多様性について (2/2) ― 2011/05/15 12:58
多様化推進の旗振りをしながら水を注ぐようだが。多様性をすすめることによる副作用の話をしなければ、私がブログで書いていることは単なるアジ文で終わってしまう。
「クリケットの世界 追録」でも書いたように、紳士のスポーツとされるクリケットに八百長疑惑がおこっている。「地獄の沙汰も金次第」という感覚が日本よりもはるかに強く存在している南アジアの国々が「紳士の競技」といわれるクリケットで大活躍し、クリケットが南アジアの国々の「国技」になってきたことに伴う現象だ。ちなみに現国際クリケット連盟International Cricket Council会長のシャラッド・パワールSharad Pawarはインドの政治家で、出身のマハラシュトラ州の農業用地の用途変更で巨額の利益を挙げているとされている。ここまで来ると果たしてクリケットがいまだに「紳士の競技」との形容に価するのかどうかには大いに疑問がわくところだ。
5月11日、ニューヨークの連邦地方裁判所はヘッジファンドのガレオン・グループGalleon Groupの主宰者ラジ・ラジャラトナムRaj Rajaratnamに対し、インサイダー取引を首謀したかどで有罪判決をだした。この裁判にはラジャラトナムに対するインサイダー情報の提供者として大手経営コンサルタントマッキンゼーMckinsey & Companyの代表社員Partner アニル・クマールAnil KumarクマールやマッキンゼーCEOのラジャット・グプタ(職責はいずれも元)が登場している。Wall Street
Journal、Financial Times、New York Timesなどの報道によれば、世界金融危機の影響で欠損を出したゴールドマン・サックスGoldman Sachsが著名な投資家ウォーレン・バフェットWarren
Buffetが率いるバークシャー・ハサウェイBerkshire Hathawayの出資を受け入れることを決めた取締役会の直後にゴールドマンの社外取締役であったグプタは、その事実をラジャラトナムに電話で伝えたと言う。またクマールは情報料を受け取る目的でスイスに銀行口座を開設していたという。
Journal、Financial Times、New York Timesなどの報道によれば、世界金融危機の影響で欠損を出したゴールドマン・サックスGoldman Sachsが著名な投資家ウォーレン・バフェットWarren
Buffetが率いるバークシャー・ハサウェイBerkshire Hathawayの出資を受け入れることを決めた取締役会の直後にゴールドマンの社外取締役であったグプタは、その事実をラジャラトナムに電話で伝えたと言う。またクマールは情報料を受け取る目的でスイスに銀行口座を開設していたという。
インサイダー取引の摘発ならいくらでもあるが、経営の統制や管理を専門とする経営コンサルタントの、そのまた業界の頂点ともされ日本企業にも多数の顧客を持つマッキンゼーの(彼の大前研一はその昔マッキンゼーの経営幹部だった。大前のグプタ評を聞いてみたいものだ)、つまりは資本主義の中枢をサポートする企業の最高責任者や代表社員がインサイダー取引に加担したとしてあげられたとなると事態は深刻だ。
ちなみにマッキンゼーの英語のウェブサイトにしても日本語のウェブサイトにしてもグプタ、クマール両名の引き起こした問題に関する会社としての声明は、私が行った簡単なサイト検索では引っかからない。しょうがないので簡単に出てくる同社の行動規範をみると、日本語サイトでは以下が簡潔に記載されている:
ちなみにマッキンゼーの英語のウェブサイトにしても日本語のウェブサイトにしてもグプタ、クマール両名の引き起こした問題に関する会社としての声明は、私が行った簡単なサイト検索では引っかからない。しょうがないので簡単に出てくる同社の行動規範をみると、日本語サイトでは以下が簡潔に記載されている:
最高のプロフェッショナルスタンダードにこだわる
面白いことにこの行動規範の部分の書き方は同社の英文サイトの書き方とは相当異なる。英文サイトで該当する部分をみると以下のように書かれている(和訳は極力日本語サイトで使用されている用語を採用している)
Behave as professionals
Uphold absolute integrity. Show respect to local custom and culture, as long as we don’t
compromise our integrity.
プロフェッショナルとして行動する
絶対的な倫理規範の支持。我々の倫理規範を損なわない限り現地の慣習や文化に敬意を払う。
Keep our client information confidential
We don’t reveal sensitive information.
顧客情報の守秘義務の遵守
我々は機密情報を開示することはない。
compromise our integrity.
プロフェッショナルとして行動する
絶対的な倫理規範の支持。我々の倫理規範を損なわない限り現地の慣習や文化に敬意を払う。
Keep our client information confidential
We don’t reveal sensitive information.
顧客情報の守秘義務の遵守
我々は機密情報を開示することはない。
カッコヨク「絶対的な倫理規範」ですよ。書いてあることと彼らの経営幹部の行動の落差をどう理解すべきなんでしょうねぇ。こう言うのを読むと「経営コンサルタントが勧める企業のコンプライアンスや倫理規範なんてただの宣伝文句か」とか後述のように「パクられるかどうかのリスク分析の次元の問題か」とシラケますねぇ。
大分脱線した。インド亜大陸の人々は概して話好きだ。ヒマな時間はおしゃべりや議論でつぶすことが多い。その結果特定のグループの中では比較的自由に情報が流通する。日本の地方どころのことではない。知人の大学の歴史の先生からこんな話を聞いた。インドの研究所に留学していた際、ちょうど日本とヨーロッパの企業が発電所向けの機器の受注を争っていた。先生が招待されるインド人のパーティーでのもっぱらの噂はこの受注競争だったが、いくつかのパーティーに出ているうちに「xxとxxがつながった結果日本のメーカーは絶対的に不利だ」というのがもっぱらの噂になっているのを知って、いろいろ世話になっていた当該日本企業の駐在員にその話をした。駐在員は「大丈夫すべて手は打ってあります」と胸をたたいていたが、先生がパーティーで耳にした噂どおり日本の企業はそのプロジェクトを逸注したという。歴史の先生のゆくパーティーで発電所向けの機器の入札の帰趨が話題になっていたわけだ!ラジャラトナムが掴んでいた情報源の多くがインド亜大陸出身者だったことは決してラジャラトナム個人の資質の次元にのみ帰するべき問題ではない。
そのように情報の流通が比較的ルーズな社会で育った人間にとって、インサイダー情報に関する厳格な統制は「決められたルールだから守る」類のものではあっても、生来の皮膚感覚とは異なるものだ。欧米の社会が多様化する中で、そこに移り住んできた人たちは従来の社会的な常識と異なる論理を持つため、頭でわかってルールに従っても皮膚感覚でルールに従うことは困難である場合が多い。このような人たちが社会の各層に浸透してくれば、おのずと社会の規律がかわってくる。クリケット賭博やガレオン・グループ事件はこの変化の象徴だと言える。
多様性を受け入れる場合このような副作用への対処のことをあらかじめ考えておく必要があろう。
それでは社会の規律や秩序に対する考え方が変わってくることにどう対処するのか?特に日本で多様化が進めば中国系の人々が社会の各層に今以上に参入してくることになるので、彼らについて今以上の研究が必要になる。中国では高級官僚や党職員が時々「腐敗に加担した」として死刑に処せられたりするが、この種の処罰が減らないところを見ると腐敗に加担している側は後述のようにつかまる確率を計算してリスクをとっているということなのだろう。
多民族国家アメリカの対処の仕方は、細かく規則を定め、規則がはっきりしない場面は裁判で判断をあおぐというものだ。他の多民族国家はアメリカほどの訴訟社会にならずに済んでいるが(とは言っても概ねいずれも日本よりはよほど訴訟社会だ)、これは或いは「多少のことに目をつぶる」ことにしているからかもしれない。またアメリカの場合、訴訟社会が発生したのはピューリタン的な生真面目さの伝統の上にユダヤ教の律法解釈の伝統が加わったという歴史的な事情の考慮も必要だろう。
5月11日のFinancial TimesにUniversity of San Diego教授のFrank PartnoyのThe real insider
tip from the Galleon verdict「ガレオン判決の真のインサイダー情報」という論説が掲載されており、そこで
If you do the maths, given the amount of insider trading, the chances of doing prison time
are roughly the same as getting bitten by a great white shark while surfing off the coast of my home town, San Diego.
