不都合な真実--現代の中東情勢解題2015/01/16 07:56

昨年末のサウジアラビアによる石油増産宣言は国際石油相場の低下につながり、最近では世界の株式相場の混乱も招いている。この背景については、サウジアラビアが新興産油地域の芽を摘み自国のシェア維持のために値下げをしたという説明が一般的だ。しかしこれは表層的な解釈だ。サウジアラビアの行動を経済の尺度のみではかってはいけない。これは「祭政一致の国家が、宗教的な目的を持って政治的な動きをしている」と見るべきだ。従い

  最近イラク・シリアにおけるイスラム教スンニー派の教義を奉じるイスラム国勢力の台頭を
  受て、アメリカが急遽彼らと対抗するイスラム教シーア派を国教とするイランとの関係修
  復に動いている。これを快く思わない、元来イスラム国勢力と思想的にも心情的にも近い
  原理主義的なイスラム教スンニー派を国教とするサウジアラビアがアメリカやイランに対し
  て「原油の値下げ」 という牽制球を投げている。

と説明することのほうが真実に近い。

原油値下げは高い原油価格に支えられた直近のアメリカ経済好調の一因であるシェールガス開発の足元をすくう効果がある。しかしそれは同時に、人口が多く、民生安定のため石油収入への依存度が高いシーア派イスラム国家のイランの経済にも打撃を与える。人口が少なく、国富の備蓄も多いサウジアラビアは、そしてアラビア半島の湾岸諸国は、原油値下げというカードを切って中東における自分たちの宗教的な主導権の確保を図っているのだ。

1979年のイラン・イスラム革命以降の中東情勢のかなりの部分はこのようにイスラム教のスンニー派対シーア派間の抗争という図式で説明するべきだ。

イラン・イスラム革命以前であれば、イランのパハラヴィー皇帝とか、シリアのハーフェーズ・アサード大統領とか、エジプトのサダト大統領とかパレスチナ解放運動のアラファト議長と言った政治から宗教色を排除しようとする個人の独裁統治、アラブ・イスラエル関係、この地域に介入するアメリカとソ連の合従連衡とか確執いう図式を組み合わせて説明することが妥当性を持っていた。

イラン・イスラム革命以降これが「スンニー派対シーア派」という形で説明できる方向に動き始めたが、トルコの政権をイスラム教スンニー派を基盤とする政党が握ってからこの傾向が一層強まった。ある意味、分析をする際の構成要素が単純になったわけだ。

イラン・イスラム革命まで遡って説明しよう。

イラン・イスラム革命の結果イランは反イスラエルに転じ、イスラエルと国交断絶し、強硬な反イスラエル国家となった。イラン国内のユダヤ人には一応信教の自由が認められたが、彼らの行動は政権によって厳しく監視されることとなった。アメリカ大使館員監禁事件(1979~81)なども起こり、イラン・アメリカ関係は冷却した。これはアメリカの中東における友好国が基本的にはスンニー派イスラムを奉じる国だけとなったことを意味する。

イラン・イスラム革命の結果、イランはアラブ諸国に居住するシーア派系住民の扱いに強い関心を持ち始める。シーア派系住民はイランの隣国イラクと、イランとはペルシャ湾を挟んだ対岸の島国バハレーンでは人口の過半数。サウジアラビアの石油地帯である東部地域では人口の大きな割合(3割ともいう)を占めている。サウジアラビアはスンニー派イスラム教の中の特に原理主義的なワッハブ派の開祖と王家が血縁で結ばれることで出来上がった国だ。いきおいイラン・イスラム革命はサウジアラビアを始めとするアラビア半島湾岸諸国と、最近ではトルコのように共和制国家ではあるがスンニー派政党が政権を握る国々との間で緊張が走る結果となった。

