野口悠紀雄の近著を読む--日本の進路についての処方箋 (1/2) ― 2010/07/15 23:24
「とにかくすごい秀才が現れたので米国留学のための奨学金を出すことに決めた」
1960~70年代にかけて財団法人日本地域開発センター http://www.jcadr.or.jp/ という団体の理事をしていた父が話していた「すごい秀才」とは、当時まだ大蔵官僚であった野口悠紀雄のことだ。日本地域開発センターの奨学金をもらって米国に留学した後の野口の、経済学者としてのみならず、データの整理法をまとめた「超」シリーズの著者としての活躍もみれば、今は亡き父も「見立てが正しかった」という誇らしい思いだろう。
その野口が今年上梓した「経済危機のルーツ」を読んだ。この本を読めば、野口が「単に頭のよい人間」ではなく、古今の映画や演劇や小説にあれこれ造詣が深いことを知ることだろうが、そのことを別としても、この本はここ20年くらいの世界経済を要領よく俯瞰するにはよくできた本だと思う。この本にも出てくる日本の将来を考える際の日本人の思考を妨げる「モノヅクリ呪縛」については、私もまったく共感している部分なので(例えばこのブログの「小国日本の歩むべき道」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/12/13/4756047
など)異存がないところだ。ただ、残念なことに野口は日本の進路を切り拓く処方箋として抽象的に「教育投資」という以外書いていない。私も「故森嶋通夫の著作を読む--『小国日本の歩むべき道』再論」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/02/17/4885272
で書いた、国民の語学力のレベルアップ、留学生の受け入れ、外国人移民の受け入れ、という当座の対処法以外には処方箋を書けていない。「すごい秀才野口を持ってしても体系的な処方箋がかけなかったのだ」というのが私の正直な感想だ。以下「経済危機のルーツ」に関する感想を、日本の現況に関する処方箋をからめてあれこれ書いてみたい。
「経済危機のルーツ」で野口はアメリカ、イギリス、アイルランドの三国について、金融に特化することで経済成長を成し遂げたと書く。アメリカについてはIT革命に伴う脱工業化も経済成長の要素に加えている。この分析は正しい。本を読めば野口がこの三国のたどった道を、脱工業化社会の一つのたどるべき方向と考えていることがうかがえる。
では日本も同じ道をたどれるのだろうか?野口は書いていないがおそらく「たどれないだろう」と考えていると思う。考えてみよう。この三国とも「いわゆるアングロ・サクソン的価値観に支配された英語国」だ。「アングロ・サクソン的価値観」を「市場原理主義を理想形とする価値体系」と定義すれば、常識的にいって日本が、そして脱工業化に乗り遅れたもう一方の例として野口が指摘するドイツが、この価値体系を共有していないことがわかる。両国は今後ともそのような価値体系をもつことはないだろう。更に金融の世界の共通言語がこの三国の国語である英語であることへの配慮も必要だ。
これで一つの処方の可能性は断たれたことになる。
更に金融に関する野口の記述を追って見よう。
「経済危機のルーツ」を読んでいて不満に思うのは金融に特化することによる経済成長の影の部分について余り触れていないことだ。そしてその影の部分に対する考察が不足しているために、アメリカやイギリスやアイルランドの行く末に対して楽観的な見通しをしていることだ。
本当にそのような野口の状況認識は正しいのだろうか?