There are rare shark attacks and many people become very afraid after them, just as some
traders are now fearful after this high-profile conviction. However, that fear is irrational,
based on the salience of an unusual event.
インサイダー取引跋扈の状況から言って、確率の計算をすれば、インサイダー取引で逮捕されて牢屋につながれる確率は私の住むサンディエゴの海でサーフィングをしていてホオジロザメに食べられる確率とほぼ同率だといってよい。
今トレーダーの一部は業界の著名人起訴で身を縮めているが、これはサメに攻撃される確率が低いにもかかわらず、それが起きたあと多くの人がサメに攻撃されることを恐れるのに似ている。そのような恐怖感は、稀な事象が実際起きる可能性から言って不合理なものだ。
と論じている。多様化を受け入れながらも、それほど訴訟社会になっていない国になるには、こう言う達観も必要なのかもしれない。
第19回Commonwealth Games(英連邦競技大会) ― 2010/09/22 23:57
Commonwealth of Nations (略称Commonwealth) は日本語ではその旧名であるBritish
Commonwealth に基づき英連邦と訳されているが、加盟54カ国中にモザンビーク(旧ポルトガル領)、カメルーン(旧仏領)、ルワンダ(旧ベルギー領)を含む旧英領の国々を主体としたゆるい国家連合である。Commonwealth としての活動は主として文化的なもので、そのうちの最大のものがオリンピック同様4年ごとに開催されるこのCommonwealth Games だ。
第19回Commonwealth Games は10月3日からインドの首都デリーで開催予定だ。主催者は
world class世界水準の施設をそろえて大会を開催するとブチ上げている。デリーは1951年の第1回と1982年の第9回のアジア大会の開催地で、それなりに国際競技の開催には慣れているはずだ。しかし今回は様子が違う。大会開催の大分前から大会施設の建設遅れが指摘されていたが、大会開始2週間をきった今に至って競技場、選手村といったインフラの建設が全く間に合ってきていないことが明らかになってきたばかりか、デング熱の発生、9/21にメーンスタジアムに通じる歩道橋が崩落して20名強の負傷者を出したという不祥事が発生した(この崩落に伴って死亡者が1名出たとの報道もある)。
大会参加を決めていた国の中には参加見直しを検討することを表明しているものが出ているほか、個別の選手の中には参加を取りやめて既に帰国するものも出始めている。
確かにデング熱の件はいささか不可抗力的な要素がある。「クリケットの世界 追録」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/08/31/5316984
でパキスタンのモンスーン被害について触れたが、そのモンスーン前線が東に移動し今デリーを含むインド中央部に到達している。パキスタンのような河川の大氾濫こそ起きていないが、例年の水準以上の降雨のためデリー市内のそこここには水溜りができ、そこで大量発生した蚊がデング熱を運んでいるというのが状況だ。
Wikipedia日本版によればデング熱にかかると急な悪寒と発熱が発生し、やがて症状が沈静するが、再感染すると「デングショック症候群という病型となり、この場合の致命率は3~6%になる」という。特効薬がないだけにおそろしい病気だ。自分の幼い子供二人が最近デング熱にかかった
Financial Timesデリー支局長が9/15に同紙に書いた記事
http://blogs.ft.com/beyond-brics/2010/09/15/dengue-in-delhi-disease-and-authority-in-india/
によればデリーのデング熱はかなり広範に広がっているものと見られ、このような状況だと競技設備の整備状況の問題とは別な事情で、選手が競技に参加するのを見合わせて帰国することは十分理解できる。
インドは国のメンツにかけて大会開催を強行するだろうが、今回の一件はインドで大きなインフラの整備を伴うプロジェクトを時間通りに開催することの困難さを世界に再度印象づけたと思う。
どうしてこのようなことになったのか考えてみたい。
まず指摘しなければならないのはインドがカッコつきであるにせよ「民主国家」であることだ。用地買収や立ち退きには様々な権利者がからみ、その権利者は票をもっているのでCommonwealth Games のような国家プロジェクトといえども、それらの権利者との間で調整をしなければならない。この調整プロセスはゴタゴタした、決してきれいなものではないが、避けて通る事が出来ない。中国のように国家の一存で、行政が地図に線を引けばそれがあっさり道路になるわけではないのがインドだ。
インドで公共事業の竣工が1年や2年遅れるのはざらで、多くの場合契約以前の段階からゴタゴタが起き、その調整に手間取っている結果遅れが発生する。さらに問題なのは、その調整に手間取っているうちに、調整自体にお金がかかって工事予算が不足気味になり、そのシワ寄せが現場で働く労働者の数や、セメントの量や、使用される重機類の数や質に影響し、さらに工期が延びるという悪循環に陥るわけだ。手抜き工事もその一環で発生すると考えるべきだ。
次に指摘しなければならないことは、さはさりながらお金が潤沢に会って当事者にヤル気があれば調整も進むということだ。「クリケットの世界」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/08/10/5278800
で書いたIPLクリケット試合の場合は潤沢にスポンサーがついているので開催に関連したトラブルは起きていない。インドで1年ほど前、IPLが国際大会を開催しようとしたとき、パキスタンから回教過激派が攻め込んでくるリスクが指摘され、大会主催者がさっさと南アフリカに会場を移したくらいの手際良さだ。
Commonwealth Gamesの場合主催者ウェブサイト http://www.cwgdelhi2010.org/ をみるとスポンサーはインド国鉄、NTPC(国家火力発電公団)、Central Bank of India(政府が株式の過半を持つ商業銀行)、インド航空と国営企業ばかりで、有力な民間企業が全く名前を連ねていない。インドは国際的なスポーツ大会のメダル獲得競争で上位に立つ国ではないので、スポンサー不足はインドの選手がメダル獲得競争上位に立って全国民を沸かせる見込みのない競技大会に民間企業がそろってそっぽを向いているコトをマザマザと見せつけている(現実的ですねぇインドの会社は。「お国の為」なんてソロバンに乗らない話には乗らないんだ)。
