多様性について (2/2)2011/05/15 12:58

多様化推進の旗振りをしながら水を注ぐようだが。多様性をすすめることによる副作用の話をしなければ、私がブログで書いていることは単なるアジ文で終わってしまう。

クリケットの世界 追録」でも書いたように、紳士のスポーツとされるクリケットに八百長疑惑がおこっている。「地獄の沙汰も金次第」という感覚が日本よりもはるかに強く存在している南アジアの国々が「紳士の競技」といわれるクリケットで大活躍し、クリケットが南アジアの国々の「国技」になってきたことに伴う現象だ。ちなみに現国際クリケット連盟International Cricket Council会長のシャラッド・パワールSharad Pawarはインドの政治家で、出身のマハラシュトラ州の農業用地の用途変更で巨額の利益を挙げているとされている。ここまで来ると果たしてクリケットがいまだに「紳士の競技」との形容に価するのかどうかには大いに疑問がわくところだ。

5月11日、ニューヨークの連邦地方裁判所はヘッジファンドのガレオン・グループGalleon Groupの主宰者ラジ・ラジャラトナムRaj Rajaratnamに対し、インサイダー取引を首謀したかどで有罪判決をだした。この裁判にはラジャラトナムに対するインサイダー情報の提供者として大手経営コンサルタントマッキンゼーMckinsey & Companyの代表社員Partner アニル・クマールAnil KumarクマールやマッキンゼーCEOのラジャット・グプタ(職責はいずれも元)が登場している。Wall Street
Journal、Financial Times、New York Timesなどの報道によれば、世界金融危機の影響で欠損を出したゴールドマン・サックスGoldman Sachsが著名な投資家ウォーレン・バフェットWarren
Buffetが率いるバークシャー・ハサウェイBerkshire Hathawayの出資を受け入れることを決めた取締役会の直後にゴールドマンの社外取締役であったグプタは、その事実をラジャラトナムに電話で伝えたと言う。またクマールは情報料を受け取る目的でスイスに銀行口座を開設していたという。

インサイダー取引の摘発ならいくらでもあるが、経営の統制や管理を専門とする経営コンサルタントの、そのまた業界の頂点ともされ日本企業にも多数の顧客を持つマッキンゼーの(彼の大前研一はその昔マッキンゼーの経営幹部だった。大前のグプタ評を聞いてみたいものだ)、つまりは資本主義の中枢をサポートする企業の最高責任者や代表社員がインサイダー取引に加担したとしてあげられたとなると事態は深刻だ。

ちなみにマッキンゼーの英語のウェブサイトにしても日本語のウェブサイトにしてもグプタ、クマール両名の引き起こした問題に関する会社としての声明は、私が行った簡単なサイト検索では引っかからない。しょうがないので簡単に出てくる同社の行動規範をみると、日本語サイトでは以下が簡潔に記載されている:

最高のプロフェッショナルスタンダードにこだわる

  • 高い倫理規範を遵守する。
  • 顧客企業の信頼を損なわないよう最高レベルの守秘義務を遵守する。


  • 面白いことにこの行動規範の部分の書き方は同社の英文サイトの書き方とは相当異なる。英文サイトで該当する部分をみると以下のように書かれている(和訳は極力日本語サイトで使用されている用語を採用している)

    Behave as professionals

    Uphold absolute integrity. Show respect to local custom and culture, as long as we don’t
    compromise our integrity.

    プロフェッショナルとして行動する
    絶対的な倫理規範の支持。我々の倫理規範を損なわない限り現地の慣習や文化に敬意を払う。

    Keep our client information confidential
    We don’t reveal sensitive information.

