それでも何とかなるでしょう2010/04/06 00:05

3月25日にギリシャの債権問題に関するユーロ圏諸国の合意ができてからのヨーロッパの論調を追うと、「問題の先送りをしただけで何も解決になっていない」といったいわば「辛目」の趣旨の論調が目立つ。欧米の契約思想には「すべてのケースを想定し、それに対応した合意をもとに契約を結ぶ」という発想が存在する。日本の契約書に良くある

<本契約に定めのない事項については、相互に信義誠実の原則をもって対処し、解決を図るものとする>

という条項は、欧米の弁護士に見せれば目をシロクロさせて「協議することを合意するのは契約ではない」と一笑に付されるものだ。

今回のユーロ件諸国の合意はこの彼らの感覚と異なる、いわば日本的な合意だ。この点と、ギリシャがユーロを通貨として採用しているので通常の債務不履行の場合に比べ対処法が限られると見られることとあいまって、ヨーロッパの大方の論調が厳しいのだろうと考えられる。

確かに合意内容は1ページ程度と極めて短く、その内容にしたところで
「EUの政策はこう作られる--ギリシャ経済危機への対処をめぐって」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/03/27/4975737
で紹介したように「いざとなれば関係各国の全員一致が必要」と「本当にこんなことで問題が起きたときに大丈夫?」と思わせるものだ。

しかし国が債務不履行に陥りそうになった場合、またそれがEUの一員であるギリシャのような国である場合、多国間協議に基づく債務の繰り延べなどさまざまな手段が繰り出され、それなりの時間をかけて「何とかする」のが常だ。企業であっても、大企業が債務不履行状態になれば、直近の日本航空の例を見るまでもなく、関係者があれやこれやと協議を続け時間をかけて「何とかする」。そしてこの「何とかする」場合、債権者どうしの不公平を避けるため、債権者全員一致が原則であることも忘れてはならない(だからまとまるのに時間がかかるし、まとめ役にはそれなりの力量が必要だ)。金融の世界の問題処理はコトが大がかりになればなるほどこのような全員一致の合意によるパッチワーク(という表現を使うと金融関係者はいやな顔をするだろうが)で成り立っている。

また、今日のEU(欧州連合)にいたる、ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)、EEC(欧州経済共同体)、EC(欧州共同体)、の歴史をふり返れば、まさに関係各国の全員一致の合意形成の歴史であったことがわかる。

今回のユーロ圏諸国のギリシャの債権問題に関する合意は、このような一見迂遠なヨーロッパの合意形成のプロセスの一つとして理解すると十分納得が行くのではなかろうか。

識者の多くが指摘するように、ギリシャが再度債務不履行の可能性に直面することも十分ありうるだろう。しかしEU には都度それに対処するメカニズムが存在しているということを認識しておく必要がある。

それでも何とかなるでしょう [お知らせ]2010/04/07 21:57

「それでも何とかなるでしょう」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/04/06/4997644
と同趣旨の文章をイギリスの経済紙Financial Times に投稿したところ、これが
EU has a time-tested record on compromises
http://www.ft.com/cms/s/0/a814fda0-4114-11df-94c2-00144feabdc0.html
として4月6日付の同紙に掲載されました。

許してくれる国になるか? -- ポーランド大統領機の墜落に思う2010/04/13 22:22

4/10 ロシア共和国スモレンスク。濃霧が発生したため近隣の空港への迂回を勧める管制官の勧めを振り切って、三度の試行の後着陸を強行しようとしたポーランド政府の航空機が滑走路手前の立ち木に接触して墜落、乗員乗客96名が死亡した。搭乗者はスモレンスク近郊にあるカチンの森で行なわれるポーランド政府の式典に参列する予定だったポーランドのレヒ・カチンスキー大統領、同夫人、中央銀行総裁、ポーランド軍参謀総長などポーランド政府、民間の要人だった。