Commonwealth Games の場合、もともとスポンサーの数が多くなく、お金もあまりないのに加えて、主催者が政府機関であるため、いつもの公共工事のような調子でやっていたら案の定遅れてしまったというところではなかろうか。歩道橋の崩落についてデリー首相のSheila Dixitシャイラ・ディクシットが「これだけのプロジェクトを進めれば多少の問題は起きるものだ」(9/22付けThe Hindu)と開き直っているあたり、懲りないインドの公共事業発注者の典型的な姿を見る感じだ。
インドのインフラ整備の問題は発展途上国を含め、世界のインフラ整備の標準が「インドのいつもの公共工事」の標準をはるかに凌駕するレベルに到達しているため、インドの政府がたまに世界水準を目指すと問題が起きるということだといえる。「Our product is good enough for our
market(我々の製品はこの市場には十分なものだ)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/06/09/4355485
では済まなくなっていることをディクシット女史を始めとしたインドの政府当局者は認識する必要がある。
ところで1982年のアジア大会はどうしたのだろう?今頃になって主催者が選手村について「開催日までに一定水準のレベルのものを提供することは可能だ」と「世界標準のものを提供する」との当初の目標とは異なる微妙な発言をしているのが参考になる。
アジア大会の時は要求されていた施設の水準が低かったので、つまりインドの公共事業の水準で対応可能なレベルのものが要求されたので、なんとかなったのではなかろうか(それでも連絡不備で競技に出場を予定していた選手が参加できず、メダルを取り逃がしたといった事故が発生している)。
Commonwealth Games がどのような形で開催されることになるのかわからないが、インドの政府当局者がこれを機に、インドのインフラ整備のあり方について根本的な反省をすることを望みたいが、さてそんなことになるのだろうか?
Commonwealth に基づき英連邦と訳されているが、加盟54カ国中にモザンビーク(旧ポルトガル領)、カメルーン(旧仏領)、ルワンダ(旧ベルギー領)を含む旧英領の国々を主体としたゆるい国家連合である。Commonwealth としての活動は主として文化的なもので、そのうちの最大のものがオリンピック同様4年ごとに開催されるこのCommonwealth Games だ。
第19回Commonwealth Games は10月3日からインドの首都デリーで開催予定だ。主催者は
world class世界水準の施設をそろえて大会を開催するとブチ上げている。デリーは1951年の第1回と1982年の第9回のアジア大会の開催地で、それなりに国際競技の開催には慣れているはずだ。しかし今回は様子が違う。大会開催の大分前から大会施設の建設遅れが指摘されていたが、大会開始2週間をきった今に至って競技場、選手村といったインフラの建設が全く間に合ってきていないことが明らかになってきたばかりか、デング熱の発生、9/21にメーンスタジアムに通じる歩道橋が崩落して20名強の負傷者を出したという不祥事が発生した(この崩落に伴って死亡者が1名出たとの報道もある)。
大会参加を決めていた国の中には参加見直しを検討することを表明しているものが出ているほか、個別の選手の中には参加を取りやめて既に帰国するものも出始めている。
確かにデング熱の件はいささか不可抗力的な要素がある。「クリケットの世界 追録」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/08/31/5316984
でパキスタンのモンスーン被害について触れたが、そのモンスーン前線が東に移動し今デリーを含むインド中央部に到達している。パキスタンのような河川の大氾濫こそ起きていないが、例年の水準以上の降雨のためデリー市内のそこここには水溜りができ、そこで大量発生した蚊がデング熱を運んでいるというのが状況だ。
Wikipedia日本版によればデング熱にかかると急な悪寒と発熱が発生し、やがて症状が沈静するが、再感染すると「デングショック症候群という病型となり、この場合の致命率は3~6%になる」という。特効薬がないだけにおそろしい病気だ。自分の幼い子供二人が最近デング熱にかかった
Financial Timesデリー支局長が9/15に同紙に書いた記事
http://blogs.ft.com/beyond-brics/2010/09/15/dengue-in-delhi-disease-and-authority-in-india/
によればデリーのデング熱はかなり広範に広がっているものと見られ、このような状況だと競技設備の整備状況の問題とは別な事情で、選手が競技に参加するのを見合わせて帰国することは十分理解できる。
インドは国のメンツにかけて大会開催を強行するだろうが、今回の一件はインドで大きなインフラの整備を伴うプロジェクトを時間通りに開催することの困難さを世界に再度印象づけたと思う。
どうしてこのようなことになったのか考えてみたい。
まず指摘しなければならないのはインドがカッコつきであるにせよ「民主国家」であることだ。用地買収や立ち退きには様々な権利者がからみ、その権利者は票をもっているのでCommonwealth Games のような国家プロジェクトといえども、それらの権利者との間で調整をしなければならない。この調整プロセスはゴタゴタした、決してきれいなものではないが、避けて通る事が出来ない。中国のように国家の一存で、行政が地図に線を引けばそれがあっさり道路になるわけではないのがインドだ。
インドで公共事業の竣工が1年や2年遅れるのはざらで、多くの場合契約以前の段階からゴタゴタが起き、その調整に手間取っている結果遅れが発生する。さらに問題なのは、その調整に手間取っているうちに、調整自体にお金がかかって工事予算が不足気味になり、そのシワ寄せが現場で働く労働者の数や、セメントの量や、使用される重機類の数や質に影響し、さらに工期が延びるという悪循環に陥るわけだ。手抜き工事もその一環で発生すると考えるべきだ。
次に指摘しなければならないことは、さはさりながらお金が潤沢に会って当事者にヤル気があれば調整も進むということだ。「クリケットの世界」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/08/10/5278800
で書いたIPLクリケット試合の場合は潤沢にスポンサーがついているので開催に関連したトラブルは起きていない。インドで1年ほど前、IPLが国際大会を開催しようとしたとき、パキスタンから回教過激派が攻め込んでくるリスクが指摘され、大会主催者がさっさと南アフリカに会場を移したくらいの手際良さだ。
