中国とインド (1/2)2009/10/09 07:42

ここ二週間はインドから旧友夫婦が観光で来日し、そのアテンドで振り回され記事の更新が遅れた。

彼らの離日を機に「21世紀のアジアを背負って立つ」といわれる両国について考えてみた。

「インド人は中国人のことをどう思っているのだろう」と言うのは私が常日頃関心を持っているところだ。「インド人も中国人もお互いのことを必ずしも好ましく思っているわけではない」と言うのが私の認識なので、旧友夫妻に「中国のことをどう思う」と聞いてみたところ、ご主人(ホテルの設立に関するコンサルタント)が「中国は安い資材の供給源だ」と言ってインドでホテルを建設する際どのような資材を中国から調達するかアレコレ説明しだした。Your client bought imitation Roman statues from China for his hotel didn’t he(そういえばあなたのクライエントが自分のホテル用にローマ時代の石像の中国製の模造品を買ったわよね)と奥さんがつけ加える。

インドと中国は国境問題で砲火を交えたことがあるし、いまだに国境紛争を抱えている。その際たるものがインド東部のアルナチャル・プラデシュ州をめぐるものだ。中国は「この地はチベット南部で本来中国領である」との意思をことあるごとに表明している。直近ではアジア開発銀行理事国としてアルナチャル・プラデシュ州向け融資に待ったをかけたりしている。インドにはまた中国にとって獅子身中の虫のようなチベット独立運動の本拠地があってその最高指導者であるダライ・ラマが住んでいる。

私は以前いくつかの機会にインド人から或いは中国人から相手に対するある種の緊張感や蔑視の表明を聞いたことがあるので、もう少し「いやぁあまりシックリこない隣人なんだ」的な回答がでてこなかったことにちょっと拍子抜けになった。「インドの新聞や雑誌を見ていると結構中国のインドに対する発言や行動に対してsensitive(ピリピリしている)な印象を受けるが…」といったらややあって奥さんがTrue, we are not entirely comfortable with them(確かに、彼らに心を許しているわけではない)と言った。まあこれは私に同意したと言うよりは、私に合わせてくれたと言うことかもしれない。

これにはちょっと考えさせられた。別に一組の夫婦の見解ですべてを語る気はないが、私なりに友人夫婦の反応を解釈すると以下のようなことになる。

インド人は個人レベルでは自分の利益をまず考えて自分の行動を割り切る国民だ。インドのホテルマンにしてみれば「何でこんなものインドでできないんだろう」と疑問に思いつつも、インドの貿易がかなり自由化された今、インド製よりも安くて品質の良い中国製品があればどんどん買い付けるというところだろう。

「中国に対するにインドカードの行使」を考える場合、こちらがインドに対して中国以上のメリットを呈示できなければそのようなカードは絵物語だ。

さて、民間レベルではそれなりの交流のある中印両国だが、中国は鄧小平の改革開放政策が登場する1978年まで、インドはそれに遅れること10年以上の1991年ナラシムハ・ラオ政権のマンモハン・シン蔵相(現首相)の経済開放政策まで、それぞれ民間部門の自由な経済活動を制限し政府の経済計画に基づく統制経済をしいていた。経済統制のくびきを解かれてからの両国経済のめざましい成長ぶりの結果、両国は21世紀を背負って立つ国として認識されている。

極論すれば両国の共通点はそこまでだ。ここから先は両国の差は極めて大きい。次回はこの差の部分について書いてみよう。

中国とインド (2/2)2009/10/09 23:20

中国とインド

以下両国の差をいくつかの点に絞って書いてみる。両国ともその開発モデルにはそれなりの問題を抱えており「国家百年の大計」からいってどちらが正解な国家モデルであったのかは後世の史家の評価に待ちたい。

 

国民所得の構成要素の分布

 

マクロ経済学的視点から言って中国とインドの一番の違いは国民所得の構成比の違いだ。国連統計を加工して得た中印両国の国民所得の各構成要素が国民所得に占める割合を示した以下の表を見ていただきたい。1992年はインドが経済開放政策をとり始めた翌年なので起点をここにおき、国連統計で一番直近のデータである2007年までの間5年ごとの値を示す。尚、GDPの定義は消費+投資+輸出-輸入。

 

消費

設備

投資

政府

投資

輸出

輸入

貿易

中国

1992

46.8%

30.7%

15.1%

21.6%

19.9%

1.7%

1997

45.2%

31.8%

13.7%

21.0%

16.7%

4.3%

2002

43.7%

36.3%

15.9%

25.1%

22.6%

2.6%

2007

35.1%

40.2%

13.4%

40.4%

30.6%

9.7%

インド

1992

63.7%

23.5%

11.2%

8.7%

9.5%

-0.8%

1997

64.3%

23.8%

11.5%

11.0%

12.3%

-1.3%

2002

63.7%

24.1%

12.0%

14.7%

15.7%

-1.0%

2007

55.2%

32.2%

11.4%

22.4%

25.9%

-3.5%

 