カチン虐殺事件(zbrodnia katyńska)は1940年にソ連のスターリン首相の命令で捕虜となっていたポーランドの第二共和制(1918~1939年)の主要な民間人や軍人約22,000名が当時のソ連の秘密警察組織であるNKVDによってスモレンスク付近のカチンの森を含む複数の場所で秘密裏に処刑された事件だ。事件の真実はポーランドがワルシャワ条約機構に加盟していた、いわゆる東欧圏を構成していた時代には語ることがはばかられ、ポーランドがワルシャワ条約機構から脱退した1989年以降ようやく真実が公開された。読者の中にはこの事件を取上げたポーランドの著名な映画監督アンジェイ・ワイダの映画「カチンの森」(原題:Katyn)がを2009年12月に日本でも公開された際ご覧になった方もいるかもしれない。

ポーランドではソ連がロシアに変わってからも、ロシアのこの事件に対する謝罪が不足であるとか、ロシア国内でたびたび「事件の首謀者がソ連ではなくナチスであった」といった報道が流れたとか言ったことが問題になり、そのためこの事件に対する認識はポーランドとロシアの間のわだかまりの原因となっている。ただ認識しておきたいことはロシアが1990年にはNKVDがこの殺戮を行なったことを確認し、1991年から2004年までソ連のそしてロシアの検察当局がこの責任の所在に関する捜査を行なっていたことだ。「日中間の南京大虐殺認識のような位置を占めている事件」といった説明をすればわかりやすいかもしれないが、ロシア政府と日本政府とでは事件に対する対応のしかたがいささか異なる。

故カチンスキー大統領はポーランドのナショナリズムを代表する法と正義党(PiS)を代表する人物であり、このようなポーランド国民のロシアに対する感情や、ポーランド第二共和制崩壊のもう一方の原因となったドイツに対する感情を背景に政治権力を手にした人物だ。「第二次世界大戦開戦70周年--なかなか許してくれない国」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/09/09/4570782
にも書いた「許してくれない」姿勢を体現したような人物だ。実はカチンの森では4/7に虐殺70周年を記念した慰霊式典がロシアのプーチン首相の呼びかけで実施されており、これにはプーチン首相とポーランドのトゥスク首相が参加している。カチンスキー大統領はこれに参加することをよしとはせず、別な「ポーランド人だけの」式典に参加する予定だった。その人物がカチンの森近くで、ポーランド政府、民間の要人と共に墜死したというのは皮肉としかいいようがない。

直ちにスモレンスクに飛び事態処理の陣頭指揮をとったロシアのプーチン首相は、演出もあったのかもしれないが目をしばたかせながらテレビに登場し哀悼の意を表明した。メドヴェージェフ大統領もいち早く弔問のためモスクワのポーランド大使館に駆けつけた。遺体はモスクワで識別の上、丁重に納棺されポーランドに送り返された。今回のロシアの対応ぶりは真摯なものであったというのが大方の評価だ。ロシアでは最近ワイダ監督の映画「カチン」もテレビで放映された。テレビ局が放映する内容についてある程度まで政府の規制がかかるロシアで、この映画が大手放送局のゴールデンアワーで放映されたことはロシア政府がカチン虐殺に対する旧ソ連の責任を再確認した印ともいえる。政府の検閲や介入がないはずの日本で南京大虐殺に関する映画の放映が実現しないのとはずいぶん異なる。

ナショナリストのカチンスキー大統領が死亡した結果、政局の主導権は決定的にトゥスク首相が率いる、市民運動党(Platforma Obywatelska)に移ることになる。市民運動党の政策はナショナリズムとは距離を置き、近隣諸国との融和をはかり、主義主張よりも経済成長に関心をおき、EU参加に積極的であったため、カチンスキー大統領の拒否権をくって政策実現に支障が出ることが多かった。カチンスキー大統領の突然の死にあたって表明されたポーランド国民の思いの一部は、間違いなく彼の象徴した頑強なナショナリズムに対する共感や、彼の身辺の清廉さに対する共感だろう。トゥスク政権がこの国民感情とうまくつきあいながら彼らの政策を実現してゆけば、ポーランドは「なかなか許してくれない国」の状態をのりこえる契機をつかみ、その結果、EUの政治や経済の結合実現の道をまた一歩進めることになろうし、EUの中におけるロシアとの橋渡し役を果たしてゆくという道も拓けるかもしれない。

