CAPMモデル (1/2)2009/05/06 16:50

日本でM&Aのことを「新規の事業分野に参入する際の時間を買う」とか「事業の拡大を行う際の手段」と言う観点から、概ね肯定的にとらえるようになってからざっと20年近くが経過している。

企業や事業の買収を行う際には、対象となる企業や事業の価値を売り手買い手共に納得する計算手法に基づいて計算することが第一歩だ。日本で企業の価値を云々する際、伝統的には税務署が相続税評価の際に用いる算式などがあるが、国際的にも通用する「一般的に認められた計算手法」としてはCAPMモデルの右に出るものはない。日本でも企業や事業の買収の現場や株価の妥当性を評価する現場で、このモデルのお世話になるようになってきた。

このモデルが何であるか、またそれがどのようにして企業や事業の価値評価に用いられるのか説明してみよう。

なお、CAPMモデルの説明にはWikipedia日本版の「資本資産価格モデル」の定義と、Globis Management SchoolのウェブサイトにあるMBA用語集の「CAPMモデル(資本資産価格モデル)」の定義を参照した。

[以下☆☆☆でくくった部分は企業財務についてある程度の理解がないとスンナリ理解できないと思われるので、本稿の結論だけ見たい方はこの部分をはしょっていただいて結構です]

☆ ☆ ☆

企業や事業の価値をはかるには三段階の手順をふむ。

1. まずCAPMモデルを使って株式の期待収益率(ER)を計算する。

CAPMモデルは、Harry Markowitzによる分散投資と現代ポートフォリオ理論についての先行研究をもとに、Jack Treynor、William Sharpe、John Lintner、Jan Mossinによってそれぞれ独立に考え出された。SharpeはMarkowitz、Merton Millerとともにファイナンス経済学へのこの貢献のために、ノーベル経済学賞を受けた(Wikipedia日本版「資本資産価格モデル」より。原文では関係者の名前の表記がローマ字とカタカナごっちゃになっているため、本稿ではローマ字表記で統一した。)

脱線するが「ノーベル経済学賞」なるものがどのようなものか説明しておきたい。

ノーベル経済学賞は1968年にスウェーデンの中央銀行であるスウェーデン国立銀行が創立300周年を記念して設定した賞で、正式にはアルフレッド・ノーベル記念経済科学スウェーデン国立銀行賞(スウェーデン語でSveriges riksbanks pris i ekonomisk vetenskap till Alfred Nobels minne)と言う。アルフレッド・ノーベルの遺志で設定されノーベル財団が賞金を負担する物理、化学、医学、文学、平和の5賞とは異なり、賞金はスウェーデン国立銀行が負担している。従い正確には「ノーベル」ブランドの使用権を持つスウェーデンの中央銀行が設定した賞だ。

本稿に戻る。CAPMモデルは次の式によって表される。

ER = RF + β(RM – RF)

ER: 株式の期待収益率
RF: リスクフリー・レート(一般的には国債の利率がこれに相当するとみなされる)
β: 任意の株式が証券市場一般の変動幅と乖離する率(一般的には対象とする株式の変動率÷証券市場の平均株価の変動率と理解されている)
RM: 株式一般に対する期待収益率

さてこうやって算出されたERを使って第二段階として企業が使う資金のコストの計算に移る。

企業金融理論では「株式投資期待収益率ERは、株主が対象企業・事業に対して期待している収益率だ」ということになっている。株式は金利を生まないが株価の上昇や配当と言う形で株主の期待に応える。企業はそのような株主の期待に応えて資金を調達したので、株主の持つ期待収益率がそのまま調達コストだと言う考え方だ(個人的には企業の思惑と株主の思惑には落差があると思うが、この理論に依拠する人々は「企業の思惑と、株主の思惑の交わったところがERだ」と言う建前に立っている)

企業は株主から調達した資金と銀行など金融機関から借りたお金を使って事業を行っているので、株主や金融機関から調達した資金それぞれの調達コストを株式と借入金の比率に応じて加重平均すれば企業が調達している資金のコストが計算できるという考え方をする。

