「戦火のナージャ」「ミスター・ノーバディ」「ブルーバレンタイン」2011/05/11 21:43

連休の間、立て続けに3本映画を見たのでその印象をざっと書いてみたい。

最初に見たのが「戦火のナージャ」(制作2011年。4月16日に封切った日本は何と5月5日に封切った制作国のロシアより早い封切だった!やればできるんだ。原題
Утомленные солнцем 2: Цитадель、「太陽に灼かれて 2:要塞」の意)

原題からわかるように映画は1994年に製作された「太陽に灼かれて」(本邦上映は2001年?)の続編だ。監督のニキータ・ミハルコフはソ連国歌及び現在のロシア国歌の作詞をした詩人セルゲイ・ミハルコフの息子という芸術家の家系生まれのロシアのインテリゲンチャ(知識層)の一員だ。

学生時代には今より頻繁にソ連映画が上映されていたから、何度かソ連映画を見た。ほとんどがロシアの文学作品を映画化したものか、第二次世界大戦の独ソ戦の一局面を描いたもので、ゆっくりしたペースで物語が展開するのが印象的だった。いずれも見た後は内容の是非にかかわらず「映画を見たぁ」というズッシリ感があった。この映画もその「昔懐かしいソ連映画風の映画だろう」と思って見に行ったら予想通りだった。「恐らくアメリカ映画なら2/3以下の長さで同じストーリーを語っていたのだろう」と言う感じだ。

映画の内容などについてはMovie Walkerをはじめあちこちに出ているのでここには書かない。私が印象的だったのは、特権階級といえどもスターリンの恣意でその身分がどうにでもなったスターリン時代のソ連に生きる人々の緊張や諦観の描き方だ。そのような時代の状況やその中で生活する人々の心理を、隠喩を用いずに描くことができるロシアは、政治や思想の解放については中国より数歩先を行っていることがこんなことからも実感できる。

次に見に行ったのはSF映画だと言う理由で見に行った「ミスター・ノーバディ」(2009年制作。原題も同じMr Nobody)

ストーリー展開ははなはだ複雑で、余り論理的に筋を追いかけるとワケが分からなくなる。要は人生いろいろな分岐点があって、どの分岐点でどのような選択をするかで人生の展開が大きく変わる、というストーリーだ。印象的だったのは幼いころの主人公と恋仲になり、ある展開ではその関係が長い間の空白を経て再会を果たし関係が復活すると言う設定の中の配役が「実際の人物がそのまま年を経ればこのようになろう」というくらい適切だったことだ。「戦火のナージャ」では主人公二人(両者の関係は父娘)が実生活でも父娘で、そのため前作の「太陽に灼かれて」を見た人は自然に続編であるこの映画を見ることができるようになっている。このような配役を行った一因は、或いはロシアの映画俳優層が薄いことが理由ではなかったかと思われるが、ドイツ、フランス、ベルギー、カナダ四カ国の共同制作になる「ミスター・ノーバディ」ではそのような懸念は必要なかったろう。

最後に「ブルーバレンタイン」(2010年制作。原題も同じBlue Valentine)を見た

簡単に言ってしまえば「結婚前と結婚後4、5年の夫婦の愛と、二人の間の落差が集積していった結果の別れ」がテーマの映画だ。結婚に至るプロセスや結婚後の二人の生活を丹念に描くことで、そもそも結婚前から二人の間には落差があったこと、しかし女性のほうはそのときのボーイフレンドとの関係に辟易しており、成り行きで「できちゃった」その彼女を包みこんでくれた男性の温かさのなかで、二人の間の落差をみる客観性を失い結婚に進んだ行ったことを浮かび上がらせる。

結婚後数年。男性の側は倦怠を感じつつも今の生活に満足している。二人の間の子供も愛している。妻があれこれ愚痴を言っても彼女と言い争うのではなく「自分がどうなればよいのか教えてくれ」と妻に質す、要するに夫として格別の失点のない存在だ。しかし「医師になろう」との夢を捨て、結婚し、子供を産み、田舎の病院で看護婦になっている女性は結婚後数年たった今、結婚前には見えていなかった相手との落差がみえている。彼女はその落差を実感しながら鬱々として過ごすような毎日が不満だ。テーマは簡単だがこのあたりのディテールの描き方が細かい。そしてそれを「戦火のナージャ」より手短に要領よくまとめている。ディテールの点で難を言えば、「今」の女性が「以前」と余り変わっておらず、「今」の男性のみ老けた感じだったのが気になったことくらいだろうか。

