イラン革命30周年(1/2)2009/03/08 23:29

日本のメディアでは余り取上げられないが、4月1日はイラン革命(正式にはイラン・イスラム革命)30周年である。イラン革命の意義と今後のイランの姿について考えてみたい。

1. イラン革命の意義

今日現在の英文版ウィキペディアのイラン革命に関する記事には

“the third great revolution in history”, following the French and Bolshevik revolutions, and an event that "made Islamic fundamentalism a political force ... from Morocco to Malaysia." (フランス革命、ロシア革命に次ぐ世界三大革命。イスラム原理主義をモロッコからマレーシアに至る [回教国における]政治勢力として成り立たせた事件)

との記述があるが、これはきわめて簡単で的確な説明だと思う。理由を書こう。

1.1 政体の変化: 君主制から制限民主制へ

イラン革命前のイランはシャー(イラン皇帝)による立憲君主制ということになっているが、実態は親政に近い。シャーの政権の末期に英国のBBC放送の記者が「陛下は絶対君主か?」とシャーに質したところ、シャーが"Maybe"と答えていたのがこの点を象徴している。

イラン革命はそれまでのシャーと彼を囲む欧米的な教育を受けた親欧米的なエリート層による統治形態を根底から覆し、統治の主体を大衆の信頼の厚いシーア派イスラム教聖職者と、国内で教育を受けたより土俗的・イスラム的な価値観を持つその支持層に置き換えた。私は帝政時代のイランと革命後のイラン両方に行ったことがあるが、革命直後のイランでは帝政時代のエリートがほぼ完全に職を奪われ、庶民層出身者に置き換わっていたことが印象的であった。

革命の結果統治形態がかわり、さまざまな試行錯誤の結果、現在のイランの統治形態が存在している。それは公選によって選ばれた政府が、非公選の最高指導者(聖職者)と最高指導者によって半数の委員が任命される監督者評議会によってチェックされるという形態だ。現在のイランの統治形態は感覚的に言えば神聖にして侵すべからざる天皇と任命制の枢密院によって公選で選ばれた内閣と議会がチェックされていた戦前の日本と類似した統治形態だ。

統治システムと、統治主体が完全に入れ替わったという点をみるとイラン革命は十分に「革命」としての要件を整えていることがわかる。

1.2 イスラム世界を揺るがす普遍的なイデオロギーの発信

英文版ウィキペディアがあげていたもう一点はイラン革命のイデオロギーであるイスラム原理主義の普遍化である。普遍的なイデオロギーを示したことこそがイラン革命が世界三大革命の一つに数えうる要件である。イラン革命は「欧米的な価値観によって自分たちの価値観が侵食されている」という世界のイスラム教徒の焦燥感を顕在化させる起爆剤となったのだ。

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