謝れど謝れど2009/11/29 23:06

ドイツ国歌はハイドンが1797年に作曲した曲に、Hoffman von Fallersleben(ファレルスレーベンのホフマン。Fallerslebenは現Wolfsburgヴルフスブルグ--フォルクスワーゲンの町として名高い)が1841年にこの曲のために作詞したDas Lied der Deutschen(ドイツ人の歌)の一部を使用している。「一部」と書いた理由を説明しよう。

ホフマンのオリジナルは三節あり、第一節に
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt,
という部分がある。要はドイツの範囲を東はMemel(現ベラルシ、リトアニアを流れるNeman川)、西はMaas(現ベルギー東部を流れるMeuse川)、南はEtsch(イタリアとオーストリアとの国境付近に発し現イタリア北部を流れるAdige川)、北はベルト(デンマークのユットランド半島東部の海峡)としている部分だ。第二次世界大戦後にドイツ国歌を採用する際、第一節から採用すると「ドイツに再度膨張の意図あり」との懸念を隣国がもつことを恐れた新生ドイツの指導者たちがEinigkeit und Recht und Freiheit(統合、公正、自由)を国家の目標とすることをあげる第三節のみをドイツ国歌として採用したのだ。

ホフマンが作詞したころドイツ人はMemelどころではなく、東はルーマニアやロシアにいたるまで分布していたわけだし、Wikipediaを見ればドイツ系の王国やら公国やらが第一節で示される範囲内に存在していたわけだから、ホフマンは決して根拠のない膨張主義で作詞したわけではない。

現パキスタン領のシンド州がインドの国歌に入っていると「Imagining India(インドを構想する)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/30/4662143
で書いたが、陸続きの国の国歌を調べればこのようなケースはいろいろあるはずだ。

更にドイツ国歌についてインターネットを調べていたらカナダ在住のドイツ人?が作っている
http://ingeb.org という世界中の民謡を集めたサイトにたどり着いた。そのサイトのドイツ国歌に関する解説の部分にドイツには「戦闘員が英雄となったり、その結果栄誉を得ることを文章にすると罰金が科せられる」との法律があると書いてある。

それで思い出した。40年近く前、まだドイツが東西に分かれていた頃にユースホステルを渡り歩きながら西ドイツを旅行した際「ドイツでは(誰も「西ドイツでは」とは言わなかった)第二次世界大戦中の軍歌を歌うことはご法度だ」と同宿のドイツ人に聞かされたことを。

私が西ドイツの旅をした頃の日本ではホステスが軍服を着て現れる軍歌バーなんてものがあったし、酒が入ると軍歌を歌う大人はいくらでもいたし(かくいう私も上司や取引先のウケをねらって「空の神兵」なんて軍歌をよく歌った)、作曲家の黛敏郎がまだ「題名のない音楽会」の司会をやっていたときナチの党歌の合唱をオーケストラの伴奏つきでやったりしたものだ(彼が当時の西ドイツでこれをやったら即刻お縄で、以後司会者のオハチも回ってこない上に、番組はお取りつぶしになっていたはずだ)。今だって右翼の街宣車が大音量で軍歌を鳴らしながら走り回っている。

ドイツには更にナチス時代のユダヤ人に対する処遇への反省もある。1952年に35億ドイツマルク(ざっと2500億円)の賠償金の拠出をイスラエルと合意しその支払にも服したし、その後追加の要求にも対応している。現在のドイツは、公の場でイスラエルに対する批判的なコメントをすることには相当の勇気がいる状況だ。

欧州の一員として認められるため、二度と大戦を起こして欧州を混乱させないため、欧州統合のため、と理由はいろいろあるだろうが、このような大欧州実現に関するビジョンをもち、ナチス時代のユダヤ人の処遇に対する自省の念を持ち、自分の行動を自制してきたドイツに比べると、第二次世界大戦後の日本は誠にノーテンキに自国の歴史に関する自分のわがままを通してきたと思う。

しかし。民主国家にもかかわらず言論の自由に制限をかけてまで規制しても、なおネオ・ナチとよばれるいわゆる右翼民族主義運動がドイツで発生していることは興味深い。

1950年代~70年代のドイツには、国が「ご法度」といっていることを「これではドイツの魂が失われる」と思って自分が正しいと思うことを密かに子供に伝えた親がいたはずだし、1990年代のドイツには、特に全体主義的な統治になれていた旧東ドイツで、共産主義に代わる新たな全体主義的な権威を求めてドイツの民族主義を上げるネオ・ナチになびく人々がいたことは十分考えうる。

もっともヨーロッパの右翼民族主義はドイツの専売特許ではない。ドイツの隣国フランスでは移民排斥をうたう右派政党Front National(国民戦線)の党首Le Penル・ペンが2002年の大統領選で第二位の得票数を集めているし、イギリスにも移民排斥をうたうBritish National Party(英国国民党)と言う右翼政党がある。BNPは地方議会では議席を確保しているし、なんと欧州議会に議員を二名送り込んでいるし。ヨーロッパからの報道を見ていたらスイスでは右派政党が国民投票にかけていた「回教寺院特有の尖塔の建設を許可しない」との提案が11/29付で賛成多数で採択となった由だ (スイス国会は「尖塔建設禁止のような提案に賛成しないよう」とのスイス国民に対する勧告を今春決議しているにもかかわらず)。

フロイトの異端の弟子Wilhelm Reich ヴィルヘルム・ライヒ(1897-1957)はその著Mass Psychology of Fascism(邦題「ファシズムの集団心理学」)で家族制度を破壊するところまで行かないとこのような価値体系は根絶しにできないと説いた。そうだと思う。しかし現実には家族制度を根絶やしにするようなことを現代の西ヨーロッパの国が政府の強権で実施することはできない。

政府が公式レベルで謝れども謝れども、民主主義国家であるヨーロッパの各国から右翼民族主義が消えることはないだろう。「第二次世界大戦開戦70周年—なかなか許してくれない国」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/09/09/4570782
でなかなか許してくれない国のことを書いたが、ポーランドとドイツやフランスやイギリスのリーダーの違いは、後者は欧州統合の大目標のため国内の右翼民族主義的な声に流されず、このような声は国が進もうとしている方向とは異なるものであることを断固として表明していることだ。このように、為政者が信念を持って行動している限り、多少の不協和音を乗り越え時間の経過と共に欧州統合は実現するであろう。

水のなるほどクイズ2010