    顧客情報の守秘義務の遵守
    我々は機密情報を開示することはない。

    カッコヨク「絶対的な倫理規範」ですよ。書いてあることと彼らの経営幹部の行動の落差をどう理解すべきなんでしょうねぇ。こう言うのを読むと「経営コンサルタントが勧める企業のコンプライアンスや倫理規範なんてただの宣伝文句か」とか後述のように「パクられるかどうかのリスク分析の次元の問題か」とシラケますねぇ。

    大分脱線した。インド亜大陸の人々は概して話好きだ。ヒマな時間はおしゃべりや議論でつぶすことが多い。その結果特定のグループの中では比較的自由に情報が流通する。日本の地方どころのことではない。知人の大学の歴史の先生からこんな話を聞いた。インドの研究所に留学していた際、ちょうど日本とヨーロッパの企業が発電所向けの機器の受注を争っていた。先生が招待されるインド人のパーティーでのもっぱらの噂はこの受注競争だったが、いくつかのパーティーに出ているうちに「xxとxxがつながった結果日本のメーカーは絶対的に不利だ」というのがもっぱらの噂になっているのを知って、いろいろ世話になっていた当該日本企業の駐在員にその話をした。駐在員は「大丈夫すべて手は打ってあります」と胸をたたいていたが、先生がパーティーで耳にした噂どおり日本の企業はそのプロジェクトを逸注したという。歴史の先生のゆくパーティーで発電所向けの機器の入札の帰趨が話題になっていたわけだ!ラジャラトナムが掴んでいた情報源の多くがインド亜大陸出身者だったことは決してラジャラトナム個人の資質の次元にのみ帰するべき問題ではない。

    そのように情報の流通が比較的ルーズな社会で育った人間にとって、インサイダー情報に関する厳格な統制は「決められたルールだから守る」類のものではあっても、生来の皮膚感覚とは異なるものだ。欧米の社会が多様化する中で、そこに移り住んできた人たちは従来の社会的な常識と異なる論理を持つため、頭でわかってルールに従っても皮膚感覚でルールに従うことは困難である場合が多い。このような人たちが社会の各層に浸透してくれば、おのずと社会の規律がかわってくる。クリケット賭博やガレオン・グループ事件はこの変化の象徴だと言える。

    多様性を受け入れる場合このような副作用への対処のことをあらかじめ考えておく必要があろう。

    それでは社会の規律や秩序に対する考え方が変わってくることにどう対処するのか?特に日本で多様化が進めば中国系の人々が社会の各層に今以上に参入してくることになるので、彼らについて今以上の研究が必要になる。中国では高級官僚や党職員が時々「腐敗に加担した」として死刑に処せられたりするが、この種の処罰が減らないところを見ると腐敗に加担している側は後述のようにつかまる確率を計算してリスクをとっているということなのだろう。

    多民族国家アメリカの対処の仕方は、細かく規則を定め、規則がはっきりしない場面は裁判で判断をあおぐというものだ。他の多民族国家はアメリカほどの訴訟社会にならずに済んでいるが(とは言っても概ねいずれも日本よりはよほど訴訟社会だ)、これは或いは「多少のことに目をつぶる」ことにしているからかもしれない。またアメリカの場合、訴訟社会が発生したのはピューリタン的な生真面目さの伝統の上にユダヤ教の律法解釈の伝統が加わったという歴史的な事情の考慮も必要だろう。

    5月11日のFinancial TimesにUniversity of San Diego教授のFrank PartnoyのThe real insider
    tip from the Galleon verdict「ガレオン判決の真のインサイダー情報」という論説が掲載されており、そこで

    If you do the maths, given the amount of insider trading, the chances of doing prison time
    are roughly the same as getting bitten by a great white shark while surfing off the coast of my home town, San Diego.

    There are rare shark attacks and many people become very afraid after them, just as some
    traders are now fearful after this high-profile conviction. However, that fear is irrational,
    based on the salience of an unusual event.

    インサイダー取引跋扈の状況から言って、確率の計算をすれば、インサイダー取引で逮捕されて牢屋につながれる確率は私の住むサンディエゴの海でサーフィングをしていてホオジロザメに食べられる確率とほぼ同率だといってよい。

    今トレーダーの一部は業界の著名人起訴で身を縮めているが、これはサメに攻撃される確率が低いにもかかわらず、それが起きたあと多くの人がサメに攻撃されることを恐れるのに似ている。そのような恐怖感は、稀な事象が実際起きる可能性から言って不合理なものだ。

    と論じている。多様化を受け入れながらも、それほど訴訟社会になっていない国になるには、こう言う達観も必要なのかもしれない。

    水のなるほどクイズ2010