Our product is good enough for our market(我々の製品はこの市場には十分なものだ)2009/06/09 23:08

インドがまだ「開放経済」になっておらず、インドの企業が製品輸入をしようとするとlicense Raj(許認可統治)と揶揄されるインドの官僚機構の十重二十重の厳重な輸入審査を経ないと輸入許可が下りなかったころ、機械設備を輸入しようとしているインドの経済人と話をすると、よくこのOur product is good enough for our marketという発言に遭遇したものだ。

当時のインドの街中で走る自動車といえば1950年代のイギリスのモリス・オクスフォード IIIをそのまま移植したアンバサダー
http://www.hmambassador.com/default.asp
と、これまた1950年代のイタリアのフィアット・1100Dをそのまま移植したパドミニ
http://en.wikipedia.org/wiki/Premier_Padmini
の二種類しかなかった。トラック・バスは1960年代のベンツのエンジンをそのまま移植したタタの製品と同じく1960年代の英国のレイランドのエンジンをそのまま移植したアショク・レイランド製品しかなかった。確かにインドのような発展途上の国で「少ない資源をあれこれ分散させるよりは、コレという企業に集中させ、残った資金や経営資源は別な分野に投入する」と言うのは一見合理的な産業政策だ。

しかし政府の保護の中で育った産業は国際的な競争力を失う(日本の化学工業はその典型だ)。インドの産業人が「インド市場には十分だ」とする製品の多くは、輸入品から遮断されたインド国内では通用はしても、世界の市場では通用しないお粗末な製品であった。

もの造りをするものが忘れてはならないことは「消費者の感度は鋭い」ということだ。ちょっとした商品の違いや品質や価格の差にはすぐ気がつくものだ。多少の脱線をお許し願いたい。私は2003年に発売された第二世代のプリウスのオーナーだ(勝手にプリウス・バージョン2とよんでいる)。今年5月にプリウスのバージョン3が発売されたので、会社のそばのディーラーで実物に座ってみた。運転席に座った瞬間バージョン2に比べ天井が低い感じがしたのでディーラー氏にそのことを質したら実際そのとおりだった(カタログで見るとバージョン2の950mmに対してバージョン3は930mm)。以前取引していた食器メーカーの人が「同じデザインの商品を原価低減のためちょっと製品品質を落として出してみると、微妙な色の違いなどからすぐ消費者は異なる製品だとわかる。使い勝手が変わったわけではないのに」と言っていたことを思い出した。

別に私の感度が格別に良いわけではない。消費者の感度と言うものはそんなものだと思う。インドの消費者だって同じことだ。

「インド市場には十分だ」と言う言葉はそのような鋭い消費者の感覚を侮るものだ。消費者はよりよい品質の製品がないので、仕方なく「インド市場には十分」な製品を買っていたのだ。

事実インド経済が1991年から徐々に開放され始めると、アンバサダーやパドミニを買う人はいなくなり、パドミニは生産中止となり、アンバサダーはわずかに官需(伝統的に政府関係者がアンバサダーに乗る傾向がある)に頼って存続と言う状況だ。License Raj時代の冷蔵庫のベストセラーはインドの不安定な電力事情に対応したGodrejゴッドレジの製品だったが、今はキチンとインド市場対応商品を出している韓国のLG電子の冷蔵庫だ。

そのインドと日本の産業の大きな違いと言えば、日本の場合多くの産業が積極的に輸出を指向したことと、インドの場合東南アジアや東アフリカ、更には英米に散らばる印僑のおかげで産業政策に「漏れ」が発生したという点ではないかと思っている。

説明しよう。インドの産業人の「インド市場には十分だ」という言葉の背景には「無理に海外に打って出ずとも輸入商品から保護されているインド市場で販売していれば十分な利益を確保できるのであえて輸出までしなくてもよい」と言う事情がある。そのようにして産業保護で発生した利益の一部は国内で再投資されることはなく、世界各地に張り巡らされた印僑ネットワーク等を通じて海外に蓄積されたのだ。

「日僑」のいなかった日本の場合、お金が余ってもお金は国内以外行き場がないので、政府の指導もあって国内の設備投資にまわった。行き場のないお金であったから、低利だった。日本の産業が製造する商品の品質が輸出市場をメルクマールにして品質向上に励んだから日本製品の品質が今日のレベルに到達したことは疑うらくもないところだが、そのような行動を可能にしたのは相対的に低利の資金が発展途上国にしてはずいぶん潤沢に使えたからだということを忘れてはならない。余談になるが日本の産業の利益率が伝統的に低い一因は安い金利のお金をジャブジャブ使うその頃からのクセが抜けないからだ。

話をインドに戻す。日本の産業がいまだに大した利益が見込めないことにお金を使う体質から抜けきっていないように、インドの工業はいまだに輸入規制された市場の中で世界的な競争にさらされない時代の体質から抜けきっていない感がある。

1980年代の始めごろインド国内を旅行すると、列車の予約にしても飛行機の予約にしても、手数はかかるがそれなりに出来上がったシステムが存在していた。例えば飛行機の予約をしに当時唯一国内線を運航していた国営のIndian Airlinesの事務所に行くと、窓口の女性は予約簿を管理している部署に電話をかけ席の有無を確認し、空きがあれば予約簿に私の名前を記入させ、私の航空券には予約確認のシールを貼りそのシールに印を押していた。飛行機が満杯だと予約簿のウェーティングの欄に私の名前が記載されていた。地方の空港では予約簿は飛行機が飛ぶ数時間前に市内の事務所から空港に持参され、搭乗券の発行や、ウェーティングの席の割り当てが行われていた。一日に数便しか飛行機が飛ばない時代なら、手間がかかるがこれで十分だったのだ。しかし便数も増え競争が激化した時代にはこれでは対応できない。事実インドの航空行政が規制緩和され、民間航空会社が参入してくるとIndian Airlinesは赤字に転落した。

安定した社会では現状維持ですむが、安定が継続することはない。競争による切磋琢磨と向上は状況が不安定になったときのための備えだ。

世界的に有名なインドのIT産業や、豊富な英語人口をつかったコールセンター産業(business process outsourcing industryとかBPO industryと総称される。和訳すれば業務受託産業?)はlicense Rajの緩和とともに発達し、当初より海外からの業務の受注を指向していた産業なので、国際級のレベルに到達できたのだ。

しかし、絶えず国際的に競争力のある製品やサービスを作り続け、消費者の需要を刺激し続けることが果たして長い目で見てよいことなのだろうか?このようなシステムからは必要な製品やサービスが生み出される反面、不要な製品やサービスも大量に生み出される。このように大量の不要な製品やサービスが製造されることは許容され続けるのだろうか?

インドの国父ガンジーは、地方に分散された地場の需要にマッチした小規模な産業を興すことこそ正しい発展の道だと考えていた。絶えず国際的に競争力のある製品やサービスを作り続け、消費者の需要を刺激し続けることはその教えに反する行為だ。インドの産業人と話していると、声高に自分のことを語ることがあっても、その陰になんとなくある種の「後ろめたさ」のようなものを伴っていることを感じることがある。その「後ろめたさ」の原因のひとつは「自分たちの行動とガンジーの志向したものの間の矛盾の自覚」があるのではなかろうか。

インドが更に発展してゆく過程でガンジーの志向したものをその中でどのように取り扱ってゆくのかは、永遠の課題だろう。

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