オバマ政権 ― 2009/03/08 23:03
オバマ政権がガイスナー前ニューヨーク連銀総裁とダシェル前上院議員をそれぞれ財務長官と厚生長官に選任したところ、両名とも「所得申告もれ」が発見され、あわてて修正申告を行っている。ガイスナー氏の場合はこれで沙汰ヤミとなったが、ダシェル氏の場合は推薦辞退にまで話が進んだ。ちなみにリベラル派のNew York Times (NYT)紙が両氏に対し「こういうことが表面化した以上推薦を辞退すべきだ」との論陣を張っていた。
ガイスナー氏の場合はIMF(国際通貨基金)勤務時代の所得を数年にわたって申告していなかったことが指摘された。「この所得は別途確定申告が必要です」とIMFから言われながら、ご丁寧に所得を申告していなかったとなると、財務のプロである彼が「IMFからIRSに対して『xx年度はガイスナーに給与をxxドル支払っている』との連絡が行かないであろう」とのヨミのもとに所得を除外したと言われてもしょうがない事態だ。ダシェル氏の場合は現物支給された報酬(車つき運転手の提供)を所得から除外していたのが直接の原因である。
両名の「申告もれ」をみてみると、一部のアメリカのエリートの納税意識が垣間見える。アメリカでは個人所得税は申告納税が原則である。経費や控除となるものの対象が多いのと、州ごとの税制が異なる分(例えば所得税がない州があったりする)、日本の税制より複雑である。またIRS(アメリカ国税庁)に提出した確定申告書がすべて精査されるわけではない。この結果?多くの一定以上の知識を持ったアメリカ人たちの間では「IRSにどこまで経費や控除を認めさせられるのか」とか、「所得を申告しなくても見つからない確率にかける」という行為が一種のゲームのようになっているのである。「こうやってIRSと渡り合った」といった話がパーティーの席上などで得々と語られる国柄なのである。
感想を求められたオバマ政権のスポークスマンは「完全な人などいない(Nobody’s perfect)」と開き直っているが、問題は財務長官に適当な候補者と衆目一致の候補といえどもこのような状態だというのが現下のアメリカの病の深さであろう。社会のエリートが「知恵とリスク・テークの意思があれば政府機関を欺くのはゲーム」と思っている社会で、政策の実施責任者になったエリートがどこまで真剣に、どこまで深くまで改革を進められるのか乞うご期待というところである。
と、ここまでややシラケテ書いたのが2/18である。
その後オバマ政権が矢継ぎ早に打ち出す政策を見ると大方の「識者」の予想に反し「大統領選中の公約に忠実に政策を打ち出している」!無論アメリカの大統領が出す政策はあくまでも「大統領の出す指針」であって、議会がそれを法律にしないと政府は政策としてそれを実行できない。従い公約に忠実に打ち出された政策がそのまま政府の政策となるわけではない。ましてやオバマ政権の打ち出している政策は、レーガン政権以来20年強にわたって営々と築き上げられてきた「新自由主義」政策の方向転換を目指すものであるだけに、スイスイ議会を通過するのは容易なことではないと思う。しかしオバマ政権の意気や良し。もう少し好意的に事態の推移を見守ろうと言う気になってきた。
ガイスナー氏の場合はIMF(国際通貨基金)勤務時代の所得を数年にわたって申告していなかったことが指摘された。「この所得は別途確定申告が必要です」とIMFから言われながら、ご丁寧に所得を申告していなかったとなると、財務のプロである彼が「IMFからIRSに対して『xx年度はガイスナーに給与をxxドル支払っている』との連絡が行かないであろう」とのヨミのもとに所得を除外したと言われてもしょうがない事態だ。ダシェル氏の場合は現物支給された報酬(車つき運転手の提供)を所得から除外していたのが直接の原因である。
両名の「申告もれ」をみてみると、一部のアメリカのエリートの納税意識が垣間見える。アメリカでは個人所得税は申告納税が原則である。経費や控除となるものの対象が多いのと、州ごとの税制が異なる分(例えば所得税がない州があったりする)、日本の税制より複雑である。またIRS(アメリカ国税庁)に提出した確定申告書がすべて精査されるわけではない。この結果?多くの一定以上の知識を持ったアメリカ人たちの間では「IRSにどこまで経費や控除を認めさせられるのか」とか、「所得を申告しなくても見つからない確率にかける」という行為が一種のゲームのようになっているのである。「こうやってIRSと渡り合った」といった話がパーティーの席上などで得々と語られる国柄なのである。
感想を求められたオバマ政権のスポークスマンは「完全な人などいない(Nobody’s perfect)」と開き直っているが、問題は財務長官に適当な候補者と衆目一致の候補といえどもこのような状態だというのが現下のアメリカの病の深さであろう。社会のエリートが「知恵とリスク・テークの意思があれば政府機関を欺くのはゲーム」と思っている社会で、政策の実施責任者になったエリートがどこまで真剣に、どこまで深くまで改革を進められるのか乞うご期待というところである。
と、ここまでややシラケテ書いたのが2/18である。
その後オバマ政権が矢継ぎ早に打ち出す政策を見ると大方の「識者」の予想に反し「大統領選中の公約に忠実に政策を打ち出している」!無論アメリカの大統領が出す政策はあくまでも「大統領の出す指針」であって、議会がそれを法律にしないと政府は政策としてそれを実行できない。従い公約に忠実に打ち出された政策がそのまま政府の政策となるわけではない。ましてやオバマ政権の打ち出している政策は、レーガン政権以来20年強にわたって営々と築き上げられてきた「新自由主義」政策の方向転換を目指すものであるだけに、スイスイ議会を通過するのは容易なことではないと思う。しかしオバマ政権の意気や良し。もう少し好意的に事態の推移を見守ろうと言う気になってきた。
