Material Adversity Clause (MAC、重大な瑕疵条項) とBreak fee (違約賠償金)2009/11/05 22:15

M&Aの一般的な手順では、まず買収する側が条件付の価格呈示を行い、売却する側がその条件と価格を受け容れるところから、一連の作業が開始する。

次に始まる作業はdue diligenceと言われる作業で、これは事業を売却する側が自己の内部情報を原則的にすべて開示し、買収する側がそれを精査するプロセスだ。もっとも「すべて開示する」といっても、売却する側が最初からすべての情報を出すことは稀で、当初一般的な帳票類が開示されていて、それ以上の情報については買収する側が自分の知見に基づき「アレを出せ、コレを出せ」と言った要求を出し、それに対して売却側が「コレを出す以上はコレコレまでに最終的な買収価格が呈示されるものとする」とかいった条件をつけたりしながら情報開示をするのが一般的だ。

Due diligenceに入ってしまうと、二重帳簿をつけていたとか、法律に違反した操業を意図的に行っていた、とかいった重大な瑕疵が発見されない限り「買収を止めます」と言うことはできない。

「重大な瑕疵」は往々にして未対策で放置されている問題だから、対策費用分企業価値が下がる。従い買収側は「重大な瑕疵」を理由として売却側に当然相応の値引きを要求できる。冒頭部に書いた「条件付の価格提示」の際の条件のうちの代表的なものがこの「重大な瑕疵があれば提示価格を下げられる」というもので、M&A業界ではこの条項をMaterial Adversity Clause (略してMAC)という。

最近日本の企業が関与した大型買収案件で重大な瑕疵が発見された例として第一三共によるインドの製薬メーカーRanbaxy Laboratoriesの買収が有名だ。買収作業が進んでいる最中にRanbaxyの工場の製造管理水準を理由としてアメリカのFDA(連邦薬事局)がRanbaxyの一部医薬の米国内での販売を禁止したことが報道された。Ranbaxyにとって医薬の対米輸出は重要ビジネスなので、当然これはRanbaxyの企業価値を左右する重大な瑕疵だ。第一三共が当初想定していた価格にはこの事態は想定されていなかったはずで、第一三共は当然MACを発動してRanbaxyの株主に対して買収前に大幅な値引きを要求できたはずだし、買収前の値引きが叶えられなかった場合は、事業売買契約の補償条項にこれを特記しておき多額の補償金の要求ができたはずだ。しかし第一三共がこのいずれの道も選択せず、2009年3月末に悄然と3513億円の特別損失の計上を行ったのは世のM&A業界の驚きと失笑を買った。このあたり、第一三共側についていた野村證券やJones Day弁護士事務所がどのようなアドバイスをしていたのか、またそのアドバイスに対して第一三共の経営陣がどのような判断をしていたのか興味のある部分だが、当事者でない私にはこの辺は判らない。どこかのジャーナリストがこの辺を取材して記事にでもしてくれないかと思っている。

個人的にはインドの製薬会社を経営するなどという大それたことの自信のない第一三共の経営陣が予めRanbaxyの大株主であるMalvinder Singh会長にRanbaxyの経営を任せることを想定していたため、MACを発動して買収代金を値切って同会長の心証を悪くすることを恐れ、こういうことになったのではないかと推測している。だらしない。コレじゃインド商人にヤラレッパナシですねぇ。

重大な瑕疵はない状態で「止めた」と言って売主/買主いずれかが降りる場合、「止めた」と言った側から相手方に対しbreak feeと言われる賠償金が支払われるのが常だ。Break feeはM&Aの準備をするための直接間接の経費の補填という以外に、買収側にしても売却側にしてもM&Aをそれなりに経営計画に織り込んでいるはずなので、「止めた」と言う人為的な行為によって経営計画が狂うことによる損害補償という意味合いがあるので、結構多額になりがちだ。

今まさに起きている事例でいうと、GMが同社の欧州事業売却を取りやめたのがbreak feeを発生させうる代表的なものだ。

GMは9月にドイツ政府の仲介もあって同社の欧州自動車事業を大手自動車部品メーカーのMagnaとロシアの銀行Sberbank連合に売却することをいったん発表していた。Magnaは自動車の製造まで手がける世界最大級の自動車部品メーカー、Sberbankはロシア最大の民間銀行だがロシア中央銀行がその株式の6割強を保有するまさにロシア政府そのもののような存在だ。ところがGMは11月4日に以下のような発表を行った:

