オバマ政権 ― 2009/03/08 23:03
ガイスナー氏の場合はIMF(国際通貨基金)勤務時代の所得を数年にわたって申告していなかったことが指摘された。「この所得は別途確定申告が必要です」とIMFから言われながら、ご丁寧に所得を申告していなかったとなると、財務のプロである彼が「IMFからIRSに対して『xx年度はガイスナーに給与をxxドル支払っている』との連絡が行かないであろう」とのヨミのもとに所得を除外したと言われてもしょうがない事態だ。ダシェル氏の場合は現物支給された報酬(車つき運転手の提供)を所得から除外していたのが直接の原因である。
両名の「申告もれ」をみてみると、一部のアメリカのエリートの納税意識が垣間見える。アメリカでは個人所得税は申告納税が原則である。経費や控除となるものの対象が多いのと、州ごとの税制が異なる分(例えば所得税がない州があったりする)、日本の税制より複雑である。またIRS(アメリカ国税庁)に提出した確定申告書がすべて精査されるわけではない。この結果?多くの一定以上の知識を持ったアメリカ人たちの間では「IRSにどこまで経費や控除を認めさせられるのか」とか、「所得を申告しなくても見つからない確率にかける」という行為が一種のゲームのようになっているのである。「こうやってIRSと渡り合った」といった話がパーティーの席上などで得々と語られる国柄なのである。
感想を求められたオバマ政権のスポークスマンは「完全な人などいない(Nobody’s perfect)」と開き直っているが、問題は財務長官に適当な候補者と衆目一致の候補といえどもこのような状態だというのが現下のアメリカの病の深さであろう。社会のエリートが「知恵とリスク・テークの意思があれば政府機関を欺くのはゲーム」と思っている社会で、政策の実施責任者になったエリートがどこまで真剣に、どこまで深くまで改革を進められるのか乞うご期待というところである。
と、ここまでややシラケテ書いたのが2/18である。
その後オバマ政権が矢継ぎ早に打ち出す政策を見ると大方の「識者」の予想に反し「大統領選中の公約に忠実に政策を打ち出している」!無論アメリカの大統領が出す政策はあくまでも「大統領の出す指針」であって、議会がそれを法律にしないと政府は政策としてそれを実行できない。従い公約に忠実に打ち出された政策がそのまま政府の政策となるわけではない。ましてやオバマ政権の打ち出している政策は、レーガン政権以来20年強にわたって営々と築き上げられてきた「新自由主義」政策の方向転換を目指すものであるだけに、スイスイ議会を通過するのは容易なことではないと思う。しかしオバマ政権の意気や良し。もう少し好意的に事態の推移を見守ろうと言う気になってきた。
イラン革命30周年(1/2) ― 2009/03/08 23:29
1. イラン革命の意義
今日現在の英文版ウィキペディアのイラン革命に関する記事には
“the third great revolution in history”, following the French and Bolshevik revolutions, and an event that "made Islamic fundamentalism a political force ... from Morocco to Malaysia." (フランス革命、ロシア革命に次ぐ世界三大革命。イスラム原理主義をモロッコからマレーシアに至る [回教国における]政治勢力として成り立たせた事件)
との記述があるが、これはきわめて簡単で的確な説明だと思う。理由を書こう。
1.1 政体の変化: 君主制から制限民主制へ
イラン革命前のイランはシャー(イラン皇帝)による立憲君主制ということになっているが、実態は親政に近い。シャーの政権の末期に英国のBBC放送の記者が「陛下は絶対君主か?」とシャーに質したところ、シャーが"Maybe"と答えていたのがこの点を象徴している。
イラン革命はそれまでのシャーと彼を囲む欧米的な教育を受けた親欧米的なエリート層による統治形態を根底から覆し、統治の主体を大衆の信頼の厚いシーア派イスラム教聖職者と、国内で教育を受けたより土俗的・イスラム的な価値観を持つその支持層に置き換えた。私は帝政時代のイランと革命後のイラン両方に行ったことがあるが、革命直後のイランでは帝政時代のエリートがほぼ完全に職を奪われ、庶民層出身者に置き換わっていたことが印象的であった。