最後にもう一つ。それは今回墜落したポーランド政府の航空機が旧ソ連製のTu154型機であったことだ。同じ頃登場したアメリカのボーイングB727型機やイギリスのTridentトライデントのように機体後部にエンジン3基を取り付けたこの航空機は、1968年以来1000機以上製造された旧ソ連製の航空機の中ではもっともポピュラーな機種であった。私もこの航空機に乗った経験があるが、操縦室に3名が乗務するB727やTridentと違って、機長、副操縦士、機関士、ナビゲーターと4名の搭乗員が乗務していたのを見てびっくりした経験がある。しかしTu154は本国ロシアのアエロフロート航空も2009年に現役から引退させた旧型機だ。この航空機が一番最初にソ連圏から離脱したポーランドの、それもナショナリストの大統領の搭乗機であったというのもまた皮肉な話だ。

「許してくれる国になるか?」 余聞2010/04/16 00:02

[今日はちょっと文体を変えてみます]

いやぁ、「許してくれる国になるか? -- ポーランド大統領機の墜落に思う」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/04/13/5015968
で「ポーランドのナショナリズム」のことを書きましたが、案の定ロシア陰謀説が出てきましたね。大統領以下96名の死者が出た4月10日のポーランド政府機墜落はロシアの陰謀だというんです。我々日本人は結構陰謀説が好きなのでそれを紹介して、ついでに私の解説も書いておきましょう。

[陰謀説 1] 墜落した政府機は数ヶ月前ロシアでオーバーホールされており、そのとき新しい
avionics航空電子機器を搭載している(ここまでは事実です)。ポーランド大統領がカチンを訪問することはその時点でわかっていたはずだから、ロシアの情報機関が航空電子機器にそのころ不具合になるよう細工をした。プーチン大統領は情報機関出身なので、事故調査でどんなに不都合なことが出てきてもモミ消してしまうだろう。

→ なるほどねぇ。「許してくれる国になるか? -- ポーランド大統領機の墜落に思う」でも書きましたが、そもそも旧ソ連製のTu154を政府機として使っていたのも「国の安全」という観点から問題ですが、(怨念の)ロシアに整備に出した飛行機が帰ってきたらそのままホイホイ使うんでしょうかねぇ?大体スモレンスク空港の管制官が近隣の他の空港に回避するよう勧めていたことはどうなるんでしょう?

[陰謀説 2] スモレンスク空港は台地にあるので、立ち木に接触したというのは不自然だ。

→ これだけでは理由になりません。スモレンスク空港の設置についてはわかりませんが高度を誤れば斜面に生えている立ち木にだって接触します。

[陰謀説 3] 当日政府機に搭乗できず、列車でカチンに行ったポーランドの関係者によれば現地は晴れだった。

→ これだけでは理由になりません。霧は出てもあたり一帯全部を覆うとは限りません。アジア--欧州間の航空路線がアラスカのアンカレッジ回りで飛んでいた頃、アンカレッジ空港が霧のため着陸できず湾の対岸にあるアメリカ空軍の基地に着陸したことがあります。そのときアンカレッジ空港上空は晴れでしたが、着陸アプローチを中断して上昇する機内から下を見ると海上に発生した霧が滑走路の四分の一くらいだけを覆っていました。そういうこともあるんです。

陰謀説はさておき、私は今回のポーランド政府機墜落の報道に接したとき、1972年6月の
BEA548便事件を思い出しました(私のトシがわかりますねぇ)。この事件は今回墜落したTu154と同じ、機体後部にエンジンを3基積んだ英国製のジェット旅客機Tridentトライデントがロンドンのヒースロー空港からベルギーのブラッセルに向けて離陸直後に失速して墜落し乗員乗客118名全員が死亡した事故です。この便には晴れて国民投票でEEC加盟を決めたことに伴い調査のためブラッセルのEEC(現在のEUの前身)本部に赴くアイルランド財界の代表団12名が搭乗しており、当時「これでアイルランドの経済は大打撃をこうむる」と報道されていたものです。