<Given an improving business environment for GM over the past few months, and the importance of Opel (and) Vauxhall to GM's global strategy, the GM board of directors has decided to retain Opel and will initiate a restructuring of its European operations in earnest
過去数ヶ月にわたる経営状況の好転と、GMの世界戦略におけるオペルとボクソールの重要性にかんがみ、GMの取締役会はオペルを保有し続け、欧州における事業のリストラに真剣に取組むことを決定した>

つまり「情勢が変わったので欧州の自動車事業売却を止めた」わけだ。ちなみに上記の発表はドイツの雑誌Der Spiegel英文ウェブサイトからの引用で、今現在GMのウェブサイトには

<ADVISORY: General Motors Media Conference Call on Wednesday, November 4 at 1:00 pm EST
連絡: メディアに対するGM電話にての記者会見、11月4日水曜、東部標準時午後1時(日本時間11月5日午前2時)に実施>

との見出しの下に「これがGM取締役会によるオペルに関する発表である」旨の説明が一行加えられているだけだ。

オペルに働くドイツ人25,000人やその裾野産業の雇用を守るため、EU内の不協和音にもめげず15億ユーロ(2007億円)のつなぎ融資を実施し、45億ユーロ(6021億円)の資金援助を約束していたドイツ政府はかんかんだ。

<The Consortium is pleased that its plan for Opel has satisfied General Motors. Together with General Motors, Opel employees and Opel dealers, the Consortium will now work hard to lead Opel into a successful future
[Magna/Sberbank]連合のオペルに関する提案がGMの満足を得たことは喜ばしい。これより[Magna/Sberbank]連合はGM、オペルで働く人々、オペルのディーラーと共にオペルの輝かしい未来のために懸命に努力する。>

とのMagnaとの共同声明を出したSberbankの背後にいるロシアのプーチン首相も当然のことながらカンカンだ。ドイツ政府は早速つなぎ融資15億ユーロの返済を求めた由だ(Der Spiegelによれば残高は約9億ユーロ、1204億円)。

さて、GMが支払うことになるbreak feeはいくらくらいになるのだろう?今のところこれを取上げた報道は見当たらない。

ちなみにMagnaはGMの発表前日の11月3日付で

<AURORA, ON, Nov. 3 - Magna International Inc. (TSX: MG.A, NYSE: MGA) today announced that it has been advised by General Motors ("GM") that the GM Board of Directors has decided to terminate the sale process for Opel.

Siegfried Wolf, Magna's Co-Chief Executive Officer stated: "We understand that the Board concluded that it was in GM's best interests to retain Opel, which plays an important role within GM's global organization. We will continue to support Opel and GM in the challenges ahead [後略]

11月3日、オンタリオ州オーロラ。 Magna International Inc(トロント証券取引所取引コードMG.A、ニューヨーク証券取引所取引コードMGA)は本日GM取締役会がオペルの売却を中止するとの決定を行ったとの連絡をGMから受けた。

Magnaの共同CEO Siegfried Wolfは「我々は[GMの]取締役会が、GMのグローバル戦略の中で重要な位置づけを持つオペルを保有し続けることがGMにとって最良の選択肢であるとの結論に至ったと理解している。我々はこれからの試練の過程でもオペルとGMを支持し続ける[後略]>

と随分下手に出た発表を行っている。カナダのオンタリオ州は東部標準時を採用しているので、Magnaの発表がGMの公式記者会見以前だったと言うのが興味のある部分だ。MagnaにとってGMは大口顧客なのであまり強面と言うわけにも行かないのかもしれないが、この落ち着いた発表を見ると「Magnaはこのような事態になることを以前から知っていたのではないか」と言う気がしないでもない。

Financial reform -- our way forward2009/11/09 21:37

The bankers’ compensation proposal made by US Special Master for Executive

The bankers’ compensation proposal made by US Special Master for Executive

Compensation Kenneth Feinberg and backed by US President Obama has come

under fire for being ill advised.  I quite agree with all those who believe that

this would only make way for a two tiered system of “ill paid” and presumably

ill staffed government owned institutions vs a “sky is the limit remunerated” and

presumably talent studded privately owned institutions operating with little

control. 

