インドの民主主義2009/04/01 22:21

今月から来月にかけてインド下院Lok Sabhaの総選挙が実施される。「今月から来月にかけて」と書いたのはインドには7億人弱もの有権者がおり、前回(2004年)の総選挙を例にとっても4億人近くの人が投票するので、混乱を避けるため4/16, 23, 30, 5/7, 13の5回に分けて総選挙が実施されるからだ。開票日は5/16で、これまでの例で言えば概ねトラブルなく開票結果が出揃う。概ねといったのにはわけがある。投票箱が消えたとか、投票人名簿や開票に不適正があったとか言う話しはあまり聞かないが、投票結果をめぐっての乱闘などで毎回二桁単位の死者が出るのである。

現在の下院には40近くの政党が議席を有しているが、これが概ねIndian National Congress(通常Congressと略される)を中心とするUnited Progressive Alliance(連合進歩同盟)、Bharatia Janata党(通常BJPと略される)を中心とするNational Democratic Alliance(国民民主同盟)と左派政党群の3大会派とこれらの会派に属さない少数政党に分かれている。連合進歩同盟が最大会派で現在政権を握っていて、適宜左派政党群や、三大会派に属さない政党と手を結んで政局運営をしている。

インド人はよく自国のことをWorld’s largest democracy(世界最大の民主国家)と形容する。民主主義のことを「政党が自由に構成でき、その政党の推す議員が国民の普通選挙によって国会議員となることができて、その国会が国権の重要な一翼を担う政体を持つ国」と定義すればインドは間違いなく民主国家である。この点は中国共産党一党独裁で、全国人民代表大会という言ってみればシャンシャン株主総会のような存在しかない中国とインドを分ける大きな違いだ。

国権の一部を国会が握っているが、その国会でさまざまな党派の利害が対立するので、議論が紛糾してなかなか結論が出ないケースが多々あるし、「国会でらちがあかないので国民に信を問う」といって国会を解散すると政権が変わることもまたある国柄だ。

インド初代首相ネルーの娘インディラ・ガンジーが首相となり、国会の混乱に業を煮やし1975年に非常事態宣言を発し独裁政治を2年間続けた後に1977年に総選挙を実施したところ大敗を期した。ガンジーは総選挙を無効とすることなく下野した。

政権交代があるためか、報道の自由もかなりの程度確保されている。インドの民主主義はなかなか強固な一面もあるのだ。

Wikipedia日本版では民主主義のことを

個人の人権である自由・平等・参政権などを重視し、多数決を原則として意思を決定することにより、人民による支配を実現する政治思想である。

と定義している。「この定義が概ね正しい」と言う前提で「インドの民主主義」をみてみると、「参政権などを重視し、多数決を原則として」の部分は当たるが必ずしも自由、平等などの原則が広範に浸透していないのも事実だ。それではインドの民主主義とは何だろうか?

2年前のインド独立記念日の8月15日に英国のBBC放送が特集番組を流し、そこで「インドの民主主義」の特質を

 共通の歴史や言語に依拠する国民国家モデルによるのではなく
 ”is premised on a national myth of plurarism”(多様性神話の上に
 成り立っている)

と解説したことがある。

確かに、読み方が違っても漢字を共通の読み書きの手段とする漢民族が圧倒的多数を占める中国と、お札を見ても英語を含む17言語が刷ってあるインドでは多様性の程度が違う。

中国は秦の始皇帝以降、幾度となく統一されたことがあるが、インドはアショカ大王(紀元前304-232年)の以降英国に征服されるまで統一されたことがない。

儒教と道教と仏教がなんとなく交じり合って信仰されてきた中国と、既存のヒンズー教の他に、他の宗教との融合を拒否する回教が一大勢力として存在しているインドでは「文化や言語が異なっても同一の宗教で結ばれている」と言うこともない。

このような多様性そのもののようなインド亜大陸でインド独立をめざした志士たちにとって、「インド」という抽象的な概念をひとつの国として独立運動をおこし、統治者たるイギリスに自分たちがその「インド」を代表することを認識させるには「自分たちが多様性を基本とする民主主義に選ばれた」ことを標榜することによってのみ、彼らの存在を合理化することができた、というわけだ。

一応この多様性の神話が存在しているものとすれば、現実のインド人はどうその民主主義を生きているのだろうか?

Slumdog Millionaire
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/02/28/4144280
でも書いたように、インドには約8億人という膨大な数の貧しい人々がいる。直近の総選挙である2004年の下院総選挙ではその彼らの60%弱が投票している。

その2004年の総選挙ではBJPからCongressへ政権交代が起こった。当時インドの経済は好調に成長していたのでこの政権交代は意外感をもって迎えられ、後付で「国民の多数を占める農村を忘れた経済成長を政府が主導していたため」といった解説がついた。農村には貧しい人々が多数住んでいるが、確かにこの層の票が動かなければ政権交代は起きない。しかし何で彼らがBJPを下野させるような投票行動をとったのだろう。

Slumdog Millionaire
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/02/28/4144280
でも書いたように都市部のスラムの票はスラムを牛耳るslumlordに仕切られ、slumlordの望む方向に票が動くといわれている。政治家にとってスラムは票田なのだ(ちなみに票田のことを英語ではvote bankというが、意味するところは「金庫票」といった感じだ)。しかしその政治家とslumlordの利害が一致しなくなればslumlordは自分のコントロールする票を別な政治家に提供することになる。

地方の場合でも、地方の有力者と零細農民の間の関係は似たようなものなのではなかろうかと考えたくなる。

しかし日本の例で見ていると特定の政治家と彼の票田との利害はそう簡単には切れないものではなかろうか?これが動くと言うことはインドの地方政治家の提供するサービスがよほど少ないのか、それともインドの選挙民の票が意外に票田化していないからなのだろうか?

インドの選挙はウィークデーに行われる。聞くところによると地方では投票はハレ着を着て行くようなハレの行事で「投票くらいは自分の意思でやりたい」と語る地方の住民が多いと言う。

私には政治家が持ってくる利権がしれているため、失うものが少ないインドの地方の選挙民は「選挙のときくらいは自分の意思を表明しよう」と言う投票行動をとるのではないかと思える。

政治家が介入することで政府にばらまかさせられる資金量がもっと多く、またその資金をあまり目減りさせずに末端に届ける政治家が増えれば、その政治家の票田はまさに金庫票となり政治は安定すると思うのだが…

水のなるほどクイズ2010