Commonwealth Gamesの場合主催者ウェブサイト http://www.cwgdelhi2010.org/ をみるとスポンサーはインド国鉄、NTPC(国家火力発電公団)、Central Bank of India(政府が株式の過半を持つ商業銀行)、インド航空と国営企業ばかりで、有力な民間企業が全く名前を連ねていない。インドは国際的なスポーツ大会のメダル獲得競争で上位に立つ国ではないので、スポンサー不足はインドの選手がメダル獲得競争上位に立って全国民を沸かせる見込みのない競技大会に民間企業がそろってそっぽを向いているコトをマザマザと見せつけている(現実的ですねぇインドの会社は。「お国の為」なんてソロバンに乗らない話には乗らないんだ)。
Commonwealth Games の場合、もともとスポンサーの数が多くなく、お金もあまりないのに加えて、主催者が政府機関であるため、いつもの公共工事のような調子でやっていたら案の定遅れてしまったというところではなかろうか。歩道橋の崩落についてデリー首相のSheila Dixitシャイラ・ディクシットが「これだけのプロジェクトを進めれば多少の問題は起きるものだ」(9/22付けThe Hindu)と開き直っているあたり、懲りないインドの公共事業発注者の典型的な姿を見る感じだ。
インドのインフラ整備の問題は発展途上国を含め、世界のインフラ整備の標準が「インドのいつもの公共工事」の標準をはるかに凌駕するレベルに到達しているため、インドの政府がたまに世界水準を目指すと問題が起きるということだといえる。「Our product is good enough for our
market(我々の製品はこの市場には十分なものだ)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/06/09/4355485
では済まなくなっていることをディクシット女史を始めとしたインドの政府当局者は認識する必要がある。
ところで1982年のアジア大会はどうしたのだろう?今頃になって主催者が選手村について「開催日までに一定水準のレベルのものを提供することは可能だ」と「世界標準のものを提供する」との当初の目標とは異なる微妙な発言をしているのが参考になる。
アジア大会の時は要求されていた施設の水準が低かったので、つまりインドの公共事業の水準で対応可能なレベルのものが要求されたので、なんとかなったのではなかろうか(それでも連絡不備で競技に出場を予定していた選手が参加できず、メダルを取り逃がしたといった事故が発生している)。
Commonwealth Games がどのような形で開催されることになるのかわからないが、インドの政府当局者がこれを機に、インドのインフラ整備のあり方について根本的な反省をすることを望みたいが、さてそんなことになるのだろうか?
クリケットの世界 追録 ― 2010/08/31 20:23
「クリケットの世界」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/08/10/5278800
でインド亜大陸の諸国ではクリケットが非常にポピュラーなスポーツであると書いた。モンスーンの記録的な降雨によるインダス河流域の大氾濫で数千万人規模の被害が出ているパキスタンで、今度はクリケットの八百長疑惑で文字通り国が揺れている。
事の起こりは8/29にイギリスのスポーツ紙が、当日が最終日となった5日間にわたるクリケットのイングランド/パキスタン戦でパキスタン側の八百長を仕切ったとされる人物とのインタービューを現ナマが動く現場の実写を含めて報道したことだ。
どのような八百長が行われたのだろう?
投手がマウンド上の一定位置から投球する野球と異なりクリケットのbowlerボウラー(投手)は投球する前に助走する。そしてウィケットから20ヤード2フィート(18.9m)離れたpopping creaseポッピング・クリースといわれる線と、22ヤード(20.1m)離れたbowling creaseボウリング・クリースといわれる線との間で、つまり6フィート(1.8m)の幅の中に両足がある状態で投球しないとno ballノー・ボール(野球で言うボール)となる。野球のボールと異なる点はノー・ボールになると一点が加算されることだ。
八百長の基本形は試合結果を「調整」してしまうことだ。しかしクリケットのように試合が長丁場になるゲームで、試合結果を調整するとなると結構大変だ。一方イギリスではクリケット試合の様々な局面に対して賭けることができる。そのような賭けを請けるノミ屋は概ねlicensed betting
parlourといわれる合法ビジネスだ。パキスタンチームの投手がノー・ボールを投げるタイミングが賭けの対象となること自体は合法だ。八百長の胴元はこのタイミングをパキスタンの選手との間で「握った」わけだ。胴元の言った通りのタイミングでパキスタンの投手がノー・ボールを出したので胴元と投手の間でキッチリ話がついていただろうということが確認できた。当然これで誰かがどこかで「シメシメ」といって賭け金の儲けを数えているはずだ。
今回のモンスーンに伴う水害で、対応の遅れを指摘されているパキスタン政府もこれには即座に動き出した。水害が発生してもヨーロッパ外遊を中止しなかったことで世界中の批判をかったザルダリ大統領はニュースが流れると即座にPakistan Cricket Boardパキスタン・クリケット協会に対し事態の推移を逐次報告するよう指示を出したし、ギラニ首相は”I am deeply pained (by the
reports). Our heads have been bowed in shame" 「 (報道に接して) 私は深く心が痛む。恥で首を垂れるのみだ」と、パキスタンの選手が八百長に関与したことが国の恥に当る行為だとの声明を8/30に発表している。
パキスタンのムシャラフ前大統領は事態を評してこれはnothing short of treason国賊と呼ぶに値する行為だと言えば、パキスタンのクリケット界の大御所Imran Khanイムラン・カーンは、首謀者はexemplary punishment見せしめのため厳罰に処すべきだと発言している。
すべて「有史以来」とまで形容される大洪水のもたらした災禍にどう対応しようかまだ手をつけかねている国の話だ。「今はクリケットの八百長どころではないだろうに」といってはいけない。国技相撲の力士や親方が野球賭博をやったどころの話ではないのだ。
インド亜大陸においてパキスタンは昔からbunch of crooksロクデナシの集団といわれてきた
(crookという英語はロクデナシと悪人の間のようなニュアンスのある言葉だ)。知人が「救われんわぁ。弁護士にこんなこと言われたんやで」と言って頭をかいていたことがある。パキスタンの企業とのもめごとでパキスタンの弁護士に相談に行ったところ、相手に”You have to expect this.