見終わってからその昔見た映画「ミセス・ダウト」(制作1993年。原題はほとんど同じMrs
Doubtfire)を思い出した。ミセス・ダウトの主人公も自分の家庭を愛する、格別の失点のない、否自分の家庭以外を顧みないという失点のある男性だが、それに飽き足らない妻に離婚される。離婚調停の結果子供は妻に持って行かれてしまったので、毎日子供に会おうと女装して家政婦として昔の家に住み込む。喜劇仕立てになっていたがテーマは結構きつかった。

アメリカの小説や映画にはこのような、女性のモヤモヤした不満にどうやって付き合うのか戸惑ったり翻弄されたりする男性をテーマにしたものが結構多い。映画や小説だけのことではない。現実の世界でも「客観的に言ってこの夫婦、相手に何の不満があって離婚したのだろう」と思わせる事例に事欠かない。「夫婦の関係はいつまでも愛だ、夢だではなく、いかにお互いの現実にあわせてもたせるのかだ」という感覚は、アメリカ人の夫婦の多くも持っている感覚なのだろうに…だ。

しかし冷静に見てみよう。アメリカの結婚の半数以上が離婚に終ることからも明らかなように、アメリカ人の多くはいつまでも「愛だ、夢だ」の男女関係を求め続け、結婚生活でそれが感じられなくなると残りの家族のことは顧みず、一路別離に向かうという直線的な感覚を持っている。「ミセス・ダウト」にしても「ブルーバレンタイン」にしても、アメリカ人のもつこのように一途な側面をえがいた作品なのだ。「ブルーバレンタイン」を見てから一週間くらいたった今そんな事を思っている。「やりきれない後味を残しつつも今になってもいろいろ考えさせられている分、ゴールデンウィーク中に見た映画の中では『ブルーバレンタイン』が一番の秀作であった」ということになろうか。

多様性について (1/2)2011/05/14 14:25

このブログを読んでいる人なら、私が多様性について「それが基本的には善だ」と考えていることに気づかれていると思う。理由は日本の歴史を見ていると、多様性を受け入れている時代こそが、あれこれ混乱はあっても日本が成長していた時代だからだ。考えてほしい、日本の歴史の中で日本にダイナミズムがあって「光っていた」時代というとどんな時代だったのかを。

それは安土桃山時代のように「ヨーロッパとの接触」を一つの触媒として日本が再度統一国家としての態をなした時代だし、明治期のように「欧米との接触」という刺激を得て日本が曲がりなりにも近代国家として歩み始めた時期だし、第二次世界大戦敗戦から高度経済成長に至る時期のように「アメリカの関与」を通じて日本が戦前の政治経済の体制を組み替えて今日の基礎を築いた時期だ。いずれも共通項は「外国との接触から得られる刺激」なのは一目瞭然だろう。

「光っていた時代」の後にはその時期に受けた刺激を内在化させる時代が来る。江戸時代や、大正から第二次世界大戦敗戦までの昭和や、高度経済成長が行き詰まってから今日に至るまでの時期はこの「内在化させる時代」だったと考えてもよかろう。「内在化させる時代」は最初のうちは「光っていた時代」で得たものや行き過ぎを調整し、それらを日本の社会に合致したものに修正してゆく時期だ。しかし修正や調整をやっているうちに、考え方や物事への処し方はどうしても自分たちどうしに都合のよい状態で固まって行く。江戸時代が華と言われた元禄時代をピークに徐々に停滞に陥っていって、ペリーの浦賀来航の頃にはにっちもさっちも行かなくなっていたのが好例だ。

戦後アメリカの占領統治というショック療法を受け、ジョン・ダワーの名著の題名を借りれば「敗北を抱きしめて」(1999年刊、原著John W. Dower, Embracing Defeat)、その経験を内在化させながら「日本人みんなで頑張ってきた」のが高度成長期までで、「そのピーク時の成功体験に引きずられるまま今日に至っている」というのが今の日本であろう。

