小国日本の歩むべき道2009/12/13 22:52

「日本は東洋のスイスたれ」とは第二次世界大戦終戦に伴い、日本占領軍の司令官として進駐してきたマッカーサーの言葉だとされる(彼がいつ、英語で何と言ったのか、まだ確認していないが)

「日本は東洋のスイスたれ」とは日本の第二次世界大戦敗北に伴い、占領軍の司令官として進駐してきたマッカーサーの言葉だとされる(彼がいつ、英語で何と言ったのか、まだ検証できていないが)。彼が日本に進駐してきてから64年、今世紀が中国、インドの世紀となることが見通せる今日、この言葉は非常に含蓄のある言葉であると思う。

 

少々乱暴な比喩をお許しいただきたい。オランダ、スイス、スウェーデンと言ったヨーロッパの代表的な小国と、イギリス、フランス、ドイツと言ったヨーロッパの代表的な大国の比較をしてみる。数字は2007年の国連統計から取得した(国連の人口統計が2007年までしか整備できていないため)。

 

 

米$建名目GDP

人口

(千人)

一人当

名目GDP

イギリス

2,802,331,731,491

60,975

45,959

フランス

2,593,146,396,127

61,707

42,023

ドイツ

3,316,145,147,217

82,263

40,312

オランダ

776,124,959,368

16,382

47,377

スイス

426,655,125,996

7,551

56,502

スウェーデン

453,318,133,329

9,148

49,553

 

2007年は金融バブル絶頂期のイギリスと言う条件を割り引いて考えるとイギリス、フランス、ドイツの一人当GDPはおおよそ4万ドル台前半であるのに対し、オランダ、スウェーデン、スイスの一人当りGDPはざっと見5万ドルだ。人口はこれまたざっと見で、小国が大国の1/5~1/10。

 

アジアを見てみよう。

 

 

米$建名目GDP

人口

(千人)

一人当

名目GDP

日本

4,380,378,266,794

127,772

34,283

中国

3,460,287,550,530

1,324,655

2,612

インド

1,142,337,882,679

1,134,023

1,007

スリランカ

32,347,508,676

20,010

1,617

 

日本の一人あたり名目GDPが圧倒的に多いことは別格として(それにしてもいったんは追いついていたはずのヨーロッパの国々に比べてずいぶん見劣りしますね)、日本の人口が中国、インドの約1/10であることがお分かりいただけると思う。ここにスリランカをのせたのは、インドの南の海上の、一般には紅茶と宝石と美しい自然以外はあまり印象がないこの小国の一人当GDPがインドの1.6倍あるということを示したかったからだ。

 

小国はうまく立ち回れば近隣の大国より高い所得水準を維持できるのだ。

 

これまで日本はアジアの中では一足早く近代化や工業化を果たし、第二次世界大戦に負けるまでは、外国の軍隊に駐留され国政に干渉されることもなくやって来た。そのおかげもあって、周辺国より一足早く経済の規模が大きくなり、自国を大国だとかリーダーだとか思うクセがこの百年の間についてしまった。戦後になっても「日本が先頭に立つ雁行型の経済成長」などというアジアの経済成長モデルが、日本人の間でまことしやかに語られていたのはそのよい例だ。しかし21世紀の現在、ここ百年余りの日本の立場が変わらざるを得ないことを認識しなくてはならない。

 

日本全体の経済規模は早晩中国に抜かれる。この調子で行けばいずれインドにも抜かれるだろう。しかしそのことで大騒ぎすることはない。そもそも中国やインドは歴史的にアジアの大国なのだ。そして日本は歴史的には中国の周辺でうまく立ち回り安定と繁栄と、平均すれば中国より高い生活水準を享受してきた国なのだ。その状態に戻るだけの話だ。早めにその認識に立って「小国日本」としての国の将来設計を行い、その設計図にそった政策を実行してゆかねばならない。

 

ただ、江戸時代のように鎖国はできない。今の日本は世界の政治や経済と密接につながっており、門戸を閉ざして生きてゆくことなどできないのだから。

 

門戸を開放したままで安定と繁栄を享受するにはそれなりの努力が必要だ。大国を出し抜いて生き続けるだけの知恵がなければならない。そのためには大国がやりそうなことを冷静に予測し、絶えずその先や、大国が行けない方向へ行く努力をしなければならない。大国が不器用にやることを、より効率よく、大国が真似できないレベルで処理して行くのはもちろん、大国がなかなかやれないことをやらなければならない。

 

永世中立を標榜し、それを利用して大国には評判が悪い秘密銀行口座を編み出したスイスは大国の狭間でうまく立ち回ってきた国の良い例だ。永世中立なので大国内やその間の利害からは独立しているという建前を利用し、大国に置いておくのがはばかられるお金を一手に引き受けてきた。しかし今更秘密銀行口座を持つ特殊な金融センターになれといっているのではない。アジアではシンガポールのようにいち早くその道を歩んでいる国がある。今更後追いしても追いつけるものでもないし、そもそも現在の世界では銀行口座の秘密を維持しきれなくなってきているとの状況認識が必要だ。