革命の結果統治形態がかわり、さまざまな試行錯誤の結果、現在のイランの統治形態が存在している。それは公選によって選ばれた政府が、非公選の最高指導者(聖職者)と最高指導者によって半数の委員が任命される監督者評議会によってチェックされるという形態だ。現在のイランの統治形態は感覚的に言えば神聖にして侵すべからざる天皇と任命制の枢密院によって公選で選ばれた内閣と議会がチェックされていた戦前の日本と類似した統治形態だ。
統治システムと、統治主体が完全に入れ替わったという点をみるとイラン革命は十分に「革命」としての要件を整えていることがわかる。
1.2 イスラム世界を揺るがす普遍的なイデオロギーの発信
英文版ウィキペディアがあげていたもう一点はイラン革命のイデオロギーであるイスラム原理主義の普遍化である。普遍的なイデオロギーを示したことこそがイラン革命が世界三大革命の一つに数えうる要件である。イラン革命は「欧米的な価値観によって自分たちの価値観が侵食されている」という世界のイスラム教徒の焦燥感を顕在化させる起爆剤となったのだ。
内需を増やせ(1/2) ― 2009/03/09 00:56
「内需を増やせ」といわれると「そんなお金どこにある」という反応とともに、もっともらしく「日本のように資源のない国は輸出をしなければ食ってゆけない。内需ばかり増やしてもその内需をまかなう資源や食糧を買うお金を稼ぐ必要があるから、内需の増加はほどほどにしなければならない」という反応が返ってくる。この反応は一応正しいが一面の真理しかついていない。経済学基礎のような議論をしてみよう。
輸出依存の度合いは国内産業の付加価値次第
我々の生活を維持するために輸入しなければならない資材や食料が100億円とすれば、この輸入を維持するには輸出が100億円ないと我々の生活を維持できない勘定になる。100億円の輸出をするのに必要な資材の輸入が50億円だとすれば、以下のような簡単な表が作れる(輸入に伴って国内で輸送とか販売といった付加価値が発生するが、話を簡単にするためここではネグる)。
輸入 |
輸出 |
国内 |
|||
資材(生活維持用) |
100 |
|
|
|
|
資材(輸出用) |
50 |
商品 |
100 |
付加価値 |
50 |
|
150 |
|
100 |
|
50 |
このままでは輸入が輸出に対し差し引き50億円多いから、誰かが外貨を貸してくれないと日本は必要な輸入を、つまりは我々の生活を維持できない。
上記の表でポイントは輸出を100億円行うためには資材が50億円必要だという部分だ。例えば資材11億円で111億円の輸出ができるとすればこの表は以下のようになる。
輸入 |
輸出 |
国内 |
|||
資材(生活維持用) |
100 |
|
|
|
|
資材(輸出用) |
11 |
商品 |
111 |
付加価値 |
100 |
|
111 |
|
111 |
|
100 |
つまり付加価値の高い製品を輸出すれば、そんなにあれこれ資材を輸入をしなくても帳尻は合うし、国内に残るお金も多いという話だ。最初の例の倍のお金が国内に残るから、当然内需拡大につながる。
内需振興とはまず
付加価値の高い産業に特化することで国内に残る付加価値をあげることの中から発生するものだ
との認識が必要だ。
日本の女性の社会進出 ― 2009/03/10 20:25
’60年代のWomen’s Lib運動がそれまでの女性の地位向上運動と異なる特徴的な部分は、士官学校を始めとする男子のみの大学への女性の受け入れ要求に象徴されるように、男性と同等の権利を女性に対しても認めさせることに法的な強制力を持たせるような方向性を持っていたことと、数値的にポジションの割り当てを指向した点である。この結果連邦や州レベルで「女性を最低xx%雇用すること」といった法律が立法されることとなった。このような一連の動きのことをaffirmative actionという。Affirmative actionのことを日本では差別是正措置などと訳している。
Affirmative actionの功罪は種々議論されており、結論は永遠に出ないだろう。ただ、部外者としてみていると、米国の社会ではaffirmative actionの結果相当数の女性が社会の第一線に現れており、その肯定的な側面として個人を性別や人種に基づかずに評価する文化がある程度定着してきていることがあげうる。