今の日本を形作ってきた成功体験の主要な要素は、この「日本人みんなでやってきた」部分だ。日本人どうしなので同じ言葉を始め共通項が多い。以心伝心のような「テレパシー」もきく。そうやって仲間の力を結集してやってきた。しかし我々は、今やその「日本人みんな」の努力や叡智だけでは越えられない状況に立ち至っていることに気づく必要がある。その予兆はもう見えていた。
1990年代を通じてバブル崩壊が起き、それに対処するため英米流の企業統治や、事業の査定やそれをもとにした企業や事業の売却・再編が実施されたとき、我々はバブルの傷は「日本の叡智」だけでは越えられないところにまで事態が及んでいることを知ったはずだ。「技術」でならしていた日産自動車が過大な投資のせいで過大な債務を背負い込み1993年にフランスのルノーから派遣されたカルロス・ゴーンのもとで事業の建て直しをおこなったことで、我々は外国人の叡智を直接日本の大企業の経営に持ち込んで、日本の大企業の建て直しに利用することの有効性を知った。

しかし成功体験の呪縛は強い。我々は「事業再編はバブルでバランスシートを痛めた企業の緊急避難措置だ」と、物事を矮小化して考えているのではなかろうか?「日産の例は特別だ」と考えていないだろうか?

外国の知恵を持ち込んだり外国人を登用することが、調子が悪くなった企業を建て直すための応急措置だと思ってはいけない。福島第一原発事故に遭遇した東京電力や、2010会計年度第4四半期(2011年1~3月)の利益が対前年比77.4%ダウンを記録したトヨタ自動車のように、バブル崩壊過程でうまくやってきた企業が今つまずいている。

東電のことはあちこちで書かれているのでここではふれない。トヨタについて書こう。下表のとおり日本の三大自動車メーカーが発表した2011年3月期の業績をみると対前年比で利益の伸びが一番少なかったのはトヨタだ。なかんずく、2011年1~3月で対前年比77.4%減と一番ひどく利益が減少したのもトヨタであることがわかる。東日本大震災は3月11日に起こったのだから、この期の業績の悪化をすべて震災のせいにするのには無理がある。このところさえない車ばかり発表しているトヨタの経営陣は通年の利益増に新聞の目を向かせるよりはむしろ直近の自社の惨憺たる業績に注目して自社の制度疲労を疑った方がよい。
トヨタ本田ホンダ日産ニッサン
20102011増減ゾウゲンリツ20102011増減ゾウゲンリツ20102011増減ゾウゲンリツ
4Q営業エイギョウ利益リエキ95346148.4%96146248.1%827886107.1%
当期トウキ純利益ジュンリエキ1,12225422.6%72244661.8%▲ 116308 
通年ツウネン営業エイギョウ利益リエキ1,4754,682317.4%3,8385,698148.5%3,1165,375172.5%
当期トウキ純利益ジュンリエキ2,0944,081194.9%2,6845,341199.0%4243,192752.8%
単位タンイ億円オクエン

トヨタや、東電だけではない。日本全体が制度疲労を起こしていると考えた方がよい。日本が再度浮上するためには、外国人を大胆に日本の社会の各層に取り込み、刺激を与える必要がある。そしてそれを起爆剤として我々自身が変わる必要がある。

制度疲労からの立ち直りは容易な作業ではない。何年もかかる作業を地道にこなしてゆかねばならない。処方箋は「小国日本の歩むべき道」や「故森嶋通夫の著作を読む-『小国日本の歩むべき道』再論(2/2)」で書いた。あとは実践だけだ。



多様性について (2/2)2011/05/15 12:58

多様化推進の旗振りをしながら水を注ぐようだが。多様性をすすめることによる副作用の話をしなければ、私がブログで書いていることは単なるアジ文で終わってしまう。

クリケットの世界 追録」でも書いたように、紳士のスポーツとされるクリケットに八百長疑惑がおこっている。「地獄の沙汰も金次第」という感覚が日本よりもはるかに強く存在している南アジアの国々が「紳士の競技」といわれるクリケットで大活躍し、クリケットが南アジアの国々の「国技」になってきたことに伴う現象だ。ちなみに現国際クリケット連盟International Cricket Council会長のシャラッド・パワールSharad Pawarはインドの政治家で、出身のマハラシュトラ州の農業用地の用途変更で巨額の利益を挙げているとされている。ここまで来ると果たしてクリケットがいまだに「紳士の競技」との形容に価するのかどうかには大いに疑問がわくところだ。