しかし案ずるより生むが早し。その後アイルランドの経済はポンド圏を離れユーロ圏に入り、EUの補助金も受けて、Celtic Tigerケルトの虎といわれるまで大きく成長しました。最近はお金が不動産に回りすぎ、その不動産のバブルが弾けたので「EUの政策はこう作られる -- ギリシャ経済危機への対処をめぐって」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/03/27/4975737
で紹介したPIIGSに加えられてしまってちょっと元気がありませんが…まあ重鎮がいなくなればいなくなったで何とか回るもんだという証拠みたいなもんです。「許してくれる国になるか? -- ポーランド大統領機の墜落に思う」の結論の背景にはこんな私の理解もあるんです。

あいまいさの効用 -- アメリカのベンチャー企業を見学して2010/04/30 00:42

英国の経営思想家(といっておきます)John Kayの近著Obliquity(あいまい性)によると、成功した企業はガチガチ目先の利益確保や株主価値の拡大にとらわれるのではなく、「[●]」とか「[●]」といったもっと抽象的な目的の実現に邁進しているのだという

久々ぶりでカリフォルニアに出張した。空は青く澄み渡り、気温はほどほどで、寒暖と冷雨を

繰り返す日本とはえらい違い。「このように気候が安定していればワイン用のブドウも安定的

に育つだろう」とかのんきなことを考えながらフリーウェーからあたりの景色を見ていた。行った

場所は20数年前に訪れたときは畑の中に建物がポツンポツンとたっているようなところだっ

たが、いまや都市になっている。そんな場所にあるベンチャーキャピタルの出資するベンチャ

ービジネスを見学しに行った。

 

見学した会社は「シリコンバレーのベンチャー企業」のイメージそのものの、高度の大学教育

を受けた人たちが、キチンとしたビジネスモデルを設定し、それをもとにベンチャーキャピタル

から資金を調達して創業した企業だ。シリコンバレーのベンチャーキャピタルから資金を得て

操業したベンチャー企業というとGoogleとかeBayとかいった、いわゆるIT企業を連想しがち

だが、行った先はちょっとそれとは毛色の異なる、いわゆるモノ造りをしようという会社だ。

 

実はアメリカのベンチャーキャピタルも30年ほど昔のパソコンなどなかった時代はモノ造りを

する会社に投資をしていたが、その内ソフトウェアや医薬開発関係の企業のほうがさっさと

上場したり、次の買い手に買収されたりしてくれて資金の回収が早いので、投資の目標をそ

ちらに移動させてきた経緯がある。さっさと資金回収ができそうでもないモノ造り型のビジネ

スにもベンチャーキャピタルからお金が回る、というのは一つの発見だったが(「そろそろIT

や医療が旬の時代も終わりつつある」ということなのかもしれない)、「さて数年のサイクルで

資金を回収することに慣れたベンチャーキャピタルが、日頃細々としたことに注意を払いな

がらコストダウンを積み重ね、ゆっくり利益を産み出してゆくようなモノ造りの世界になじむの

だろうか」という疑問が残った。

 

見学した会社に出資したベンチャーキャピタルのウェブサイトを見ても、ソフト関係の出資先

IPOや事業売却の事例は数多く掲載されているが、いわゆるモノ造り系の出資先ではま

だその例がなかった。太陽光発電パネルを開発する会社に投資しているので、これがまあ

足が速い口になるのかもしれない。ベンチャーキャピタルは、ひいてはそのようなベンチャー

キャピタルに資金を提供する投資家は、この状況をどう考えるのだろう。

 