インド経済は明白に消費が主体であるのに対して、中国は投資や貿易が主体となっていることがわかる。インドは貿易収支が恒常的に赤字で、中国はどんどん貿易黒字をふやしている。インド経済の膨張のほうが中国経済の膨張に比べ、他の国を圧迫することが少ない構造になっていることが良くわかる。

 

同じ表を日、独、米について作成してみると「日独がまあ中国と同じ投資・輸出依存型の経済構造、インドが(米国ほど極端ではないにせよ)まあ米国と同じ消費依存型の経済構造」という感覚がつかめると思う。

 

消費

設備

投資

政府

投資

輸出

輸入

貿易

日本

1992

53.0%

30.8%

13.9%

9.9%

7.7%

2.2%

1997

55.2%

27.7%

15.3%

10.9%

9.8%

1.1%

2002

57.7%

23.3%

18.0%

11.4%

10.1%

1.3%

2007

57.0%

23.3%

17.5%

17.6%

15.9%

1.7%

ドイツ

1992

57.5%

23.6%

19.6%

24.1%

24.5%

-0.5%

1997

58.2%

21.1%

19.4%

27.5%

26.2%

1.2%

2002

59.0%

18.4%

19.2%

35.7%

31.2%

4.6%

2007

56.7%

18.6%

18.0%

46.7%

39.7%

7.0%

米国

1992

67.4%

16.2%

16.7%

10.1%

10.6%

-0.5%

1997

67.2%

18.6%

14.5%

11.6%

12.8%

-1.2%

2002

70.6%

17.9%

15.4%

9.7%

13.7%

-4.1%

2007

70.9%

18.1%

16.3%

12.0%

17.1%

-5.2%

 

こういうことはちょっと気をつけてものを見ている旅行者の目には見えるものだ。インドと中国にいったことのある人なら、空港に着陸した時点からインドのインフラが中国に比べ圧倒的に劣っていることに気がつく(最近首都デリーの空港は相当程度アップグレードされ、他のアジアの国々の空港に比べ余り遜色がなくなったが)。中国に比べ設備投資が遅れていることがこんなことからも見えてくる。

 

インドの地方行政

 

「インドの民主主義」

http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/01/4219988

でも書いたが、インドの国の基本原理は多様性だ。もっともこれはインドがマウリア王朝(紀元前321~紀元前185年)が崩壊してから1948年の独立まで統一されたことがなかったとか(独立の時点では英国が直接統治している部分と、間接統治していた600に及ぶprincely states藩王国が存在していた!)、インドには主要な言語だけでも10いくつもあるという事情に配慮した独立運動の指導者たちの取った選択肢であるという側面があることを念頭におかなければならない。

 

抽象的な話は別として、首都デリーの一角に、インド各州政府の営む特産品販売所が集まるややうらぶれた感じの一角がある。各州の店舗を見て回ると、ヒンズー教の神々の像と言った共通項があるにせよ(ただし同じ神様でも表現されるスタイルがことなる)、それぞれの州がほとんど国といってよいほどの文化的な独自性を持っていることが実感できる。

 

その国のような独自の文化を持つ州の集合体であるインドは行政的には28の州と7の連邦直轄地に分かれている。州にはlegislative assembly(州議会)があり、公選で選ばれるMLA(州議会議員)の互選でchief minister(州首相)が州の行政府の長として選出され、州の行政をつかさどる。州首相の上に中央政府の任命したgovernor(州知事)がいるが、州知事の権限は州議会が混乱しているようなとき以外は極めて限定的だ。

 

中央政府が地方行政に介在する部分は、地方に送り込まれる中央政府選抜の官僚(行政官僚のIASと警察官僚のIPSと言うカテゴリーがある)を通じてだ。州首相は絶大な行政権限を有しており各州の行政官は地元採用の地方公務員が主体だが、彼らの上に立つのは州の官僚機構全体の長であるIAS出身のChief Secretaryだ。州警察も地元採用者が主体だが、州警察の長はIPS出身のCommissionerだ。インドの地方自治はこのように地方公務員や、公選で選ばれた行政の長を、中央政府が選任した行政官が補佐しチェックする形になっている。日本の行政機構も似たような設計になっているが、大きな違いは日本の地方自治体に出向してくる中央省庁の役人は出身元の紐がついていて出向先の部署も例えば総務省出身者なら県の総務部長になるとかポストが概ね特定されている点だ。インドの場合はIASやIPSと言うプールの中から必ずしも特定の中央官庁と紐つかない形で官僚が異動してくるところだ。

 

対する中国

 

秦の始皇帝以来「連綿と」とはいえないにせよ、曲がりなりにも統一国家であった時期が継続している。その統一国家の特徴は、独断とのそしりを恐れずに言えば、儒教的な秩序を理想とする、同じ漢字を使う、いわば漢文化を基とした中央集権国家だ。唐のように異民族をその行政に取り込んだことはあっても、あくまでも漢文化を受け容れた異民族を取り込んでいるのであって、漢文化を受け容れない異民族は東夷、西戎、北狄、南蛮だ。

 