ヨーロッパは米国ほど声高にaffirmative actionを推進しているわけではないが、結果としては女性の社会進出は日本よりは進んでいる。こちらの動きの背景については別途考えてみたい。
日本のaffirmative actionは伝統的には日本の固有の歴史的な状況から発生している日本人相互間の差別の解消をめざす政策であって、性的、人種的或いは民族的な差別に対して「政策的に採用枠を固定する」と言った形で国として対応したのはごく最近の、欧米の動きや「国の体面を保つため」女性差別撤廃条約に調印するために触発された現象である。日本の雇用機会均等法が欧米に近い水準で差別撤廃やaffirmative actionを制定したのが1997年のことであるから、日本が欧米型のaffirmative actionを試みたのはここ数年のことなのである。
10数年位前になろうか。ある会社の人事担当の重役と雑談をしていた時。重役氏の会社でなかなか女性総合職の定着が進まないことに話が及び「実は同業他社でも状況は同じで、人事担当役員どうしでどうしたものか悩んでいる」と言う話がでた。当の会社は当時年間数人(採用の数パーセント)程度しか女性総合職を採用していない。確かに年間数人程度の女性総合職を「対面を保てる程度に採用することでしのぐ」のが最も経済合理性にマッチした採用政策であろう。しかし、そんな一握りの女性を採用したのでは会社のカルチャーなど全く変わらない。先刻の重役氏の会社で女性を毎年数パーセントではなく、継続的に数十パーセント採用したらどうなるであろう?その会社でそういうオーダーでの採用が始まったのは今世紀に入ってからだ。カルチャーの変わるのには更に10年以上の歳月を要するだろう。
しかし、affirmative actionの有無だけで女性の社会進出を語るべきではないような気がする。1976~78年に米国のビジネススクールに留学していた時、中国系の留学生(当時は中国からの留学生はいなかったので華僑系+台湾)、の中には多数の女子がいたのに対し、日本の留学生の中には女性は皆無であった(その後女性の留学生が増えてきたことは事実だ)。又ビジネススクールに入学する中国系米人と日系米人とを比べてみても、中国系の方には相当数の女子がいたのに、日系の方はこれまた女子が非常に少ない状況であった。私と同世代の中国系の中からは、移民一世であるにもかかわらずブッシュ・ジュニア政権で労働大臣にまでのぼりつめたElaine Chaoも輩出している。
ビジネススクール在学中に、日系の女子がいないことが話題になった際、中国系一世の学生が「そういえば自分が行っていたカリフォルニアの高校には結構優秀な日系の女子がたくさんいたけれども、彼女たちの卒業後の話はきかない」といったことがある。
となってくると、日本の女子の社会進出が遅れているのは、組織とか行政とかいった問題だけではなく、日本の社会とか文化といった問題もあるのではないかと言う気がする。
イラン革命30周年(2/2) ― 2009/03/13 21:59
2. イランの将来
ここに興味深い統計がある。中東、北アフリカのイスラム教国で民度がイラン並みと思われる諸国の出生率と人口増加率である(出典 http://www.indexmundi.com/
)。サウジアラビアは石油収入に支えられた所得は先進国並みだが出生率はバングラデシュ並みという特殊例なので比較対象からは除外するとして、この表を見るとイランの出生率や人口増加率の少なさが際立っていることがわかる。
国名 |
一人当GDP |
出生率 |
人口増加率 |
イラン |
$12,300 |
16.89 |
0.792% |
トルコ |
$9,400 |
16.15 |
1.013% |
シリア |
$4,300 |
26.57 |
2.189% |
エジプト |
$5,400 |
22.12 |
1.682% |
チュニジア |
$7,500 |
15.50 |
0.989% |
アルジェリア |
$8,100 |
17.03 |
1.209% |
参考:サウジ |
$20,700 |
28.83 |
1.945% |
参考:日本 |
$33,800 |
7.87 |
-0.139% |
(GDPは購買力平価での調整値)
イランはイラン・イラク戦争後のベビー・ブームの結果急激に人口が増加したためイスラム教国には珍しく人口抑制政策をとっているが、これだけで事態を説明できるのだろうか?