Everyone is a crook here”「こんなことは日常茶飯だ。この国の人は皆ロクデナシだ」といわれたためだ。私の会ったことのあるスリランカ人やバングラデシュ人、つまりインド人とパキスタン人を比較することができる人たちからも、このようなパキスタン人に関してこれに類する評価を聞かされたことが何度もある。
もっとも、わたくしは言ったことを採算度外視で最後までやりぬいたパキスタンの企業と取引したこともある。従い今回の一件をパキスタンだけの話と片付けてはいけないと思う。
スポーツに絡んだMatch fixing八百長話はインドでもはたまた日本でもよく耳にする話だ。スポーツに対する関心や、流れ込むお金からいって、八百長が起きないほうが不思議なのだ。
今回の一件は「『紳士のスポーツ』クリケットで起きたパキスタンらしい不祥事」というよりは、むしろインド亜大陸においていかにクリケットが国民の強い関心を呼ぶスポーツなのかを示す一つの象徴のような一件だと理解すべきだろう。
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/08/10/5278800
でインド亜大陸の諸国ではクリケットが非常にポピュラーなスポーツであると書いた。モンスーンの記録的な降雨によるインダス河流域の大氾濫で数千万人規模の被害が出ているパキスタンで、今度はクリケットの八百長疑惑で文字通り国が揺れている。
事の起こりは8/29にイギリスのスポーツ紙が、当日が最終日となった5日間にわたるクリケットのイングランド/パキスタン戦でパキスタン側の八百長を仕切ったとされる人物とのインタービューを現ナマが動く現場の実写を含めて報道したことだ。
どのような八百長が行われたのだろう?
投手がマウンド上の一定位置から投球する野球と異なりクリケットのbowlerボウラー(投手)は投球する前に助走する。そしてウィケットから20ヤード2フィート(18.9m)離れたpopping creaseポッピング・クリースといわれる線と、22ヤード(20.1m)離れたbowling creaseボウリング・クリースといわれる線との間で、つまり6フィート(1.8m)の幅の中に両足がある状態で投球しないとno ballノー・ボール(野球で言うボール)となる。野球のボールと異なる点はノー・ボールになると一点が加算されることだ。
八百長の基本形は試合結果を「調整」してしまうことだ。しかしクリケットのように試合が長丁場になるゲームで、試合結果を調整するとなると結構大変だ。一方イギリスではクリケット試合の様々な局面に対して賭けることができる。そのような賭けを請けるノミ屋は概ねlicensed betting
parlourといわれる合法ビジネスだ。パキスタンチームの投手がノー・ボールを投げるタイミングが賭けの対象となること自体は合法だ。八百長の胴元はこのタイミングをパキスタンの選手との間で「握った」わけだ。胴元の言った通りのタイミングでパキスタンの投手がノー・ボールを出したので胴元と投手の間でキッチリ話がついていただろうということが確認できた。当然これで誰かがどこかで「シメシメ」といって賭け金の儲けを数えているはずだ。
今回のモンスーンに伴う水害で、対応の遅れを指摘されているパキスタン政府もこれには即座に動き出した。水害が発生してもヨーロッパ外遊を中止しなかったことで世界中の批判をかったザルダリ大統領はニュースが流れると即座にPakistan Cricket Boardパキスタン・クリケット協会に対し事態の推移を逐次報告するよう指示を出したし、ギラニ首相は”I am deeply pained (by the
reports). Our heads have been bowed in shame" 「 (報道に接して) 私は深く心が痛む。恥で首を垂れるのみだ」と、パキスタンの選手が八百長に関与したことが国の恥に当る行為だとの声明を8/30に発表している。
パキスタンのムシャラフ前大統領は事態を評してこれはnothing short of treason国賊と呼ぶに値する行為だと言えば、パキスタンのクリケット界の大御所Imran Khanイムラン・カーンは、首謀者はexemplary punishment見せしめのため厳罰に処すべきだと発言している。
すべて「有史以来」とまで形容される大洪水のもたらした災禍にどう対応しようかまだ手をつけかねている国の話だ。「今はクリケットの八百長どころではないだろうに」といってはいけない。国技相撲の力士や親方が野球賭博をやったどころの話ではないのだ。
インド亜大陸においてパキスタンは昔からbunch of crooksロクデナシの集団といわれてきた
(crookという英語はロクデナシと悪人の間のようなニュアンスのある言葉だ)。知人が「救われんわぁ。弁護士にこんなこと言われたんやで」と言って頭をかいていたことがある。パキスタンの企業とのもめごとでパキスタンの弁護士に相談に行ったところ、相手に”You have to expect this.
Everyone is a crook here”「こんなことは日常茶飯だ。この国の人は皆ロクデナシだ」といわれたためだ。私の会ったことのあるスリランカ人やバングラデシュ人、つまりインド人とパキスタン人を比較することができる人たちからも、このようなパキスタン人に関してこれに類する評価を聞かされたことが何度もある。
もっとも、わたくしは言ったことを採算度外視で最後までやりぬいたパキスタンの企業と取引したこともある。従い今回の一件をパキスタンだけの話と片付けてはいけないと思う。
スポーツに絡んだMatch fixing八百長話はインドでもはたまた日本でもよく耳にする話だ。スポーツに対する関心や、流れ込むお金からいって、八百長が起きないほうが不思議なのだ。
今回の一件は「『紳士のスポーツ』クリケットで起きたパキスタンらしい不祥事」というよりは、むしろインド亜大陸においていかにクリケットが国民の強い関心を呼ぶスポーツなのかを示す一つの象徴のような一件だと理解すべきだろう。
クリケットの世界 ― 2010/08/10 21:19
「世界でもっともポピュラーなスポーツ」といえば誰しもが「サッカー」というだろう。蛇足になるが「サッカー」はアメリカ語だ。アメリカ国外でアメリカン・フットボールとよばれるゲームのことをアメリカでは単に「フットボール」といい、これと識別するために本場ヨーロッパや南米でフットボールとよばれるゲームのことをアメリカでは「サッカー」という。どうして日本でアメリカ式の呼称が定着しているのかは謎だ。
「それではサッカーに次いでポピュラーなスポーツは?」と問われれば、多少考えの深い日本人は「ラグビー」というだろう。ラグビーがポピュラーなヨーロッパや中南米の一部でも同じような反応だと思う。
そのようなラグビー派の人々には「エッ?」かもしれないが、世界でサッカーの次にポピュラーなスポーツは日本でおよそなじみのないクリケットだ。

考えてみよう。ラグビーがポピュラーな国としては旧英領諸国(ただし南アジアではかなりマイナーなので除南アジア諸国)、ヨーロッパ、中南米の一部、多少おまけして日本というところだが、クリケットがポピュラーな国は旧英領諸国全般だ。この旧英領諸国全般というくくり方に注目してほしい。人口が15億を超えるインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカの4カ国ではクリケットは昔日の日本の野球以上の人気も持つ国技だ。「15億人とヨーロッパ、中南米の一部、の人口のどちらが多いか?」といえば答は自明だろう。