こうやって計算された企業外部から調達して使用している資金の利率をWeighted Average Cost of Capital (WACC)という。

さて、こうやって計算されたWACCを使っていよいよ最終の第三段階、企業や事業価値の計算だ。

企業金融理論の考え方は「企業価値や事業価値とは企業やその企業の中の特定の事業が複数年にわたって生み出す現金の総和だ」というものだ。現金という言い方をすると専門家にしかられるので、財務諸表のひとつであるキャッシュフロー表から求められるフリーキャッシュフロー(FCF)と言い直そう。

FCFとはキャッシュフロー表の「営業活動によるキャッシュフロー」-「投資活動によるキャ主フロー」と定義されている。つまり営業で生まれたお金から投資で使われるお金を差し引いた残りの本当に残っているお金がFCFと言うわけだ。

ただ、今年のFCFと来年のFCFでは同じ額でも今日現在の価値は違う。例えば利率1.5%で定期預金をすることができるとすれば、1年後に100万円を得るには今100万円÷1.015、約98.5万円の定期預金をすればよい。2年後に100万円を得るには今100万円÷1.015÷1.015、約97.1万円の定期預金をすればよい。

この考え方とWACCをあわせてみる。企業や事業が複数年にわたって生み出すFCFの総和の現在の値(現在価値という)とは、将来のFCFを各々WACCで割り引いた値の総和ということになる。WACCが3%なら、来年のFCFの現在価値は、来年のFCF÷1.03だし、再来年のFCFの現在価値はFCF÷1.03÷1.03ということになる。

☆ ☆ ☆

上記のような理論的な枠組みができ、それがアメリカのビジネススクールで標準的な企業価値の計算の際に用いられるツールとして教えられたことで、企業買収の担当者の間では共通の言語ができM&Aが大いに進んだのは疑うらくもない事実である。

このモデルいくつかのフィクションや脆弱性を抱えているが、私の見るところ最大の脆弱性は「RMとかβとかRFなる数字を誰がどういう根拠で算出するのか?」と言う部分と「FCFはどこまで予測できるものなのか?」と言う点だと思う。

「RMとかβとかRFなる数字を誰がどういう根拠で算出するのか?」と言う点から説明しよう。

実務上RMとかβとかRF はいくつかの統計業者が集計し公刊している数字を利用することになる。M&Aの現場で自分の計算の正当性を主張するとき「xxxに出ている日本の○○分野のRMとβを使い、RFにはxxxに出ている日本の10年物国債の平均金利を使っている」と主張すると、相手は一応納得する。しかし本当にxxxの言っている数字が正しいのかは疑う必要がある。

個人的には特に日本の場合RMの計算に当たって株価が高騰した第二次世界大戦直後の時期や高度経済成長期が入っているためインフレを考慮した多少の補正があるとしても数字が過大になっていると考えられるし、RFの計算にあたってもここ10年来の(また今後も続くと見られる)低金利時代の影響への考慮が不足していると思う。

要するにRMにしてもRFにしても値が大きすぎる、従いERが、そしてそれから導出されるWACCが過大だと思われるのだ。

企業金融理論における企業や事業価値とは、将来のフリーキャッシュフロー(FCF)の現在価値のことで、現在価値の計算にはFCF÷WACCの年数乗と言う算式が用いられるという点に注目してほしい。WACCが過大であれば、ある事業なり企業の価値が割り引かれる値が大きいことになり、その企業を買収したり事業を展開する場合の要求されるFCFのハードルが高くなるということになる。

企業の投資に過大なハードルを課すことにどれほどの意味があるのだろう?確かに高いハードルは企業が不要な事業にむやみに投資をすることへの防げになる側面はある。しかしその反面企業が無理にキャッシュフローを生み出そうと無用にコストを切り詰めたり、環境対策など収益に結びつかない行為を遅らせる効果をもつ側面もあることを看過してはならない。

現在世界が直面する金融危機のひとつの大きな原因は、このような過大な資本コストにもとづく期待収益を課せられた企業や投資家が、より期待収益の高い投資対象に手を出し続けたことに求めることができると考える。

