故森嶋通夫の著作を読む—「小国日本の歩むべき道」再論 (2/2)2010/02/17 21:57

まず世界全体から。

私は現代の世界が抱える最大の問題は、実体経済をはるかに超えるレベルにまでふくれあがった金融の制御不能にあると考えている。現代の世界の主要な局面が経済によって規定される状況下で、大きな制御不能の要素があると言うことだ。しかし「Financial reform -- our way
forwardの解説」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/11/22/4713170
でも書いたが、金融の世界の制御は、そもそも膨張した金融に現在の世界経済が依存しているだけに相当の難事業だ。

難事業であっても、対処法のコンセンサスがあればまだしも、そんなものは今のところ存在しない。また、コンセンサスをとろうにも、欧米主要国で確立している二大政党制が機能不全を起こしていて、コンセンサスが形成されにくい状況だ。二大政党制は二大政党の政策の差がさほど大きくない、或いは両者が一定の世界観を共有している場合には二党間の妥協が成立するので機能するが、例えば現在のアメリカの民主党と共和党のように差が開いてくると、両者の妥協がとりにくくなり機能不全をひきおこすことになる。

膨張した金融を制御すると言う難事業に機能不全の民主主義はどのように対処できるのだろう?そんなことはなかなかできないから、当面はその場しのぎの対応が続くことになるだろう。

先進工業国はこの他に大なり小なり国民の老齢化とそれに伴う人口の減少に直面している。日本人は自国の老齢化の進展に目を奪われがちだが、この問題はヨーロッパもアメリカも直面していることを忘れてはならない。先進工業国ではないが、長く一人っ子政策を推進した中国の人口分布は若年層が少ない紡錘形をしており、2045年には人口の3割程度が60歳以上になるものと予想されている[Cao Gui-Ying, The Future Population of China: Prospects to 2045 by Place of Residence and by Level of Education, National University of Singapore, Asian Meta Centre[発行年不詳]]。ちなみに総務省の人口推計によれば2009年8月1日現在で日本の人口の3割程度が60歳以上だ。35年後の中国は今の日本同様老齢化に悩むことになるわけだ。

人口減少が経済成長力の減退を意味するのであれば、日本が率先して人口減少に転じることは認めるにしても、このトレンドは先進工業国から徐々に発展途上国に展開してゆくものであって、独り日本が不利になると言って大騒ぎすべき問題ではない。我々はいかに一足先に老齢化する国として老齢化にうまく対応して立ち回るのかと言うことを考えるべきだ。

制御が必要な金融と、機能不全を起こした民主主義と、人口減少を想定すれば、先進工業国に住む我々は縮小均衡の経済学とでも言うべき理論的枠組みを持って将来を俯瞰する必要がある。しかしこれまでの経済学では成長や拡大均衡が問われることはあっても、まじめに縮小均衡が問われたことはほとんどない。「リーマンブラザース倒産一周年」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/09/19/4588105
で示したように、縮小均衡の経済学の理論構築はまだ研究の緒についたばかりだ。

こう書いてくると、私は日本が現代の世界におけるその相対的な地位の若干の低下を受け入れる覚悟があるのなら、バタバタあせって生煮えな対策を打たずとも、じっくり構えて考えや政策をまとめる時間があると考える。

前にも書いたが'70年代初頭私は「沈み行く老大国」イギリスにいた。当時日本の一人あたりGDPは急速に英国のそれと肩を並べる水準に到達しつつあった。その成長する日本からきた当時の私の目に映ったイギリス人は、経済成長面での不利を認めながらもそれ以外の要素に誇りを持つ国民であった。そして私の目に映ったイギリスは、「それ以外の要素」の存在を認め、古いものに一見必要以上のこだわりを持つ、ストライキの多い、二流の工業製品を製造する国であった。いくつか例外があって、ひとつは産業革命以前からの伝統のあるセーターや毛織物の品質で(もっともセーターのほうは今やよほど高いもの以外は中国製に圧倒されているはずだ)、もうひとつは柔軟で消費者に便利な銀行のサービスだった。私の留学先に来ていた西ドイツ人(当時ドイツは東西ドイツに分断されていた)の留学生とよく「EECに加盟すれば英国製品の市場が拡大するとか言っているけれども(当時のイギリス政府はEUの前身であるEECに加盟すべく国内向けにこう説明をしていた)、こんな二流工業国の製品が本当にそんなことになるのかいね」と憎まれ口をたたいていたものだ。そんな状態を、ある種の惰性も加わって、イギリスは更に10年以上続けて、ちゃんともっていたのである。

「小国日本の歩むべき道」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/12/13/4756047
で論じたように、日本は「モノづくり」の呪縛によって日本の経済の高付加価値化への構造転換が遅れ、いまだに経済成長を素材や資本財や耐久消費財の輸出に依存する形の経済から脱却できていない。森嶋が指摘していた「物をつくることでなく、物をつくる方法を生産する」型の経済への転換は、彼の指摘から30年以上たった今もなお道半ばだ。その自慢の「モノづくり」にも最近のトヨタ問題が明らかにしたようにちょっとかげりが見えてきている。現下の日本の問題は「どの方向に向けて脱却するのか?」、「その際何を捨てて何を伸ばしてゆくのか?」という質問に対する回答が見出せないため、恐くて設備投資と輸出依存をやめられないというところだろう。今後の展開を阻む惰性だ。