野球同様投球されたボールをバットで打つゲームのクリケットだが、本来のクリケットは勝敗が決定するまで数日を要する、およそセッカチな人向きではないゲームだ。多少イギリスのことを知っている人が「クリケット」といわれてイメージする「白いユニフォームを着たチームが緑の芝生の上でのんびりボールを投げたり打ったりするゲーム」はこのあたりから来ていると思う。おそらくこれが日本やアメリカでクリケットがポピュラーにならなかった最大の理由だろう。後述するTwenty20がもっと早く開発されていれば或いは日米もクリケットを国民的球技とする国になっていたかもしれない。
クリケットのルールの詳細は日本版Wikipediaにも記載があるのでそれを参照願いたいが、私なりの独断を加えて簡単に解説すると以下のようになる:
1チームの選手の数は11名。球場の中央にはWicketウィケットという三本の木の丸棒を地面に刺したゲートが二つ、22ヤード(20.12m)の間隔で立っている。丸棒は三本で高さ28インチ(71cm)幅9インチ(23cm)になるようセットされており、三本の丸棒の頂上にはbailベイルという木の丸棒がのっている。各ウィケットの前にはバッターが各1名立つ。
バッターの役割はウィケットを崩すことを狙って投手から投球されるボールからウィケットを守ることだ。ウィケットが崩されればバッターはアウトとなり次の打者と交代する。
ウィケットを守る最良の方法は投球を打ち返すこと。フィールド外縁部の観客席の内側に置かれたboundaryバウンダリーという縄を、野球のホームランのようにノーバウンドでボールが越えれば6点。ゴロでもボールがバウンダリーまで守備側に捕球されずに届けば4点。それ以外の場合は打球が守備側に捕球されbailが落とされる危険が及ぶまでの間二人のバッターは二つのウィケットの間を往復する。一方のバッターが出発したウィケットから反対側のウィケットに到達すると1点になる。
ピッチャーの投球でウィケットが倒されれば、或いは捕手が自チームからの投球やバッターからの打球を捕球してベイルを落とせば、或いはフライになった打球を守備側のチームの選手が捉えれば、バッターはアウトになって次の打者と交代する。
ピッチャーの投球数が所定の投球数に到達した時点で攻守交代となる。クリケットが長丁場になるのは投手による投球の総数が制限されているワールド・カップ試合でも投球数が300回もあり、一方のチームの投球が終わって得点が決まると、今度は相手方がまた最大300回投球して得点を積み重ね、その結果を競うため、試合が1日とか場合によっては2日がかりになるためだ。他のスポーツのように短い時間でまとまりがよく収まる試合展開ができるよう2003年に開発されたのがTwenty20という投球総数が20回に制限された形のクリケットだ。Twenty20の場合3時間程度で試合は終了となる。Twenty20の商業化がもっとも成功しているのがインドだ。
インドにはIndian Premier League (IPL)という8つ(来シーズンからは2チーム増える予定)のインドの都市名を冠したチームがTwenty20クリケットを競うリーグがある。IPLのチームを組成するにはBoard of Control for Cricket in India (BCCI、インド・クリケット管理委員会)が主催する入札に参加してフランチャイズを獲得する必要がある。IPLの選手は世界各国から集められている(ただし現在パキスタン出身の選手は在籍していない)。ウィキペディア英文版のIndian Premier Leagueの記事によれば直近のフランチャイズは3.333億米ドルで落札されたとのことだ。ちなみにアメリカの経済誌フォーブスによればメジャーリーグ・ベースボールの平均フランチャイズ価格が2009年に4.91億米ドルだったとのことなので、IPLが日本のプロ野球をはるかに超える興行的に成功した集金マシンとなっていることがわかる。
インドのことを多少ご存知の方ならこのあたりで「そんなにお金が動くならIPLに関してはヤミ金など、さまざまな噂が存在するのではないか?」と思われるだろう。残念なことにこれは噂のみならず事実も結構明るみに出ている。
代表的なのが今年4月にクリーンなイメージでインド政界の若手ホープとされたShasi Tharoorシャシ・タルール外務担当大臣が、女友達(許婚だともいわれる)が関与する南インドのケーララ州コチ市のIPLフランチャイズ獲得に関与したことが明らかになり、政界を追われたニュースだ。インターネット時代らしく、この話に足がついたのはIPLをまとめ上げてコミッショナーの座に着いた
Lalit Modi ラリット・モディのツイッター上での「つぶやき」の結果だ。モディはアメリカ留学中に刑事訴追を受けたとか、3つのIPLチームに出資しておりIPLは彼の一つの事業として理解したほうがよいとか、それだけでブログの記事が一本かけるほど話題の多い人物だが、ここでは彼がこの「つぶやき」が原因でIPLコミッショナーの座を追われた事実だけ記しておこう。
こんなにお金が集まるとほどインド亜大陸地域におけるクリケット熱は強い。もう一つ例を上げよう。
2001年に上映されたインド映画Lagaan (「年貢」の意。日本ではDVDのみソニーから「ラガーン」という題名で2003年に発売)は2002年のアカデミー賞外国映画部門候補作になった映画だ。
ストーリーは
旱魃に苦しむインド中部の村で、その地の行政をつかさどる英国人の施政官と村の若者の間で「村のチームがイギリス人チームにクリケットの試合で勝ったら年貢を3年間免除する。ただし村のチームが負けたら年貢は3倍だ」という賭けが行なわれ、クリケットのことなど一切知らなかった村人のチームが、主人公の村人の青年に恋心をいだくようになる施政官の妹の助けもあってクリケットの腕をあげイギリス人チームをクリケットの試合で打ち負かす、
というものだ。映画の後半はこの村人チーム対イギリス人チームのクリケットの試合の一進一退に費やされ、投打の駆け引きなどクリケットのことを知らないものでも手に汗を握る試合展開が連続し、自然とクリケットのことがある程度わかるようになるし、クリケットが、決してのんびりとしたゲームでないこともわかる。インドにおけるクリケットの人気を反映して、Lagaanはインド国内で興行的に大成功を収めたが、インド国外でも相当の成功を収め最終的には4億ルピー(約8億円)の興行収入を上げている。
ネタバレ承知で書けばLagaan のクリケットの試合では、後攻となった村人チームの中心の若者がホームランを打ち、英国人の施政官がそれをバウンダリーの外で捕球したため(野球で言うと守備側の選手が観客席でホームランを捕球したようなこと)村人側に6点が入り、村人側が僅差で英国人チームに競り勝って映画がエンディングになだれこむ。もっとも映画に出演していたイギリス人の俳優クリス・イングランドの書いた製作参加記Balham to Bollywood (バラムからボリウッドへ)を読むと、映画製作中の英印スタッフどうしの親善試合ではいつもイギリス側が勝っていた由だ。
南アジアとクリケットにちなんで話題をもうひとつ。
Muthia Muralitheranムッティア・ムラリテラン選手はスリランカのみならず世界のクリケット界を代表するクリケットの投手で、本年7月22日に史上最多となる800人の打者を打ち取るという偉業を達成して引退した。800番目に打ち取ったのはスリランカ対インド戦で打者となったインドの選手で、この選手の上げたフライをスリランカ側の選手が捕球することで達成された。