The White Tiger (邦題「グローバリズム出づる処の殺人者より」)とインドの治安2009/05/13 11:19

[現在出張で時差の多い地域に来ており、時差ぼけで目が覚めたので書き継いでいたこのブログを完成させた]

今年はまだ5ヶ月しか経過していないが、インドの貧困を題材にした映画と小説の秀作が日本で相次いで公開されている。映画のほうはこのブログでも既に取り上げている「スラムドッグ$ミリオネア」(以下「スラムドッグ」と略す)で、小説のほうは「スラムドッグ」の約2ヶ月前に翻訳が出版されたアラヴィンド・アディガ著「グローバリズム出づる処の殺人者より」(原題 The White Tiger、以下「白虎」と略す)だ。「白虎」はイギリスの文学大賞であるMan Booker Prizeの2008年度受賞作だ。

「スラムドッグ」と言う邦題はあまりにもヒネリが足りないと書いたが、
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/02/28/
「白虎」の原題には「主人公がいかに例外的な存在なのか」を示そうという意図があり、この邦題はちょっとヒネリすぎだと思う。

多少ネタバレになるが「白虎」のストーリーを紹介しよう。主人公のバルラム・ハルワイは西ベンガル州と思われる州の寒村の輪タク車夫の息子だ。文盲の父母の一念で小学校に数年通ったおかげで読み書きを覚え、祖母の思し召しで自動車の運転を覚え、運良く地元の地主の運転手におさまる。地主の坊ちゃまがアメリカから妻と共に帰国し首都デリーにおける家業の代理人になったところで坊ちゃま付運転手としてデリー勤めとなる。結局その坊ちゃまを殺害し、坊ちゃまが運んでいた政治家に対する賄賂70万ルピーの入ったかばんを奪う。「スラムドッグ」の主人公はまっとうにクイズ番組で優勝して2000万ルピー(約4000万円)の賞金をつかみ初恋の女性と結ばれるが、「白虎」の主人公は自分の主人を殺して得た大金(70万ルピー、約140万円)を元手に事業を興して成功を手にする。

まず「70万ルピーがインドでどれほどの価値があるのか」というトリビアから始めよう。世銀の統計を使って説明しよう。世銀によれば2007年の日本の名目総国民所得は4兆8289億ドル、これが購買力平価ベースでは4兆2971億ドルなので、日本で1ドルで買えるものは約11%目減りして0.89ドル相当分しか買えないということになる。一方インドの名目総国民所得は1兆710億ドル、これが購買力平価ベースでは3兆969億ドルなので、インドで1ドルで買えるものは3倍近くの2.89ドル相当だということになる。2.89÷0.89=3.25なので、世銀はインドでの1ドル購買力が日本の1ドルの購買力の3.25倍と見ているということになる。この勘定で行くと「スラムドッグ」の主人公のジャマルは実力1億3000万円の賞金を獲得し、「白虎」の主人公のバルラム・ハルワイは実力230万円を掴んだということになる。

話をインドの治安に進めよう。

インドをラテンアメリカやアフリカに対比してみると、大きい貧富の差を抱えながら、革命もなく、クーデターもなく、一部の地域を除けば治安も比較的よいということに気がつく。一時のネパールのように毛派が跋扈して内戦状態になっているわけでもない。メキシコ・シティーのようにタクシーに乗っていて運転手にホールドアップされたとか、ブラジルのように「サンパウロの都心では赤信号でも停車するな(∵停車すると襲われる)」ということもない。大体私はニューヨークのハーレムで胸を打ち抜かれた黒人が道路脇に転がっている現場を見たことがある(現場の人だかりの少なさが印象に残っている)。繁華街をそぞろ歩きして、乞食にたかられることはあっても(これも最近は比較的まれだ)、強盗に金品を巻き上げられることは少ない。インドのように一応民主国家として普通選挙が実施され、国会でアレコレ論戦が行われ、言論の自由もそれなりに確保され不正や腐敗の指弾が行われている国で、これだけ社会の不公平があるのにそれなりの社会の安定がある理由は何故であろう?