国家は版図の外の蛮族との緊張関係の上に成り立っており、国内の異分子は版図の外の蛮族と通じるうるもの、つまりは国家の秩序を乱しうるもの、として監視の対象となる。その異分子が自分達の文化や自治を主張すると強烈な拒否反応が働く。チベットや新彊省で起きた騒乱に対する中共政権の対応は別に「これが共産党政権だから」ではない。これらの騒乱に対して漢民族の間では一般的に中共政権の対応を支持する声が強い、否「手ぬるい」とする声もあるくらいだと言うことを忘れてならない。

 

北京オリンピックの開会式に登場した少数民族の衣装を着た少年少女がすべて漢民族であることにまったく無頓着だったり、今回中華人民共和国成立60周年の国慶節用に天安門広場に設置された高さ13mの「民族団結柱」に出ている民族名の表記がすべて漢語であって例えばチベット族を象徴する塔にチベット語の表記がないことが問題にならないお国柄だ[註](各民族ごとの柱の図柄は

http://bbs.qianlong.com/thread-555100-1-1.html

ご参照)。地方自治などほとんど存在しない。地方の行政府の長(のみならず重要な企業の長も)はすべて中共中央組織部の決めた人事異動に基づいて決まる。中国には多様性を受け容れる素地がそもそも希薄なのだ 。同じような価値基準で選任された政治家兼行政官が全国津々浦々に派遣されて行政をつかさどるシステムだから、国全体をひとつのベクトルに向けるのは中国のほうがインドよりはるかに容易だ。

 

[註]

民族団結柱については日経ビジネスオンラインのコラム「北村豊の『中国・キタムラレポート』」の10月2日の記事

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090929/205816/?P=4

ご参照。各民族の図案へのリンクについては北村豊氏に教示いただいた。

 

所得分布

 

さて、平均すれば中国人のほうがインド人より経済的には裕福だし、インドのほうが中国より貧困層の絶対数が多いのは間違いないところだ。日本よりForbesフォーブス誌の世界高額所得者ランキングに登場する金持ちの数が多いインドの街を歩くと、地面から沸いたような数の人による混雑や喧騒と、貧困を抱えたスラムを散見することになる。中国の都市を歩いてこのようなあからさまな貧困にはなかなか遭遇できない。で、短絡的にインドのことを貧富の差がひどい国だ、との結論を出しがちだ。しかし、街を歩いた印象だけでの判断は禁物だ。

 

所得分配の不公平を計るGini Indexジニ係数で見る限り、インドは2004年の調査で36.8で、47の中国に比べはるかに所得が均等に分布している計算だ (ちなみに日本のジニ係数は厚生労働省の2005年所得再配分調査によれば社会保障や所得税の効果を考慮した後で32.25、アメリカは中国並みの46.3)。どうして、街を歩いた印象とジニ係数の示す数字との差が乖離するのだろう?

 

これは仮説だが、私は中国の場合ジニ係数が高くなるのは沿岸部と内陸部の所得格差の大きさが反映されるからで、地方間の格差が中国ほど極端ではないインドの場合はジニ係数が圧縮される方向に働くからではないかと考えている。要は中央政府が国の資源を一定の計画のもとに強圧的に傾斜配分できる中国と、民主的な手続きをとる過程でさまざまな利害関係者とのバランスをとるので強圧的な開発政策をとれないインドとの差の現われと言っても良いと思う。

 

ただ、所得の分配が中国よりうまくいっていることと、貧困層の絶対数の問題は違う。このブログで何度も書いているがインドの政府当局には貧困層の絶対数を減らすという重要な課題が引き続き課せられている。

 

中印の連携

 

独立当時のインドの首相であったネールが中印両国の構成原理の差を認識していたかどうかはわからないが、彼はインド独立の翌年に成立した中華人民共和国との関係を築き、それを核として彼が主宰する非同盟諸国運動を世界政治におけるひとつの枢軸にしてゆく夢を持っていた。

 

しかし、1950年の人民解放軍によるチベット「解放」に伴うチベットの指導者ダライ・ラマを含む大量のチベット人難民のインドへの流入に伴い、民主主義や多様性を国是とするインドが行きがかり上亡命チベット人の庇護者となったこと、国境をめぐる1962年の中印紛争で中国と砲火を交えたこと、といったことからネールは中印枢軸の形成が困難であると認識するにいたった。冷静な政治的な計算とは別に、ネールは中国によるチベット併合の課程の評価を通じて、中国に「多様性」そのものを国家の構成原理とするインドとは相容れないものを感じたのだと思う。

 

前述のように国境紛争はいまだに継続しているし、中国がインドを牽制する意味もあって、インドの仮想敵国のパキスタンにアレコレ援助をしたり、最近はスリランカに手を回して同国南部のハンバントタ港を中国の軍港にする計画が表面化したり、中国の政府系ウェブサイトGlobal Times

http://www.globaltimes.cn/ に「インドは求心力がないので一触で分解できる」と言う内容の国内の別なウェブサイトのポストが紹介される状態では、まあ中印関係が真の信頼と友好に基づいたものとなるには日中関係修復同様、相当の時間を要すると考えたほうが良いだろう。

 

 


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