1980年~88年のイラン・イラク戦争のお陰でイランの革命後の混乱は沈静化し、イスラム教シーア派聖職者による統治という現在のイランの政治体制が確立した。

国内が沈静化するとイランは中東の情勢に介入を始める。現在のレバノンの内政はシーア派住民の組織であるヘズボラも方程式に加えない動くことができなくなった。二次の湾岸戦争を経て現在のイラクはシーア派が政権中枢を握る国家となった。イラクとレバノンの間に横たわるシリアの政権はもともとシーア派に近いとされるイスラム教アラウィー派出身者が握っている。ここにイランは中東の真ん中にシーア派の楔を打つことにいったんは成功した。

サウジアラビアやアラビア半島の湾岸諸国は1962年に王制を排除したイエメンを除けば前述のようにスンニー派イスラム教徒の絶対王制の国家だ。特にサウジアラビアはスンニー派イスラム教の中の特に原理主義的なワッハブ派を国教として奉じる言論の自由も信教の自由もない絶対王制国家だ。未だに女性が自動車の運転はおろか一人で外出したりできない。そのような国に石油や天然ガスの販売収入がザラザラ流れ込んでいる。ザラザラ流れ込んだお金の使い道が原理主義的なイスラム教を奉じる政権に握られていれば、経済的な論理よりも宗教的な論理に先導され、自分たちの信仰のおもむくところにお金をばらまくことになる。政府が表立って資金供給をしなくても国内の金持ちが喜捨の一環としてイスラム教スンニー派の勢力拡大のために資金供給を行う。ニューヨークの世界貿易センターに攻撃を加えて一躍その名を馳せたオサマ・ビン・ラーデンを生んだビン・ラーデン一族はそのようなサウジアラビアの金持ちの典型的な例だ。社会主義政権が握っていたアフガニスタンの政権転覆にお金が流れ、イスラム教徒が人口の過半を占めるジャム・カシミール州を「不法占拠している」インドに対抗するパキスタンに流れる。

現在のシリア情勢の混乱もスンニー派イスラム教を奉じるトルコとサウジアラビアをはじめとするアラビア半島湾岸諸国による、親イラン政権であるシリアのアサード政権に対抗する勢力への援助がなくしては存在できない(そのようなシリア情勢について、このブログではこれまで2回取り上げてきた)。アサード政権転覆を図るためにシリア国内のスンニー派イスラム教徒を扇動し、その動きの一部が先鋭化し原理主義的なイスラム教を奉じる「イスラム国」という鬼っ子が生まれてきて、アサード政権転覆を先導していた側があわてているというのが現在の構図だ。

このように現在の中東情勢の大きな部分は「宗教的情熱に支えられた国家間の対立」という形で説明できる。イスラム教にはキリスト教世界における宗教改革のような、世俗と信教の分離をはかる動きが出てきていない。民意である宗教的情熱が、民主化をすればそれがそのまま国の政策として表に出る。このような状況で現在の中東の混乱に対する解があるのか絶望的にならざるを得ない。

イスラム国による日本人人質処刑予告2015/01/24 08:30

今回の「イスラム国」による日本人人質処刑予告。イスラム国には「人質の在庫」がある。彼らは自分たちの主張をしたいテーマがあるとき、そのネタとしてその在庫を引っ張りだして処刑してみせたりする。昨年から持っていた日本人人質の在庫が安倍首相の中東歴訪に合わせ「日本をゆするにはちょうどよいタイミングだ」としてイスラム国に使われた。当事者にとっては過酷な話だが、このニュースはそのように見るべきだ。

それにしても今回の安部首相の中東歴訪にイスラエルが加えられたのは彼の外交政策アドバイザー達の大失策だ。首相のアドバイザー達がどこまでイスラム国の「日本人人質在庫」のことを認識していたかは知らないが、今回のイスラエル訪問は恐らく彼らアドバイザー連が「中東でアラブ・イスラエルの仲介者としての地歩を固め、石油・天然ガス輸入でアラブ諸国に依存する我が国のプレゼンスを高めるため」とか言った空疎な言葉で巧みに話を持ち上げ、首相が「ウンそうだ、そうしよう」とそれに乗った、というあたりだと推察する。「イスラエル訪問がなければ『日本人人質の在庫処分』はなかったろう」とは言わないが、彼らアドバイザー達は「首相のイスラエル訪問で『在庫処分リスク』が一気に高まった」ことへの責は問われるべきだろう。