とここまで書いたところで、この印象はデリーとかムンバイとかチェンナイと言った大都会や私が行ったことのある田舎での話で、インドにはcriminalised(犯罪化した)といわれる州や地域があることを思い出した。これらの州や地域では山賊がでたり、列車強盗が出没したりする。山賊や列車強盗が出るような州や地域はカースト制に基づく身分差別が厳しく経済発展も遅れた州だ。経済発展が遅れカースト制により貧困が固定化しているので、貧しい人々は裕福な大都会に働きに出、取り残され絶望的になった貧しい人々が犯罪に走り治安が悪くなり、治安が悪いので投資が呼び込めず、と言う悪循環に陥っているわけだ。犯罪化した州としてよく話題になるジャルカンド州は「実質的に地方政府の統治が州内に及ばなくなくなっている」と最近ニューズウィーク誌に書かれたりしている。しかしインドがFailed Stateか?と言われない理由はこのようなcriminaliseされた地域がまだ国内の一部地域に限定されているからだ。ちなみにこの一部地域の治安の劣化はアラヴィンド・アディガが「インドの新首相が緊急に取組むべき国家的課題」として5月12日付のFinancial Times紙上で取上げているテーマの一つだ(”A head start for India’s new prime minister”)。

話を「白虎」に戻そう。小説の中で主人公は貧富の差にめげず治安が維持できている理由を「貧困階層側が生まれ育って以来、自分たちの境遇に対する諦めを叩き込まれているからだ」としている。つまり貧困階級が一種のマインドコントロール下に置かれているからというわけだ。アラヴィンド・アディガは、Man Booker賞受賞前のインタビューで「都市部でのこの種のマインドコントロールの弱体化が始まっており、その結果社会の安定の基盤が弱体化している」としている。しかしその反面小説では主人公が彼の一族郎党が殺害されること覚悟で主人殺しの挙に出たとも書いている。むしろこちらのほうが使用人の忠誠を確保していたのだと考えたほうが普通だ。主人公が例外的な動物「白虎」なのは、自分の一族郎党を冷血に見捨てる覚悟ができたからだ。

実はインドや周辺国の高級ホテルでは、ホテルの客の所持品に対する盗難が起こらないよう厳しい管理が行われている。ホテル従業員はホテルに対して保証金を積み立てたうえで就職している。それなりのお金がないとホテルの従業員にはなれない。そして従業員が一日の仕事が終わってから退出するときの所持品チェックも厳しく行われている。私があるとき古くなって破れたワイシャツをホテルの部屋のゴミ箱に捨てたら、その部屋のハウスキーパーから「このワイシャツは自分に対する贈り物だと言う証文を書いてくれ」と頼まれたことがある。そのワイシャツを持ってホテルを出ようとすれば、従業員出口のチェックに引っかかるからだ。

町を歩いていてそれなりに安全なのは、強盗犯はもしつかまれば警察でひどい仕打ちにあうことを知っているし、町の安全を確保するため警察と地元のやくざの間で一定の取決めができているからと言うバランスがあるからと理解したほうが妥当であろう(このやくざとの取決めの部分は私も確証を持って書いているわけではない)。要するに統治を有効にするための一定のシステムが機能していると考えられるのだ。

ただ難しいのは単純にこれだけでは説明がつかないところだろう。マインドコントロールや統治のシステムのせいとばかりは言えない一種の倫理がインドの大部分の地域にはあると思う。

ムンバイの空港のチェックインカウンターの手前の混雑の中でトランクに引っ掛けていた手荷物を落としたことがある。落としたときには気づかず、数十メートル行ったところで気がつきひき帰したら荷物運搬係の男性がそのバッグを持って手招きしていた。ムンバイのレストランで財布を落とした。確かに町の屋台でではない。が、外国人や着飾った金持ちが集うレストランでもない。ホテルに帰ってから財布を落としたことに気がついてあわててレストランに戻って事情を話すと「その財布ならレジで預かっている」といって手付かずで財布が戻ってきた。「これを拾った人に会って礼をしたい」と言って現れたウェーターににお礼を渡そうとすると”I was doing my job sir”(私は自分の仕事をしていただけです)と言ってお礼を受け取ろうとしなかった。二度あることは三度ある。デリーの空港でも手荷物を落としたことがある。階が変わったところで気づき、ムンバイのようなことになっていることを期待しながらそれまできたルートをたどって階段を駆け下りると荷物を落としたあたりで荷物運搬係の男性がそのバッグを持って立っていた。