働くものや下請けをひっぱたいてコストダウンして、付加価値の低い、中国製や韓国製と大して変わり映えしない製品をシコシコ作って競争している時代ではなかろう。

それでは日本は何をすべきなのだろう?私の解は「小国日本の歩むべき道」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/12/13/4756047
で書いたように「賢い小国たれ」というものだ。しかし「賢い小国」を目指すことに対する国内のコンセンサスはまだ存在していない。いや国民の大半はウスウスそれに気づいているが、国のリーダー層がまだ「モノづくり」や「雁行型」に対する郷愁や利害関係を持っているので大きく舵が切れないのだと思う。

しからば回答を模索し方向性が出るまでのツナギに何をすべきか?私は当座をしのぐにあたり、以下のようなことに国の資源を傾けてはどうかと考える。

まず、日本の国民は英語ないしは中国語(できれば両方)に堪能になるべきだ。私はビジネスマンなので、堪能の条件を次のように数値目標をつけて定義しよう。「国民の80%以上が英語で(或いは中国語で)、道案内ができるレベルに到達していること」「国民の1/3以上が英語で(或いは中国語で)日常会話ができるレベルに到達していること」。オランダやスカンジナビア諸国のようなヨーロッパの小国の国民は皆自国語の他に外国語(とくに英、米、独などヨーロッパの大国の言葉)に堪能だ。その背景には小学校のときからの徹底した外国語教育がある。自国語に誇りを持つフランスでも、今や「ビジネスは英語」と割り切ってフランス人のビジネスマンはフランス語訛りの英語を話す。これからのアジアの二大勢力の一方インドは英語ですむ。しかしこれから経済規模が否が応でも大きくなる、大中華圏 [三井物産戦略研究所の寺島実郎の造語]では北京官話(彼らは国語guóyŭという)が共通語だ。賢いシンガポール政府は中国語教育を、それも簡体字を使った本土の国語教育を推進している。我々もそうしなければならない。このあたりは比較的納得しやすいところだろう。

英語で自己表現ができることにはオマケがついてくる。日常会話レベルの英語は日本語より表現が明確でかつ論理的だ。英語でキチンと表現ができると言うことは頭を論理的に整理することの役に立つということだ。余談になるが「論理的」という点だけに注目すれば、極めて論理的な文法の体系をもっているラテン語かサンスクリット語(梵語)を学ぶべきだ。 

次に提案したいのは留学生の大量募集だ。英米のみならず先進工業国の大学には相当数の留学生が学んでいる。カリフォルニア大学の分校のある南カリフォルニアのIrvineアーバインに行ったとき案内してくれたアメリカ人が「カリフォルニア大学アーバイン校の略称UCI はUniversity of Chinese Immigrants(中国人移民大学)の略だ」と自嘲的に言うくらい、特に理数系の学部や医科系の学部には留学生が多い。日本だって留学生の数は着実に増えている。私立の大学の中には中国からの留学生を当て込んで募集計画を立てているところがあるし(こういう大学には外国人の先生の大量採用も含め、学校のレベルアップに努力してもらいたいところだ)、理工系の大学院では国公私立を問わず学科によっては留学生の比重が大きいところが相当数存在する。純粋培養だけでは種は弱体化する。留学生をどんどん受けいれ、かつまた彼らが日本の社会で働く道をどんどんつけることで、日本人の若者に、否それ以上に日本の社会の中に外国を現出させ刺激を与える必要がある。受けいれるために学寮や奨学金を充実させねばならない。また卒業後彼らが日本で就職できるよう、日本の出入国管理政策を見直し企業側の門戸をもっともっと広げねばならない。こうすることで、留学生も安心して「日本語」などという汎用性のない特殊言語を習ってでも日本に留学することのインセンティブがはたらく。ここまでも「英語と中国語教育の重要性」ほどではないが、まあ理解してもらえるだろう。

最後にもうひとつ。これには相当の抵抗があると思うが、試みるべきことがひとつある。それは留学生の大量受入に次ぐもうひとつの、日本の社会の中に外国を現出させ刺激を与える方策としての外国人労働者の導入だ。

私は「適材適所は世界中から」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/12/07/4745996
で家政婦さんやヘルパーさんのことを書いた。書いた当時、現在の不況の影響でヘルパーさんのなり手が増えていると思っていたが、その実、地域的な過不足はあってもヘルパーさんのなり手がまだ足りないということらしい。そもそも外国人労働者は受入国の労働者が「お金を積まれてもいやだ」という職種から参入する。そういう職種にはどんどん彼らを受けいれるべきだし、慣れてきた彼らの定着を推進すべきだ。そして日本人はもっと効率の高い仕事に移動してゆくべきだ。そのような仕事に就けるよう、日本人の職業訓練制度を充実させることも必要だろう。

外国人労働者の話をすると「一億円以上日本に投資できる人になら永住権を与えても良い」(丹羽宇一郎伊藤忠商事会長)とか「十分な教育を受けた外国の人材を、地位の安定した移民として受け入れる。外国人労働者の受け入れには反対」(坂中英徳元東京入国管理局長)と言ったイイトコ取りの議論が出る。世の中そんなに甘くはない。世界の共通語である英語が通じにくい国にワザワザ一億円払って来てくれる人はそんなにいない。また世界の移民の状況を見ればイイトコ取りができた国などないことくらい、いくら振るってみてもハズレが出るということくらい、東京入国管理局長をやった人ならわかるはずだ。一億円で振るってみたら「中国の黒社会の親分が妾二人同伴で来た」と言うことだってあるのだ。参考までに言っておけばレベルが高い人がほしければ、政治が不自由な国からの亡命者もどんどん受け入れるのはひとつの方策だ。戦前の日本に魯迅や孫文が亡命してきたことを思い起こせばよい。

外国人労働者導入はなかなか実現しないだろうと思いつつ、せめて最初の二点くらいは道をつけてくれることを、現政権のみならずその後に続く政権にも望みたい。

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