ムラリテラン選手は祖父の代にインドからスリランカに移住したタミル人で、かつ彼の在籍中はスリランカのナショナルチームのなかでは唯一のタミル人だった(スリランカの民族構成については「スリランカのこれから」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/22/4259902
ご参照)。このような出自にもかかわらずスリランカのナショナル・クリケット・チームの重要な構成員として活躍し、チームメンバーからもスリランカの国民からも熱い声援と期待を受けたムラリテラン選手のような存在が増えてゆけばスリランカの民族融和も進むことだろう。
サッカーがもはやイギリスのスポーツではないように、クリケットはもはやイギリスのスポーツではない。「世界で二番目にポピュラーなスポーツ」だけあって、International Cricket Council (ICC) 国際クリケット連盟が2009年にアメリカのプロスポーツにならって発表したICC Cricket Hall of
Fameのメンバーを出身国別に見ると、イングランド22名、西インド諸島13名、オーストラリア11名、インド、パキスタン各3名、南アフリカ2名、ニュージーランド1名 だ。野球のHall of Fameはアメリカのメジャーリーグの元選手に限定されているのと対照的な構成だ。このあたりその圧倒的な存在感によって国際試合開催についても強力な影響力を行使する米国メジャーリーグの意向に左右される野球と、世界各国で展開するローカルな試合をナショナルチーム間の戦いという形に昇華させながら発展してきたクリケットの差を感じる。
私の名前はカーン(My Name is Khan) ― 2010/06/02 21:27
中国とインド(1/2)
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/09/4621240
インドの神々、インドのお酒
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/21/4645651
で紹介したインド人の友人夫妻に、インドで発行されている本を買って送ってくれるよう依頼したところ、本と一緒に「やっとDVDがでたから」とこの映画のDVDが一緒に送られてきた。
本年前半のインド映画の大ヒット作といえばこの映画で間違いはないだろう。2/10に封切られてから4/4までの2ヶ月弱でのインド国内での映画館売上が7.3億ルピー(約15.4億円)、世界全体の売上がそのほぼ倍の3600万米ドル(約33.9億円)とインド映画としての海外興行実績を塗り替え中だ。主演はインドのトップ映画スターのShah Rukh Khan シャー・ルク・カーン、共演は9年前の大ヒット作Kabi Kushi Kabi Gham (ヒンディー語で「時には楽しく時には悲しく」の意。「家族の四季」という邦題がついて日本でも数年前に上映されている)で彼と共演したベテラン女優の
Kajol カジョル、のこの映画のストーリーを多少のネタバレ承知で紹介すると以下のような感じになる。
Rizwan Khan リズワン・カーン(回教徒)はムンバイの市営バス局に勤める修理工の息子だ。アスペルガー症候群のリズワンは音や色彩の黄色には過剰に反応するが、機械の修理には才能を発揮する。成績優秀なリズワンの弟Zakir ザキールは、奇行の目立つ兄を何かと母がかばうのが不満だ。ザキールはやがて奨学金をもらってアメリカの大学に進学、サンフランシスコでインドのハーブを使った化粧品事業を起業して成功を収め、母の没後(父は早世)兄を引き取る。インドで「奇行癖がある」程度の認識しかされなかったリズワンがアスペルガー症候群だということに気付くのは、渡米後に会う弟の嫁のHaseena ハシーナだ。
ザキールにセールスマンの仕事を与えられたリズワンは、ある日サンフランシスコ市内の美容院でバツイチのインド系の美容師Mandira マンディラ(ヒンズー教徒)と知り合いやがて結婚する。マンディラにはSameer サミールという男の子がいる。やがてマンディラはサンフランシスコの郊外で美容院を始め、リズワンもそこを手伝うことになる。幸せいっぱいのリズワンとマンディラとサミールの家庭が9月11日事件をきっかけに崩壊し始める。
カーンという回教徒の名前を掲げる美容院の客足は落ち、サミールは学校でいじめに会う。学校でのいじめが原因でサミールが死亡したとき、「回教徒なんかと再婚しなければよかった」と悲嘆にくれるマンディラに「回教の教えの基本は愛だ」と説明するリズワン。そのリズワンにマンディラは「アメリカの大統領に『回教徒だからといってテロリストとは限らない』といわせるまであなたに会いたくない」とくってかかる。アスペルガー症候群のリズワンはその言葉を額面どおりに受け取り、大統領に会いに行く長く苦しい旅に出る。
これはBollywood ボリウッドといわれる、インドの大衆映画なのでストーリーはハッピーエンドだといっておこう。
映画の題名My name is Khan は旅の途中でリズワンが繰り返す”My name is Khan. I am not a terrorist.” 「私の名前はカーン。私はテロリストではない」から来ている。
ストーリーの紹介はこれくらいにして、この映画について別な側面から少し語りたい。
この映画の取上げた「テロリストでない回教徒にとっての9.11以後のアメリカ」というのは重いテーマだ。というのは9.11直後のアメリカでは回教徒に対するヒステリアが高まり、アメリカに住むシーク教徒(シーク教徒は宗教上の理由で髭を生やしている。詳細は
カシミール問題
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/03/08/4933989
の[註 2]を参照されたい)がトバッチリでリンチ殺人されたり、プロファイリングと称して、テロリストである人物の特徴がリストアップされ、それに伴い「回教徒狩り」が行なわれ、回教徒であるというだけで罪もない人々が逮捕され、場合によってはこの映画の主人公のリズワンのように拷問を加えられたりしたからだ。
プロファイリングによるテロ容疑者のあぶり出しは今に至るも継続している証拠に、昨年8月にこの映画の撮影のため訪米した主演のシャー・ルク・カーンがニューヨークの一方の玄関口ニューアーク国際空港の入国管理窓口で別室に通され2時間の尋問を食らったり、当初主人公の弟のザヒール役に配役が決まっていた回教徒のAamir Bashir アミール・バシールがアメリカの入国査証がとれなかったため差し替えられたりといった事態を経験している。
余り外国では報道されていないが、この映画のサミールのように学校でいじめにあったり、回教徒の店が破壊されたりといった事態が数多くあったことも事実だ。
ただこの映画は、そのような9.11以後のアメリカの暗部にのみスポットを当てているだけではない。主人公は長く苦しい旅の中で、多くのアメリカ人の善意や、同じインド亜大陸出身の移民同士の連帯に支えられて、ハッピーエンドにたどり着く。そう、映画はアメリカには回教徒に対するヒステリアがあることは事実だが、個々のアメリカ人の善意が決して死んでいないのだということや、インド亜大陸出身者同士の連帯感も伝えているのだ。
これまでヒンズー教徒と回教徒の間の紛争や宗教を異にする男女の恋愛と絡めて取上げた映画はある。前者で言えば、インド製の映画ではないがこのブログでもとりあげたSlumdog Millionaire (邦題「スラムドグ$ミリオネア)
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/02/28/4144280
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/04/21/4258448