インドの治安は前述のチェック・システムとこのような倫理とが巧妙にバランスしてなりたっているのではなかろうか?経済成長から見放された地域ではこのシステムが崩壊していると言う点がポイントだと思う。これは一定の経済成長によって少なくても富が分配され続けないとこのバランスは機能しないということを示しているのではなかろうか。更なる経済成長が「白虎」の作者の言うようにバランスの崩壊を招くとすれば誠に残念なことだ。

インドの総選挙結果2009/05/19 23:19

このところ豚インフルエンザや民主党の党首交代でにぎわっている日本の新聞では、「国際面で小さく」程度の扱いだが、アメリカのニューヨークタイムズやイギリスのフィナンシャルタイムズでは一面扱いで、これらの記事が掲載された

このところ豚インフルエンザや民主党の党首交代でにぎわっている日本の新聞では、インドの総選挙の結果は「国際面で小さく」程度の扱いだが、アメリカのニューヨークタイムズやイギリスのフィナンシャルタイムズなどでは一面扱いで、これらの記事が掲載された。これはやはり「選挙を通じた民主主義」に対する思い入れが日本よりアメリカやイギリスに深いからではないかと思っている。

 

その日本の扱いは(まあ諸外国のメディアの受け売りなのだが)、総選挙の結果インド国民会議党(INC)が勝ったのでムンバイで株価が上昇したと言った内容だ。選挙は材料かもしれないが、本当はどうなのだろうか考えてみた。

 

5回にわたるインドの総選挙の投票は5月13日の最終投票が無事終了し、5月16日に開票が開始され、5月18日にElection Commission of India(インド選挙管理委員会)から大統領に当選者リストが手渡された。選挙管理委員会では今回の総選挙では4.2億人の有権者が投票したと発表している。今回の総選挙は4月16日の第一次投票の前に一部選挙区で「毛派」による妨害活動の結果使者が出たりしたが、概ね平穏に投票が終了し開票が進んだことで、関係者一同ほっとしていることだろう。いつも感心することはインドの政党が選挙管理委員会の発表にはおとなしく従うことで、投票箱が盗まれたとか、開票に不正があったといった騒ぎがおきる多くの発展途上国(最近の例で言えばタイ)とインドはこの点では大いに異なる。

 

選挙管理委員会の発表資料を基に前回の総選挙の結果と今回を比較してみた(下表ご参照)。インドにはIndian National Congress(インド国民会議党。以下INC)とBharatiya Janata Party(インド人民党。以下BJP)の二大政党があるが、いずれも単独では政権と取るだけの議席数を保持していないため、国会にはINCが中心となったUPAとBJPが中心となったNDAの二大会派があると「インドの民主主義」で書いた。

http://mumbaikar.asablo.jp/blog/cat/subcontinent/?offset=5

 

INCは大英帝国にインド独立を要求するため多様なインド人の意見を集約するためインド人の識者と進歩的な英国人が中心になって1885年に組織したIndian National Congress(インド国民会議)を母体として発足しており、そのDNAには「インドは多様性の国である」ことが組み込まれている。インド独立はインド国民会議を中心に推進されたためインド国民会議がそのまま政党となり初代首相はINCのネルーとなった。INCからは彼の娘や孫が首相として輩出しているため、INCはネルー王朝の器とも形容されることがある。現にINCの現在の党首はネルーの孫の嫁に当たるソニア・ガンディー国会議員だ。ただソニア・ガンディー女史の抜群の政治センスによって、INCから推薦されて首相になっているのはネルー王朝とは無関係な元インド準備銀行(中央銀行)総裁のマンモハン・シン氏だ。なお、今回の選挙ではソニア・ガンディー女史の息子のラフル・ガンディー氏が初当選を果たしている。

