スリランカのこれから2009/04/22 20:54

スリランカ政府の発表によれば、連日の政府軍の猛攻の結果タミル人軍事組織のLTTEは北部の約xx平方キロの地域においつめられており、内戦は終盤に近づいているとのことだ。国際赤十字関係者はLTTE支配地域内にとり残されている約xx万人の一般住民の安全確保をスリランカ政府に呼びかけているが、スリランカ政府はLTTEが一般住民を「人間の盾」として利用しているため一般住民の解放は困難を極めていると発表している。スリランカ政府が外国の報道関係者の現地立ち入りを禁止しているため現地の状況は詳細は確認できない。

このところスリランカに関する報道と言えばこの手の内容のものだ。報道内容の違いと言えば日ごとに小さくなるxxの部分の数字だ。

数年前、ある会合で隣り合わせとなった当時のネパール大使との会話

私: 南アジアには「どうしてこの国でこういうことがおこるのだ?」と言う国があります

初対面の一国の大使相手との社交上の会話なので「どうしてあなたの国のようなところで内乱が継続しているのか疑問です」ともきけず、上記のような発言となったが、大使の回答は明快であった。

大使: そう、スリランカとネパールですよね

当時ネパールでは1996年から活動を開始した「毛派」(英文名はCommunist Party of Nepal (Maoist)、訳せば「毛派ネパール共産党」。「毛」は毛沢東の毛の意)が国土のほとんどを掌握し、かろうじて「点と線」を抑えている政府との間で激しい解放闘争を継続していた。

大使との会話からほどない2006年11月、毛派は他の政党との協調路線を打ち出し武装闘争から政治闘争に戦術を転換、現在はネパールで政権を担っている。ネパールと言うと我々日本人はヒマラヤ登山を通じた「高原の桃源郷」的なイメージが一般的だが、その実農村部の経済的な疲弊は著しく、農村部の少女が人買いの手を経てインドの娼窟の劣悪な環境下で働かされていたりする。毛派はこのような疲弊し貧困にとらわれた農村部を背景として成長した。

大使があげたもう一方の国スリランカはインド亜大陸の南東に位置する面積6.4万平方キロ(≒四国+九州)の島国だ。人口は2100万人なので人口密度は平方キロ当り330人と稠密だ(日本は340人)。国土も山あり谷ありなので、平野部の人口密度は結構高い。東南の平野部の陸上を移動していると「水田やココ椰子畑と赤い瓦屋根の家が切れ目なく続く」という風景だ。現地の人と目が合うと皆一様ににっこり笑みを浮かべる。国民の約7割が小乗仏教を信仰する仏教国なので、そこここに釈尊の像が建立されている。「こんな平和そうな国でなんで?」と思うが、その一見平和そうな国では1983年以来内戦が続いている。否、スリランカではそれ以前も、その実1948年の独立以来、間欠的に何らかの社会的な混乱がおきている。

1983年から継続している内戦はスリランカの多数派民族であるシンハラ人(人口の7割強で紀元前6世紀くらいにインド亜大陸から移ってきたとみられる民族)とタミル人の軍事組織LTTEとの間の戦いだ。

タミル人は南インド、スリランカ、マレーシア、シンガポールに分布する総勢6000万人くらいの民族だ。マレーシア、シンガポールに移住してきたのは19世紀からだが、スリランカには紀元前2世紀頃から棲みついている。スリランカ全体ではタミル人は人口の約 15%とみられるが(「みられる」と言う表現をつかうのはLTTE支配地域の人口が計算対象外となっているため)、その1/3程度は19世紀にインドから連れてこられた労働者の子孫だ。残り2/3程度のタミル人はスリランカの北部を中心に住んでいる。

スリランカの地図を見ると国土の南2/3くらいは山岳が多く、北1/3くらいに平野が広がっている。北部の相当部分は乾燥地帯であるにもかかわらず、平坦な地形をいかして伝統的に灌漑農業が盛んな地域でスリランカの蔬菜の生産の中心地だった(過去形で書いているのはLTTEとスリランカ政府との間の戦闘で北部の農業は壊滅的な打撃を受けたため)。このような環境下で育ったタミル人の多くは勤勉かつ高学歴志向で、伝統的に技術者や士業(医師、弁護士、会計士といった公的な資格を要する業務)に従事するものが多かった。

1948年のスリランカ独立以来、シンハラ人が政治の主導権を握り、シンハラ語の使用を推し進め、それに加え数次のタミル人を標的とした虐殺が自然発生的におきた結果、タミル人の不満が高まり、それが結集した結果がLTTEの武装闘争である、