金融に特化することによる経済成長は所得の分配を極端にゆがめる方向に働く。状況証拠的に言えば、新しい金融商品を開発したり、コンピューターを駆使して相場を張る人たちには、野口が「雇用創出の例」としてあげていた彼らの事務所を掃除する人に比べ、天文学的な値の報酬が約束されている。
「倫理的に問題があるかもしれないがこれはしょうがない」と一応認めたとしよう。その場合、相場を張り間違えて大損をこいた人たちが、会社がつぶれたりして個人的にも大損をこうむるのならまだわかる。しかし今回の金融危機は世の中必ずしもそうではないことを露にした。金融が肥大した結果、金融の世界で起きた損害を「金融の世界固有の問題」として放置すると国民経済に甚大な影響がでるため、政府が税金を使って金融の世界の支援をせざるを得なくなったのだ。何をしてどんなに損を出しても、政府が損失を穴埋めしてくれるという状況に到達しているということが今回の金融危機で明らかになったのだ。Main Street picks up the tabs of Wall Street商店街がウォール街の損失をカバーしている、too big to fail大きすぎて破綻させられない、moral hazardモラル・ハザードという言葉が今回の金融危機の形容する言葉として盛んに使われたことについて、どういうわけか野口は口を閉ざしている。
また野口は投資銀行のゴールドマン・サックスやJ. P.モルガンがいかに的確なリスク管理を行ない、今回の金融危機の影響を回避したかについて紙数が割いている。しかしそのゴールドマンにしたところで、昨年3月(つまり「経済危機のルーツ」発刊の約1年前)にアップした「Counterparty Risk(契約相手方のリスク)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/27/4208855
で記したようにAIG破綻の際、アメリカ政府が(つまりは「商店街」が)カウンターパーティーリスクを引き受けてくれなければ 81億ドルの損害が発生していたのだ。これは2008年度の同社の税引前利益23.4億ドルの4倍近い額で、実現すれば純資産$644億の1/8強を失うという損害だ。これ以外にアメリカ政府に尻拭いしてもらったカウンターパーティーリスクのことを思えば、「商店街」に助けてもらわねばゴールドマンはどこかの企業とくっついたり、買収されたりして事態をしのぐことになったかもしれない。不思議なことに野口はこのことにも触れていない。
7月13日付のFinancial Timesの論説で引用されたシカゴ大学のRaghuram Rajanラグラム・ラジャン教授の近著Fault Lines(活断層)によれば
< of every dollar of real income growth that was generated between 1976 and 2007, 58
cents went to the top 1 per cent of households (米国で)1976年から2007年の間に創出された新規の実所得の58%が所得階層の上位1%の世帯にまわった >
とのことだ。このような事実をイギリスの世界的に有名な経済紙の経済担当論説主幹のMartin Wolf マーチン・ウォルフが指摘すること自体、アングロ・サクソン的価値観の世界でもさすがに「これは問題だ」との認識がポツポツ出始めていることの証左にならないだろうか?バラック・オバマが大統領に当選した背景にはアメリカの選挙民の間でもこのような問題意識があることを理解しておかねばならない。
そもそもFinancial Timesのような経済紙の論説欄に堂々と銀行の金融創出機能の抑制や、金利が税法上経費処理できるのはおかしいという、これまでの経済学や経営学で所与とされていたことを疑う論が掲載される時代になってきているのだ。潮流が激流になったとは言わないが、これにほとんど触れていないことは「経済危機のルーツ」の大いなる欠点だといわねばならない。
こうやって見ると、野口には金融に対して逆風が吹き始めているという認識が不足している気がする。そしてその結果「ひょっとして単純に経済成長や信用創出を善とする、産業革命以来築かれてきた価値観とは異なる価値観が生まれてくるのかもしれない」という歴史観が欠如している気がしてならない。
1960~70年代にかけて財団法人日本地域開発センター http://www.jcadr.or.jp/ という団体の理事をしていた父が話していた「すごい秀才」とは、当時まだ大蔵官僚であった野口悠紀雄のことだ。日本地域開発センターの奨学金をもらって米国に留学した後の野口の、経済学者としてのみならず、データの整理法をまとめた「超」シリーズの著者としての活躍もみれば、今は亡き父も「見立てが正しかった」という誇らしい思いだろう。
その野口が今年上梓した「経済危機のルーツ」を読んだ。この本を読めば、野口が「単に頭のよい人間」ではなく、古今の映画や演劇や小説にあれこれ造詣が深いことを知ることだろうが、そのことを別としても、この本はここ20年くらいの世界経済を要領よく俯瞰するにはよくできた本だと思う。この本にも出てくる日本の将来を考える際の日本人の思考を妨げる「モノヅクリ呪縛」については、私もまったく共感している部分なので(例えばこのブログの「小国日本の歩むべき道」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/12/13/4756047
など)異存がないところだ。ただ、残念なことに野口は日本の進路を切り拓く処方箋として抽象的に「教育投資」という以外書いていない。私も「故森嶋通夫の著作を読む--『小国日本の歩むべき道』再論」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2010/02/17/4885272
で書いた、国民の語学力のレベルアップ、留学生の受け入れ、外国人移民の受け入れ、という当座の対処法以外には処方箋を書けていない。「すごい秀才野口を持ってしても体系的な処方箋がかけなかったのだ」というのが私の正直な感想だ。以下「経済危機のルーツ」に関する感想を、日本の現況に関する処方箋をからめてあれこれ書いてみたい。
「経済危機のルーツ」で野口はアメリカ、イギリス、アイルランドの三国について、金融に特化することで経済成長を成し遂げたと書く。アメリカについてはIT革命に伴う脱工業化も経済成長の要素に加えている。この分析は正しい。本を読めば野口がこの三国のたどった道を、脱工業化社会の一つのたどるべき方向と考えていることがうかがえる。
では日本も同じ道をたどれるのだろうか?野口は書いていないがおそらく「たどれないだろう」と考えていると思う。考えてみよう。この三国とも「いわゆるアングロ・サクソン的価値観に支配された英語国」だ。「アングロ・サクソン的価値観」を「市場原理主義を理想形とする価値体系」と定義すれば、常識的にいって日本が、そして脱工業化に乗り遅れたもう一方の例として野口が指摘するドイツが、この価値体系を共有していないことがわかる。両国は今後ともそのような価値体系をもつことはないだろう。更に金融の世界の共通言語がこの三国の国語である英語であることへの配慮も必要だ。
これで一つの処方の可能性は断たれたことになる。
更に金融に関する野口の記述を追って見よう。
「経済危機のルーツ」を読んでいて不満に思うのは金融に特化することによる経済成長の影の部分について余り触れていないことだ。そしてその影の部分に対する考察が不足しているために、アメリカやイギリスやアイルランドの行く末に対して楽観的な見通しをしていることだ。
本当にそのような野口の状況認識は正しいのだろうか?