 

BJPはインドのヒンズー至上主義や愛国勢力が離合集散を繰り返す中で1980年に結成された比較的新しい政党だが1998~2004年の間政権の座についていた。政権の座についている間に経済の自由化を進めインドの経済が成長を続けたので、2004年の総選挙では勝つものと思われていたが、経済成長に置き去りにされた地方の反乱にあって下野した(何か日本のような話ですね)。党内のヒンズー至上主義勢力の「右バネ」が働くため、INCに比べインドの多様性に対しての寛容度が低いといわれている。

 

2004年(前回)の総選挙の結果と今回の総選挙の結果を比較するとこんなことになる。

 

 

INC

BJP

その他

合計

2004年

145

139

259

543

2009年

206

117

220

543

増減

61

-22

-39

 

 

つまり、INCは単独過半数には66議席足りないが、2004年に比べかなりの善戦をしたということになる。Financial TimesはINCが実質的に264議席確保したと見ているので、過半数には8議席足りないと言う勘定になる。

 

2004年の選挙結果INCが主導するUPAは当初共産党とも政策協定をしていたため、政策のブレや遅れが目立ち、INCへの支持が低下しているものとみられていた。これに加え、今回の選挙では昨年11月のパキスタン系のテロリストによるムンバイ攻撃などの治安悪化や、昨年来のグローバル経済悪化のインド経済への影響などから、国民感情の保守化や経済成長期待が見込まれ、その結果選挙がBJPに有利にはたらくものと予想されていただけにこの選挙結果は大方の予想を覆すものとなった。

 

欧米の一部識者の間では今回の選挙結果については「偏狭なヒンズー至上主義を排したインドの選挙民の賢い選択」と言った評価がある。確かにインドのハートランドと言われるヒンディー語圏の選挙結果を見ると、INCがBJPやひとつのカーストや地方を代表する中小政党から票を奪ったかたちになっている。

 

 

INC

BJP

その他

2004年

27

72

100

2009年

57

60

82

増減

30

-12

-18

 

所得水準も低く、大人口を抱えるこの地域の選挙民が一見汎インド的な政治を選択したという見方は確かに可能だろう。ただそれ以外にも例えば2億人近い人口を抱えるUttar Pradesh州の政権を握っている不可触賎民を代表する党のあまりの腐敗といった、中小政党側が選挙民の信を失う要素があったといった要素も加味する必要があろう。BJPについていえば、Rajasthan州で地殻変動的にBJPからINCに表が動いており、これは比較的最近同州でBJP政権がスキャンダルにたおれINC政権と入れ替わったためであろう。

 

しかしINCと共にUPAに加わる政党の中にはTata Motors(タタ自動車)の工場進出を実力で阻止した西ベンガル州のTrinamool Congressなども加わっているので、今回の選挙結果で一概にINCの政策の自由度が高まると言うこともないと思う。インドは今後ともあちらもこちらも立ててという「中国に比べると歯がゆい」政治が継続するものと考えるほうが妥当であろう。

 

もうひとつ興味深いのはIT産業などで勃興著しい南インド四州の選挙結果だ。この地域は文化的にも北インドと異なるため地方政党が活発な地域だ。この数字からはわかりにくいが地方政党は別に退潮を示しているわけではない。下表の「他」の部分の減少はひとえにケララ州で共産党が11議席を減らしその分INCに議席が回ったせいだ。

 

 

INC

BJP

2004年

47

18

64

2009年

60

19

50

増減

13

1

-14

 

ちなみに共産党は今回の選挙で長らく議席を圧倒していた西ベンガル州でも29議席から10議席に激減しており、むしろ「インド全体での共産党の退潮が南インドでも影響した」とみたほうがよいだろう。このあたりが株価に反映したのかもしれない。

 

インドすべての州や地域の選挙結果は以下のとおり。州・地域名で「P」と記載のあるものはPradeshの略。

 

