パキスタンはfailed stateか?(2/2)2009/04/15 01:32

何ゆえ中央政府のコントロールが効かなくなってきたのか?

インド、パキスタン両国が1947年に独立して以来、三回にわたり交戦している。現在でも両国の国防政策上、想定の敵は第一義的には相手の国である。これはこの地域の情勢を多少知っている人にとっては常識だ。

ここがあまり認識されていない重要なポイントだが、パキスタンの想定の敵その二はアフガニスタンだ。

アフガニスタンである理由はパシトゥン人の存在だ。前述のパキスタン政府の統治の及ばないFATAとその隣の北西部辺境州の住人のほとんどはパシトゥン人だ。同じパシトゥン人は国境を越えたアフガニスタンでは最大の民族だ。カルザイ大統領はパシトゥン人だし、タリバンの主たる構成員もパシトゥン人だ。伝統的にパシトゥン人が住んでいた地域に人為的に国境線がひかれたためにこのようなことになった。パキスタンにとってみればパシトゥン人が国境を越えて団結すれば、国が割れる事態になる。そのアフガニスタンは伝統的にパシトゥン人が統治してきており、過去パシトゥン人の大同団結をとなえてみたり、その意思を行動に移してきた実績がある。第二の想定敵であるわけだ。このような事情からパキスタンにとってはアフガニスタンがたえずある程度不安定でパシトゥン人がアフガニスタンの他の民族と争っている状態であるほうが都合が良い。

パキスタン軍には1948年に設立されたDirectorate of Inter-Services Intelligence(略称ISI。軍間情報局)と言う組織がある。陸海空三軍にまたがる軍の情報機関だ。1979年12月、アフガニスタンの国内治安混乱に伴い親ソの政府に加勢する形でソ連がアフガニスタンに攻め込んだが、これに対抗してアメリカはアフガニスタンの反政府勢力に武器、弾薬、資金の援助を実施する必要が出てきた。パキスタンの想定の敵その二がアフガニスタンであることを思い出してほしい。アフガニスタンを不安定化させる大義名分が立つちょうど良いチャンスだ。ISIは率先してこの計画に加担した。

この種の関与は化学や物理の実験のようにキチンと定量化された状況の中で、予測できる結果が出てくるような類のものではない。アメリカにとっても、おそらくISIにとっても、予想外であったことは、ソ連をたたき出してからアフガニスタンが急速にイスラム原理主義者によって支配される事態となり、そのイスラム原理主義者たちが結構しっかりと国を統治したことだと思う(しっかり国を統治したことと、統治が民主的であるかどうかは別だ)。そのイスラム原理主義者がソ連との戦いに勝った余勢をかって国境の外に活動の手を伸ばし始めることはある程度予想していたにしても、その手が伸びてくるスピードや範囲は予想外だったはずだ。

おそらくここまで来た時点でISIの関係者の間では、「事態が容易にコントロールできるものではなくなった」との認識とともに、「コントロールを誤ると国家の再度の分断のリスク」という認識が出てきたと思われる。軍人官僚である彼らの考えたコントロールとは、おそらくこれまでの政策である

* 「政府の統治の及ばない地域」の中での「自治」を認め、

* アフガニスタン内ではたえず低度の混乱が起きるように仕掛け

* これに反抗する部族に対してはアメとムチで臨む

の一層の遵守であろう。しかし、前述のとおりこのようなことはそんなにうまくコントロールできるものではない。むしろ現在はイスラム原理主義者の勢力が徐々に「パキスタン政府の統治が及んでいる」地域にまで及んできている、つまり徐々にパキスタンがfailed stateに向かい始めた状況と形容できよう。

何でパキスタン国内にアフガニスタンのイスラム原理主義者と呼応するような勢力が出てきたのだろうか?

パキスタンがイスラム共和国であることは前述した。1960年代に完成した新首都の名前がイスラマバード(イスラムの町)であることは象徴的だ。しかしもっと現実的な理由がある。

話を 1973年の石油危機までさかのぼろう。パキスタンは産油国ではない。石油危機で経済が苦境に陥った政府はパキスタンに豊富に存在する「人材」を中東産油国に働きに行かせ、同じイスラム教国である中東からの投資を呼び込むことに注力した。リヤルプールというパキスタンで三番目に大きな都市の名前をサウジアラビアのファイサル国王にちなんでファイサラバードと改名するなど涙ぐましい努力もした。この結果パキスタンは中東産油国からの投資を呼び込むことに成功したが、同時に中東版の、異物に対する許容度の低いイスラム教の文化が流れ込む結果ともなった。

特にパキスタン社会に大きな影響を与えたのは、中東の政府や有力者の資金で設立された多数のイスラム教の神学校だ。これら神学校が公教育の及んでいない地域の人々に読み書きを広めると同時に、中東版のイスラム教の教義も広めていった。神学校の多くはまさに政府の統治の及ばないFATAなどに設置されていったのである。

神学校を卒業しても仕事がなければ、どこからともなくお軍資金が出て武器と軍事訓練が与えられアフガニスタンに聖戦を戦いに行く道が開けていた。聖戦から帰った戦士はISIがその必要に応じてカシミールに派遣してインドのかく乱にあたらせた。こうして、国内で偏狭なイスラム教の教育を受けた若者を、中東の政府や個人やパキスタンの政府機関が手を貸す形で、武器を与え聖戦に赴く伝統が出来上がった。もうひとつ注目すべきは政府の統治の及ばないFATAやPATA地域における伝統的なgun culture(銃保有文化)の存在である。’80年代以降この二つが化合した。パキスタンは武装した不平分子が自己増殖する装置を手に入れてしまったのである。

パキスタンのfailed state化を止めるのは容易ではない。

まずは経済成長を通じて国民を貧困から解放することからはじめる必要がある。同時に教育を通じて今貧しい人々の間で流通している偏狭なイスラム教の教義の束縛から国民を解放する必要がある。しかし、綿や繊維製品や米以外これと言った輸出商品もなく、必ずしも企業活動のための環境が整っているとは言いがたい国がどうやって経済成長を成し遂げるのだろう?また教育を広げようとしても、イスラム教式の教育を継続することで利益を受ける厚い層がある社会状況の中でどうやってそれから離れた教育を展開できるのだろうか?

ここはパキスタンに広範な国民に支持された開明的な指導者が出現することを望みたいが、そこはfailed state、開明的な指導者には暗殺されるリスクがつきまとう。

国際社会は当面パキスタンのfailed state化が進まないよう祈るしかないのだろうか?

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