Financial Reform -- Our way forwardの解説2009/11/22 14:07

Financial Reform – Our way forward
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/11/09/4685331
はもともと英国の経済紙Financial Timesの投稿欄に投稿するつもりで書いた原稿に手を加えたもので、それなりの英文で書いている。ちなみに当ブログの「Clawback(所得の返還)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/14/4175373
と「衆院選における民主圧勝について」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/08/31/4553880
に関連する内容で投稿した文章はそれぞれFinancial Timesの投稿欄に掲載されている。

ある読者から「Financial Reform – Our way forwardは読んでもわかりにくいので日本語でアップしないのか」と問われた。実はここで書いた内容は

* 現在の日本の金融機関にはあまり当てはまらない内容であること

* これまでこのブログで書いてきたことと結構ダブル

ので、果たしてここに解説版を掲載しようかどうか迷っていたが、その読者の勧めもあって「現代欧米金融事情解説」という意味あいも含め、ここにその解説を掲載する。

アメリカのゴールドマン・サックス(「投資銀行のゴールドマン・サックス」と書きたいところだが、アメリカの金融危機に伴い2008年9月に銀行持株会社となっている)は2009年9月末現在で167億ドル(約1.5兆円)のボーナス原資を積み上げている。ゴールドマンには400名強のパートナー(代表社員)と言われる、会社の利益配分を直接受けられる人々がいる。ボーナス原資のうち約1/3がパートナーの取り分といわれており、本年9月末現在でゴールドマンのパートナーは単純平均で一人当り1392万ドル(約12.5億円)のボーナスの権利を今年の9ヶ月だけで獲得したことになる。ゴールドマンの業績は更に好調だと言うことなので、ゴールドマンのパートナーをやっていれば単純平均で今年20億円くらいのボーナスが転がり込んでくると言うことになる感じだ。さすがにゴールドマンもこのままではまずいと思ったようで、11/17に「向こう5年にわたり会社として中小企業振興のため5億ドル(約450億円、ボーナス原資の約3%)を支出する」と発表した。

金融危機によって招来された世界同時不況発生の結果「パートナーも含むゴールドマンの社員がこれだけのボーナスをもらうことに妥当性はあるのだろうか?」と言う疑問が当然沸き起こった。

* Counterparty Risk(契約相手方のリスク)
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/27/4208855
でも書いたAIGのカウンターパーティーリスクをアメリカ政府に引き受けてもらって利益を出しているのに、何故?

* 政府が資金を供給し続けている金融市場で債権の売買益を計上しているのは、金融市場の方向が比較的単純に読めるだけに低リスクでお金をもうけられる状態になっているからではないか?

* ベア・スターンズとかリーマン・ブラザースと言った競合相手が倒産した、つまりは競合条件が良くなった市場でこれだけの利益が出るのはあたりまえではないか?

この種のコメントはゴールドマンのみならず、今年空前の好決算をあげることが見込まれる欧米の一部金融機関すべてについていえることだ。

これらの声に対しゴールドマン側にそれなりの言い分があることは事実だ。しかし、アメリカ政府が当時AIGのカウンターパーティーリスクを引受けず、結果的に金融恐慌がもっと激しい形で展開していたら、そしてその結果AIGのカウンターパーティーリスクが満額で発生するのみならず他の金融商品でも発生したら、ゴールドマンの純資産を超える損害が発生し、ゴールドマンといえども倒産の危機に瀕したことは間違いない。

要は、政府の金融市場支援で息をつないげた金融機関が、制度の恩恵のおかげで計上できている利益で多額のボーナスを支払うのは、合法的かもしれないが倫理的には首を傾げざるを得ないということだ。

そのような経緯もあって9月にアメリカのピッツバーグで開催されたG20会議ではこのボーナス規制問題が論議され、具体性は欠くがG20のコミュニケには以下のような文面が加えられた。

< 16. (前略)Where reckless behavior and a lack of responsibility led to crisis, we will not allow a return to banking as usual.

外務省仮訳(2ヶ月たっていまだに仮訳なんですかねぇ): 無謀な行動と責任の欠如が危機へと導いたところでは、我々は、通常の[←これは誤訳だ「これまでのような」が正しい]銀行業務に回帰することを許さない。

17. We committed to act together to raise capital standards, to implement strong international compensation standards aimed at ending practices that lead to excessive risk-taking, to improve the over-the-counter derivatives market and to create more powerful tools to hold large global firms to account for the risks they take.

外務省仮訳: 我々は、資本基準 [資本準備基準のほうが原文の意図に沿っている] を引上げ、過度なリスク・テイクへと導く報酬慣行を終了せることを目的とした強力な国際的な報酬基準を実施し、店頭デリバティブ市場を改善し、大規模な世界的金融機関が自らとるリスクへの責任を有するためのより強力な手段を創出するために共に行動することにコミットした。>

ボーナス文化がもっとも顕著だったのはいわずと知れたアメリカだ。いわゆるアメリカン・ドリームのせいもあって、アメリカ人は一般的には貧富の格差については比較的寛容だ。しかしそのアメリカでも「少なくとも政府が出資している間は金融機関が支払う給与に制限を加えよう」と言う論議がおき、政府内にSpecial Master for Executive Compensation(重役報酬に関する特命調査班長)という職責がもうけられ、レポートが今月発表された。

レポートが発表されると、

* 政府が出資している金融機関の給与を抑えれば優秀な人材がゴールドマンのように政府の出資金を返済しこのような制限のつかない金融機関に移動する、

* 優秀な人材が非規制業種である投資会社に移動するか、自分で投資会社を始めるだろう

と言う議論がおきている。この議論自体はもっともだが、「そもそも金融機関がそんなにもうかるのは経済システムに何か問題があるのではないか」と言う議論は起きていない。この点については後で触れたい。