後者で言えばMani Ratnamマニ・ラトナム監督のBombayボンベイ(1995年。この映画も大分前に日本で上映された)あたりが日本でも公開されたものの中での代表作だ。
My Name is Khan はその宗教を越える愛の舞台をアメリカに移し、アメリカの事件であった9.11に関連させ、更にそれに翻弄される南アジア出身の人々の姿を描くことで、マサラ(ヒンディー語で「いろいろなスパイスをミックスしたもの」の意味)といわれるボリウッド映画のミックスを大きく変えて見せることで成功したのだと思う。
「日本人の作る映画ではこのテーマは考えつかないよなぁー」そんなことを思いながら2時間41分の映画を見終わった。
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/10/09/4621240
インドの神々、インドのお酒
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で紹介したインド人の友人夫妻に、インドで発行されている本を買って送ってくれるよう依頼したところ、本と一緒に「やっとDVDがでたから」とこの映画のDVDが一緒に送られてきた。
本年前半のインド映画の大ヒット作といえばこの映画で間違いはないだろう。2/10に封切られてから4/4までの2ヶ月弱でのインド国内での映画館売上が7.3億ルピー(約15.4億円)、世界全体の売上がそのほぼ倍の3600万米ドル(約33.9億円)とインド映画としての海外興行実績を塗り替え中だ。主演はインドのトップ映画スターのShah Rukh Khan シャー・ルク・カーン、共演は9年前の大ヒット作Kabi Kushi Kabi Gham (ヒンディー語で「時には楽しく時には悲しく」の意。「家族の四季」という邦題がついて日本でも数年前に上映されている)で彼と共演したベテラン女優の
Kajol カジョル、のこの映画のストーリーを多少のネタバレ承知で紹介すると以下のような感じになる。
Rizwan Khan リズワン・カーン(回教徒)はムンバイの市営バス局に勤める修理工の息子だ。アスペルガー症候群のリズワンは音や色彩の黄色には過剰に反応するが、機械の修理には才能を発揮する。成績優秀なリズワンの弟Zakir ザキールは、奇行の目立つ兄を何かと母がかばうのが不満だ。ザキールはやがて奨学金をもらってアメリカの大学に進学、サンフランシスコでインドのハーブを使った化粧品事業を起業して成功を収め、母の没後(父は早世)兄を引き取る。インドで「奇行癖がある」程度の認識しかされなかったリズワンがアスペルガー症候群だということに気付くのは、渡米後に会う弟の嫁のHaseena ハシーナだ。
ザキールにセールスマンの仕事を与えられたリズワンは、ある日サンフランシスコ市内の美容院でバツイチのインド系の美容師Mandira マンディラ(ヒンズー教徒)と知り合いやがて結婚する。マンディラにはSameer サミールという男の子がいる。やがてマンディラはサンフランシスコの郊外で美容院を始め、リズワンもそこを手伝うことになる。幸せいっぱいのリズワンとマンディラとサミールの家庭が9月11日事件をきっかけに崩壊し始める。
カーンという回教徒の名前を掲げる美容院の客足は落ち、サミールは学校でいじめに会う。学校でのいじめが原因でサミールが死亡したとき、「回教徒なんかと再婚しなければよかった」と悲嘆にくれるマンディラに「回教の教えの基本は愛だ」と説明するリズワン。そのリズワンにマンディラは「アメリカの大統領に『回教徒だからといってテロリストとは限らない』といわせるまであなたに会いたくない」とくってかかる。アスペルガー症候群のリズワンはその言葉を額面どおりに受け取り、大統領に会いに行く長く苦しい旅に出る。
これはBollywood ボリウッドといわれる、インドの大衆映画なのでストーリーはハッピーエンドだといっておこう。
映画の題名My name is Khan は旅の途中でリズワンが繰り返す”My name is Khan. I am not a terrorist.” 「私の名前はカーン。私はテロリストではない」から来ている。
ストーリーの紹介はこれくらいにして、この映画について別な側面から少し語りたい。
この映画の取上げた「テロリストでない回教徒にとっての9.11以後のアメリカ」というのは重いテーマだ。というのは9.11直後のアメリカでは回教徒に対するヒステリアが高まり、アメリカに住むシーク教徒(シーク教徒は宗教上の理由で髭を生やしている。詳細は
カシミール問題
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/03/08/4933989
の[註 2]を参照されたい)がトバッチリでリンチ殺人されたり、プロファイリングと称して、テロリストである人物の特徴がリストアップされ、それに伴い「回教徒狩り」が行なわれ、回教徒であるというだけで罪もない人々が逮捕され、場合によってはこの映画の主人公のリズワンのように拷問を加えられたりしたからだ。
プロファイリングによるテロ容疑者のあぶり出しは今に至るも継続している証拠に、昨年8月にこの映画の撮影のため訪米した主演のシャー・ルク・カーンがニューヨークの一方の玄関口ニューアーク国際空港の入国管理窓口で別室に通され2時間の尋問を食らったり、当初主人公の弟のザヒール役に配役が決まっていた回教徒のAamir Bashir アミール・バシールがアメリカの入国査証がとれなかったため差し替えられたりといった事態を経験している。
余り外国では報道されていないが、この映画のサミールのように学校でいじめにあったり、回教徒の店が破壊されたりといった事態が数多くあったことも事実だ。
ただこの映画は、そのような9.11以後のアメリカの暗部にのみスポットを当てているだけではない。主人公は長く苦しい旅の中で、多くのアメリカ人の善意や、同じインド亜大陸出身の移民同士の連帯に支えられて、ハッピーエンドにたどり着く。そう、映画はアメリカには回教徒に対するヒステリアがあることは事実だが、個々のアメリカ人の善意が決して死んでいないのだということや、インド亜大陸出身者同士の連帯感も伝えているのだ。
これまでヒンズー教徒と回教徒の間の紛争や宗教を異にする男女の恋愛と絡めて取上げた映画はある。前者で言えば、インド製の映画ではないがこのブログでもとりあげたSlumdog Millionaire (邦題「スラムドグ$ミリオネア)
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/02/28/4144280
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後者で言えばMani Ratnamマニ・ラトナム監督のBombayボンベイ(1995年。この映画も大分前に日本で上映された)あたりが日本でも公開されたものの中での代表作だ。
My Name is Khan はその宗教を越える愛の舞台をアメリカに移し、アメリカの事件であった9.11に関連させ、更にそれに翻弄される南アジア出身の人々の姿を描くことで、マサラ(ヒンディー語で「いろいろなスパイスをミックスしたもの」の意味)といわれるボリウッド映画のミックスを大きく変えて見せることで成功したのだと思う。
「日本人の作る映画ではこのテーマは考えつかないよなぁー」そんなことを思いながら2時間41分の映画を見終わった。

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