州・地域

選挙年

INC

BJP

Andhra P

2004

29

 

13

2009

33

 

9

Arunachal P

2004

 

2

 

2009

2

 

 

Assam

2004

9

2

3

2009

7

4

3

Bihar

2004

3

5

32

2009

2

12

26

GOA

2004

1

1

 

2009

1

1

 

Gujarat

2004

12

14

 

2009

11

15

 

Haryana

2004

9

1

 

2009

9

1

 

Himachal P

2004

3

1

 

2009

1

3

 

J&K

2004

2

 

4

2009

2

 

4

Karnataka

2004

8

18

2

2009

6

19

3

Kerala

2004

 

 

20

2009

13

 

7

Madhya P

2004

4

25

 

2009

12

16

1

Maharashtra

2004

13

13

22

2009

17

9

22

Manipur

2004

1

 

1

2009

2

 

 

Meghalaya

2004

1

 

1

2009

1

 

1

Mizoram

2004

 

 

1

2009

1

 

 

Nagaland

2004

 

 

1

2009

 

 

1

Orissa

2004

2

7

12

2009

6

 

15

Punjab

2004

2

3

8

2009

8

1

4

Rajasthan

2004

4

21

 

2009

20

4

1

Sikkim

2004

 

 

1

2009

 

 

1

Tamil Nadu

2004

10

 

29

2009

8

 

31

Tripura

2004

 

 

2

2009

 

 

2

Uttar P

2004

9

10

61

2009

21

10

49

West Bengal

2004

6

 

36

2009

6

1

35

Chhattisgarh

2004

1

10

 

2009

1

10

 

Jharkhand

2004

6

1

7

2009

1

8

5

Uttarakhand

2004

1

3

1

2009

5

 

 

A & N Isles

2004

1

 

 

2009

 

1

 

Chandigarh

2004

1

 

 

2009

1

 

 

D & NH

2004

 

1

 

2009

 

1

 

Daman & Diu

2004

1

 

 

2009

 

1

 

Delhi

2004

6

1

 

2009

7

 

 

Lakshadweep

2004

 

 

1

2009

1

 

 

Pondicherry

2004

 

 

1

2009

1

 

 

合計

2004

145

139

259

2009

206

117

220

 

スリランカ政府の戦勝に当たって2009/05/20 21:28

5月19日にスリランカのラジャパクサ大統領が国会で定例国会の開会宣言とあわせLTTEに対する戦勝記念演説を行った。大統領のウェブサイトに出ている演説の英訳をみると、はじめのほうにタミル語で

この国は我々の母国だ。われわれは一人の母の子供として生きゆかねばならない。この国では民族、カースト、宗教による差別は存在してはならない。[中略] この国に住むすべての人々は安全に、恐れや疑いを持たずに生きる権利をもっている。我々は皆同じ権利を持って生きなければならない。それを実現するのが私の目標だ。ともにこの国を再建しよう。

とタミル民族に語りかけている(ちなみに、シンハラ語とタミル語は類似性があると言っても日本語と韓国語くらい異なる言語だ。ラジャパクサ大統領くらいの階層の人の場合、家にタミル人の使用人がいたりするので多少のタミル語が話せるケースが多い)。「ひとつのスリランカ」を標榜するこの言葉が「歴史上スリランカ島の北部で独自の歴史と文化を維持してきた」と考えるタミル人の心をとらえるには、シンハラ人側に相当「譲る」覚悟が必要だ。

しかし後段のシンハラ語で語った部分では、昔日のシンハラ人の王の名を上げ、南インドからスリランカ北部に進出し王国を打ち立てたタミル人の王は単なる侵略者と片付け、もはやスリランカを分かつものは民族ではなく愛国者と非愛国者の差しかいないと説き、国の再建にはスリランカ独自の考えで当たること、その際仏教の教えのMettha (寛容) 、Karuna (慈悲)、 Muditha (他愛) and Upeksha (平常心)をもってすると語っている。