中東の現状形成に何らかの直接的な責任があるアメリカや英仏とは違って、そのようなしがらみがないのは日本」だからといって「日本がアラブ・イスラエルの仲介者になれる」と考えるのは短絡にすぎる。アラブ・イスラエルの関係というのは同じセム語系部族間の数千年続いているライバル争いだ。そんな数千年も続く争いから遠く離れた極東の小国日本ができるのはよくて「交渉の場を提供する」くらいだ。

日本がすべきことは石油・天然ガス輸入を通じて安定的なお客様として産油国との友好関係を保ちつづけることだ。そして複雑な利害がからまるアラブ・イスラエル関係については「イスラエルのパレスチナ占拠が不当であると考えるが、パレスチナ側もイスラエルに無差別でミサイルを撃ち込むようなことは慎むべきだ。問題解決にあたっては当事者間の平和的な解決を希求する」とのポジションをとり続けることだ。ちなみにこれはほとんどの中東諸国が表向きとっている方針だ。第一次石油ショックの時のように日本のエネルギー輸入に影響があるときは日和見だと言われようが積極的に「アブラ寄り」の政策をとればよい。

田中宇というジャーナリストが世界の情勢分析に関するメルマガを出している。有償メルマガだが時々無償で記事を配信してくる。「こういう見方もできるのね」というキワモノとしての価値があるので、私は無償版のリストに登録している。その彼が「安倍首相が、おそらく米国のタカ派政治家から頼まれ、経済関係を強化すると言ってイスラエルを訪問した」とのコメントをしているが、「消費税増税黙認で借りのあるアメリカへの配慮」とでも言い換えてくれれば結構重みのある分析だったと思う。

こんな風穴なら開けてほしくない--TPPに関する議論で余り注目されていないこと2015/01/27 08:31

ドイツのリベラル系の雑誌SpiegelにTransatlantic Trade and Investment Partnership (TTIP)環大西洋戦略的経済連携協定締結推進に関してヨーロッパで懐疑が深まってるという記事が出ている。

懐疑が深まっている理由は、同協定の紛争解決条項で規定される紛争解決手段としての仲裁に関するものだ。Spiegelの記事のおおよその議論は以下のようになる:

* 仲裁の結果は国の政策や法律に対して拘束力を持つ

* アメリカの企業は問題があるとすぐ「投資家保護」の名目で国を相手の裁判や仲裁に持ち
   込む傾向がある

* 仲裁は3人の仲裁人が非公開で当事者の申し立てを聞き、審判結果も非公開だ

* 仲裁に入ると仲裁なれした弁護士事務所に審理の主導権を奪われ、訴えられた国に不利
      な審判がでる可能性が高い

* 不利な審判が出なくても、仲裁になると訴えられた当事国も高額な弁護士費用を払ってそ
   れなりの体制で審理に臨むことになるので、当事国はアメリカの企業から仲裁を申し立て
   られそうな案件についての立法や政策の実施を躊躇するようになる

* この結果、遺伝子組み換え作物、環境規制など、アメリカ国内の規制が弱い分野で活動
     する企業が「自社の投資家保護」の名目で「ヨーロッパの国内法の規制は恣意的かつ競争
     制限的だ」といって仲裁を要求してくる可能性がある

* 訴訟なれしたアメリカ企業の意向に近い審判が出て来れば、TTIP締結の結果、ヨーロッパ
     各国の国内の規制がアメリカで活動する企業の意思でねじ曲げられるリスクがある

* TTIPの投資家保護条項はこのように国の政策を一企業の投資家保護という名目でねじ曲
      げられる危険な要素を持つ

それ故にSpiegelの記事は「訴訟好きなアメリカの企業」の行動に注意を喚起しているわけだ。

Spiegelの議論を読む際に留意しておくべき点は「仲裁なれした弁護士事務所は別にアメリカだけにあるわけではない」という点だ。現在国際的な弁護士事務所間の大きな連携や統合が進んでおり「TTIPを推進すればアメリカの弁護士事務所にやられる」というとらえ方よりは「TTIPを推進すれば弁護士の活躍の場がふえる」という理解が必要だ。

