TNK-BPとユーコス -- ロシアは法治国か?2011/05/26 00:50

1993年、ロシアは政令によって石油会社ユーコスYukosを設立した。ユーコスは1996年にロシアの民間銀行メナテプ銀行Bank Menatepに「どういうわけか」買収され民営化された。当時弱冠33歳のメナテプ銀行のオーナーの一人ミハイル・ホドルコフスキーMikhail KhodorkovskyはユーコスのCEOとなり、2004年にはロシア一の億万長者としてフォーブスForbes誌にも登場している。

ユーコスは最盛期にはロシアの原油の20%を精製していたとされるが、2003年10月にホドルコフスキーが逮捕され、翌年7月にロシア政府がユーコスに対して70億米ドルを超える法人税の未払い請求を行い、税金を支払えないユーコスを破産させ資産を競売にかけ、それをロシア政府副首相が社長をつとめる国営石油会社ロスネフトRosneftが買収した。ユーコスはホドルコフスキーの経営のもとで、積極的に情報開示を行い利益を事業に再投資する優良企業であったので、この一連のできごとについては「ロシア政府が優良企業の経営者を脱税容疑で逮捕し、過大な課税で破産させ国策会社に安く買収させた」という説明もできる。

ホドルコフスキーは2005年5月に有罪判決を受け9年の刑に服するためシベリアの刑務所に収監された。2009年3月ロシア政府はホドルコフスキーを新たな罪状に基づき起訴し、2010年12月にこの罪状に対しても有罪判決が出たことで、ホドルコフスキーの刑期は2017年まで延長となった。ホドルコフスキーは控訴したが、一昨日の5月23日に控訴は棄却された。これは一説によればプーチン首相が「当分ホドルコフスキーを刑務所につないでおけ」と指示したからだとされ、この一連の裁判劇は完全な政治裁判だと欧米各国は批判している。

丁度明治期や第二次世界大戦後のように、ソ連が分解しロシアが生まれる過程では「民営化」の名のもとに政商による荒っぽい国有財産の払い下げが行われ、その波にうまく乗った人たちが続々と億万長者になった。ホドルコフスキーはその一例だ。しかし一例に過ぎない個人と企業に何故ロシア政府が格別追及の焦点を当てたのだろうか?ホドルコフスキーが資金力にものを言わせて国会を支配しようとしたことに危機感を覚えたプーチン大統領(当時)が動いたというのがもっぱらの通説だが、真相は今のところ闇の中だ。

こう見ると「ロシアの行政なんてプーチン首相の思惑次第」と思いたくなるが、そうでもないのが
5月17日に明らかになった英国の石油メジャーBPとロスネフトの株式交換話の破談だ。

今年1月、BPはロスネフトとの間での株式交換とBPのロスネフト北極圏石油鉱区参加合意を発表した。ところがBPはロシアでTNK-BPというロシアの資本家グループAARとの50/50の合弁事業を抱えている。ちなみに合弁事業と言うがTNK-BPはそれ自体2010年末現在の総資産331億米ドル(2.7兆円)、売上446億米ドル(3.6兆円)、純利益63億米ドル(5,112億円)という巨大石油会社だ。

そのAARとの合弁契約書上BPはロシアにおけるすべての石油ガス事業をTNK-BP経由展開することを約していたため、AARがBPを合弁契約履行義務違反でスウェーデンで仲裁審判に持ち込んだ。何でスウェーデンで仲裁審判になったのか?

ロシアの会社法は未整備の部分が多く、ホドルコフスキーの件から推測されるように司法の独立性や法廷の司法判断に対する信頼感も低いため、合弁事業を設立する場合持株会社をロシア国外におき、係争を処理する準拠法は判例が十分揃っているイギリス法などで合意するのが一般的だ。TNK-BPの場合は持株会社のTNK-BP Limitedが英領バージン諸島British Virgin Islands法人で、係争はスウェーデンにおける仲裁審判で処理することになっていた。

スウェーデンでの仲裁審判の結果、AARの言うことが正しいという結果が出、BPとロスネフトの株式交換にストップがかかったため、BPはRosneftの助けも借りてAARの株式の買収にかかったが交渉が週末に決裂、BPとロスネフトの提携話が破談となったわけだ。

既に書いたようにロスネフトはロシアの副首相を社長にいだく国営石油会社だ。石油メジャーの
BPとロスネフトの株式交換は、ロシアの国策企業を石油メジャーの大株主にしたうえに、BPの極地における石油探鉱・掘削技術を取り込む、というロシア政府のエネルギー政策の一環だったはずだ。それがAARなどという資本家グループの抵抗にあってあえなく破談になるとは…ロシア政府はAARのオーナー連中をホドルコフスキーのように抑えるこむことができたはずではなかったのか?とおそらくBPの関係者は思っているのではないかと思う。

BPは2008年にAARとの間でTNK-BPの経営をめぐって争っており、そのときAAR側があれこれ当局に手をまわしたのだろう、BP側出向者が一時的にロシアから出国できなくなったりするという事態に遭遇している。このときはBPから派遣されていたCEOが退任し、AARのメンバーの一人が
CEOになるという形で決着したが、恐らくそのときBPはロシア政府と味方につけAARを抑えることが必要だと感じたはずだ。そしてAARを抑えることのできる強力なパートナーとの関係構築を図っていたのだろう。「強力」という視点からいえばロスネフトは最強のパートナーのはずだった。この切り札が意外に使えなかったというわけだ。AARがプーチン首相の弱みを何か握っているのだろうか?

一説によると、AARの資本家グループはスウェーデンでの仲裁審判が出た時点でプーチン首相に「審判の履行に介入するか」お伺いを立てたところ、プーチン首相は法の定めるところに従う(つまり介入しない)との確信を得たのでBPとロスネフトを相手に回して強気の交渉を行ったというが真相はやぶの中だ。

メドヴェジェフ大統領は5月18日に「BPもロシア政府関係者もTNK-BPの合弁契約をもっとよく読んでおくべきだったのではないか」と苦言を呈しているが、この発言を額面通りに受け取れば「契約にキチンと書かれていることが守られて当然だ」と大統領が言っていることになる。

ホドルコフスキー裁判の時は政府が審理に介入し、TNK-BPの時は政府が法の定めるところに結着をゆだねたとなると、ロシアがどこまで法治国家の体裁をとり、どこまで人治国家としての恣意性を見せるのか、今回の一件でちょっと不明になったといってよいだろう。

ちなみにメドベジェフ大統領とプーチン首相は共にソ連時代から有力法曹を輩出するレニングラード(当時、現サンクト・ペテルブルグ)大学の法学部出身の法律家だ。




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