英国の経営思想家(という形容が正しいだろう)John Kayの近著Obliquity—Why our goals

are best achieved indirectly(2010年刊。題名を意訳すれば「あいまい性—目標到達の最善

の手段が間接的であるわけ」とでもなろう)によると、企業が成功するにはガチガチ目先の利

益確保や株主価値の拡大にとらわれるのではなく、to be the world’s leading chemical

company「世界の化学品産業の先端に立つ企業となる」(1990年に発表された英国の総合

化学メーカーICIの社是)とかeat, breathe, and sleep the world of aeronautics「航空工学の

世界の渦中に生きること」(1945~68年ボーイングのトップを勤めたBill Allenの発言)といった

もっと抽象的な目的の実現に邁進する必要があるのだという。これはおよそベンチャーキャ

ピタル型の企業モデルとは異なる世界だ。

 

Obliquityによれば、皮肉なことにはICI は1991年にHanson Trustという敵対的な企業買収

で有名な会社にその株式を若干買い付けられたことに触発されて「株主価値の極大」に走っ

たが、結局株主価値を極大化させられなかったばかりか2007年には独立した企業としての

生命を終え(p. 20)、ボーイングはAllenの後継者Phil Conditの時代にWe are going into a

value based environment where unit cost, return on investment, shareholder return are

the measures by which you will be judged 「今後我々は、製造単価、ROI、株主に対する

リターンを指標とする、企業価値ベースの経営を行ってゆく」と大きく方向転換を行った結果、

民間航空機の受注量ではエアバスに抜かれることになった(pp. 21-22)。

 

私はまだ書きかけの「CAPMモデル(1/2)」

http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/05/06/4289018

で、そもそもCAPMモデルといわれるこの世で一般的な投資収益を計る尺度は、そのよって

たつ理論的枠組みのせいで高すぎる投資収益を要求する傾向があることを示そうとした(こ

の文章は約1年前に第1部をアップしてからまだ結論に到達していないが…)。日本のよう

CAPMモデルを使って資本コストなるものを計算し案件への投資の可否を判断する歴史

10数年程度の国の場合はイザ知らず、本家アメリカではこの考え方に基づき投資収益の

ハードルを求める伝統に30年以上の歴史がある。このモデルが投資家の間では普遍的な

真実、否一種の教義として受け入れられ、皆が宗教のようにこの教義の真実を疑わずに経

営計画を立て経営を管理してきた。確かにその結果アメリカ企業の利益率は高くなった。し

かし、余りにも高い投資収益水準を、それもあいまい性を排除して「見える」期間内にその投

資収益を求めたことが、(1) アメリカの製造業の衰退ももたらした側面や、(2) 最も効率の良

い投資としての金融に資金が集中した結果、金融が金融を呼び、先進工業国の経済が実体

経済の規模をはるかに超える過大な金融部門の動向に左右される状況を生み出した側面

は、否定できないだろう。

 

見学したベンチャー企業はまだ製品開発のために資金を食いつぶしている(この状態をburn

燃焼という)状態だ。開発中の製品は目論見どおり行けばよい製品のようには見えたが、市

場で売れる商品になるにはまだあれこれハードルがあるはずだ。そのハードルをすべて今

から経済計算に織り込んでおくことなどできない。大雑把に費用のxx%くらいのオーバーがあ

るだろうとか、予定よりxxヶ月くらい開発期間が長引くかもしれない、と神ならぬ人間が予測

せざるをえない、まさにobliquityあいまい性の世界だ。「この社長さんなら、そのxx%のあいま

いさをめぐって投資家と神学論争ができるんだろうな」そんなことを思った。

 

泉谷渉 産業タイムス社長によれば、日本の電子材料産業は投資余力のある百年以上存

在し続けた企業が10年20年にわたる長期の開発に耐えたからこそ、今日圧倒的なシェアを

確保するに至ったという。果たしてアメリカならずともベンチャーキャピタルが、10年20年も

辛抱強くそんなお金の流出を見守れるんだろうか?そもそもそんなことに5シリーズのBMW

を乗り回すスタンフォード大学でMBAをとったこの会社の社長さんは付き合いきれるのだろ

うか?そんな目でこのアメリカの若い企業を見ていると「やはりアメリカの土壌では素材産業

は育たないのではないか?」という印象を禁じられなかった。

 

