イラン革命30周年(2/2) ― 2009/03/13 21:59
2. イランの将来
ここに興味深い統計がある。中東、北アフリカのイスラム教国で民度がイラン並みと思われる諸国の出生率と人口増加率である(出典 http://www.indexmundi.com/
)。サウジアラビアは石油収入に支えられた所得は先進国並みだが出生率はバングラデシュ並みという特殊例なので比較対象からは除外するとして、この表を見るとイランの出生率や人口増加率の少なさが際立っていることがわかる。
国名 |
一人当GDP |
出生率 |
人口増加率 |
イラン |
$12,300 |
16.89 |
0.792% |
トルコ |
$9,400 |
16.15 |
1.013% |
シリア |
$4,300 |
26.57 |
2.189% |
エジプト |
$5,400 |
22.12 |
1.682% |
チュニジア |
$7,500 |
15.50 |
0.989% |
アルジェリア |
$8,100 |
17.03 |
1.209% |
参考:サウジ |
$20,700 |
28.83 |
1.945% |
参考:日本 |
$33,800 |
7.87 |
-0.139% |
(GDPは購買力平価での調整値)
イランはイラン・イラク戦争後のベビー・ブームの結果急激に人口が増加したためイスラム教国には珍しく人口抑制政策をとっているが、これだけで事態を説明できるのだろうか?
現在のイランの政体は欧米的な意味での民主制ではないが、民衆に基盤を持つ政体であることは確かだ。しかし、政府に対するチェック機能を持つ聖職者層の保守性と彼らの政治や経済といった世俗的な領域における影響力のせいでイランの経済は石油輸出依存体質から脱していないし(政府収入の85%が石油収入)、産業の大きな部分を占める国営企業の非効率の影響で産業活動も不活発である。失業率も15%前後と高率だ。
もう一点指摘しておかねばならないことはシャーの支持基盤であった比較的宗教心が薄く親欧米の「都市の中間層」と、より敬虔かつ保守的な「その他の国民」との間の落差である。その他の国民のほうが都市の中間層より数において勝り、また彼らが現在の政治体制の支持基盤であるため、現在の政治体制は一見磐石である。この結果都市の中間層の間には不満が鬱積し、海外へ移住したり、政府や聖職者によって管理されていない消費や不動産投資、つまりは非生産財投資に向かうという弊害をもたらしている。
出生率や人口増加率の低さは若い世代の将来に対する希望のなさを表しているのではなかろうか?
現在イランの政権を握っている層は、このままでは経済成長率といった世俗的な価値基準で測ればイランが万年二流国家に甘んじるリスクを抱えていることを認識しているのだろうか?イランの原子力開発は北朝鮮の場合同様、万年二流となることを認識している国家の国際的な自己主張の手段という視点からもみるべきであろう。
国民にとっての「実」のない形でしか不満の蓄積に対する対応ができないとすれば、イランの政治が再び混乱する危険があるといえる。
オバマ大統領のイラク派遣軍撤退とアフガニスタン増強、イスラム原理主義の台頭、右旋回するイスラエル、と不安定要因が多い中東情勢は今後とも予断を許さない。制限つきとはいえ民主制をとり比較的政権が安定しているイランの為政者が、政治体制の継続と安定を図るため徐々に統治のタガを緩め国内各層の不満を吸収して行くことを願ってやまない。
3. 補足: イランはオスマントルコ帝国化する?
とここまで書いたところでフォーブス誌のウェブサイト
http://www.forbes.com/ に3/3付でMelik
Kaylan氏のThe Iranian Empire(イラン帝国)という興味深い記事が掲載された。記事の結論を一言で言うと「イランはオスマントルコのような形の帝国になろうとしている」ということだ。オスマントルコは帝国内の民族間の争いを仲裁し、帝国の臣民を外敵から守ることによって帝国を統治し中東の秩序を維持していた。これは国境を画定してその国境内で均一な行政を行うことを志向する欧米型の帝国とは異なるタイプの帝国だ。このような目で見るとイラク、シリア、レバノンは既にイランの勢力圏内に入っており、最近米国がアフガニスタン問題解決にイランとの対話を求めていることからもわかるとおり、アフガニスタン問題もイランの関与なくしては解決不能なところまできていることに気がつく。
この見方は一面の真実を持っていると思う。Kaylan氏はトルコ出身なので、このような見方ができたのだろう。今後これに「海への出口を持つ」というイランの地理的な戦略性を加味することで中央アジア諸国のカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメン、タジキスタン、キルギズスタンに対する影響力が今後加味される可能性は大である。
しかし、トルコは何もしないのだろうか?
