と聴衆の発言が行われる中で討論会が進行する。The Doha Debatesの様子は
BBC英国放送協会を通じて全世界に放映される。The Doha Debates ではその月々のテーマに関するアラブ世界の世論をYouGovという組織(YouGov中東版のウェブサイトは以下)
http://www.yougovsiraj.com/
が調査し、その結果が討論の場でも紹介される。

本年1月2日のThe Doha Debatesではシリアのアサッド政権の存続可否が議題となったが、番組ではシリア国民の55%がアサッド政権の存続を望んでいるとの世論調査結果が紹介された。「シリア情勢から目が離せない」で書いたように、シリアの宗派別人口構成比で言うと本来反アサッドに動くはずのスンニー派が70%なので、スンニー派のかなりの部分がアサッド支持に回っていないとこのような結果にはならない。つまりシリアのスンニー派であってもアサッド政権下の安定と、アサッド政権の退陣を求めるグループの間の分裂があるわけだ。「『灼熱の魂』の主人公のような、自分の宗派全体の方向性とは異なる行動をとる人物が現実に存在している」のがこのThe
Doha Debatesで紹介された世論調査の結果だ。

話は飛ぶが明治期の日本のことを考えてみよう。1868年に明治が始まってから、いわゆる内閣制度ができて長州閥の伊藤博文が初代内閣総理大臣におさまったのはその約17年後の1885年だ。それから内閣総理大臣はほとんど薩長閥や公家出身者がつとめてきた(例外は通算3年近く総理をつとめた肥前出身の大隈重信だけ。しかし肥前は徳川幕府を打倒した薩長土肥の一翼を担っていた点に注目)。薩長閥や公家出身ではない内閣総理大臣がようやく現れたのは内閣制度が始まってから実に33年後、明治が始まってから50年の1918年の原敬首相誕生まで待たねばならない。

幕藩体制のもとでは大幅な藩の自治があったとはいえ概ね同じ言葉を話し、徳川幕府がキリスト教を排除した結果概ね同じ仏教と神道の入り混じった宗教を信じていた日本においても、明治体制成立に寄与した薩長閥がその権力の一端を部外者に開放するには実に50年の歳月を要しているのだ。シリアのように言葉は同じでもそれぞれのグループの宗教が異なり、それぞれ住む場所や生活習慣が異なるような社会で、グループ間の血で血を洗う争いの記憶を乗り越えた政治の安定がもたらされるにはさらに長い年月が必要であろう。その過程で映画の主人公ナワル・マルワンのように宗派を越えて自分の良心や価値観に基づき行動する人々の存在は極めて重要だ。

コメント

_ 玉川 ― 2012/02/28 23:02

昨年4月の分も含めて読ませてもらいました。中東地区を訪問したことはないのですが、深刻な宗教問題・宗教を超えた共感というのは、他の国でも起こりそうな気がします。その縮図のようなシリアに春は来るのでしょうか?とても気になります。

_ MT ― 2012/02/29 15:55

エジプト、リビヤ、そしてシリア、中東革命の連鎖から続きますね。シリア政権が倒れると、一気に中東の政治均衡が崩れるそうですが、本当でしょうか?傍から見ていると、年中男達が外で叫んで投石している光景しか出てきません。どこまでこれが続くのでしょう?中東の平和安定って本当にあるのか、とても懐疑的です。映画はまだ観ていませんが、面白そうですね。

_ Mumbaikar ― 2012/02/29 23:11

中東ではトルコを除けばこれまでいわゆる民主的な普通選挙に基づく民主主義が存在したことがなく、政権が強権で統治を行なってきた歴史があります。強権政治であっても民衆に経済的な利益が回っていれば何とかなったのでしょうが、為政者の取り巻きにしか利益が回らない状況が続いたことが、直接的には昨年来のアラブの春に結びついていったのだと思います。

シリアの場合更に「1982年に強権で反政府運動を弾圧した実績があるので、現政権が強硬策に出ている」という見方ができます。いずれ強権政治が通用しなくなり、アラブとイスラエルの関係にも何らかの解決策がみつかり、この地域も安定するのだとは思いますが、それには相当な時間がかかるでしょう。それまでにはまだいろいろあるでしょうね。

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