金融に特化することによる経済成長は所得の分配を極端にゆがめる方向に働く。状況証拠的に言えば、新しい金融商品を開発したり、コンピューターを駆使して相場を張る人たちには、野口が「雇用創出の例」としてあげていた彼らの事務所を掃除する人に比べ、天文学的な値の報酬が約束されている。
「倫理的に問題があるかもしれないがこれはしょうがない」と一応認めたとしよう。その場合、相場を張り間違えて大損をこいた人たちが、会社がつぶれたりして個人的にも大損をこうむるのならまだわかる。しかし今回の金融危機は世の中必ずしもそうではないことを露にした。金融が肥大した結果、金融の世界で起きた損害を「金融の世界固有の問題」として放置すると国民経済に甚大な影響がでるため、政府が税金を使って金融の世界の支援をせざるを得なくなったのだ。何をしてどんなに損を出しても、政府が損失を穴埋めしてくれるという状況に到達しているということが今回の金融危機で明らかになったのだ。Main Street picks up the tabs of Wall Street商店街がウォール街の損失をカバーしている、too big to fail大きすぎて破綻させられない、moral hazardモラル・ハザードという言葉が今回の金融危機の形容する言葉として盛んに使われたことについて、どういうわけか野口は口を閉ざしている。
また野口は投資銀行のゴールドマン・サックスやJ. P.モルガンがいかに的確なリスク管理を行ない、今回の金融危機の影響を回避したかについて紙数が割いている。しかしそのゴールドマンにしたところで、昨年3月(つまり「経済危機のルーツ」発刊の約1年前)にアップした「Counterparty Risk(契約相手方のリスク)」
http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2009/03/27/4208855
で記したようにAIG破綻の際、アメリカ政府が(つまりは「商店街」が)カウンターパーティーリスクを引き受けてくれなければ 81億ドルの損害が発生していたのだ。これは2008年度の同社の税引前利益23.4億ドルの4倍近い額で、実現すれば純資産$644億の1/8強を失うという損害だ。これ以外にアメリカ政府に尻拭いしてもらったカウンターパーティーリスクのことを思えば、「商店街」に助けてもらわねばゴールドマンはどこかの企業とくっついたり、買収されたりして事態をしのぐことになったかもしれない。不思議なことに野口はこのことにも触れていない。
7月13日付のFinancial Timesの論説で引用されたシカゴ大学のRaghuram Rajanラグラム・ラジャン教授の近著Fault Lines(活断層)によれば
< of every dollar of real income growth that was generated between 1976 and 2007, 58
cents went to the top 1 per cent of households (米国で)1976年から2007年の間に創出された新規の実所得の58%が所得階層の上位1%の世帯にまわった >
とのことだ。このような事実をイギリスの世界的に有名な経済紙の経済担当論説主幹のMartin Wolf マーチン・ウォルフが指摘すること自体、アングロ・サクソン的価値観の世界でもさすがに「これは問題だ」との認識がポツポツ出始めていることの証左にならないだろうか?バラック・オバマが大統領に当選した背景にはアメリカの選挙民の間でもこのような問題意識があることを理解しておかねばならない。
そもそもFinancial Timesのような経済紙の論説欄に堂々と銀行の金融創出機能の抑制や、金利が税法上経費処理できるのはおかしいという、これまでの経済学や経営学で所与とされていたことを疑う論が掲載される時代になってきているのだ。潮流が激流になったとは言わないが、これにほとんど触れていないことは「経済危機のルーツ」の大いなる欠点だといわねばならない。
こうやって見ると、野口には金融に対して逆風が吹き始めているという認識が不足している気がする。そしてその結果「ひょっとして単純に経済成長や信用創出を善とする、産業革命以来築かれてきた価値観とは異なる価値観が生まれてくるのかもしれない」という歴史観が欠如している気がしてならない。
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