イラン革命30周年(1/2) ― 2009/03/08 23:29
日本のメディアでは余り取上げられないが、4月1日はイラン革命(正式にはイラン・イスラム革命)30周年である。イラン革命の意義と今後のイランの姿について考えてみたい。
1. イラン革命の意義
今日現在の英文版ウィキペディアのイラン革命に関する記事には
“the third great revolution in history”, following the French and Bolshevik revolutions, and an event that "made Islamic fundamentalism a political force ... from Morocco to Malaysia." (フランス革命、ロシア革命に次ぐ世界三大革命。イスラム原理主義をモロッコからマレーシアに至る [回教国における]政治勢力として成り立たせた事件)
との記述があるが、これはきわめて簡単で的確な説明だと思う。理由を書こう。
1.1 政体の変化: 君主制から制限民主制へ
イラン革命前のイランはシャー(イラン皇帝)による立憲君主制ということになっているが、実態は親政に近い。シャーの政権の末期に英国のBBC放送の記者が「陛下は絶対君主か?」とシャーに質したところ、シャーが"Maybe"と答えていたのがこの点を象徴している。
イラン革命はそれまでのシャーと彼を囲む欧米的な教育を受けた親欧米的なエリート層による統治形態を根底から覆し、統治の主体を大衆の信頼の厚いシーア派イスラム教聖職者と、国内で教育を受けたより土俗的・イスラム的な価値観を持つその支持層に置き換えた。私は帝政時代のイランと革命後のイラン両方に行ったことがあるが、革命直後のイランでは帝政時代のエリートがほぼ完全に職を奪われ、庶民層出身者に置き換わっていたことが印象的であった。
革命の結果統治形態がかわり、さまざまな試行錯誤の結果、現在のイランの統治形態が存在している。それは公選によって選ばれた政府が、非公選の最高指導者(聖職者)と最高指導者によって半数の委員が任命される監督者評議会によってチェックされるという形態だ。現在のイランの統治形態は感覚的に言えば神聖にして侵すべからざる天皇と任命制の枢密院によって公選で選ばれた内閣と議会がチェックされていた戦前の日本と類似した統治形態だ。
統治システムと、統治主体が完全に入れ替わったという点をみるとイラン革命は十分に「革命」としての要件を整えていることがわかる。
1.2 イスラム世界を揺るがす普遍的なイデオロギーの発信
英文版ウィキペディアがあげていたもう一点はイラン革命のイデオロギーであるイスラム原理主義の普遍化である。普遍的なイデオロギーを示したことこそがイラン革命が世界三大革命の一つに数えうる要件である。イラン革命は「欧米的な価値観によって自分たちの価値観が侵食されている」という世界のイスラム教徒の焦燥感を顕在化させる起爆剤となったのだ。
1. イラン革命の意義
今日現在の英文版ウィキペディアのイラン革命に関する記事には
“the third great revolution in history”, following the French and Bolshevik revolutions, and an event that "made Islamic fundamentalism a political force ... from Morocco to Malaysia." (フランス革命、ロシア革命に次ぐ世界三大革命。イスラム原理主義をモロッコからマレーシアに至る [回教国における]政治勢力として成り立たせた事件)
との記述があるが、これはきわめて簡単で的確な説明だと思う。理由を書こう。
1.1 政体の変化: 君主制から制限民主制へ
イラン革命前のイランはシャー(イラン皇帝)による立憲君主制ということになっているが、実態は親政に近い。シャーの政権の末期に英国のBBC放送の記者が「陛下は絶対君主か?」とシャーに質したところ、シャーが"Maybe"と答えていたのがこの点を象徴している。
イラン革命はそれまでのシャーと彼を囲む欧米的な教育を受けた親欧米的なエリート層による統治形態を根底から覆し、統治の主体を大衆の信頼の厚いシーア派イスラム教聖職者と、国内で教育を受けたより土俗的・イスラム的な価値観を持つその支持層に置き換えた。私は帝政時代のイランと革命後のイラン両方に行ったことがあるが、革命直後のイランでは帝政時代のエリートがほぼ完全に職を奪われ、庶民層出身者に置き換わっていたことが印象的であった。
革命の結果統治形態がかわり、さまざまな試行錯誤の結果、現在のイランの統治形態が存在している。それは公選によって選ばれた政府が、非公選の最高指導者(聖職者)と最高指導者によって半数の委員が任命される監督者評議会によってチェックされるという形態だ。現在のイランの統治形態は感覚的に言えば神聖にして侵すべからざる天皇と任命制の枢密院によって公選で選ばれた内閣と議会がチェックされていた戦前の日本と類似した統治形態だ。
統治システムと、統治主体が完全に入れ替わったという点をみるとイラン革命は十分に「革命」としての要件を整えていることがわかる。
1.2 イスラム世界を揺るがす普遍的なイデオロギーの発信
英文版ウィキペディアがあげていたもう一点はイラン革命のイデオロギーであるイスラム原理主義の普遍化である。普遍的なイデオロギーを示したことこそがイラン革命が世界三大革命の一つに数えうる要件である。イラン革命は「欧米的な価値観によって自分たちの価値観が侵食されている」という世界のイスラム教徒の焦燥感を顕在化させる起爆剤となったのだ。
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