5月11日、ニューヨークの連邦地方裁判所はヘッジファンドのガレオン・グループGalleon Groupの主宰者ラジ・ラジャラトナムRaj Rajaratnamに対し、インサイダー取引を首謀したかどで有罪判決をだした。この裁判にはラジャラトナムに対するインサイダー情報の提供者として大手経営コンサルタントマッキンゼーMckinsey & Companyの代表社員Partner アニル・クマールAnil KumarクマールやマッキンゼーCEOのラジャット・グプタ(職責はいずれも元)が登場している。Wall Street
Journal、Financial Times、New York Timesなどの報道によれば、世界金融危機の影響で欠損を出したゴールドマン・サックスGoldman Sachsが著名な投資家ウォーレン・バフェットWarren
Buffetが率いるバークシャー・ハサウェイBerkshire Hathawayの出資を受け入れることを決めた取締役会の直後にゴールドマンの社外取締役であったグプタは、その事実をラジャラトナムに電話で伝えたと言う。またクマールは情報料を受け取る目的でスイスに銀行口座を開設していたという。

インサイダー取引の摘発ならいくらでもあるが、経営の統制や管理を専門とする経営コンサルタントの、そのまた業界の頂点ともされ日本企業にも多数の顧客を持つマッキンゼーの(彼の大前研一はその昔マッキンゼーの経営幹部だった。大前のグプタ評を聞いてみたいものだ)、つまりは資本主義の中枢をサポートする企業の最高責任者や代表社員がインサイダー取引に加担したとしてあげられたとなると事態は深刻だ。

ちなみにマッキンゼーの英語のウェブサイトにしても日本語のウェブサイトにしてもグプタ、クマール両名の引き起こした問題に関する会社としての声明は、私が行った簡単なサイト検索では引っかからない。しょうがないので簡単に出てくる同社の行動規範をみると、日本語サイトでは以下が簡潔に記載されている:

最高のプロフェッショナルスタンダードにこだわる

  • 高い倫理規範を遵守する。
  • 顧客企業の信頼を損なわないよう最高レベルの守秘義務を遵守する。


  • 面白いことにこの行動規範の部分の書き方は同社の英文サイトの書き方とは相当異なる。英文サイトで該当する部分をみると以下のように書かれている(和訳は極力日本語サイトで使用されている用語を採用している)

    Behave as professionals

    Uphold absolute integrity. Show respect to local custom and culture, as long as we don’t
    compromise our integrity.

    プロフェッショナルとして行動する
    絶対的な倫理規範の支持。我々の倫理規範を損なわない限り現地の慣習や文化に敬意を払う。

    Keep our client information confidential
    We don’t reveal sensitive information.

    顧客情報の守秘義務の遵守
    我々は機密情報を開示することはない。

    カッコヨク「絶対的な倫理規範」ですよ。書いてあることと彼らの経営幹部の行動の落差をどう理解すべきなんでしょうねぇ。こう言うのを読むと「経営コンサルタントが勧める企業のコンプライアンスや倫理規範なんてただの宣伝文句か」とか後述のように「パクられるかどうかのリスク分析の次元の問題か」とシラケますねぇ。

    大分脱線した。インド亜大陸の人々は概して話好きだ。ヒマな時間はおしゃべりや議論でつぶすことが多い。その結果特定のグループの中では比較的自由に情報が流通する。日本の地方どころのことではない。知人の大学の歴史の先生からこんな話を聞いた。インドの研究所に留学していた際、ちょうど日本とヨーロッパの企業が発電所向けの機器の受注を争っていた。先生が招待されるインド人のパーティーでのもっぱらの噂はこの受注競争だったが、いくつかのパーティーに出ているうちに「xxとxxがつながった結果日本のメーカーは絶対的に不利だ」というのがもっぱらの噂になっているのを知って、いろいろ世話になっていた当該日本企業の駐在員にその話をした。駐在員は「大丈夫すべて手は打ってあります」と胸をたたいていたが、先生がパーティーで耳にした噂どおり日本の企業はそのプロジェクトを逸注したという。歴史の先生のゆくパーティーで発電所向けの機器の入札の帰趨が話題になっていたわけだ!ラジャラトナムが掴んでいた情報源の多くがインド亜大陸出身者だったことは決してラジャラトナム個人の資質の次元にのみ帰するべき問題ではない。