 

I am also not comfortable with Mervin King of Bank of England’s prescription

(Ref 1) for the banking industry to be split into a utility like regulated banks

(presumably manned by the “ill paid” bankers), which would be bailed out by

the government in the event of a catastrophe, and a lightly, if at all, regulated

bank making bets with investors’ money (presumably run by the “sky is the

limit” bankers) that would not be bailed out in the event of a market failure. 

 

After all, the financial world is interconnected.  Despite controls, the “utility

bankers” will most certainly be attracted to the siren calls of higher return

offered by the “casino bankers” as a moth does to light.  To help the hapless

“utility bankers” the latter will no doubt find creative ways to ease the flow of

the former’s insured deposits towards the latter.  Thus, in the event of the

occasional and inevitable failure of the “casino banks”, it would be impossible

to insulate the “utility banks” from the failure of the “casino banks”.  Maybe

with strict regulation damage could be controlled, but there will always be some

major “utility bank” player who somehow had managed to find a loophole.

 

I am also not convinced that reforming the remuneration system, so that pay is

staggered over time to reflect the effects of unforeseen financial events, or

setting aside adequate reserves as cushion for financial cataclysms, would in

themselves be effective tools to ensure the integrity of the global financial

system.  After all, the “financial wizzes” of this world are smart enough to

design some product that would ensure that those staggered remunerations are

paid out in cash at, well argued but in essence arbitrarily set, “net” present value. 

These wizzes should also be smart enough to devise esoteric “instruments” for

shoring up capital.

 

As a result of all this, I am convinced that there will be no solution unless we go

to the root of the problem, and that is to provide less fodder for the “casino

bankers” to play with.  As the fodder is provided by the overabundance of

credit, if we can manage to shrink credit, finance would certainly become less

“interesting” but more in line with reality. 

 

I contend that changing our mindset to enable us to seek that is what should be

attempted, however quixotic it may sound.  In that sense, I believe that

French President Sarkozy certainly pointed in the right direction, when he

convened a Commission on the Measurement of Economic Performance and

Social Progress to consider “additional information [which] might be required

for the production of more relevant indicators or social progress” (Ref 2). 

 

Such a world would alas be less glamorous, and as Financial Times’ Martin

Wolf asks, “Do we want that?” (Ref 3) – I think we should. 

 

 

References:

 

1.        Speech by Mervin King Governor of The Bank of England to Scottish

Business Organisations, Edinburgh on Tuesday 20 October 2009

 

2.        Joseph E Stiglitz, Amartya Sen and Jean-Paul Fitoussi ed., Report by the

Commission on the Measurement of Economic Performance and Social

Progress

 

3.        Martin Wolf, “Why curbing finance is hard to do”, Financial Times, 22

October 2009

Imagining India(インドを構想する)フォローアップ2009/11/12 00:48

Imagining India(インドを構想する) で
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/30/4662143

<Infosysの大株主として10億ドルを超える個人資産を持つニレカニがUIAI の長官職についたのは、国民総背番号化を通じてインドの行政のIT化や効率化推進のきっかけを作りたいとの意思の現われと見てよいだろう。彼には本の中で語りつくしていない壮大なITを使ったインドの行政の効率化のビジョンがあるはずだ。>

と書いたが、たまたま11/10付のWall Street Journal紙にニレカニがUIAI長官職についてから、いかにインドの官僚機構に足を取られているのかについての記事が出ていた(In New Role Nilekani Focuses on Politics, not Technology「ニレカニ、新しい仕事では技術ではなく政治に注力」)。記事によれば6月にUIAI長官に着任してから、ニレカニはもっぱらプロジェクトの重要性を説明するため関係省庁や地方自治体をまわっている由だ。

インド国内では早くもプロジェクトのコスト、実施可能性、データ保護などについての議論が起きているとのことで、ニレカニはこのようなさまざまな障害を乗り越えて国民総背番号制を根付かせてゆかねばならない。事務所の設立や職員の採用もビジネスのようにはテキパキ進まず、当人はThe cholesterol in the system for these types of decisions is much higher(このような決断をするに際しての組織内のコレステロールはかなり高い)とぼやいているようだ。

アメリカ人と交渉するとき2009/11/12 23:55

先日二人の民主党員の女性と会食した

先日二人の民主党員の女性と会食した。民主党と言ってもアメリカの民主党The

Democratic Partyの方だ。片方は普段はワシントンで女性運動のNPOを主宰している中学

校時代のクラスメートで、「今回の来日の際、アポイント取得等であれこれお世話になってい

るので食事でも」と言う彼女の誘いにのったものだ。

 

