Material Adversity Clause (MAC、重大な瑕疵条項) とBreak fee (違約賠償金)2009/11/05 22:15

M&Aの一般的な手順では、まず買収する側が条件付の価格呈示を行い、売却する側がその条件と価格を受け容れるところから、一連の作業が開始する。

次に始まる作業はdue diligenceと言われる作業で、これは事業を売却する側が自己の内部情報を原則的にすべて開示し、買収する側がそれを精査するプロセスだ。もっとも「すべて開示する」といっても、売却する側が最初からすべての情報を出すことは稀で、当初一般的な帳票類が開示されていて、それ以上の情報については買収する側が自分の知見に基づき「アレを出せ、コレを出せ」と言った要求を出し、それに対して売却側が「コレを出す以上はコレコレまでに最終的な買収価格が呈示されるものとする」とかいった条件をつけたりしながら情報開示をするのが一般的だ。

Due diligenceに入ってしまうと、二重帳簿をつけていたとか、法律に違反した操業を意図的に行っていた、とかいった重大な瑕疵が発見されない限り「買収を止めます」と言うことはできない。

「重大な瑕疵」は往々にして未対策で放置されている問題だから、対策費用分企業価値が下がる。従い買収側は「重大な瑕疵」を理由として売却側に当然相応の値引きを要求できる。冒頭部に書いた「条件付の価格提示」の際の条件のうちの代表的なものがこの「重大な瑕疵があれば提示価格を下げられる」というもので、M&A業界ではこの条項をMaterial Adversity Clause (略してMAC)という。

最近日本の企業が関与した大型買収案件で重大な瑕疵が発見された例として第一三共によるインドの製薬メーカーRanbaxy Laboratoriesの買収が有名だ。買収作業が進んでいる最中にRanbaxyの工場の製造管理水準を理由としてアメリカのFDA(連邦薬事局)がRanbaxyの一部医薬の米国内での販売を禁止したことが報道された。Ranbaxyにとって医薬の対米輸出は重要ビジネスなので、当然これはRanbaxyの企業価値を左右する重大な瑕疵だ。第一三共が当初想定していた価格にはこの事態は想定されていなかったはずで、第一三共は当然MACを発動してRanbaxyの株主に対して買収前に大幅な値引きを要求できたはずだし、買収前の値引きが叶えられなかった場合は、事業売買契約の補償条項にこれを特記しておき多額の補償金の要求ができたはずだ。しかし第一三共がこのいずれの道も選択せず、2009年3月末に悄然と3513億円の特別損失の計上を行ったのは世のM&A業界の驚きと失笑を買った。このあたり、第一三共側についていた野村證券やJones Day弁護士事務所がどのようなアドバイスをしていたのか、またそのアドバイスに対して第一三共の経営陣がどのような判断をしていたのか興味のある部分だが、当事者でない私にはこの辺は判らない。どこかのジャーナリストがこの辺を取材して記事にでもしてくれないかと思っている。

個人的にはインドの製薬会社を経営するなどという大それたことの自信のない第一三共の経営陣が予めRanbaxyの大株主であるMalvinder Singh会長にRanbaxyの経営を任せることを想定していたため、MACを発動して買収代金を値切って同会長の心証を悪くすることを恐れ、こういうことになったのではないかと推測している。だらしない。コレじゃインド商人にヤラレッパナシですねぇ。

重大な瑕疵はない状態で「止めた」と言って売主/買主いずれかが降りる場合、「止めた」と言った側から相手方に対しbreak feeと言われる賠償金が支払われるのが常だ。Break feeはM&Aの準備をするための直接間接の経費の補填という以外に、買収側にしても売却側にしてもM&Aをそれなりに経営計画に織り込んでいるはずなので、「止めた」と言う人為的な行為によって経営計画が狂うことによる損害補償という意味合いがあるので、結構多額になりがちだ。