    そのように情報の流通が比較的ルーズな社会で育った人間にとって、インサイダー情報に関する厳格な統制は「決められたルールだから守る」類のものではあっても、生来の皮膚感覚とは異なるものだ。欧米の社会が多様化する中で、そこに移り住んできた人たちは従来の社会的な常識と異なる論理を持つため、頭でわかってルールに従っても皮膚感覚でルールに従うことは困難である場合が多い。このような人たちが社会の各層に浸透してくれば、おのずと社会の規律がかわってくる。クリケット賭博やガレオン・グループ事件はこの変化の象徴だと言える。

    多様性を受け入れる場合このような副作用への対処のことをあらかじめ考えておく必要があろう。

    それでは社会の規律や秩序に対する考え方が変わってくることにどう対処するのか?特に日本で多様化が進めば中国系の人々が社会の各層に今以上に参入してくることになるので、彼らについて今以上の研究が必要になる。中国では高級官僚や党職員が時々「腐敗に加担した」として死刑に処せられたりするが、この種の処罰が減らないところを見ると腐敗に加担している側は後述のようにつかまる確率を計算してリスクをとっているということなのだろう。

    多民族国家アメリカの対処の仕方は、細かく規則を定め、規則がはっきりしない場面は裁判で判断をあおぐというものだ。他の多民族国家はアメリカほどの訴訟社会にならずに済んでいるが(とは言っても概ねいずれも日本よりはよほど訴訟社会だ)、これは或いは「多少のことに目をつぶる」ことにしているからかもしれない。またアメリカの場合、訴訟社会が発生したのはピューリタン的な生真面目さの伝統の上にユダヤ教の律法解釈の伝統が加わったという歴史的な事情の考慮も必要だろう。

    5月11日のFinancial TimesにUniversity of San Diego教授のFrank PartnoyのThe real insider
    tip from the Galleon verdict「ガレオン判決の真のインサイダー情報」という論説が掲載されており、そこで

    If you do the maths, given the amount of insider trading, the chances of doing prison time
    are roughly the same as getting bitten by a great white shark while surfing off the coast of my home town, San Diego.

    There are rare shark attacks and many people become very afraid after them, just as some
    traders are now fearful after this high-profile conviction. However, that fear is irrational,
    based on the salience of an unusual event.

    インサイダー取引跋扈の状況から言って、確率の計算をすれば、インサイダー取引で逮捕されて牢屋につながれる確率は私の住むサンディエゴの海でサーフィングをしていてホオジロザメに食べられる確率とほぼ同率だといってよい。

    今トレーダーの一部は業界の著名人起訴で身を縮めているが、これはサメに攻撃される確率が低いにもかかわらず、それが起きたあと多くの人がサメに攻撃されることを恐れるのに似ている。そのような恐怖感は、稀な事象が実際起きる可能性から言って不合理なものだ。

    と論じている。多様化を受け入れながらも、それほど訴訟社会になっていない国になるには、こう言う達観も必要なのかもしれない。

    TNK-BPとユーコス -- ロシアは法治国か?2011/05/26 00:50

    1993年、ロシアは政令によって石油会社ユーコスYukosを設立した。ユーコスは1996年にロシアの民間銀行メナテプ銀行Bank Menatepに「どういうわけか」買収され民営化された。当時弱冠33歳のメナテプ銀行のオーナーの一人ミハイル・ホドルコフスキーMikhail KhodorkovskyはユーコスのCEOとなり、2004年にはロシア一の億万長者としてフォーブスForbes誌にも登場している。