お互いの家族のことなど身辺雑事の話をしていたが、そのうち昨年のアメリカの大統領選挙

に話が向かった。私が仕向けたのではなく、ワシントンから来日した方が大統領選当時熱心

なヒラリー・クリントン上院議員(現国務長官)支持者として活動をしていて(と言うことがわか

った)、いかにヒラリーが政治家としてオバマに比べ勝っていたかと言う話をし始め、もう一方

の民主党員が「自分はオバマ支持であった」というと、ワシントンから来日した方が「それは

女性に対する裏切りだ、女性は団結してヒラリーに投票すべきだったのに…これで当面アメ

リカに女性大統領が生まれる芽はなくなった」と言い始めたのがきっかけだ。いわれた方も

それなりの理由があってオバマを支持していたわけだからアレコレ反論する。

 

延々と同じ趣旨の議論をしているので、アメリカンフットボールで監督がタイムアウトのときに

示す手信号(両手を丁字型に交差させる)を数回出したが、いっこう昨年の大統領選挙から

話が移らない。

 

もうヒラリーの敗戦談をきかされるのは結構。「要するに選挙のシステムに対応する選挙戦

をうまく組み立てられたオバマが勝ったということではないか?That’s politics isn’t it(それ

が政治というものじゃないか)?」と割って入った。

 

私の発言が火に油を注いだようだ。結構にぎやかなレストランで周りの客がこちらを振り向く

ほどワーワー話しをするハメになった。年をとってくるとお互い結構頑固になってくることの証

左かもしれない。

 

何でこういうことを書く気になったかと言うと、ちょうど野村総研のリチャード・クー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC

が野村證券のウェブサイトに連載している「マンデー・ミーティング・メモ」の11月9日号に以

下のようなことを書いていたからだ。ちょっと長くなるが引用してみる:

 

 

今回私は、ワシントンでアーミテージ元国務副長官とも意見交換する機会があっ

たが、彼のこの問題 [日本の民主党政権が「アジア寄り」に外交政策の舵を切る

ことを表明したこと] に対する懸念は大変なものであった。

 

つまり私のほうからは、新政権の人々は「アジア寄り」と言っているが、日米関係

の重要性にも言及しており、現実にはわずかな(数インチ程度の)スタンス変更で

終わるのではないかと言ったところ、彼は今のような微妙な時期に、日本が数イ

ンチでも“逆"の方向に動いたときの悪影響を考えて見たことがあるのか!と大

声で言われてしまったのである。

 

 

ははあ、彼も大声でやられたんだ。アメリカ人と話をしていると、時々このような状況に遭遇

する。このときの対応方法は:

 

1.         不満だが黙りこむ(語学力に自信のない日本人がよくとる方法)

 

2.         先日の私のようにワーワーやる(それなりに語学力がないとこれは無理。ただし、

ひとつ対処法がある。「お前は対案を示さずノーとしかいえないのか?」とバカにさ

れるが、反対であったりいやなことについては「ノー」とか「反対だ」と言い続けるこ

とだ)

 

の二つしかない。ただし後者、つまりワーワーやるほうを選択する場合、その結果には責任

と持たねばならない。

 

更にクーの文章からの引用を続ける。

 

 

実際、今回の経済危機で米国が自信を失い、外交的にも内向きになる危険性は

高い。[中略] このような中で、日本までもが、たとえ数インチであっても中国寄り

に動き出せば、米国としても、これ以上アジアにコミットするのは得策ではないと

言う判断になりかねないのである。

 

[中略]

 

「アジア重視」と言う言葉の聞こえは良いが、日本の新政権がそこまで考えて「ア

ジア寄り」の話をしているかどうかは大変気になるところである。

 

 

アーミテージに怒鳴られたことにどう対処したのかは書いてない。

 

私の例では相手とは特段の利害関係もないので最悪友人でなくなるリスクさえ覚悟すれば

すむが、アーミテージの主張に対しては、黙りこまずに反論するなら「~の事情から悪影響

はない」とその根拠を示して主張するか、「確かに悪影響はあるが、それにはこのように対

処するので問題はない」とか「~のような好影響もあるので好悪を相殺すると総合的にはプ

ラスだ」とか言って切り返せないとだめだ。こちらの反論に対し相手が大声をあげ続ける場

合は、交渉テクニックとしては必要に応じて声高に、机をたたいてでも相手の発言をさえぎ

ることも必要だ。

 