今まさに起きている事例でいうと、GMが同社の欧州事業売却を取りやめたのがbreak feeを発生させうる代表的なものだ。

GMは9月にドイツ政府の仲介もあって同社の欧州自動車事業を大手自動車部品メーカーのMagnaとロシアの銀行Sberbank連合に売却することをいったん発表していた。Magnaは自動車の製造まで手がける世界最大級の自動車部品メーカー、Sberbankはロシア最大の民間銀行だがロシア中央銀行がその株式の6割強を保有するまさにロシア政府そのもののような存在だ。ところがGMは11月4日に以下のような発表を行った:

<Given an improving business environment for GM over the past few months, and the importance of Opel (and) Vauxhall to GM's global strategy, the GM board of directors has decided to retain Opel and will initiate a restructuring of its European operations in earnest
過去数ヶ月にわたる経営状況の好転と、GMの世界戦略におけるオペルとボクソールの重要性にかんがみ、GMの取締役会はオペルを保有し続け、欧州における事業のリストラに真剣に取組むことを決定した>

つまり「情勢が変わったので欧州の自動車事業売却を止めた」わけだ。ちなみに上記の発表はドイツの雑誌Der Spiegel英文ウェブサイトからの引用で、今現在GMのウェブサイトには

<ADVISORY: General Motors Media Conference Call on Wednesday, November 4 at 1:00 pm EST
連絡: メディアに対するGM電話にての記者会見、11月4日水曜、東部標準時午後1時(日本時間11月5日午前2時)に実施>

との見出しの下に「これがGM取締役会によるオペルに関する発表である」旨の説明が一行加えられているだけだ。

オペルに働くドイツ人25,000人やその裾野産業の雇用を守るため、EU内の不協和音にもめげず15億ユーロ(2007億円)のつなぎ融資を実施し、45億ユーロ(6021億円)の資金援助を約束していたドイツ政府はかんかんだ。

<The Consortium is pleased that its plan for Opel has satisfied General Motors. Together with General Motors, Opel employees and Opel dealers, the Consortium will now work hard to lead Opel into a successful future
[Magna/Sberbank]連合のオペルに関する提案がGMの満足を得たことは喜ばしい。これより[Magna/Sberbank]連合はGM、オペルで働く人々、オペルのディーラーと共にオペルの輝かしい未来のために懸命に努力する。>

とのMagnaとの共同声明を出したSberbankの背後にいるロシアのプーチン首相も当然のことながらカンカンだ。ドイツ政府は早速つなぎ融資15億ユーロの返済を求めた由だ(Der Spiegelによれば残高は約9億ユーロ、1204億円)。

さて、GMが支払うことになるbreak feeはいくらくらいになるのだろう?今のところこれを取上げた報道は見当たらない。

ちなみにMagnaはGMの発表前日の11月3日付で

<AURORA, ON, Nov. 3 - Magna International Inc. (TSX: MG.A, NYSE: MGA) today announced that it has been advised by General Motors ("GM") that the GM Board of Directors has decided to terminate the sale process for Opel.

Siegfried Wolf, Magna's Co-Chief Executive Officer stated: "We understand that the Board concluded that it was in GM's best interests to retain Opel, which plays an important role within GM's global organization. We will continue to support Opel and GM in the challenges ahead [後略]

11月3日、オンタリオ州オーロラ。 Magna International Inc(トロント証券取引所取引コードMG.A、ニューヨーク証券取引所取引コードMGA)は本日GM取締役会がオペルの売却を中止するとの決定を行ったとの連絡をGMから受けた。

Magnaの共同CEO Siegfried Wolfは「我々は[GMの]取締役会が、GMのグローバル戦略の中で重要な位置づけを持つオペルを保有し続けることがGMにとって最良の選択肢であるとの結論に至ったと理解している。我々はこれからの試練の過程でもオペルとGMを支持し続ける[後略]>

と随分下手に出た発表を行っている。カナダのオンタリオ州は東部標準時を採用しているので、Magnaの発表がGMの公式記者会見以前だったと言うのが興味のある部分だ。MagnaにとってGMは大口顧客なのであまり強面と言うわけにも行かないのかもしれないが、この落ち着いた発表を見ると「Magnaはこのような事態になることを以前から知っていたのではないか」と言う気がしないでもない。

水のなるほどクイズ2010