    ユーコスは最盛期にはロシアの原油の20%を精製していたとされるが、2003年10月にホドルコフスキーが逮捕され、翌年7月にロシア政府がユーコスに対して70億米ドルを超える法人税の未払い請求を行い、税金を支払えないユーコスを破産させ資産を競売にかけ、それをロシア政府副首相が社長をつとめる国営石油会社ロスネフトRosneftが買収した。ユーコスはホドルコフスキーの経営のもとで、積極的に情報開示を行い利益を事業に再投資する優良企業であったので、この一連のできごとについては「ロシア政府が優良企業の経営者を脱税容疑で逮捕し、過大な課税で破産させ国策会社に安く買収させた」という説明もできる。

    ホドルコフスキーは2005年5月に有罪判決を受け9年の刑に服するためシベリアの刑務所に収監された。2009年3月ロシア政府はホドルコフスキーを新たな罪状に基づき起訴し、2010年12月にこの罪状に対しても有罪判決が出たことで、ホドルコフスキーの刑期は2017年まで延長となった。ホドルコフスキーは控訴したが、一昨日の5月23日に控訴は棄却された。これは一説によればプーチン首相が「当分ホドルコフスキーを刑務所につないでおけ」と指示したからだとされ、この一連の裁判劇は完全な政治裁判だと欧米各国は批判している。

    丁度明治期や第二次世界大戦後のように、ソ連が分解しロシアが生まれる過程では「民営化」の名のもとに政商による荒っぽい国有財産の払い下げが行われ、その波にうまく乗った人たちが続々と億万長者になった。ホドルコフスキーはその一例だ。しかし一例に過ぎない個人と企業に何故ロシア政府が格別追及の焦点を当てたのだろうか?ホドルコフスキーが資金力にものを言わせて国会を支配しようとしたことに危機感を覚えたプーチン大統領(当時)が動いたというのがもっぱらの通説だが、真相は今のところ闇の中だ。

    こう見ると「ロシアの行政なんてプーチン首相の思惑次第」と思いたくなるが、そうでもないのが
    5月17日に明らかになった英国の石油メジャーBPとロスネフトの株式交換話の破談だ。

    今年1月、BPはロスネフトとの間での株式交換とBPのロスネフト北極圏石油鉱区参加合意を発表した。ところがBPはロシアでTNK-BPというロシアの資本家グループAARとの50/50の合弁事業を抱えている。ちなみに合弁事業と言うがTNK-BPはそれ自体2010年末現在の総資産331億米ドル(2.7兆円)、売上446億米ドル(3.6兆円)、純利益63億米ドル(5,112億円)という巨大石油会社だ。

    そのAARとの合弁契約書上BPはロシアにおけるすべての石油ガス事業をTNK-BP経由展開することを約していたため、AARがBPを合弁契約履行義務違反でスウェーデンで仲裁審判に持ち込んだ。何でスウェーデンで仲裁審判になったのか?

    ロシアの会社法は未整備の部分が多く、ホドルコフスキーの件から推測されるように司法の独立性や法廷の司法判断に対する信頼感も低いため、合弁事業を設立する場合持株会社をロシア国外におき、係争を処理する準拠法は判例が十分揃っているイギリス法などで合意するのが一般的だ。TNK-BPの場合は持株会社のTNK-BP Limitedが英領バージン諸島British Virgin Islands法人で、係争はスウェーデンにおける仲裁審判で処理することになっていた。

    スウェーデンでの仲裁審判の結果、AARの言うことが正しいという結果が出、BPとロスネフトの株式交換にストップがかかったため、BPはRosneftの助けも借りてAARの株式の買収にかかったが交渉が週末に決裂、BPとロスネフトの提携話が破談となったわけだ。

    既に書いたようにロスネフトはロシアの副首相を社長にいだく国営石油会社だ。石油メジャーの
    BPとロスネフトの株式交換は、ロシアの国策企業を石油メジャーの大株主にしたうえに、BPの極地における石油探鉱・掘削技術を取り込む、というロシア政府のエネルギー政策の一環だったはずだ。それがAARなどという資本家グループの抵抗にあってあえなく破談になるとは…ロシア政府はAARのオーナー連中をホドルコフスキーのように抑えるこむことができたはずではなかったのか?とおそらくBPの関係者は思っているのではないかと思う。

    BPは2008年にAARとの間でTNK-BPの経営をめぐって争っており、そのときAAR側があれこれ当局に手をまわしたのだろう、BP側出向者が一時的にロシアから出国できなくなったりするという事態に遭遇している。このときはBPから派遣されていたCEOが退任し、AARのメンバーの一人が
    CEOになるという形で決着したが、恐らくそのときBPはロシア政府と味方につけAARを抑えることが必要だと感じたはずだ。そしてAARを抑えることのできる強力なパートナーとの関係構築を図っていたのだろう。「強力」という視点からいえばロスネフトは最強のパートナーのはずだった。この切り札が意外に使えなかったというわけだ。AARがプーチン首相の弱みを何か握っているのだろうか?