クーの場合、上記の文章のような懸念があったので、2.と言う対応はしなかっただろうと想

像される。

 

蛇足になるが、私はクーの懸念はしかし誠にもっともだと思う。

 

アジア重視を打ち出した結果、アメリカが徐々にアジアから手をひきだせば、当然日本の軍

備強化を考えねばならない。ところが日本の軍備強化は特に中国を刺激し、日中間で高価

な軍拡競争を招く恐れがある。アメリカという緩衝材がいるほうが便利である可能性もある

のだ。「アジア重視」と言う掛け声とは別に、我々はアメリカ軍の駐留費用の一部を負担しな

がら彼らをこの地域に留まらせるという選択肢のほうが安くつくのか冷静に計算をしてみる

必要がある。

 

出発したばかりの日本の民主党政権にとって内外共に課題山積で、どこからどう手をつけ

てゆかねばならないのか頭が痛いところだろうが(その実当選後一年のオバマ政権も同じ

ような状況におかれている)、課題を整理し、順序付けをし、一歩一歩解決を図って行って

ほしいものである。

 

補足: ワシントンから来日した友人は坂東眞理子女史の知人なので坂東女史がが学長を

つとめる昭和女子大学で女性の地位向上に関する講演をした。講演の途中、前列に座る

女子大生何人かが居眠りをしていた由だ。通訳つきだったので「話が判らないので寝てい

た」という言い訳は通じない。まあ昭和女子大と例えばヒラリーが卒業したアメリカ東部の名

門女子大Wellesley Collegeを同一次元で比較するつもりはないが、こういう話を聞くと「日

本の前途はさてどうなるのだろうか」と暗澹たる気持ちになる。

 

 

Financial Reform -- Our way forwardの解説2009/11/22 14:07

Financial Reform – Our way forward
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/11/09/4685331
はもともと英国の経済紙Financial Timesの投稿欄に投稿するつもりで書いた原稿に手を加えたもので、それなりの英文で書いている。ちなみに当ブログの「Clawback(所得の返還)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/14/4175373
と「衆院選における民主圧勝について」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/08/31/4553880
に関連する内容で投稿した文章はそれぞれFinancial Timesの投稿欄に掲載されている。

ある読者から「Financial Reform – Our way forwardは読んでもわかりにくいので日本語でアップしないのか」と問われた。実はここで書いた内容は

* 現在の日本の金融機関にはあまり当てはまらない内容であること

* これまでこのブログで書いてきたことと結構ダブル

ので、果たしてここに解説版を掲載しようかどうか迷っていたが、その読者の勧めもあって「現代欧米金融事情解説」という意味あいも含め、ここにその解説を掲載する。

アメリカのゴールドマン・サックス(「投資銀行のゴールドマン・サックス」と書きたいところだが、アメリカの金融危機に伴い2008年9月に銀行持株会社となっている)は2009年9月末現在で167億ドル(約1.5兆円)のボーナス原資を積み上げている。ゴールドマンには400名強のパートナー(代表社員)と言われる、会社の利益配分を直接受けられる人々がいる。ボーナス原資のうち約1/3がパートナーの取り分といわれており、本年9月末現在でゴールドマンのパートナーは単純平均で一人当り1392万ドル(約12.5億円)のボーナスの権利を今年の9ヶ月だけで獲得したことになる。ゴールドマンの業績は更に好調だと言うことなので、ゴールドマンのパートナーをやっていれば単純平均で今年20億円くらいのボーナスが転がり込んでくると言うことになる感じだ。さすがにゴールドマンもこのままではまずいと思ったようで、11/17に「向こう5年にわたり会社として中小企業振興のため5億ドル(約450億円、ボーナス原資の約3%)を支出する」と発表した。

金融危機によって招来された世界同時不況発生の結果「パートナーも含むゴールドマンの社員がこれだけのボーナスをもらうことに妥当性はあるのだろうか?」と言う疑問が当然沸き起こった。

* Counterparty Risk(契約相手方のリスク)
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/27/4208855
でも書いたAIGのカウンターパーティーリスクをアメリカ政府に引き受けてもらって利益を出しているのに、何故?

* 政府が資金を供給し続けている金融市場で債権の売買益を計上しているのは、金融市場の方向が比較的単純に読めるだけに低リスクでお金をもうけられる状態になっているからではないか?