もうひとつ欧米で起きている議論は「リーマンブラザース倒産一周年」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/09/19/4588105
でも書いた、金融機関を

* 厳重に規制し、引き換えにつぶれさせない低リスクのものと、

* 規制はゆるくするがつぶれるにまかせる高リスク型のものと

に分けてはどうかというものだ。これは多くの欧米の金融機関が規制をかいくぐって過大なリスク伴う業務に手を出すことで拡大し、倒産すると国民経済をゆるがせる規模まで肥大したため、今回の金融危機では政府が資金を導入せざるを得ない事態になったことに対する反省から起きている議論だ。

この議論では「低リスクの金融機関は単純に預金、送金、貸出業務に従事する」というひとつの前提がついている。規制の中には給与も含まれるから、強い規制を受ける低リスクの金融機関に勤める職員は、高リスクの金融機関の職員に比べ給与が低いということになる。アメリカのヴォルカー元連邦準備銀行総裁やキング イングランド銀行(英国中銀)総裁がこの趣旨の議論を展開しているが、両国の金融等行政当局はこの提案には冷淡だ。

「リーマンブラザース倒産一周年」で私は金融機関をこのようなタイプに仕分けする立場をどちらかと言えば支持するスタンスを示した。しかしよくよく考えてみると、所詮政府の規制など現実の社会の動きに追随するものだ。高給を食む高リスクの金融機関側が相対的に給与の低い低リスクの金融機関職員にあの手この手で営業攻勢をかけ、当局の規制が及ばない新たな商品を開発して、低リスクの金融機関の余裕資金を吸い出すのは十分予測がつく話だ。従い「これはあまり名案ではない」と言うのが現在の私の結論だ。

話を「そもそも金融機関がそんなにもうかるのがおかしい」と言う点に戻す。さまざまな金融商品が次から次へと生み出される背景にはこの世の金余りがある。現在金融の世界をめぐっている資金の量は実体経済の数倍になっているとされている。これだけ余剰のお金があるのでそれをアレコレ運用するニーズがあり投資会社が繁盛するわけだ。その余剰のお金をもう少し縮小すればどうなるのか?

これは日本のバブル崩壊後の過程を見れば明らかだろう。

お金の供給が絞られれば余剰資金があることに慣れきっている経済はエンスト気味、つまりは不況になるだろう。そして企業は当面使用目的のないお金はどんどん返済したり貯金したりして、経済から資金が引き上げられる。ここで何度も取上げている野村総研のリチャード・クーがいうところのバランスシート不況だ。

これに対するクーの処方箋は「経済成長?」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/02/21/4133925
や「今こそ社会政策の拡大を(1/3)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/11/4238642
でも書いたが「何でも良いから政府の財政投資をして経済の息が吹き返してくるのを待つ」だ。しかし、日本のように、そもそも国民の多くが多少生活のレベルの切り下げを余儀なくされているとはいえ、ソコソコの生活ができるようになっており、また人口も増えていない状態で、単純に政府の財政支出で時間稼ぎをして経済の息が吹き返すのを待つというのは楽天的に過ぎる議論なのではないか考えている。ただし、社会保障の充実については生活レベルの底上げにもなり、多少の効果があろうとは思うが…

事情はヨーロッパ、特に人口が停滞したり減ったりしているが、国民の各層がソコソコの生活を保証されている西ヨーロッパでも大体同じことだ。となると唯一期待がつなげるのは人口が純増しているアメリカくらいではないかと思う。

とすると、日本や西ヨーロッパが自国の経済を成長させられる余地は、せいぜい大幅に移民を認めるか、アメリカか新興国に対する輸出だけだということになる。しかし輸出にしたところで、これまでその一手引き受け先の役割を果たしていたアメリカが不調となると、そんなに大量に商品を引き受けてくれる向け先があるわけではない。日本にしてもヨーロッパにしても、ヨーロッパは「そろそろ移民はご勘弁を」という状態だし、日本は大幅な移民の受け入れには感情的な抵抗があるところだ。

ということはわれわれの経済はブームやバブルのときにつけた余剰をなくすまで、或いは「内需を増やせ(1/2)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/09/4161328
で書いた高い生産性の産業構造に移行するまで、縮小均衡するということになるのではなかろうか。

「リーマンブラザース倒産一周年」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/09/19/4588105
で私はフランスのサルコジ大統領が招集したCommission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress(経済的な成果と社会発展の計測に関する調査会)のことを書いた。

経済的な成果の向上とは別なものにも満足を求めようという、この委員会が指し示そうとしている指標が認知される過程では、革命的な価値観の転換が要請される。今後とも過大な金融セクターとそれの招来するブーム/バブル→崩壊→ブーム/バブルのプロセスに付き合って行くのか、非経済的なものに新たな価値観を求めるのか、我々は真剣に考えるべきだろう。

補足: 昨年10月付でゴールドマンには94名のパートナーが誕生しているが、その中には日本人と思われる人物3名の名前が見える。彼らに対して、まずは激甚な社内競争を勝ち抜いてパートナーになったことに対する、お祝いを申し上げたい。と同時に、自分の会社のような勝ち組企業がどのような事情で勝ち組たり得たかの背景についての真摯な内省をお願いしたい。その内省の結果、国や社会に帰属すると思われる部分については3%といわず社会貢献に役立てるような行動を期待したい。個人的には中世ヨーロッパのキリスト教徒にならってtithe(収入の10%を喜捨すること--課税所得の10%ではないですよ)というのがひとつのメルクマールではないかと思う。

水のなるほどクイズ2010