内需を増やせ(2/2) ― 2009/03/13 22:15
それでは付加価値の高い産業とは?
日本の工業製品の輸出は明治時代の繊維製品に始まり、戦後の鉄鋼、機械、電子製品と付加価値の低いものから高いものへと移ってきたことになっている。
日本人は「技術立国」というキャッチフレーズになんとなく弱い。「不断の生産技術や新技術の開発によって支えられる生産現場に直結した技術開発こそが日本の力だ」とする考え方や、それにまつわるエピソードにグッとくるのだ。五公五民や六公四民で農民が締め付けられていた江戸時代(或いはそれ以前)からの伝統で、日本人のDNAには苦しい状況の中で不断の努力を重ねて状況を改善してゆくという行動が刷り込まれており、それ故にこの手の話に条件反射的に心が動くのだろう。
しかし、生産技術や技術開発の行為そのものが美化される余り、それが自己目的化し、肝心の「本当にその技術開発は必要なのか」とか「その製品になぜ不断の生産技術や技術開発をかける必要があるのか?」とかいうソモソモ論が脇に追いやられる傾向があるのではなかろうか。
再び江戸時代に例をとろう。一揆はたびたび発生したが国を覆す革命はついに起こらず、外圧(=1853年のペリー浦賀来航)がかかるまで300年近くにわたり五公五民の世が根本から変革される機会が訪れなかったことを想起してほしい。日本人は改善には得手でもパラダイムを変換するような変革を先導することは不得手なのである。
技術開発を長い間やっていると新市場が現れたりするので、「技術開発のための技術開発」の意義はまったくゼロというわけではないと思うが、忽然と新市場が現れるのはむしろ例外だという認識こそが必要だ。
技術開発の本来の目的は製品の向上による産業全体の高付加価値化なのである。「不断の努力」は現場から一歩退いた、この方向性の絶えざる確認がなければ単なる技術者の自己満足に終わってしまう。
もう一点。付加価値が低いとみなされていた産業に対しては例えば「農業や繊維製品の付加価値は本当に低いのだろうか?」といった疑問をも持って付加価値をあげるための知恵を絞る必要がある。
同じTシャツでもノーブランドの製品とフランスやイタリーのブランドのついた製品では付加価値が恐ろしくちがう。11億円の資材で111億円の商品どころではなく、1億円の資材で1000億円の商品というイメージなのだから。いわゆるサービス産業にいたっては極端な話、資材なしですべてが付加価値だ。
内需振興を云々する場合、日本は産業政策としてもっと
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自国内の付加価値の高い産業探しとその産業の育成
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既存の産業を付加価値の高い産業に改変する
というはっきりとした目的をもつ必要があるし、内需振興のためにもそのような高付加価値産品の輸出を促さねばならない。
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