* ベア・スターンズとかリーマン・ブラザースと言った競合相手が倒産した、つまりは競合条件が良くなった市場でこれだけの利益が出るのはあたりまえではないか?

この種のコメントはゴールドマンのみならず、今年空前の好決算をあげることが見込まれる欧米の一部金融機関すべてについていえることだ。

これらの声に対しゴールドマン側にそれなりの言い分があることは事実だ。しかし、アメリカ政府が当時AIGのカウンターパーティーリスクを引受けず、結果的に金融恐慌がもっと激しい形で展開していたら、そしてその結果AIGのカウンターパーティーリスクが満額で発生するのみならず他の金融商品でも発生したら、ゴールドマンの純資産を超える損害が発生し、ゴールドマンといえども倒産の危機に瀕したことは間違いない。

要は、政府の金融市場支援で息をつないげた金融機関が、制度の恩恵のおかげで計上できている利益で多額のボーナスを支払うのは、合法的かもしれないが倫理的には首を傾げざるを得ないということだ。

そのような経緯もあって9月にアメリカのピッツバーグで開催されたG20会議ではこのボーナス規制問題が論議され、具体性は欠くがG20のコミュニケには以下のような文面が加えられた。

< 16. (前略)Where reckless behavior and a lack of responsibility led to crisis, we will not allow a return to banking as usual.

外務省仮訳(2ヶ月たっていまだに仮訳なんですかねぇ): 無謀な行動と責任の欠如が危機へと導いたところでは、我々は、通常の[←これは誤訳だ「これまでのような」が正しい]銀行業務に回帰することを許さない。

17. We committed to act together to raise capital standards, to implement strong international compensation standards aimed at ending practices that lead to excessive risk-taking, to improve the over-the-counter derivatives market and to create more powerful tools to hold large global firms to account for the risks they take.

外務省仮訳: 我々は、資本基準 [資本準備基準のほうが原文の意図に沿っている] を引上げ、過度なリスク・テイクへと導く報酬慣行を終了せることを目的とした強力な国際的な報酬基準を実施し、店頭デリバティブ市場を改善し、大規模な世界的金融機関が自らとるリスクへの責任を有するためのより強力な手段を創出するために共に行動することにコミットした。>

ボーナス文化がもっとも顕著だったのはいわずと知れたアメリカだ。いわゆるアメリカン・ドリームのせいもあって、アメリカ人は一般的には貧富の格差については比較的寛容だ。しかしそのアメリカでも「少なくとも政府が出資している間は金融機関が支払う給与に制限を加えよう」と言う論議がおき、政府内にSpecial Master for Executive Compensation(重役報酬に関する特命調査班長)という職責がもうけられ、レポートが今月発表された。

レポートが発表されると、

* 政府が出資している金融機関の給与を抑えれば優秀な人材がゴールドマンのように政府の出資金を返済しこのような制限のつかない金融機関に移動する、

* 優秀な人材が非規制業種である投資会社に移動するか、自分で投資会社を始めるだろう

と言う議論がおきている。この議論自体はもっともだが、「そもそも金融機関がそんなにもうかるのは経済システムに何か問題があるのではないか」と言う議論は起きていない。この点については後で触れたい。

もうひとつ欧米で起きている議論は「リーマンブラザース倒産一周年」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/09/19/4588105
でも書いた、金融機関を

* 厳重に規制し、引き換えにつぶれさせない低リスクのものと、

* 規制はゆるくするがつぶれるにまかせる高リスク型のものと

に分けてはどうかというものだ。これは多くの欧米の金融機関が規制をかいくぐって過大なリスク伴う業務に手を出すことで拡大し、倒産すると国民経済をゆるがせる規模まで肥大したため、今回の金融危機では政府が資金を導入せざるを得ない事態になったことに対する反省から起きている議論だ。

この議論では「低リスクの金融機関は単純に預金、送金、貸出業務に従事する」というひとつの前提がついている。規制の中には給与も含まれるから、強い規制を受ける低リスクの金融機関に勤める職員は、高リスクの金融機関の職員に比べ給与が低いということになる。アメリカのヴォルカー元連邦準備銀行総裁やキング イングランド銀行(英国中銀)総裁がこの趣旨の議論を展開しているが、両国の金融等行政当局はこの提案には冷淡だ。