さて「訴訟なれしていない日本」でこのような面から環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に対して疑問を呈している議論はでているのだろうか。

外務省のTPPに関する説明のサイトでは紛争仲裁に関しては「協定の解釈の不一致等による締約国間の紛争を解決する際の手続きについて定める」と簡単に記載されているだけだ。

もっとも同じ外務省のサイトではTPPで「我が国がこれまでの投資協定・経済連携協定において独立の分野として扱ったことがないのは『環境』、『労働』、『分野横断的事項』の3分野」とも書かれている。

TPPの具体的な交渉内容や条文については秘密交渉に委ねられており、何を具体的にどのように交渉しているのかはWikileaksをみるしかない。英文版WikipediaのTPPに関する記事を見ると紛争解決について"As of 2012, US negotiators were pursuing an investor-state dispute
settlement mechanism, also known as corporate tribunals, which can be used to attack
domestic public interest laws"「2012年現在アメリカの交渉団は相手国内の公益関係法規を取り上げることができるような、投資家と国の間の紛争解決手段、別名企業間紛争審判法廷、を作る方向で交渉をしている」との記述が見える。つまりSpiegelが問題にしているTTIP上の問題が、TPPでも提起されていることがわかる。尚、TPP第15条「紛争解決」の私訳をみると「もしも協議国団が下記の期間内の問題解決に失敗すれば、申立国は、被申立国宛の文書化された通知によって、仲裁裁判所の設置を要請できる」との記述がみえる。

Spiegelの記事によればアメリカとオーストラリアの間の投資協定はオーストラリアの国内政策の優越に配慮した内容になっているようなので「オーストラリアがTPP交渉に参加していればなんとかなる」という見方もできるかもしれない。

いずれにせよ、この問題はもう少し研究し再びこのブログでとりあげることとしたい。

イスラム国による日本人人質処刑予告 追記2015/01/31 07:19

昨日日本における中東情勢に関するオーソリティーの一人の酒井啓子千葉大学教授の「激動する中東情勢: イスラーム国がもたらす危機」と題する講演を聞きに行った。このブログで「イスラム国による日本人人質処刑予告」を取り上げたばかりなので「何か参考になることでも…」と思って出席したわけだが「イスラム国について学生向けに『理想の国を建設しようというサークル活動が肥大したようなもの』という説明を使っている」という話以外は特に目新しい話はなかった。むしろ「現在のトルコではきちんと政教分離ができている」との発言をきいて「トルコにおけるイスラム教勢力の復権を過小評価しているのではないか」との懸念を持った。「現在の中東情勢は複雑な要因がからみあっていて簡単な解がない」という講演の結論は私が「イスラム国による日本人人実処刑予告」で書いたものと同じものだ。

また酒井はアルカイダとイスラム国を分ける特性として「アルカイダは自分の目的達成のために国外で戦うことも辞さないのに対しイスラム国は理想郷の建設を目指して版図を拡大しているので飛び地のようなところでは戦わない」という説明を行っていたが、これほどきれいな分けかたは出来ないと思う。私はむしろ

* 「パリのテロはアルカイダ系の仕業」と酒井が言ったテロ犯の一人がイスラム国の旗を背
   景にして撮った写真があることからも明らかなように、アルカイダとイスラム国は重複して
      いる部分があり、きれいには分けられない

* 急進的な思想を持つ団体のアナロジーを使えば「彼らは今後組織の拡大ができないと内 
   部の思想対立が表面化し、分裂を繰り返すことになる」

と考えている。

この認識を使えば「彼らに抗するのは、月並なようだが『分裂を誘発するよう彼らの拡大を抑えこみ、分裂した部分を個別につぶしてゆく』しなかない」と思う。ただ彼らの活動する地域の広大さや、彼らと対峙する関係国の利害の複雑さや、彼らの活動に対する多くの地域住民の心情的な共感、といった要素がからみあって、一貫した封じ込め政策をとるのが困難なことにこそ、現在の中東情勢の解の難しさがある。


水のなるほどクイズ2010