さて「CAPMモデルで算出される投資収益率が高すぎる」という高次元の話から、一転目先

の利益に話を移す。それは「低収益」といわれる日本のメーカーが作り出すこのような技術

や素材の販売価格の問題だ。

 

日本のメーカーが作り出す素材の多くが10年20年の長期の開発を伴っているとすれば、そ

の販売価格はこの間の投資に見合うものでなければ満足な投資の回収は困難だ。そしてそ

の際の収益率にCAPMモデルで設定されるような高率を適用した場合、いくら百年企業であ

っても「そんな開発はやめておこう」ということになるのではなかろうか?日本の素材産業は

世界の需要家に対して、あえて低い収益率で採算を弾いた必要以上に低い価格の素材を

提供していることにならないだろうか?

 

低い価格での販売とは、つまるところ本来生産者が自分の得べかりし利益を、顧客にタダで

差し上げているということだ。

 

そんな疑問に対する回答が「いやいや十分CAPMモデルで産出した資本コストにも合致する

ような価格設定になっています」ということであるにしても、世界に冠たる日本の素材産業の

ROA総資産利益率の悪さを見れば、彼らはその実膨大な、どうしようもない製品のポートフ

ォリオを抱えていて、その中からごく一部、CAPMモデルで弾いて十分高採算な製品を産み

出しているということになる。

 

例をひとつひいてみよう。富士フィルムホールディング。同社のアニュアルレポートによれば

インフォーメーションソリューション部門の中のフラットパネルディスプレー(FPD)材料事業は

世界トップシェアで、なかんずく

 

<「フジタック」の世界シェアは約80%、「WVフィルム」の世界シェアは100%です。>

2009年度同社アニュアルレポートp. 4)

 

ということだ(100%ですよ。スゴイデスネェ)。

 

しかしここで数字に語ってもらおう。富士フィルムホールディングと、アメリカのまあ同業といえ

Eastman ChemicalのROAを税引前利益÷総資産という算式で算出したものを比較して

みる。すると以下のようにEastman に軍配が上がる。Eastmanのことを「まあ同業」と書いた

のは同社がコダックの化学品部門を分社化して出来上がった会社だからだ。税引前利益を

使ったのは、おおさっぱにいって税引後利益の場合税制の違いなどに基づく「雑音」が入る

からだ。

 

会計年度

2004

2005

2006

2007

2008

富士

5.4%

2.6%

3.1%

6.1%

0.3%

Eastman

1.1%

13.6%

9.4%

7.8%

8.1%

 

註:

富士フィルムホールディングの会計年度は4月1日~翌年3月31日

Eastmanの会計年度は暦年

 

日本の経営者は「いやいや、その膨大な、どうしようもない製品のポートフォリオがあるから

こそ高シェア、高収益の製品が生まれるのです」というが、その論理によれば「膨大な、どう

しようもない製品群が、高シェア、高収益の製品を生み出すためのネタだ」ということになる。

それら膨大な、どうしようもない製品を製造するための設備投資を分母に入れて計算しなけれ

ば、論理のつじつまが合わない。

 

とすると「やはり日本のメーカーは、世界の需要家に対して自社の製品を安く売りすぎている

のではなかろうか?」という結論に戻ることになる。

 

これに対しては「いやしかし、膨大な、どうしようもない製品群は勝手に値段をつけられるよう

な状況ではないのです。だから現状が高く売れる上限です」ということなのだろうが、そうなる

と現在の日本のメーカー業と言うものは、極論すれば膨大な過剰設備を抱え込みながら採算

の当てもなく日々の製造を続ける甚だリスキーなビジネスだということになる(皆さん日本のメ

ーカー業ってその実そんなにリスキーなビジネスだって思ってました?)。

 

では「リスク相応の収益が得られないのなら、経営は意図的に高収益になるよう事業を再編

成(リストラ)し続けなければならない」と断じるべきなのだろうか?

 

真実はおそらくリストラと温存の間のどこかあいまい(oblique)な領域に存在していると思う。

 

 


水のなるほどクイズ2010