    一説によると、AARの資本家グループはスウェーデンでの仲裁審判が出た時点でプーチン首相に「審判の履行に介入するか」お伺いを立てたところ、プーチン首相は法の定めるところに従う(つまり介入しない)との確信を得たのでBPとロスネフトを相手に回して強気の交渉を行ったというが真相はやぶの中だ。

    メドヴェジェフ大統領は5月18日に「BPもロシア政府関係者もTNK-BPの合弁契約をもっとよく読んでおくべきだったのではないか」と苦言を呈しているが、この発言を額面通りに受け取れば「契約にキチンと書かれていることが守られて当然だ」と大統領が言っていることになる。

    ホドルコフスキー裁判の時は政府が審理に介入し、TNK-BPの時は政府が法の定めるところに結着をゆだねたとなると、ロシアがどこまで法治国家の体裁をとり、どこまで人治国家としての恣意性を見せるのか、今回の一件でちょっと不明になったといってよいだろう。

    ちなみにメドベジェフ大統領とプーチン首相は共にソ連時代から有力法曹を輩出するレニングラード(当時、現サンクト・ペテルブルグ)大学の法学部出身の法律家だ。



    出張でモスクワに行ってきた2011/05/31 23:36

    通常モスクワ出張は往復アエロフロートAeroflotに搭乗する。アエロフロートといえば、ソ連時代はソ連製のイリューシンIL-62型という後尾にジェットエンジンを4発搭載した航空機を東京・モスクワ間で飛ばし、料金は安いが機内は寒いわサービスが悪いわで散々の航空会社だったことを記憶する往年のヨーロッパ旅行者の読者もいるだろう。ソ連崩壊後もアエロフロートの経営権を取得した政商ベレゾフスキーが、広範な国際線網から上がる外貨収入を利用してアエロフロートを私的な蓄財の手段として利用していたので、会社に資金が残らずソ連時代より機材の状態もサービスも悪化した時期があった。しかし、今はそんなことはない。2000年にベレゾフスキーがプーチン大統領(当時)と争いイギリスに亡命した後はアエロフロートの経営は国に移り、機材もボーイングやエアバスになり、サービスも格段に向上した。例によって話が回りくどくなったが、ロシア出張にもっぱらアエロフロートを利用するようになったのはこんな事情からだ。

    ところが今回は大韓航空に搭乗して仁川(インチョン)国際空港乗り換えでモスクワ往復をした。東日本大震災の影響で日本人があまり海外に行かなくなり、外国人が福島原発の放射能を恐れて日本に来なくなったので、日本路線の国際線の搭乗率は大幅に悪化している。ソ連時代なら国威にかけても減便などしなかっただろうアエロフロートも、今は「もうからない」となると東京・モスクワ線を減便するようになっている。大韓航空はモスクワ線の減便をせず毎日ソウル・モスクワ間を飛んでいるので出張日を気にせず出張ができる。こんなところでも震災後に加速した日本の萎縮の影響を感じさせられる。

    大韓航空には久しぶりに搭乗したが、ずいぶん日本の航空会社にをまねたサービスを提供するだなぁと思った。日本の航空会社のサービスと一番似ている部分が、アテンダント(ほとんどが女性)が頭上の荷物入れに荷物を入れてくれるところだ。私は一見か弱そうなアテンダントに10キロ以上ある持ち込み手荷物をヤッと頭上に持ち上げてもらうのはいやなのでいつも自分で荷物を放り込んでいる。日本や韓国の男性乗客は何でそれが気にならないのだろう?また航空会社の方でもなんで「手荷物を押し込むのを手伝う」程度にサービスを制限しないのだろう。アジアの航空会社の中でも中国や東南アジアの航空会社ではこういうことはない。