トルコ航空の路線図を見ると中央アジア諸国は言うに及ばずロシアのタタール共和国カザン、アゼルバイジャン共和国のバクー、とトルコ系民族の広がる地域すべてに路線を通じている。中央アジアではせいぜいカザフスタンとウズベキスタンにしか及ばないイラン航空の路線図とは大違いだ。イランからトルクメンニスタンに通じる鉄路があることを加えても交通面でのトルコの優位は変わらない。
航空路線図だけですべてを判断するのは問題であるにしても、トルコがEU加盟に見切りをつけ、国として中東の将来に賭ける路線に転じたとき、トルコが中央アジアに広がるトルコ系民族との関係をどのようにしてゆくのかは一考の価値があると思う。
内需を増やせ(2/2) ― 2009/03/13 22:15
それでは付加価値の高い産業とは?
日本の工業製品の輸出は明治時代の繊維製品に始まり、戦後の鉄鋼、機械、電子製品と付加価値の低いものから高いものへと移ってきたことになっている。
日本人は「技術立国」というキャッチフレーズになんとなく弱い。「不断の生産技術や新技術の開発によって支えられる生産現場に直結した技術開発こそが日本の力だ」とする考え方や、それにまつわるエピソードにグッとくるのだ。五公五民や六公四民で農民が締め付けられていた江戸時代(或いはそれ以前)からの伝統で、日本人のDNAには苦しい状況の中で不断の努力を重ねて状況を改善してゆくという行動が刷り込まれており、それ故にこの手の話に条件反射的に心が動くのだろう。
しかし、生産技術や技術開発の行為そのものが美化される余り、それが自己目的化し、肝心の「本当にその技術開発は必要なのか」とか「その製品になぜ不断の生産技術や技術開発をかける必要があるのか?」とかいうソモソモ論が脇に追いやられる傾向があるのではなかろうか。
再び江戸時代に例をとろう。一揆はたびたび発生したが国を覆す革命はついに起こらず、外圧(=1853年のペリー浦賀来航)がかかるまで300年近くにわたり五公五民の世が根本から変革される機会が訪れなかったことを想起してほしい。日本人は改善には得手でもパラダイムを変換するような変革を先導することは不得手なのである。
技術開発を長い間やっていると新市場が現れたりするので、「技術開発のための技術開発」の意義はまったくゼロというわけではないと思うが、忽然と新市場が現れるのはむしろ例外だという認識こそが必要だ。
技術開発の本来の目的は製品の向上による産業全体の高付加価値化なのである。「不断の努力」は現場から一歩退いた、この方向性の絶えざる確認がなければ単なる技術者の自己満足に終わってしまう。
もう一点。付加価値が低いとみなされていた産業に対しては例えば「農業や繊維製品の付加価値は本当に低いのだろうか?」といった疑問をも持って付加価値をあげるための知恵を絞る必要がある。
同じTシャツでもノーブランドの製品とフランスやイタリーのブランドのついた製品では付加価値が恐ろしくちがう。11億円の資材で111億円の商品どころではなく、1億円の資材で1000億円の商品というイメージなのだから。いわゆるサービス産業にいたっては極端な話、資材なしですべてが付加価値だ。
内需振興を云々する場合、日本は産業政策としてもっと
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自国内の付加価値の高い産業探しとその産業の育成
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既存の産業を付加価値の高い産業に改変する
というはっきりとした目的をもつ必要があるし、内需振興のためにもそのような高付加価値産品の輸出を促さねばならない。
海外進出について ― 2009/03/13 22:37
内需を増やせ(1)(2)の結論として高付加価値品への産業の特化と、そのような商品の輸出振興を推した。
しかし、計画もなく海外進出するのは自滅行為だ。
海外で事業を興す場合思いつくだけでも相手の国の法律に基づく許認可を取得する必要、日本語以外の言葉で商品を語る必要、メーカーであれば工場で働く要員の確保、製品やサービスを売るために外国人の販売要員をそろえる必要、流通拠点をそろえる必要というハードルがある。こういうことを外国語でやらねばならないから、国内で販売するよりはコストがかかるのも当たり前だ。
海外進出にあたっては「親会社に命令された」という他動的な理由がない場合:
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海外展開のほうが利益率が高いと見込まれる
l
国内だけでは市場が頭打ちで成長を目論むには海外展開しかない
という前提で進出する際の条件を精査すべきだ。
しかしその結果ちょっと考えただけで「リスクが高い」ということで国内市場に安住していてよいのだろうか?