「リーマンブラザース倒産一周年」で私は金融機関をこのようなタイプに仕分けする立場をどちらかと言えば支持するスタンスを示した。しかしよくよく考えてみると、所詮政府の規制など現実の社会の動きに追随するものだ。高給を食む高リスクの金融機関側が相対的に給与の低い低リスクの金融機関職員にあの手この手で営業攻勢をかけ、当局の規制が及ばない新たな商品を開発して、低リスクの金融機関の余裕資金を吸い出すのは十分予測がつく話だ。従い「これはあまり名案ではない」と言うのが現在の私の結論だ。

話を「そもそも金融機関がそんなにもうかるのがおかしい」と言う点に戻す。さまざまな金融商品が次から次へと生み出される背景にはこの世の金余りがある。現在金融の世界をめぐっている資金の量は実体経済の数倍になっているとされている。これだけ余剰のお金があるのでそれをアレコレ運用するニーズがあり投資会社が繁盛するわけだ。その余剰のお金をもう少し縮小すればどうなるのか?

これは日本のバブル崩壊後の過程を見れば明らかだろう。

お金の供給が絞られれば余剰資金があることに慣れきっている経済はエンスト気味、つまりは不況になるだろう。そして企業は当面使用目的のないお金はどんどん返済したり貯金したりして、経済から資金が引き上げられる。ここで何度も取上げている野村総研のリチャード・クーがいうところのバランスシート不況だ。

これに対するクーの処方箋は「経済成長?」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/02/21/4133925
や「今こそ社会政策の拡大を(1/3)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/11/4238642
でも書いたが「何でも良いから政府の財政投資をして経済の息が吹き返してくるのを待つ」だ。しかし、日本のように、そもそも国民の多くが多少生活のレベルの切り下げを余儀なくされているとはいえ、ソコソコの生活ができるようになっており、また人口も増えていない状態で、単純に政府の財政支出で時間稼ぎをして経済の息が吹き返すのを待つというのは楽天的に過ぎる議論なのではないか考えている。ただし、社会保障の充実については生活レベルの底上げにもなり、多少の効果があろうとは思うが…

事情はヨーロッパ、特に人口が停滞したり減ったりしているが、国民の各層がソコソコの生活を保証されている西ヨーロッパでも大体同じことだ。となると唯一期待がつなげるのは人口が純増しているアメリカくらいではないかと思う。

とすると、日本や西ヨーロッパが自国の経済を成長させられる余地は、せいぜい大幅に移民を認めるか、アメリカか新興国に対する輸出だけだということになる。しかし輸出にしたところで、これまでその一手引き受け先の役割を果たしていたアメリカが不調となると、そんなに大量に商品を引き受けてくれる向け先があるわけではない。日本にしてもヨーロッパにしても、ヨーロッパは「そろそろ移民はご勘弁を」という状態だし、日本は大幅な移民の受け入れには感情的な抵抗があるところだ。

ということはわれわれの経済はブームやバブルのときにつけた余剰をなくすまで、或いは「内需を増やせ(1/2)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/09/4161328
で書いた高い生産性の産業構造に移行するまで、縮小均衡するということになるのではなかろうか。

「リーマンブラザース倒産一周年」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/09/19/4588105
で私はフランスのサルコジ大統領が招集したCommission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress(経済的な成果と社会発展の計測に関する調査会)のことを書いた。

経済的な成果の向上とは別なものにも満足を求めようという、この委員会が指し示そうとしている指標が認知される過程では、革命的な価値観の転換が要請される。今後とも過大な金融セクターとそれの招来するブーム/バブル→崩壊→ブーム/バブルのプロセスに付き合って行くのか、非経済的なものに新たな価値観を求めるのか、我々は真剣に考えるべきだろう。

補足: 昨年10月付でゴールドマンには94名のパートナーが誕生しているが、その中には日本人と思われる人物3名の名前が見える。彼らに対して、まずは激甚な社内競争を勝ち抜いてパートナーになったことに対する、お祝いを申し上げたい。と同時に、自分の会社のような勝ち組企業がどのような事情で勝ち組たり得たかの背景についての真摯な内省をお願いしたい。その内省の結果、国や社会に帰属すると思われる部分については3%といわず社会貢献に役立てるような行動を期待したい。個人的には中世ヨーロッパのキリスト教徒にならってtithe(収入の10%を喜捨すること--課税所得の10%ではないですよ)というのがひとつのメルクマールではないかと思う。

水のなるほどクイズ2010