    さて2004年以来久しぶりのモスクワは到着直後に夕立のような雨が降った以外は、出張中は毎日が快晴で日中の最高気温も20度ちょっとと極めて快適だった。到着したシェレメチェボ空港は前回出張時とは様変わりで、垢ぬけしたデザインの空港建屋に生まれ変わっていた。変わっていないのはロシアに入国するための手続きの煩瑣なことだ。ビザが必要なのはまあわかるとして、ソ連側に受け入れ機関があってそこが身請けするのでビザを発給するソ連時代の名残で、いまだにロシアに行くには先方に受け入れ機関が存在することが必要だ。ソ連時代だとその受け入れ機関が入国後の行動にまで関与していたが、今そんなことはない。あの受け入れ機関はどういう機能があるのだろう?入国しホテルにチェックインすると72時間以上滞在する場合は滞在許可を取得しなければならない。ヤレヤレ。このあたり2週間程度の滞在にはビザが不要の中国の方がだいぶ実務的だ。

    モスクワの交通事情は前にもまして悪化しており、わずか29kmしか離れていないシェレメチェボ空港からモスクワ市内まで1時間くらいかかった。現地の人にそのことを言ったらYou are lucky「運が良かったねぇ」と言われた。最近は交通渋滞のせいで2時間くらいかかることもザラだという。

    さてモスクワ滞在中に会った人に「戦場のナージャ」
    http://mumbaikar.asablo.jp/blog/2011/05/11/5858264
    に関するロシアでの評判を聞いたところ、意外な反応が返ってきた。

    まずミハルコフ監督の評判がロシア国内ではかなり悪いようだ。ロシア人の知人によるとミハルコフは2008年にロシア映画製作者連盟から使途不明金問題を理由に除名されたが、種々工作をして復帰、その後彼の除名に加担した関係者に対する報復人事がいまだに続いているという。ミハルコフはプーチン首相派とされ、その影響もあって「太陽に灼かれて」の制作には多額の国家予算がつぎ込まれたことも批判の対象となっているようだ。

    映画の展開がノロイという批判もあるようだ。大作主義のロシアの映画観衆がこういう批判をするというのは、ロシア人もずいぶん欧米の映画を見て感覚が変わってきたのだろう。

    おもしろかったのは外国で評判になるロシア映画は良いロシア映画とは言えないという固定観念がロシア人の間にあるという話だ。外国でうける映画はロシアやロシア人の後進性を表現しないとだめだからというのがその理由であるようだ。「太陽に灼かれて」ではソ連軍がドイツ軍に蹴散らされる場面があるが、それが不興をかったのか?このあたり日本に対して批判的な映画を上映しようとすると、さまざまな干渉をうけるのできない、或いはできづらい最近の日本と事情が似ているなぁという感じだ。

    私は公の場で自分のことを批判したり、笑ったりできる余裕を持つのは先進国の一つの証だと考えている。ソ連崩壊後の混乱期を経てBRICSの一員として自信をつけつつあるロシア人が自信を取り戻していることはわかるが、それが批判を拒否する自意識にまで進んでしまっているとすると困ったことだ。そういえばロシアでは最近盛んに国粋主義者が活動するようになったときく。

    モスクワを離れたのが金曜午後なので、交通渋滞に巻き込まれることを避けるため2009年から空港と市内のベロルスキー駅を結ぶアエロエクスプレスAeroekspressという真っ赤に塗られた直通電車にのった。車内の冷房もきいているし、ロシアの鉄道は軌間が1520mmと広いので(標準軌の新幹線は1435mm)車内はゆったりしている。電車は35分かけてゆっくりノンストップで空港までの30キロ弱を走る。ロンドンのヒースロー空港から市内のパディントン駅までの標準軌の軌道20数キロを15分で走りぬくヒースロー・エクスプレスHeathrow Expressや、東京駅から成田空港駅までの79kmを一時間前後で軌間1067mmの狭軌を走りぬくJRの成田エクスプレスとはずいぶん違う。

    そんなことを思いながら渋滞する車を横目に空港に向かった。

    水のなるほどクイズ2010