ここには「スリランカ全島は一つ(それも仏教文化にもとづいて)」とのシンハラ人の感覚は存在していても、独自の文化を維持してきたタミル人に対する配慮は感じられない。

今、戦地を離脱した30万人からのタミルは有刺鉄線で囲まれた避難キャンプに軍の監視下で収容されている。スリランカ政府がLTTEの抱え込んでいた人の数を過小評価していたため、キャンプの収容能力が決定的に不足で、キャンプ内の環境は決して満足なものではない。避難してきた人々にしてみれば、毎日砲声にさらされることなく生活できるだけでも当面はよいだろう。しかし当面は永遠ではない。有刺鉄線で囲まれた避難キャンプの中からは、そして絶えずゲリラ探しのための「尋問」のために人が軍に連れ去られる環境の中からは「スリランカは一つ」の感情は生まれない。

ラジャパクサ大統領の演説が単なる政治ショーで終わらないためには、そして「ひとつのスリランカ」に取り残されたタミル人の反乱が再来しないためには、大統領にスリランカの国家仏教の感情を超える少数民族宥和政策を打ち出してゆく覚悟が必要だ。大統領に戦勝による求心力がある今を除いてその様な政策を打ち出すタイミングはない。

Upon the Sri Lankan Government's victory against the LTTE2009/05/20 21:34

Sri Lanka’s President Mahinda Rajapaksa made an opening speech to Sri

Sri Lanka’s President Mahinda Rajapaksa made an opening speech to Sri

Lanka’s parliament on 19th May where he commemorated the victory over the

LTTE.  In the early part of his speech, he spoke specifically to the Tamil

people in the Tamil language (Sinhala and Tamil are related, but different

languages. It should be noted that for people of Mr Rajapaksa’s background, an

ability to communicate in Tamil, is not uncommon). An adaptation of the Tamil

language portion is as follows:

 

This is our motherland. We should live in this country as children of one

mother. No differences of race, caste and religion should prevail here . . . All

the people of this country should live in safety without fear and suspicion. All

should live with equal rights. That is my aim. Let us all get together and build

up this nation

Meanwhile, the latter part of his speech made in the Sinhala language, invokes

names of ancient Sinhala kings, Chola kings who established kingdoms in Sri

Lanka are written away as invaders, and a notion that the only division in Sri

Lanka is that between patriots and non-patriots is introduced together with a

concept that the solution to the nation's reconstruction needs must be home

grown, based on Buddhist qualities.

 

For the words of entreatment made earlier in his speech to move the Tamil

population, the Sinhala population will have to give substantially.  For the

Tamil population have traditionally considered themselves to have maintained

a separate history and culture in the Northern part of Sri Lanka.

 

The Sinhala part of his speech does not give this kind of assurance.  Here a

strong sense of the Sinhala view of history that the island of Sri Lanka had

been ruled under Buddhist traditions pervades, with little regard to the Tamil

heritage. I sincerely hope that Mr Rajapaksa, deep in his heart, realises that

now is not the time to foment Sinhala chauvinism.

 

There are circa three hundred thousand Tamil refugees now living in camps

guarded by soldiers and surrounded by barbed wire. Facilities at the camps are

not necessarily adequate, due in part to the fact that the Sri Lankan government

grossly underestimated the number of civilians held by the LTTE.  Despite

such shortcomings, those refugees who have come across are probably, for the

time being, enjoying their moment of respite from the life-threatening

uncertainty and bombardment that they have so far endured. 

 

However, for the time being does not mean eternally.  For from within a camp

surrounded by barbed wire, from an environment where the military arbitrarily

takes people away for "questioning", ostensibly to weed out guerrilla fighters,

no sense of "Sri Lanka is one" will emerge.

 

In order that posterity would not record Mr Rajapaksa's speech as political

pleasantries, and to ensure the prevention of future insurrection by Tamils who

feel left out of Mr Rajapaksa's single Sri Lanka, the President must have the

resolve to introduce policies that transcend the limits set by Sri Lanka's

Buddhist clergy.  Now, when the President has the centripetal force derived

from his victory, is the most opportune time for him to act.  Let us hope he

does.

 

 


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