現在のイランの政体は欧米的な意味での民主制ではないが、民衆に基盤を持つ政体であることは確かだ。しかし、政府に対するチェック機能を持つ聖職者層の保守性と彼らの政治や経済といった世俗的な領域における影響力のせいでイランの経済は石油輸出依存体質から脱していないし(政府収入の85%が石油収入)、産業の大きな部分を占める国営企業の非効率の影響で産業活動も不活発である。失業率も15%前後と高率だ。
もう一点指摘しておかねばならないことはシャーの支持基盤であった比較的宗教心が薄く親欧米の「都市の中間層」と、より敬虔かつ保守的な「その他の国民」との間の落差である。その他の国民のほうが都市の中間層より数において勝り、また彼らが現在の政治体制の支持基盤であるため、現在の政治体制は一見磐石である。この結果都市の中間層の間には不満が鬱積し、海外へ移住したり、政府や聖職者によって管理されていない消費や不動産投資、つまりは非生産財投資に向かうという弊害をもたらしている。
出生率や人口増加率の低さは若い世代の将来に対する希望のなさを表しているのではなかろうか?
現在イランの政権を握っている層は、このままでは経済成長率といった世俗的な価値基準で測ればイランが万年二流国家に甘んじるリスクを抱えていることを認識しているのだろうか?イランの原子力開発は北朝鮮の場合同様、万年二流となることを認識している国家の国際的な自己主張の手段という視点からもみるべきであろう。
国民にとっての「実」のない形でしか不満の蓄積に対する対応ができないとすれば、イランの政治が再び混乱する危険があるといえる。
オバマ大統領のイラク派遣軍撤退とアフガニスタン増強、イスラム原理主義の台頭、右旋回するイスラエル、と不安定要因が多い中東情勢は今後とも予断を許さない。制限つきとはいえ民主制をとり比較的政権が安定しているイランの為政者が、政治体制の継続と安定を図るため徐々に統治のタガを緩め国内各層の不満を吸収して行くことを願ってやまない。
3. 補足: イランはオスマントルコ帝国化する?
とここまで書いたところでフォーブス誌のウェブサイト
http://www.forbes.com/ に3/3付でMelik
Kaylan氏のThe Iranian Empire(イラン帝国)という興味深い記事が掲載された。記事の結論を一言で言うと「イランはオスマントルコのような形の帝国になろうとしている」ということだ。オスマントルコは帝国内の民族間の争いを仲裁し、帝国の臣民を外敵から守ることによって帝国を統治し中東の秩序を維持していた。これは国境を画定してその国境内で均一な行政を行うことを志向する欧米型の帝国とは異なるタイプの帝国だ。このような目で見るとイラク、シリア、レバノンは既にイランの勢力圏内に入っており、最近米国がアフガニスタン問題解決にイランとの対話を求めていることからもわかるとおり、アフガニスタン問題もイランの関与なくしては解決不能なところまできていることに気がつく。
この見方は一面の真実を持っていると思う。Kaylan氏はトルコ出身なので、このような見方ができたのだろう。今後これに「海への出口を持つ」というイランの地理的な戦略性を加味することで中央アジア諸国のカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメン、タジキスタン、キルギズスタンに対する影響力が今後加味される可能性は大である。
しかし、トルコは何もしないのだろうか?
トルコ航空の路線図を見ると中央アジア諸国は言うに及ばずロシアのタタール共和国カザン、アゼルバイジャン共和国のバクー、とトルコ系民族の広がる地域すべてに路線を通じている。中央アジアではせいぜいカザフスタンとウズベキスタンにしか及ばないイラン航空の路線図とは大違いだ。イランからトルクメンニスタンに通じる鉄路があることを加えても交通面でのトルコの優位は変わらない。
航空路線図だけですべてを判断するのは問題であるにしても、トルコがEU加盟に見切りをつけ、国として中東の将来に賭ける路線に転じたとき、トルコが中央アジアに広がるトルコ系民族との関係をどのようにしてゆくのかは一考の価値があると思う。
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