 

賢く立ち回っているもうひとつの例を示そう。インドの港湾がさまざまな事情から非効率な運営を続けるなか、天然の良港スリランカの首都コロンボの港は港湾拡張と設備の近代化に通して貨物の処理能力を飛躍的に向上させ南アジアにおける貨物の集散拠点としての地位を確保するようになった。’70年代のコロンボ港は「船足が伸びたので中東やヨーロッパと極東がノンストップでつながるようになり、中継点の存在意義が薄れたので先行きが暗い」といわれていたものだ。

 

小国日本は日本なりの特色の出し方を模索すべきだ。そのためには、独立当時は周辺国に比べ多少教育程度が高めの、勤勉な国民くらいしか資源を持たなかったにもかかわらず、2007年には一人あたりGDPでは日本を追い抜いたシンガポールの例をよく研究する必要がある。

 

小国であると言うことは自分の国の言葉で語っていても誰も聞く耳を持ってくれないということだ。小国の国民は人の国の言葉をあやつる能力を持たなければならない。これからの世界では英語と中国語のいずれか、できれば両方があやつれたほうが良い。「あやつる」ということは最低限会話ができるということだ。願わくば人の国の言葉を繰って人を動かすことができるレベルまでほしいところだ。

 

ヨーロッパの小国を見ればよい。国民のほとんどはバイリンガルだ。否三ヶ国語を駆使するトライリンガルも普通だ。シンガポールにしてもスリランカにしても国民は英語に堪能だ。シンガポールの場合、もともと華僑を中心とした国だったので、漢字は繁体字、話す言葉は広東語や福建語や客家語だった。母語が異なる中国人どうし英語で話すことも多かった。しかし今やシンガポールの学校で中国語は普通話(北京語)を簡体字で教えている。ちなみに古い世代のシンガポール人の代表格であるシンガポールの国父リー・クアン・ユー(李光耀)の第一言語は英語だ(厳密には客家語だが実際は英語)。

 

そういうことを頭に入れてから今の日本を見ると、誠に歯がゆい限りだ。日本人一般の英語力不足は、過去何十年にわたり論じつくされているがいっこう改善していない。受験勉強のせいで教育は一定のパターンをおぼえさせることに主眼が置かれている。このような教育では大量生産ラインで皆と一緒に働いたり、カイゼンすることはうまくなるかもしれないが、画期的なことを思いつく人材は生産できない。否そのような人材の芽が摘まれることになる。

 

しかしここにヒントがある。過度の受験競争とそれに伴う受験勉強は日本だけの問題ではなく、なべて儒教文化圏の国で見られる現象だ。

 

その儒教文化圏の国の多くは「モノ造り」を行いそれを輸出することによる国づくりをしていることに注目すべきだ。儒教文化圏の外にあるインドは客観的に言ってモノ造りはあまり得手ではない。そして「中国とインド(2/2)」

http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/09/4623639

でも書いたようにずいぶん異なる国づくりをしている。

 

我々日本人は「モノ造り」と言う概念に酔う傾向がある。日本の「モノ造り」は輝かしいレベルにあることは間違いない。しかし「モノ造り」酔いをする結果、カイゼンのためのカイゼンをやる傾向があることも忘れてはならない。日本の製造業は高い設備投資を維持して、「日本品質」を維持してきていると言うが、韓国はもとより中国やベトナムも「モノ造り」にいそしんでいるのだ。彼の地が日本のみならず世界の「モノ造り」現場を離職した技術者たちの技術指導もあって「日本品質」の製品ができ、或いは「日本品質」ではなくても十分使用に耐える品質の製品ができていることは、ほかならぬ日本の、そして世界の消費者が知っている。

 

「モノ造り」をするなといっているのではない。もっと賢い、もうかる、つまりは付加価値の高い「モノ造り」に特化しなければならない。これまでの「モノ造り」のための設備投資のうち結構多くはそろばん勘定にあわない、自己目的化した「モノ造り」に費やされた部分だということを認識する必要がある。

 

くり返そう。周辺国と同じことをやっていてはダメだ。今のままのやり方を続けていれば、日本はゆくゆくは中国やインドを筆頭とする雁行型の経済成長の一翼を担うが、群れの足手まといの老鳥となるだけだ。日本には雁の群れの横を悠々と飛翔する存在になってほしい。

 

そのためには、小国日本は「モノ造り」にいそしむグループから一頭地を抜いて先回りしなければならない。時としてカイゼンは他国に任せ、新たな産業や事業分野を作ってそこに参入して行く勇気が必要だ。その新たな分野を大きく展開させるには、外国の市場に打って出る必要がある。外国の市場に打って出るには、任天堂のように外国に通用するシステムを自前で作る能力が必要だ。小国日本にはもっと多くの任天堂が必要なのだ。そのために我々はもっと自分の頭で論理的に考えたり、それを文章にまとめたり、それを他人に口で説明したり、新たなことに挑戦するトレーニングを積まねばならない。

 

そのような方向を日本が明確に認識して進み始めるのはいつになるのだろう?

 

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