ドトールコーヒーとスターバックス
2月の日本経済新聞にドトールコーヒー(以下ドトール)の鳥羽博通氏の「私の履歴書」が掲載された。ドトールの今日を築いた鳥羽氏の努力には本当に敬服する。1962年にコーヒー豆店を旗揚げし喫茶店のドトールの第1号店を開くのが1980年。1993年には店頭上場し2007年3月末には売上686億円、営業利益43億円にまで育った(ドトールは2007年10月に日本レストランシステムと合併したのでドトールだけの決算が開示されているのはこの期が最後)。つまりドトールの営業利益率は6.3%ということになる。
しかし目を海外に向けてみたい。スターバックスがシアトルで最初のコーヒー豆店を開設したのは鳥羽氏に遅れること実に9年の1971年だ。それまで高級レストラン以外ではバッテリーの電解液のようなコーヒーしか供されることがなかったアメリカに、しっかり腰のある濃い目のコーヒーを持って参入したスターバックスの前身ができたのはドトールに遅れること5年の1985年だ。ドトールの2007年3月期に一番近い2007年9月期(スターバックスの決算年度は10月~翌年9月)のスターバックスは売上US$94億、営業利益US$11億(当時の為替レートでそれぞれ1兆814億円、1,211億円)。ドトールに比べ売上の規模が16倍だし、営業利益は28倍強もある。
スターバックスといえばパリにまで出店してまあ世界中誰でも知っているが、ドトールコーヒーは台湾にライセンシーがいる以外は基本的には日本だけのローカルブランドだ。「日本だけでやってゆこう」と思うと「コーヒー店は全国展開が終わって頭打ちだから外食に参入しよう」という発想になって、日本レストランシステムとの合併ということになるのだろう。それも一つの選択肢だとは思うが、なぜドトールは激戦区の日本の外食参入を志向し海外展開という選択肢をとらなかったのだろう?
2007年9月末のスターバックスの損益計算書を見てみよう。
|
米国 |
海外 |
Global CPG |
全社 |
売上 |
7,349 |
1,696 |
366 |
9,411 |
営業利益 |
1,071 |
138 |
184 |
1,054 |
営業利益率 |
14.60% |
8.10% |
50.10% |
|
(金額単位US$百万)
ざっと言って売上の18%を海外で稼ぎ出しているのは「さもありなん」というか「たったそれだけ?」というか評価が分かれるかもしれないが、注目すべきはその海外事業の営業利益率が8.1%と、6.3%のドトールよりちょっと良い程度であることだ。米国企業には珍しいことだが海外事業のほうが国内事業より利益率が低い。これなら外国語で店員をトレーニングするとか国内より面倒なことをする必要がある海外事業を鳥羽氏が志向しなかったのも納得できる。
しかし本当にそんなものなのだろうか?
スターバックスにはGlobal
CPG(グローバル消費財事業部) という秘蔵っ子がいる。コーヒー豆や粉、紅茶のライセンスの元締めになっている事業部だが、なんとライセンシングによる収入の5割強を営業利益にまわし、売上は会社全体の4%弱だが営業利益の17%強をたたき出している高収益事業部なのである。スターバックスの海外事業を考える場合このGlobal
CPGで上げる利益も加算する必要がある。Global CPGの利益の内の海外由来がどれだけあるのかわからないのでとりあえず売上比でGlobal CPGの営業利益を割振ると海外事業の営業利益が$173百万、営業利益率が10.2%ということになる。これだけ利益を出しうるなら「海外展開をやらない」ということにはならないのではなかろうか。
この手の話はドトールに限ったことではない。
英国の経済紙Financial
TimesにFast Lane(追越車線)という高級ファッションやライフスタイルを扱うコラムがある。コラムを担当するTyler Brûlé氏は世界で一番好きな国のひとつが日本で、一番好きな都市のひとつが東京で、東京は一番クールなファッションの集積地だとコラムで公言してはばからない。Fast
Laneでは東京のファッションについての記事がよく登場するが、だいたい「ここで書いた商品には残念ながら欧米人の体に合うサイズがないし日本国外にはショップがない」というコメントがつく。ついにたまりかねたのか2/28のコラムで
But,
if Japan has the products and long-term view to make it highly competitive,
it’s
also held back by a real inability to market its top brands effectively – this
includes
the nation itself.
意訳: しかし、日本は高い競争力を維持するにたる商品と長期的な視点を有しているとしても、自国のトップブランドを効果的に販売してゆく能力がまったく欠如していることによって[その発展が]阻害されている。これは日本国というブランド自身についても言えることだ。
と書いている。
どうして日本の高付加価値企業及びその予備軍は海外進出をためらうのだろうか?
余談: ユニクロの製品でさえ「これぞ」という商品には往々にして自分にあったサイズがないので、この記事には「わが意を得たり」の感を持って接した。サイズのことでは数年前ユニクロの柳井社長にクレームしたことがあるが一向改善されていない。クレームに対する社員からの返信には「柳井も見ています」と書いてあったのだが…私はいまだにカジュアルな服を買う場合はLands EndとかL L Beanといった海外の通販に頼っている(私は太めであることは自認するが決してデブではない)。どうして日本のファッション産業の製品には草食系男子向けのような商品構成しかないのだろう?日本のこの手の産業の会社としては珍しく海外進出を積極的にやっているユニクロが海外で苦戦するのは案外「おじさんサイズがない」などという基本的な点につまずいているからではないだろうか?
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