と言うのがまあ一般的な説明だ。タミル人を東南アジアにおける華僑と似た境遇にあるとした理解である。

この説明は概ね正しいが、見落としているものがある。この部分を見落とすとスリランカの国内で起きている問題の解決の糸口を見失うと思う。

歴史上インドという統一国家が存在した時期がほとんどなかったのと同様、スリランカもまたヨーロッパ諸国の植民地となるまで統一国家としての経験はほとんどない。北部はタミル人の王国あるいは南インドの王朝の支配下にあり、東部はタミル人を主体とする諸侯が統治し(ただし一部の藩王はシンハラ人の王に対し朝貢していた)、それ以外の地域をシンハラ人の王国が支配するという状況が継続していたからである。これは史実だが、主観的な史観の世界ではこうならない。この点については後に詳述する。

スリランカでは独立後数次のシンハラ人主体の反政府武装闘争が起きている。私が最初にスリランカへ行った1971年は、ちょうどシンハラ人による反政府武装闘争がようやく鎮圧されたところで、町にはまだ夜間外出禁止令が敷かれていた。地方へ行くと、警察署が爆破されたあとがあったり、反乱勢力によって爆破された軍の車両が道端にとめてあったりで、遺跡で仏像の穏やかな姿を見ながら「何で平和主義の仏教の国でこういうことがおきるのだろう」という素朴な疑問を持ったものだ。

それ以前の1959年に首相が仏僧(!)に銃撃されて命を落としているし、その後も例えば1987-89年に1971年の反政府闘争を行った勢力による再度の反政府闘争によりシンハラ人の間で数万人の死者がでているし、ここ数年は政府に批判的な言動をしたと目される人物の暗殺が頻発している。

このおよそ仏教のイメージと異なる一連の動きがどうしておこるのか、シンハラ人の大半が篤く信仰するスリランカの仏教にその解を求めてみよう。

スリランカの仏教は伝承ではインドを統一し仏教に帰依したアショカ王の息子で仏僧のマヒンダが紀元前2世紀にもたらしたとされる。小乗仏教はスリランカで経典の整備が行われた後、東南アジアに伝播して行ったので、仏教全体における自分たちの位置につきスリランカの仏教界は大変な誇りを持っている。

この間の経緯は国の成り立ちを書いたディパヴァムサ(パーリ語で島の記録)とマハヴァムサ(同、大記録)という書物に記載されている。これらの書物は日本の記紀のような存在だ。マハヴァムサのカバーするのはBC6世紀からAD4世紀までのスリランカの歴史だが、それ以降1815年の英国によるスリランカ占領までをチュラヴァムサという書物がカバーしている。シンハラ人の間では「チュラヴァムサはマハヴァムサの続編」と言う理解のため、日本人が「万世一系の天皇家」と言う考えを持っているように、シンハラ人は「スリランカは紀元前より正史が記録され続けた国」としての誇りを持っている。問題はそのマハヴァムサの記述内容だ。

マハヴァムサはシンハラ人の目から見た正史であるため、スリランカ全島は一部の時期を除きシンハラ人が統治してきたという認識に基づいて書かれている。前述のとおりこれは史実とは異なる。

チュラヴァムサを含むマハヴァムサの記述は概ね仏僧がこれに当たっており、スリランカの仏教では両方の書物は準仏典扱いであるため、スリランカの仏教はこのシンハラ民族主義の典拠の守護者としてシンハラ民族主義と密につながっている。タミル人に自治を認めることにスリランカの仏教界が強固に反対するのにはこの背景がある。

また、マハヴァムサの史観からいうと、北部を支配するタミル人のような異民族との戦いは正当ななものということになる。つまり武力による異物の排除はスリランカの仏教に含まれる要素だということになる。独立後のスリランカにおけるタミル人に対する処遇や、時々発生するシンハラ人同士の暗殺劇はまさにこの異物を排除するスリランカ仏教の一面の表れだと思う。

ついでに書けば、スリランカのタミル人の間ではヨーロッパ諸国に占領されるまで自分たちがスリランカの北部を中心とする地域を支配してきたという思いがある。

ここまで書いてくると問題の深刻さがわかっていただけると思う。シンハラ人は自分たちがスリランカを概ね統治してきたと信じているし、タミル人は自分たちがスリランカの一部を概ね統治してきたと信じている。シンハラ人の場合はこれに宗教がからんでいる。

このままで戦況が推移すれば、比較的近い将来LTTEの占領地は陥落し、LTTEの残党による散発的な戦いが起きるにせよ、スリランカ政府による全土平定ということになろう。しかしシンハラ人側が本来の仏教の姿である慈悲の心をもってタミル人の自治要求に柔軟に応えなければ、またタミル人側にも際限ない自治要求をしないだけの自制がなければ、再びスリランカの治安が不安定化するだろう。

しかし「タミル人の自治要求に応える」という視点で見ると、敬虔なスリランカの仏教徒であるマヒンダ・ラジャパクサ大統領がこれを推進する適任者かどうかには疑問符がつく。スリランカ政府の対応次第ではLTTEを鎮圧してもスリランカの将来は決して安泰ではないのである。

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